『失望』の道行

第四幕

マロリガン共和国との戦いが始まり、スレギトを一時的に占拠したラキオス軍であったが
エーテル障壁に阻まれ撤退を余儀なくされた。現在、賢者ヨーティアにより障壁の解除方法の
研究が進められているため、前線拠点ランサの防衛が主な任務となっている。
その時にオルファに連れられ、砂漠にて消耗し倒れていた漆黒の翼ウルカを捕えたが、
帝国の内情には疎かった、いや疎くならざるを得なかったウルカからは有益な情報を得る事はできなかった。
だからといって無碍に扱う事をよしとはしないレスティーナ、そして悠人も彼女を客分として、
外面には捕虜と言う形で悠人の監視下に置く事で彼女の身柄を確保した。
佳織についての情報を充分に得る事もできなかったわけだが、悠人を悩ませる物はそれだけではない。
ハイペリア――元の世界での親友、碧光陰と岬今日子がエトランジェとしてマロリガンに協力している。
更には、今日子は神剣に意志を奪われ、光陰は自らの意志で悠人に刃を向けた。
戦っている間は体を動かす事で無理にでも辛さを忘れられたが、こうして敵の部隊の影が見えない時に
休暇を過ごすためにラキオスに戻るたびに葛藤がぶり返してくる。
自室で寝台に転がり、悠人が本日十数度目の溜め息を洩らす。
「さてと、どうするかな……」
ただじっとしているだけでは体は休めたとしても心が耐えられそうに無い。
体の動くままに身を起こしたが、もう一度大きく溜め息をつきそのままうなだれた。
「さっさと覚悟を決めて第二詰所に顔を出すか」
悠人が思い浮かべるのは、もうすっかりと馴染んでしまったヘリオンの姿。
だが、その表情は普段の物とは違っていた。悠人を悩ます更なる原因。
以前に王城に帝国の兵が侵入した事件。その時に悠人は佳織を攫おうとしたウルカに向かって
『求め』の力を暴発させた。何よりも信じられなかった事は、佳織を巻き込んでまで放った
オーラフォトンの激しい奔流。奇しくも、敵を倒すためなら味方をも犠牲にしたあのスピリットたちと
同様の事をしてしまったのだ。更にその直前にはヘリオンに剣に負けるなと釘をさされたばかり。
瞬に対しての殺意のままに『求め』の意志とあろうことか完全に同調しての行動だった。


意識が回復した瞬間に見た、おびえる佳織の表情が目に焼きついて離れない。
しかも、その後にはレスティーナに向けて醜態を晒し、彼女自身に諭される始末。
「いや、それよりも問題なのが、なぁ」
あれからというもの、面と向かってヘリオンに顔を合わせられない。
結果として、思い切りヘリオンの言葉を裏切る行為をとった事になってしまうのだから、
自己嫌悪に襲われてどうしてもよそよそしくなってしまうのだ。
ヘリオンの様子を見ていても、自分と同じような顔つきで沈み込んでいる。
きっと、彼女の場合は自分がかけた言葉が原因で傷つけたと思ってしまっているのだろう。
それが申し訳なくて、うまく話すことも出来ないという悪循環。
「単に、俺自身が弱かっただけなのに」
実際の作戦行動に支障をきたす事は無かったが、必要以上の事は話すことも無く、剣の特訓も出来ていない。
今悠人が思い浮かべる彼女の顔はかつての照れてはにかんだような笑みではなく、
心配そうにしている中に見える一欠片の不安と怯え。彼女が直にそれを見せる事などなかったと解ってはいるが
あの時の佳織の表情がだぶり、どうしてもそれが現れる。
着々と進行していったマロリガンとの戦争に忙殺されてゆっくり話をする機会も取れず、
きっかけを探していた所に降って湧いた新しい苦悶と休息。
光陰たちとの戦いが先延ばしになった今のうちに、出来る事なら一つでも問題を解決したい。
悠人は一つ頷いて立ち上がると、第二詰所に向かうために部屋を出て行った。

そして悠人が第二詰所の前に来た。だが、どうしても扉を開けて中に入る勇気が出ない。
しばらくその周りでぶらぶらしていると、建物の陰から一人の影が彼を手招きしていた。
気になって近寄ってみると、そこには口元に指をたてて当て、微笑んでいるハリオンの姿があった。
とりあえずそのサインは両世界共通らしく、静かにしろと言う意味だが。
さらにハリオンは居間にある窓を指差し壁に張り付けと指示を出す。
居間の窓は開いており、中の様子を聞くことも可能のようだ。そっと覗くとそこには――


「……はぁ~」
居間でヘリオンが空のカップを前に何度も溜め息をついていた。
さらにお茶のポットをお盆に乗せてヒミカが台所から現れた。
一体何回溜め息をつけば気が済むのか。あまりにも沈んでいるヘリオンを見かねて
話を聞こうとお茶に誘ってからでも、顔を伏せて何かを考えている素振りを見せれば、最後には溜め息。
まあ、原因にはあの場にいたもの全員に察しがついていた。
「おかわり、要る?」
「あ、いただきます……」
ヘリオンはふと顔をあげて、カップを差し出した。こぽこぽと音を立てながら、湯気を立てるお茶が
カップを満たしていく。ヒミカはポットの傾きを戻してテーブルに置き、カップをヘリオンに返した。
これまでにも色々と聞いていた話を考慮すると、ここまでこじれている最大の要因は実に簡単に理解できた。
「要するに、あなたは自分が軽々しく『剣に負けるな』なんて言ったから
ユート様が余計に傷ついたんじゃないか、って引け目を感じるわけでしょう」
ヘリオンの隣の席につき、自分のカップを弄りながらヘリオンに確認を求める。
カップに口をつけ音も無くお茶をすすりながらヘリオンは頷いた。
そして、とヒミカはエスペリアから聞いた悠人の様子を思い出した。
あちらはあちらで、ヘリオンの信頼を裏切ってしまったのだと落ち込んでいるらしい。
さらに、ヘリオンが落ち込んでいる原因にも気がついているようだ。
互いに非のありどころを自分に置いて気遣いあっているだけ。
ヘリオンの方に関しても、と考えつつ答えのわかっている質問をぶつける。
「ところで、ユート様があなたに対してよそよそしい理由は考えた事、ある?」
「それは、その、たぶんですけど、わたしがああ言ったのに剣に飲まれかけてしまったって、
ユートさまは自分が悪いんだって思っちゃってるんだと思います。
わたしが、『求め』の強さも考えないで言った事なのに」
そう言いまた溜め息をついてカップを置いた。
それこそヒミカも溜め息をつきたい気分だったが、かわりにお茶を喉に流し込んで
タンッと音を立ててテーブルにカップを叩きつけた。


「あのね、どうしてそれが分かってるのに引っ込んだままなの。
お互いに相手の気持ちも充分察してるのに、二人して自分が悪い自分が悪いって
言ってるだけじゃ仲直りできる物もできないじゃないの」
ヒミカは横を向いてぴっとヘリオンに指を突きつけた。その勢いにたじろぎ、
ヘリオンもヒミカのほうに体をむけて目を丸くする。
「あの、お互いにっていうことはもしかして」
「ええ、ユート様も、あなたが沈んでるのはあなた自身のせいだと思ってるからだ、
って考えているそうよ。そこまで相手の事がわかってるんだったら
後はちょっとしたきっかけで普段どおりに戻れるだろうに不思議でしょうがないわ」
それを聞き、再びヘリオンは顔を曇らせる。確かに、それができればどんなに良いか。
「でも、そのきっかけって言うのがなかなか無くて、ユートさまともお話できないんです」
「だから、今なんじゃないの。せっかくの休暇なんだから話す機会なんていくらでも有るわ。
そうね、向こうが姿を見せないっていうのなら、ヘリオン、あなたが押しかけちゃいなさい」
そう言ってヒミカはヘリオンの両肩に手を置き、ヘリオンの顔を覗き込んだ。
ぴくりとその言葉に反応し、顔を赤らめる。自分から悠人の部屋を訪ねることなど、
確かにした事が無い。だからといってそれができる勇気が有るならいつまでもこうしてはいないと思う。
「えっ、そんな。お休みになってるんだからきっとユートさまもお疲れなんですっ」
「ああしてあなたの事を気にしてる方が疲れるわよ。一つずつでも気になる事を消していったほうが
良いに決まってるんだから行ってらっしゃい。あ、ハリオン、あなたからも言ってあげてちょうだい」
首を振って断ろうとしても、それはあっさりと切って捨てられた。しかも部屋を見回すといつのまにか
ハリオンが入り口の所に佇んでいる。ヒミカはヘリオンが彼女に何かを言う前にさっさとヒミカ側へと
引き込んでしまう気らしい。けれどもその顔を見てもいつも通りに微笑んでいるばかり。
なら、まだ二人がかりで悠人の部屋に送り込まれる事は避けられるのではないか、
そう思ってヘリオンが口を開きかけた時、ハリオンが喋りだした。


「え~っとぉ、それじゃあ一つ、ヘリオンさんにお聞きしたいんですけれどもぉ~」
「わ、わたしにですか」
タイミングをずらされて、思わず身構えてしまう。そのままのペースで彼女は言葉を続ける。
「はい~。ユートさまと仲直り、したいかしたくないかどちらですか~?」
あまりに直球の問いかけに一瞬、我を忘れてぽかんとしてしまう。
「し、したいに決まってるじゃないですかそんなのっ」
ヘリオンは赤くなる顔を隠しもせずに立ち上がる。
だったら、さっさと部屋に行ってしまいなさいとでも続ける気なのだろうか。
真っ直ぐにハリオンを見返して言葉の真意を読み取ろうとしたが、
更に笑みを深くしただけでそれ以外の変化も見られない。が、よく見れば
ハリオンは部屋の入り口から動いていない。さらに片手は部屋の外で何かをつかんでいるようだ。
何のつもりかと尋ねようとした時にも、先手をとられて部屋の外に出て行った。
そして、ぐい、と押されて部屋の中にあらわれた人影。さらにその背を押してヘリオンの前にまで運ぶハリオン。
彼女の目の前にいるのは、照れくさそうに頬を掻く悠人だった。
ただ、呆として彼の顔を見上げるばかりのヘリオン。悠人もその視線に耐えかねて
意味の無い呟きを繰り返すだけ。そこに、
「は~い。そういう事だそうですよ~、じゃ、今度はユートさまの番ですからね~」
と言いながら、ハリオンが急な展開についていけずに目を丸くするヒミカに会釈して気を取り直させると、
ヘリオンと悠人の横に立った。
悠人は自分を見上げるヘリオンの目を見ながら咳払いを一つして口を開く。
「あー、うん、俺もヘリオンと仲直り、したい。でもやっぱり悪いのはお……」
俺だから、とさらに自分を責めようとする悠人の右手を、横に立っていたハリオンが掴む。
悠人が驚いている隙にヘリオンの右手も掴み、二人の手を繋がせてハリオン自身の両手で包み込んだ。
「はい。仲直りしたい人同士、どちらが悪いもありませんよ~。
これで二人はまた仲良しさんですねぇ~」


ハリオンが手を離した後も二人の手は繋がれたままで、二人が頬を染めながら彼女を見ても、
ただにこにこと微笑むばかりでからかわれているような気は微塵もしない、のだが。
「じゃああとは、仲直りのご挨拶ですねぇ、まずは、ヘリオンさんからどうぞ~」
変わらぬ表情のままで告げる内容を聞き、二人は別の意味でも恥ずかしくなっていく。
慌ててヒミカのほうに助けを求め顔を向けた悠人だが、彼女はにやりと笑みを浮かべると
諦めろといわんばかりに首を振った。改めて顔を見合わせると、悠人に映るヘリオンの顔は
いつもの彼女らしい笑み。それを見て、一息に緊張がとけて悠人も顔を緩めた。
ヘリオンは深呼吸を一つすると、
「ユートさま、その、これからもよろしくお願いしますっ」
と言いつつ、ぺこりと頭を下げる。
悠人も、繋いだままの手にもう片方の手を添えてヘリオンの手を包むと、
「ああ、俺も、よろしく頼むよヘリオン。
次からは絶対に誰が相手でもこいつの殺意に振り回されたりしない様にする。
だからヘリオンにいつも見ていて欲しいんだ、そうならないように。
たぶん、いやきっと、それが歯止めになってくれるから」
そう言い、顔をあげたヘリオンに微笑みかけた。
彼女は少しの間その言葉を確かめるように動きをとめていたが、
悠人の手を更に自分の手でとって、そのまま胸元で手を組み、喜んで、と答え微笑みを返した。
しばらく見詰め合った後、二人は、はっと自分達に向けられた視線に気付く。
いつの間に移動したのか、ハリオンはヒミカの隣にいてにこにことし、
ヒミカはあからさまに手で顔を扇いでいる。
急激に鼓動が速まり、ヘリオンと悠人は慌てて手を離した。
「あら、もうお終い?わたし達なら気にしないから続けても良いわよ」
「な、なにをっ……」
「ヒミカさん、あんまりからかっちゃあいけませんよぉ~。
えぇと、これでお二人とも、一件落着です~」
変わらずに笑みを浮かべ続けるハリオンを見ていると、照れくさくはあったが怒る気は失せていった。


悠人は改めてハリオンに頭を下げた。
「ああ、ハリオンのおかげだな」
「い~え、わたしはちょっと後押しをしただけですからぁ。
ユートさまが自分からここまで来られたから何かできないかなぁと思っただけですよぉ~」
「そんなに謙遜する事無いよ、ほんとにありがたかったからさ」
顔の前でパタパタと手を振るハリオンにも笑いかけた悠人だが、服のすそを引っ張られる感触に
振り返るとヘリオンが悠人をじっと見ていた。背筋に冷やりとした物を感じて
悠人はさっとヘリオンに向き直った。
「えっと、何かなヘリオン?」
「いえ、なんでもないですっ。何だか、体が勝手にっ」
その様子を見て、ついにヒミカが大きく溜め息をついた。
その拍子にまたもや入り口に誰かの姿が有るのを発見する。なかなか見慣れない白い容姿、あれは。
「イオ様、どうなさいました?どうぞ、お入りください」
その声に、悠人たちもイオに注目する。イオは優雅に一礼すると、
「失礼します。ヒミカ様もそう畏まらずとも構いませんよ」
微笑みながら、部屋へと入ってきた。そして悠人を見つけ用件を伝える。
「先ほど自室に伺った所、こちらだと聞きましたので参りました。
ユート様、お取り込み中申し訳ありませんがヨーティア様がお呼びです」
「ああ、すぐに行くけどよっぽどの用事みたいだな。わざわざ探してまで呼びつけるなんて」
暇つぶしに呼ばれるような時は自室にいなければイオは引き返すという。
もっとも、次に呼ばれた時にはそれをネタにしてヨーティアに弄られるわけだが。
「ヘリオン、悪いけど長くなるかもしれないからまた今度な。
そうだな、次にゆっくりできるのは……」
「えっと、明日からまた前線に戻りますから、次の休暇まで少し間が開いちゃいますね。
でもそれなら、ゆっくりできるように頑張りましょう」
「ああ、それじゃまた明日から宜しくな」
そう言い、イオに連れられて悠人は部屋を出て行こうとした。そこにヘリオンが慌てて声をかけた。


「ユートさまっ、次の休暇の時には久しぶりに、一緒に訓練して下さいますか」
「もちろんだ。そんな事くらいならいくらでも付き合うよ」
振り向き片手をあげて返事をし、二人は第二詰所を辞した。
ほっと息をつくヘリオンに、ヒミカとハリオンが呆れた声をあげた。
「あなた、頼みごとならもっとマシなのが有るでしょうにどうしてそうまどろっこしい事を」
「ヘリオンさんらしいと言えばそうですけれどもぉ、
もっと積極的でもバチはあたらないと思うんですけれどねぇ~」
「せ、積極的って、これ以上どうしろっていうんですかぁ」
その言葉に二人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべてほぼ同時に、
「一緒の部屋で寝てて何を今さら恥ずかしがってるの」
という意味の言葉を洩らした。もちろんヘリオンの頭にはそれ以上の光景が思い起こされる。
その瞬間にぽんっと音を立てるようにヘリオンの顔が朱に染まる。
しばらく硬直していたかと思うと、ふるふると身を震わせて、
「あ、あ、えと、し、失礼しますっ」
と言いながら脱兎の如く自室へと戻ろうとして居間を出て行った。
と思ったら顔だけをひょこりと覗かせて付け加える。
「ヒミカさんも、ハリオンさんも、今日はありがとうございましたっ。それじゃあっ」
今度こそ、ばたばたと音を立てて自分の部屋へと駆けていった。
それを見送る二人。足音が聞こえなくなった頃、ヒミカがハリオンに、
「全く、いつからユート様に聞かせてたのよ。全部あなたがいい所をもっていっちゃたじゃないの」
と文句をいいながら、新しくお茶を淹れて差し出した。ハリオンはにこにことお茶を受け取ってゆっくりとすすりながら、
「ですからぁ、わたしはきっかけを作ってあげただけですぅ。後はお二人の問題ですからねぇ~」
とだけ答える。はいはい、と受け流しながらヒミカも自分のカップにお茶を注いで深く椅子に腰掛けた。
ハリオンの笑みに、心からあの二人を思いやる気持ちを汲み取って、
自分も同じ気持ちだと思って頷き、後はハリオンにならって静かにお茶を飲んだ。


一方その頃、ヨーティアの研究室に呼び出された悠人は彼女とイオから
十数枚の資料を受け取り、ある説明を受けていた。
曰く、永遠神剣の強さと持ち主が扱えるマナの量にはとある法則が成り立つはず。
永遠神剣の特性を考慮に入れても覆る可能性は限りなく低い、と。
「それで、この折れ線グラフが何を表しているんだ、ヨーティア?」
資料には一枚一枚に青、赤、緑、黒、そして黄色でジグザグに左から右へと進むように線が引かれている。
横軸にとられているのは時間、或いは日付らしいと言う事はなんとか読めたが、縦軸の数値が何かは分からない。
「あのな、さんざん今まで神剣とマナの関係について話してやっただろう。
なんでそれで察しがつかないんだか。
それは別に私の研究用に作ったものじゃないんだけどね、訓練士の連中が取った
ユート達のマナをコントロールする訓練の結果を示したデータさ。
縦軸には放出したマナの量、横軸には時間経過を示すようになっている。
日付が一番新しいのを渡したわけだけれども、ま、言ってしまえばただの成績表だね。
イオが訓練士も兼ねている都合で気になる事が有るから、と連中から渡されたんだが。
ユート、それがそれぞれ誰の物か、わかるかい?」
もう一度、資料に目を落とす。
そうして見ていくとやはり青色の線は青スピリットのもの、と言う事だろう。
説明の内容を考えてぺらぺらとページを繰っていく。
「少なくとも、俺のはこの黄色の線の奴だろ。色だけじゃなくても、
他の皆よりも格段に放出してるマナの量が多いし」
「ああ、それにコントロールの訓練のはずなのに、他の奴らよりも思い切りジグザグだね。
そういうのはだいたい波の真ん中あたりが安定したマナ放出の位置になるはずだよ。
まあ、そんな風に読み取っていったら大抵は分かるはずだ。さ、やってごらん」
いちいち悠人が気にしている事を指摘して続きを促す。


さっきの講義と何の関係が有るのかと思いながらも逆らう事は無駄だと考えて、悠人は素直に資料を調べていく。
まずは分かりやすい物から考えていくと、青では最もマナの量が多く、安定しているのがアセリアだろう。
そして最大値と最低値の幅が大きいのはきっとネリーだ。
赤に関しては、ネリーと同じく上下幅の大きい物がオルファ。
緑では、面倒くさがって力を抜いているためか放出量が少ないのがニムントール、
安定具合で、信じられない事にほぼ水平に保っているのがハリオン、
それには及ばないものの普通よりも遥かに穏やかな波となっているのがエスペリアだろうか。
後は、マナ放出量の上下で推測するしか無さそうだ。
おそらく、ヒミカとナナルゥ、セリアとシアー、ファーレーンとヘリオンでは経験の差で、
ヒミカ、セリア、ファーレーンに分が有るのだろうと思い、回答をまとめて告げた。
「なるほど、全問正解だ。なかなかどうして、隊長らしく隊員の事ならお見通しと言う事かな」
「理由を言えなんてことになったら、なんとなくで決めちまった所も有るから褒めなくていいよ。
それで、これが何だって言うんだ?」
それを聞き、ヨーティアは眉をしかめた。
「なんとなく、だと。こんな物、なりたてのヒヨッコ訓練士にだって理由なんて簡単にわかるぞ。
安定加減は確かに性格が関係するからユートが参考にするならそれだろうけどね。
マナ放出量に関しては実に単純。ただ神剣の位を当てはめてみればいい。
安定したマナを放出するためには自分の神剣に合った量が自然と選択されるんだ。
蛇足だとは思うが聞かれる前に言っておく。戦闘時に一時的に放出される最大量はスピリットによって
違う物だからな。でなければ、下位の神剣保持者が上位者を倒せるわけが無いからな」
そこでヨーティアは一息入れ、悠人の顔を見た。かろうじて話についてきている事を認めると
ここからが本題だ、と更に数枚の資料をイオから受け取った。まだ悠人には渡さずに告げる。


「まずは、そのヘリオンとファーレーンのグラフを見てみろ。
ユートの言ったとおりヘリオンのほうがマナ放出量は随分低い。
だけど、ちょっとそこにネリーやシアーのものを重ねてみるといい、
少しおかしな事に気がつくはずだ」
言われて、横にそれらのグラフを置きだいたいの放出量を比べる悠人。
そうしてみると、確かに違和感が有る。
「あれ、それほど変わってないんじゃないのかこれ。それどころか」
「ああ、二人の間にヘリオンが入っている。それにもかかわらず訓練士の話じゃ
いたって普通に訓練しただけで本人が意識して大量のマナを使っていたわけじゃないらしい」
「でも確か八位と九位の間の力の差は小さいとか言う話を
戦術の指導で聞いたんだけど、その範囲内なんじゃないのか」
「有り得ない事じゃないけど、根拠に乏しいな。もう一つ、これを見てみな」
ヨーティアはそれを耳にした時に、待ちかねたように手元の資料を悠人に差し出した。
それは数ヶ月前の日付のヘリオンたちのグラフだった。ネリー、シアーに関しては現在と比べて少し低めだが
成長としてみるならばそんなものだろう。それを確認しようとイオに尋ねると、彼女は首肯した。
「はい、そのお二人はマナの扱いに慣れていったという事が主な原因です。ですが」
確かに、ヘリオンのものはその二人よりもさらに低い。
悠人が疑問を発する前にさらにもう二枚、ヘリオンのグラフが渡された。
そこには数ヶ月前のものから少しだけ成長したものと現在と比べるとやや低いものが描かれている。
しかし、その日付は。
「サーギオスの襲撃の前と後って、その間にこんな急に変わるものなのか?」
驚きながら言いつつ、悠人には大きな変化を起こすような原因に一つ、思い当たる事があった。
その表情を見てヨーティアが続ける。
「話は聞いてる、その時にヘリオンが初めて……戦果をあげたってね。
ちなみにそれ以降も前線で戦果をあげるたびに成長を続けてるようだよ」
「そんなことがあるのか、スピリットを殺すたびに永遠神剣そのものが強くなるなんて」


「普通の奴らなら、あり得ないと切って捨てるだろうが私は違うさ。
スピリットが死ぬとマナに還るのは常識だ。だけどね、スピリットが倒れた時に放出されるマナ、
ちょっとそいつについて研究中なんだが、今は置いとこう。
実はその全てが空に消えるわけじゃない。いや、ユートなら実感として分かるかもしれないな、
スピリットを斬った神剣は、そのスピリットのマナを一部吸収しているはずだ。
他の皆の成長も、一部は剣の成長のせいかもしれない」
言われてみれば確かに、と悠人は『求め』の柄を握った。この剣でスピリットを斬るたびに
『求め』が力を取り戻すように強力になっていくように思う。
「だけど、ここまで急激に成長する理由なんて私にだってまだわかってない。
が、その段階でユートを呼んだのには理由があるぞ。神剣が強力になると言う事は、だ」
「剣からの声が強くなってしまうのか」
「そう、今までよりも剣の干渉が起こりやすくなるだろうな。
従って、このまま成長を続けた場合彼女に何が起こるか予測がし難い。
もっとも、それに対する手段はある」
ヨーティアの言葉に驚き、衝撃を受けるだけだった悠人の顔にぱっと期待が見える。
それを確かめてヨーティアはニヤリと唇を歪めた。
「剣の成長に耐えられるように精神面をしっかり支えてやれば良いだけさ。
それをやるのはユートが適任だからねぇ」
くく、と喉を鳴らして笑う。
悠人は単に隊長だから面倒を見ると言う次元での話ではないと気付き、顔を赤くして怒鳴った。
「ど、どういう意味だよ、それはっ」
「それが解らんほどバカじゃないだろう?
そんな顔色をして気付かれないと思ってるならそれこそボンクラだけどな」
声をあげて笑い出したヨーティアに悠人はぐうの音も出ずに黙り込んだ。


「なに、最近ヘリオンに対する様子が変だと耳に届いてね。
それじゃいかんと現状を伝えようとしたんだけど、どうなんだい」
悠人が何も答えられないうちに横に控えていたイオが微笑みながら報告した。
「ご心配なく。先ほど目にしましたが私たちがまだ見た事の無いようなあたたかい雰囲気でした」
そう言われて悠人は、この二人に会った時には仲たがいの最中だったと改めて気付いた。
だと言うのにヨーティアは情報を集めて自分に教えてくれたのか、と少しだけ感謝した。
「へぇ、そりゃ邪魔をしてしまったかな。悪かったね」
ちっとも悪いとは思っていなさそうな笑みを浮かべて謝る。だが、直後に顔を引き締めて言った。
「ま、知っといてもらったほうが良かったんだ。訓練士としてのイオの言葉では、
今の様子じゃちょっと危なっかしい所だっていうからね。せいぜい気にかけてやりな。
そうすりゃきっと大丈夫さ、根拠はこのあたしが言ったって事くらいだけどね」
最後には、自信に満ちた目で悠人を見やる。その視線を受けて、悠人も深く頷いた。
「ああ、ありがとうヨーティア、イオ。誰も犠牲にしたくないって言っといて、
身近な誰かを傷つけちまうかもしれなかったんだからさ。俺は絶対にヘリオンを
神剣に飲み込ませたりしないから。ヨーティアも……研究頑張ってくれよ」
「もちろんだ。ああそうそう、神剣に関して不安が有るようだったら
すぐに相談に乗ってやるんだぞ、これはユート達二人の問題になるんだからな」
部屋を出て行きかけた悠人に声をかける。わかった、とだけこちらを向いて返し、
悠人はそのまま自分の部屋へと戻っていった。
「やれやれ、まんざらでも無さそうなのが面白くない。もっと慌ててくれるものと思ってたんだがなぁ」
「ですが、ヨーティア様」
「ああ。全く、研究を頑張れとは誰に向かっての言葉だか。
進んで自分の首を絞めたがっているようだよ。ユートにだって支えが必要だろうにねぇ」
まあ、それも大丈夫か、と呟きながら、ヨーティアは悠人への説明で省略したこと、
倒れたスピリットからマナへの変換についての考察材料をあさり始めた。


そして、しばらくの時が流れ、ヘリオンが待ちに待っていた次の休暇。
なのだが、ヘリオンは素直に楽しむ気分にはなる事ができなかった。
再び前線に戻って、悠人たちと共にランサを防衛する日々を過ごす間に
ますます悠人の様子が張り詰めていったようだからだ。
攻めて来るマロリガンの稲妻部隊は撃退されるたびに強力になっていく。
このまま行けば、いつかはあちらのエトランジェたちが攻撃部隊として登場する事になるだろう。
今はまだその気配も無くラキオスに戻る事ができて、悠人もほっとした顔をしていたが、
いつかはマナ障壁も解除されて決戦を余儀なくされる事は間違いない。
それまでに、悠人は迷いを断ち切れるのだろうか、と思いかけたところで首を振った。
「それじゃあユートさまがあのお二人を斬っちゃう事になるじゃないですか。
そんなの、ぜったいダメです。約束だってしたんですから」
神剣が強要する殺意に屈しはしないと悠人は言い、自分がそれを抑えられると言ってくれた。
だから、彼が親友を斬るという結末など認められない。
彼の宣言には具体的な根拠などありはしない。単に気持ちの問題でしかないのは
互いによく分かっている。だけれども、いやだからこそ。


「神剣に打ち克つかどうかは持ち主の心次第だから、それが一番大事なこと」
ふと、無意識に口をついて出た言葉に、ヘリオンはあたりを見回した。
夜に備えて仮眠をとっている自室の寝台の上。そこから見える範囲には誰もいない。
いや枕もとに、有事の際にすぐに手に取れるように置いてある『失望』に視線が行き、
そこから伝わる意識に心を通わせてヘリオンは頷いた。
「そうですよね、『失望』。わたしだって、ぜったいに諦めたりしませんから」
悠人を想い剣を振るたび、『失望』からは何かあたたかい意識が流れてくる。
先日までのそれは自分を洗い流そうとする暗く不快な物だったのだが、
あの約束以来、それは影をひそめて全く表には出てこない。自己嫌悪という
負の感情に囚われていたあの時までと、現在との違いが『失望』からの意識にも
影響を与えているように思う。根拠は無い、けれど実感としてヘリオンには
『失望』には善悪二つの意識が有るように思えるのだ。そして、それは『求め』にも。
さらには、もしかしたら全ての神剣にも。
あの言葉を言われた時の気持ちを思い出し、考えを整理する。
一つだけ、儚い希望を心に留める事ができ、ヘリオンはただその時を待った。


深夜の訓練棟に剣戟の音が響く。
最後の仕上げとして行われるヘリオンから悠人への打ち込み稽古。
悠人の発した防御障壁の上から鋭い衝撃が悠人に伝わる。肌を傷つけることは無かったが
以前までとは比べ物にならない威力の上昇に、悠人はヨーティアから聞いた内容を実感した。
さらには、防御障壁が空に解け『求め』を盾にした悠人の目の前にもう一度へリオンが迫り、
「いやあぁぁっ!」
気合と共にもう一撃を抜き放つ。
『求め』と『失望』が打ち合わされる寸前に、ぴたり、とヘリオンはその手を止めた。
ウイングハイロゥを展開したまま飛び退き、剣を納める。ほう、と息をついて悠人の元に駆け寄った。
ヘリオンが声に出して問わずとも、もう悠人は講評に移りだしている。
その内容は感嘆と賛辞。けれども悠人は心中では穏やかではいられない。
神剣自体が急成長するという事態がどんな影響を及ぼすのかと不安になっているのだから。
「もうスピードじゃヘリオンには敵わないかもな、それじゃあ帰ろうか」
とヘリオンの横に並んで、促そうとする。しかし、その態度はヘリオンにとって
違和感を感じさせるには充分だった。悠人にとっては心配事が一つ増えた事に変わり無い。
それが、光陰たちの問題と重なって心の負担となり、
見るものが見れば分かるぎこちなさとして現れてしまうのだ。
「ユートさま」
歩き出してしばらく、いつもなら悠人が話し掛けてくれるのを待っていたヘリオンが
自分から足をとめて声をかけた。悠人も立ち止まってヘリオンを見る。
「今日はお疲れの所ありがとうございました」
内心の思いとは裏腹に、当り障りのないことが口から出てしまう。
しかし、何を言うのかと身構えかけた悠人の緊張をほぐす効果はあったようだ。
ふっと頬を緩めて言葉を返す。
「何言ってるんだよ、約束してた事じゃないか。ヘリオンこそ休暇だって言うのに
特訓しようだなんて、疲れるんじゃないか?」
「いえ、わたし、最近すっごく調子が良いんです。ユートさまだって驚いてたでしょう」


それを聞いて、悠人は動揺が表に出ないように努めた。しかし、ヘリオンの次の言葉は。
「ちょっと前までは『失望』がやなこと言ってきたんですけど、今は……ひゃっ」
あっさりと我慢の限界を突破して、言葉を続けようとしたヘリオンを遮り、悠人の両手がヘリオンの肩を掴んでいた。
「嫌な事って何なんだ、耳を貸したり飲み込まれてたり、してないよな?」
ヘリオンの細い肩を優しく、痛めないように持ちながら、その瞳を覗き込む。
ヘリオンが捉えた悠人の目は純粋に心配だという色を宿していた。
「あの、だから、今は大丈夫ですって言おうとしたんですけど」
至近距離から見つめられてしどろもどろになりながら、最後まで言い切った。
え、と目を丸くして硬直し、そのまま悠人は大きく安堵の溜め息をついた。
「そっか、それならいいんだ、悪い、驚かせちまって」
そっと手を外して頭を下げる。だが、ここまで来るとヘリオンの疑念は一気に形になった。
「ユートさま、何か、隠してませんか。この前から、わたしの剣の事になるとおかしいです」
「そ、そうかな」
「はい、わたしが敵を倒した後は必ず剣から何か言われないかって聞くようになりましたし、
そもそも、あまりわたしが敵を斬らないように気を配ってます。
ヒミカさんたちからは、過保護すぎるんじゃないかって言われてましたよ」
「よく、気がつくな」
「気付かないほうが変ですよぅ、それにユートさまが言ったんですよ、見てて欲しいって。
さあ、どうしてそんなに『失望』にこだわるんですか」
今度はヘリオンが悠人の目を正面から見据える。なんとか、誤魔化す事はできないかという
考えが頭をよぎったが全く思い浮かばない。むしろ逆効果だろう。
観念して、悠人はヨーティアから伝えられた事を説明した。
聞き終わって、大きく頷いたヘリオンが先に口を開く。
「それで、『失望』が話し掛けてくる事が多くなってたんですね。
急に『失望』がおしゃべりになったからびっくりしてたんですよ」
あまりにもあっさりとした様子に悠人が拍子抜けしてしまう。


慌てて、ヘリオンに確認を求めた。
「びっくりしたって、それだけなのか」
「はい、剣が強くなったかどうかなんていうのは良く分かりませんけど、
『失望』が前よりもよく意識を送ってくるのは自覚できましたから。
ユートさまと仲直りするまでは確かに敵を斬れとか、そういう意味のことを
言われてたんですけど、いまではあたたかく見守ってくれてるような感じしかしません。
だから、声がたくさん聞けて嬉しいんですよ、わたし」
「でも、このまま剣の声が強くなっていった時にまた干渉が起こったら」
「大丈夫です。ユートさまが心配してくれてるんだって思ってたら、
ぜったい言いなりになんかなりませんし、『失望』だって悪い事なんか考えません。
きっと、わたしたちが落ち込んでたりしたらそこに付けこんでくるけど、
しっかりと心を保っていたら助けてくれるんですよ、神剣って」
その言葉に、以前に自分が言った『失望』に関しての考えが思い返される。
あの時はただ優しいと評したが、それでは。
「そんな、それじゃまるで神剣にいい心と悪い心があるみたいじゃないか」
「ええ、わたしはそう思います。ユートさまの『求め』も、今まで何度もユートさまや
わたし達を助けてくれました。それは無償では無いのかもしれませんけど、
『求め』が本当に自分の事しか考えてないんだったら、もう力を貸すなんて事はしないで
ユートさまを乗っ取っちゃうんじゃないんでしょうか」
言われて、はたと気付いた。『求め』の力は確実に増している。
ならば、はじめに比べれば成長しているとは思うもののまだまだ迷いの晴れない自分など
あっさりとやられてしまうのではないかと。だが、納得するには判断材料が足りないのだ。
「それでも、今でも光陰たちに殺意剥き出しで色々言ってくるんだ。
それが悪い心だって言うんなら、いい心は何処にあるんだっていう感じなんだけど」


「そういわれると難しいですけど、ほら、『失望』は今、いい面しか見せてませんから。
でもですねユートさま、そう考えるとなんだか、何とかなりそうな気がしませんか」
と言われても、何の事か悠人にはさっぱり分からない。
突拍子もない意見に思えて混乱するばかりだった。
しかし、ヘリオンの心中は穏やかだ。先ほどからずっと、
自分の言葉を後押ししてくれる意識に助けられて、説明を続ける。
「神剣にはいい心と悪い心があって、悪い心に負けると神剣に飲み込まれちゃうんですけど、
いい心は、自分が心を強く持てばどんどん力を貸してくれるんです。だったら、
もし悪い心だけをやっつけちゃったらどうなると思いますか」
言いながら、ヘリオンは微笑みを浮かべた。それを見て、悠人も考えるだけ考えてみる。
「そりゃ、意志を飲み込む奴が無くなっちまうんだから、
まだ自分の意志が残ってるなら元に、え、もど、る?」
はい、と頷いて悠人を真っ直ぐに見つめる。視線を受けても、悠人は微動だにしない。
そんな事が、あるはず無い。けれどありえないという証拠もまた、無い。
「まさか、そんな都合の良い事」
「普通は無いと思います。でも、ユートさまたちのように強い剣ならその分、
いい心も悪い心も強いかもしれません。だから悪い心がなくなっても、
それを補う事ができるんじゃないかって思うんです」
ヘリオンの目は真剣だ。決して気休めや詭弁を言っているわけでは無いと悠人に感じさせるほどに。
きっと、そんな奇跡が起こると信じている。悠人が、親友を殺す事の無い奇跡を。
「ヘリオンは、なんでそんな事を信じられるんだ。俺だって信じたいけど、
本当にそうなるかなんて分からないじゃないか」
それに対してもヘリオンは頷き、少し悠人に近づいて言葉を紡ぐ。
「わたしの好きな言葉なんですけどね、
『真実は常に失望と共に有る』っていうことわざがあるんです。知ってますか?」


一瞬、何の関係が有るのだろうと思ったが、その諺の意味を考えて、悠人は目を伏せた。
「ああ、ヨーティアが初めて俺に会った時に言ったから。
でも、それって悪い意味なんじゃないか、真実なんてがっかりする事ばっかりだ、ってさ」
今の状況では、光陰たちと敵対しなければならないという悪い事態が真実であるという事。
そう言われて、ヘリオンは目をまたたかせて否定した。
「違いますよ、何でそんな意味の言葉を好きにならなくちゃいけないんですかっ。
きっと、ヨーティアさまもわざとそんな意味に取れるように言っちゃったんですね」
慌ててしまった事を誤魔化すように咳払いをして、いいですか、と続け出す。
悠人はその様子に普段のヘリオンの姿を垣間見て、自分にそれを信じさせようと、
信じて欲しいと思って懸命に言葉を投げかけてくれているのだと悟った。
「この言葉の本当の意味はですね、
『希望が尽きるまで諦めずにいた者が真実を得る事ができる』という事なんです。
だから、どんなに根拠がなくったってわたしは信じていられます、
それは、紛れもない希望なんですから」
その言葉に、今度は悠人が目を見開いた。その諺の通りだとすれば、それはどんなに前向きなのだろう。
彼女の剣の名も『失望』、その言葉を信じてきたからこそヘリオンは諦めずに努力を重ねてきたのか。
その考えにたつヘリオンの言葉を否定する事は、ヘリオンの努力をも否定する事になるじゃないかと、
悠人の心に衝撃が走る。確かに、それを信じられれば、真実となればどんなに自分は救われるのか。
近づいてきたヘリオンが、そっと両手で悠人の右手を包み込んだ。
どきりと、悠人の胸が大きく音を立てる。
その両手を、祈るように自らの胸元へと導き、目を閉じる。
「だから、ユートさまも諦めないで下さい。ユートさまの手も、
敵を斬るためだけに有るんじゃないんですから」
今日子を神剣の呪縛から解き放ち、光陰と戦う理由もなくなるただ一つの希望。
それを心から信じるヘリオンの態度は悠人の心に深く染みこんでいった。


胸元に組まれたヘリオンの手が、彼女自身の鼓動を感じて震えている。
それが自分の手にも伝わり、無意識に悠人の声も揺れていた。
ヘリオンの言葉を信じたい。その言葉を真実とするには信じる事が最初の一歩なのだから。
だから、あと少しだけ、後押しが欲しかった。
「ほんとに、俺にそんなことができるのかな、ヘリオン」
「はい、ぜったいにユートさまはお二人を殺せません。
だって、わたしがそうならないように、ユートさまを見てるんですから。
ユートさまが見ていてくれって言ったんですから、わたし、ずっと見てますよ。
何があっても、約束は必ず守ります。ずっと、一緒にいますから」
それを聞いて、更に悠人の顔が赤く染まっていく。
自分の発言をもう一度思い返してみると、確かにそれは、常に共に居ることを前提とした頼みだ。
それに、自分は望んであの言葉を紡いだ。だが、それではまるで。
「へ、ヘリオン、俺、そんな恥ずかしいこと言ったっけ」
思わず上ずってしまった悠人の声に、ヘリオンはいたって真面目に答えた。
「はい、すっごく嬉しかったです。ですから、わたしはそう言ってくださったユートさまを信じてます。
だから、ユートさまにもわたしを信じて欲しいです。神剣の、悪い心の思い通りにはならないように」
じっと、ヘリオンは悠人の目を潤んだ瞳で真っ直ぐに見上げて、返事を待っている。
その力強い瞳に見つめられて、悠人は頷いた。
「ああ、俺もヘリオンの言葉を信じてみる、いや信じるよ。絶対に、光陰も今日子も犠牲になんかしない。
マロリガンを倒して、あいつらも助けてラキオスに連れて帰るんだ」
その自分の言葉で、心を決めた。今の言葉を真実にするために前を向いて進むのだと。
そして、そこに向かう道を示してくれた彼女に対する想いも。
悠人の決意を確かめて、ヘリオンもまた心から笑って、はい、頑張りましょう、と返した。


悠人が歩みを再開させないなとヘリオンが思った時、
彼女は悠人の手を握ったままだという事に気付き、今さらながらに体を硬直させた。
悠人の顔を覗き見ると、彼もまた赤面して自分を見つめている。
今までの自分だったら、そこでぜったいに慌てて手を離してしまっただろう。
だがそこで、先日のヒミカやハリオンから受けた言葉を思い出す。
ヘリオンは『失望』にあと少しの間勇気を分けていて欲しいと願いながら、
その手をさらに自分に引き寄せて、そっと囁いた。
「あの、ユートさま、ほんとにわたし、ずっと一緒に居てもいいんですよね。
やっぱりダメだなんてこと、言いませんね?」
その今までに見た事のない縋るような表情に、さらに動悸を激しくさせながら悠人が答えた。
「も、もちろんだ、というより、その、俺が、ヘリオンと一緒にいたいから。
それであんな風に言ったんだから、そんなの気にする事はないと思う」
言葉を詰まらせながら、改めて自分の気持ちを口にする。
もしかしたら、この前にあの言葉を言った時からヘリオンには
その意味で伝わっていたのかもしれないと、悠人は今さらに思った。
悠人の動揺を受けて、ヘリオンの顔に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
けれどもその顔は悠人以上に赤く染まっていた。
自分が振り絞れるありったけの勇気、それを総動員して考えを実行に移す。
「あ、あの、ユートさま、それじゃ、ちょっとこちらを向いてくれますか?」
何かな、と悠人が言いかけてヘリオンのほうに向き直った瞬間。
悠人の視界一杯にヘリオンの顔が近づき、唇に柔らかい感触を覚えた。
悠人が自分の身に起きた事を把握する前に、ヘリオンは悠人の手を離して少しだけ後ろにさがり、
ちろりと舌を出して照れ笑いを浮かべた。
「これが、わたしのお返事です。ユートさま、これからもよろしくお願いしますね」
ようやくヘリオンの行動に思い当たり、体を硬直させる悠人。
無言のままでこくこくと縦に首を振っていたが、だんだんと思考を回復させて、
「あ、うん、俺もだ。これからも一緒に行こう、ヘリオン」
と声をかけて、右手を差し出した。
その差し出された腕のほうにヘリオンは自分の腕を絡めて歩き出す。
少しばかりぎこちなく足を進めながら、後は言葉を必要とせずに二人は詰所への道を進んでいった。