『失望』の道行

第六幕

聖ヨト暦332年レユレの月、ついにサーギオス帝国との決戦に終止符が打たれた。
皇帝の間での秋月瞬との激突の後に
意識を失った高嶺悠人が次に目を覚ました時に最初に目に入れた人物は大切な妹、佳織。
『求め』を失い、回復も遅く寝台から起き上がる事も難しい体調ながらも、悠人がその喜びを享受する日々は続いた。
そして、悠人がある程度は自由に動けるようになった頃に、
賢者ヨーティアと倉橋時深から、ハイペリア、つまりは元の世界に帰還する方法が確立したと伝えられた。

「……帰れるんだよな、俺たち。元の世界に」
悠人の自室には悠人に佳織、光陰、今日子の四人が集まっていた。
理論などは悠人にはさっぱりだったが、要はファンタズマゴリアとハイペリアを繋ぐ『門』を、
エーテル技術と時深の永遠神剣の力で固定し、それをくぐれば元の世界に、ということらしい。
その知らせを聞いても各人は、表面上は明るく振舞ってはいても内心では穏やかではなかった。
「うん。ねぇ、今日ちゃんは、帰ったら何をする?」
「アタシは、そうね、まずは新聞でも見ようかな、日付欄」
「え、どうして?」
「だって、こういう話って大体は、元の世界に戻ったら何百年も経ってましたっていうのがよくあるじゃない」
「ああ、そのあたりは時深の神剣の力でどうにかなるらしい。
俺たちがこっちに来た日の次の日くらいに送ってもらえるってさ」
「ほう、なかなか便利なもんだなそりゃあ。はぁ、俺たちが使える門が開くのとやらが何百年に一度なんてもんじゃなければ
もっとこっちの世界を楽しんでから帰る事もできるって言うのに」


「碧先輩、それじゃあ帰ったきた先輩が一日でおじいちゃんになっちゃってたっていう事もあるんじゃないですか」
「おっと、佳織ちゃん。いい所に気がついたな、確かに、そりゃ盲点だった。はっはっは」
「……アタシとしては、こっちの世界で何を楽しむのかがすっごく気になるんだけど。
その内容次第によっちゃただじゃ済まさないわよ」
パリパリと雷を纏うハリセンを携え、今日子が光陰に向き直る。
振り下ろされそうになった雷撃を慌てて悠人が押しとどめた。
「おいおい今日子、佳織はもちろん、今じゃ俺もその一撃の余波で黒こげになっちまうんだぞ。
それにさ、もうそんな物騒な物振るう必要も無いんだからちょっとは落ち着いたらどうだ」
その言葉を悠人が発した瞬間、三人の動きが止まる。いち早く平静を取り戻して、光陰が今日子に笑いかける。
「全くだ、最後までそんなきついのを振るい続けたら、帰ったあとにはただのハリセンじゃ物足りなくなっちまうぞ今日子。
今のうちから軽い打撃に慣れておいたほうがいいじゃないか、なあ佳織ちゃん」
「え、あ、うん。そうだよ今日ちゃん。それに、あんまり痛いのは碧先輩が可哀相だよ」
「ま、まあそうよね。それじゃ、肩ならしに一発雷無しで……っ」
「な、ちょ、タンマ、俺はまだ、こっちの世界の楽しみをごまかし、いや、説明してないんだ、がぁっ」
すぱーん!と小気味よい音を立てて光陰の脳天にハリセンが叩き落された。
しかし、その奇妙な間に悠人は軽く疑問が浮かべ、また一つ心に違和感を増やす結果となった。


ラキオス城下町の隠れた名所、とある高台にて悠人は一人物思いにふける。
果たして、自分がこのまま元の世界に帰りたいのかどうか。
当初の目的は、佳織を助け出して元の世界に帰る事だったはずだ。
だが、その過程であまりにもたくさんのものを傷つけ、壊して、あるいは守ってきた。
また、逆に傷つけられたもの、得たもの、与えられたものも数多くある。
そっとポケットから蒼い金属塊を取り出す。記憶は曖昧だが、瞬との戦いで砕けた『求め』の一部だ。
この神剣で、悠人は多くのものを傷つけ、また守ってきたのだ。
「何よりも……こいつの干渉が無きゃヘリオンとはただの仲間だっただろうな」
今日子を通じて佳織ともそこそこに面識が出来て、見舞いに来てくれていたヘリオンは、
悠人たちがハイペリアに帰還できると言う話が持ち上がった頃から急に姿を見せなくなった。
離れたくないに決まっている。けれども、世界を隔ててしまえば二度と会えなくなることなど子どもにだって分かる。
きっと、会ってもヘリオンは帰らないで欲しいとは言わないのだろう。だけど態度には表れてしまう。
だからこそ、元の世界に戻る気持ちを妨げないように、会おうとはしないのだろうか。
ダンッ、と見晴台の石造りの手すりに、『求め』を握りこんだ拳を叩きつける。
「何が一緒にいたい、なんだよ。俺も、ヘリオンも」
悠人の脳裏に浮かぶ未来の光景は、何時の間にか佳織を守りながら過ごす日本での物と、
ヘリオンと共にいるファンタズマゴリアでの物が交互に入り乱れている。
いざ実際に元の世界に帰ることが出来ると分かった途端に迷いが出てしまった。
ここに残る事も考えの一つだし、強くなったと思える今の佳織なら一人で帰っても大丈夫だろう。
しかし、ヘリオンの態度は悠人に帰還を促しているように思えて余計に分からなくなる。
あの戦いの後、みんながみんな自分たちに元の世界に帰る事を願っているように感じられる。
もちろん、巻き込まれた悠人たちに対する申し訳なさなどの表れだといえない事は無い。
それならば、今このときも頭を巡る違和感は何だというのだろうか。
何か大切な事を忘れたままでいるような感覚が常に付きまとっている。
その正体に悠人が気付く前に、遠くへやってしまおうとされているような気がしてたまらなくなった。


帰還の日が近づくにつれて違和感はどんどん悠人の頭を塗りつぶしていった。
そして、ペンダントに加工された『求め』が一瞬放った光に、ついに全ての違和感が晴らされる。
エターナルへと変貌した瞬。自らもまたエターナルだと名乗った時深。
破壊されようとしているファンタズマゴリア、そしてハイペリア。
霧に覆われていた記憶が蘇り、居ても立ってもいられなくなった悠人にのしかかる物は、
『求め』を失った自分に出来る事は無いという絶望だけだった。
ヘリオンたちの態度にも納得がいった。ただ自分に気付かせまいと振舞っていたわけだ。
その中にあって、最後に一つ残った希望に悠人は気付く。
真実となるか否かはそれこそ諦めなかった者の勝ちなのだろう。


そして、決断の時が間近に迫る。
無事に佳織をハイペリアに送り届け、「時の迷宮」への門が開くまであと少し。
悠人が足早に訓練棟へと入って来た。それだけで到着した時には軽く息が上がっている。
そこには、一人黙々と『失望』を振るうヘリオンが居た。
悠人には気付かれないようにしながら、今もまだ終わってはいなかった戦いの為に訓練を重ねていたのだ。
訓練士用の模擬剣を手に取り、静かに横に並んで剣を振る。
「腕が、上がりきってませんよ、ユートさま。それに、腰も入っていません」
「……うん、まあそうだろうな、今の俺じゃ」
震える声を隠そうとしながら、ヘリオンは手を止めて悠人の剣さばきを批評した。
悠人の戦う決意を込めた瞳を見据えて、彼がこれから何をするのか理解できてしまった。
いや、時深からも聞かされていたことだ。悠人がハイペリアに帰らないときのことは。
悠人が、彼女によって封じられた記憶を取り戻した時にとる行動など全員が分かりきっていた。
どんな手段をもってしても戦いに参加するだろう、と。
そして、その具体的な手段もヘリオンには時深から伝えられている。
見た目だけは穏やかだったが、時深の目はヘリオンに対して悲しみと、そして憮然とした色を秘めている事を告げていた。
『時深さま、どうなされたんですか?』
『いえ、何でもありません。どんな相手なら私の望みと逆にヘタレ具合が直るのかと思っただけです。
よくもまあきっぱりと断ってくれて……おかげで千年かけた計画がおじゃんです……』
なおもぶつぶつと言う時深を相手にヘリオンは首を傾げるばかりだったが、
これからの悠人のとる道を聞いて、愕然と脚を振るわせた。
即ち、悠人もまたエターナルとなるということ、
そしてまたその代償、自分たち全員が高嶺悠人の存在を記憶から消してしまうという事、
さらには、現段階では自分が悠人の側に居続ける手段がないことまで。
頭を冷やす意味もこめて一人でいつものように剣を振っていたけれど、それも叶いそうに無い。


引き止めることだけはしてはいけないと思いつつも、言葉を止められない。
「ユートさまは、やっぱり自分だけでつらい事を背負おうとしちゃうんですね」
ヘリオンの指摘に注意して剣を振りなおしていた悠人の動きがはたと止まる。
「わたしも、ユートさまが帰っちゃうのはつらかったです、でも、
それでもわたしはきっとユートさまを忘れるなんてこと、無かったですよ」
「知ってたのか、ヘリオン」
「はい、ユートさまのしようとしていること、トキミさまから聞きましたから」
それを聞いて、悠人がふうとため息をついた。
「他には、だれが」
「カオリさまとコウインさま、キョーコさんはご存知だったと思います」
「そっか。それで二人はあの時にいなかったのか。いや、瞬の事もあるから元から残るつもりだったんだろうな」
以前の光陰たちの態度を思い出して頭を振った。悠人を見つめ続けているヘリオンに視線を戻して言葉を続ける。
「どっちが良いのかなんて、俺にもわからない。
ヘリオンが俺を覚えてないまま、最後に側で一緒に戦って、その後はまた離れちまうのと、
俺を覚えてるまま二度と会えないのと、さ。
でもな、ここでこのまま俺が帰っちまったら瞬に、いや、『世界』にヘリオンたちもファンタズマゴリアも消されちまう。
それを防げる可能性が残ってるのに、逃げ帰るのなんて嫌だったんだ」
ヘリオンや佳織たちが生きていてくれる事が、悠人を覚え続ける事よりも大切だと悠人は言う。
「ヘリオン、一度俺の剣を受けてみてくれ。あ、カウンターは勘弁してほしいけど」
だから、きっとこれは別れの儀式。黙って消えてしまう事も出来ただろうにこうして来てくれた。
色気のあるものでは無いけれど、共に戦ってきたという点ではこれに勝る物は無いだろう。
ならば、決心が鈍るような事、例えば、涙とか、そういうのは無しにしよう。
「はい、わたしも加減はしますから、受けてくださいね」
頷きあって、まずは悠人から一撃が届く範囲に距離をとる。以前とは違ってかなり短い。


ひたとヘリオンの目を見据えてヘリオンの元へと跳びこみ模擬剣を振るう。
ギンッと障壁に阻まれる音がして、悠人の振るった剣はヘリオンに届く前に折れて飛んでいってしまった。
頼んだ通りに、『失望』を抜くことなく空手のままカウンターを繰り出した格好でヘリオンは悠人を見つめ返していた。
続いて、悠人が新しい模擬剣を手にもって防御をしようと構える。
悠人の感覚では大きく離れて、ヘリオンはウイングハイロゥを展開した。
そこから、悠人の目にはとまらない速さで飛び込んで斬りつける。模擬剣を斬り飛ばしてヘリオンは大きく後ろに跳び退った。
神剣が無ければ、人とスピリットとの差などこんなものだ。この状態から抜け出すために悠人は遠くへ行ってしまうのだ。
最後まで視線を絡ませあったまま駆け寄って近づき、折れた剣と『失望』を軽く打ち合わせた。
「うん、強くなったな、ヘリオン」
「ユートさまのおかげです。ユートさまがいたからわたしは、絶対に強くなろうって思えたんですから」
互いに剣を納め、或いは破棄して一礼を交わす。
「ユートさま、お願いがあるんですけど。まだ、『求め』の欠片は残ってますか」
「え、ああ、ペンダントに使ったけどまだこれだけは」
削られてさらに小さくなった欠片が悠人のポケットから差し出される。
それは既に何の光も放たずに、金属としての鈍い光沢だけがあった。
「ごめんな、今からじゃ何の飾り気もつけられない」
「いえ、わたしたちには飾りよりも、剣としての『求め』の方が近くに感じられますから、これがいいです」
受け取って、ヘリオンはそっとそれを懐にしまいこんだ。
顔をあげてきゅっと悠人の手を握り、訓練棟から出るように促す。
「場所もお聞きしてます、見送りに行かせてください」
悠人も無言で頷いて、力強くヘリオンの手を握りなおして足を進める。
向かうは異世界への門が開く場所、悠人が初めてファンタズマゴリアに降り立った地。
殊更にゆっくりと歩きながら、悠人はヘリオンの手のぬくもりを胸に刻みつけた。


高嶺佳織を送り届けてからもう一つの門が開くまで、倉橋時深は残り少ない時間をここ、リュケイレムの森で過ごしていた。
時間になれば悠人がやってくるはずだ。自分と同じ存在、エターナルとなるために。
そして、互いに想いを寄せる人物の記憶から消えるために。
偉大なる十三本うち、『聖賢』『永遠』『再生』『聖緑』『深遠』の五本が眠る『時の迷宮』。
そこに到達できるのはそれら上位永遠神剣に認められた者だけだ。
いや、現在の悠人の隣にいる者が認められない事は無いと、実際に相対して時深には感じられた。
他人を守る事から、全てを守る事へと心を広げ、力を広げる覚悟のあるなし。
そんなものは悠人と志を共にすると誓える心根があるならさして問題ではなかった。
だが、何故それが彼女なのか。ヘリオンが扱える神剣は、この門の先には存在しない。
形状なら適したかもしれない『深遠』はあくまでも、リュトリアム・ガーディアンのための剣なのだ。
『世界』を相手に共に戦い、その先も永久の時を歩むことが出来たはずのスピリット。
その心とは逆に、本人にはどうしようもない理由で引き離されようとしている二人を思い、時深は溜め息をつく。
「全く、離れたら離れたらで私には好都合だったはずなのに。
ここまで脈がなくなるなんて思いもよらなかったです」
『時の迷宮』に入るための条件は単にその者の心の持ちようだけだ。
それを知る由も無い悠人に対して、はったりと少しの脅しでその気になってもらおうと画策した事は、
『待て、それっておかしくないか。『時の迷宮』に入るのにその、処女を抱かなきゃいけないって。
そんなことしてたら、最初にそこに行った奴はどうやって入ったんだって事になる。
それに、いちいち新しい仲間が増えるたびに女の子を用意するような奴らなのか、カオスエターナルって言うのは』
あっさりと矛盾点を見抜かれてしまった。何かと理由をつけて襲う事も頭をよぎったが、
カオスエターナル全体にまで疑問を広げられては誤魔化しもできない。


『いや、でもそんな事は大した理由じゃない。時深が納得して諦めそうな理由を並べただけだから。
それより何より、いくら誘われたって俺は本当に好きな奴以外を抱く気にはなれない。だから、服を直してくれ』
と、視線をそらしたままはだけた胸を隠すように着物の前を合わせなおされてしまった。
用意した殺し文句も言えないままに、『しなきゃいけないなら鉄の剣と盾で戦ってやるからな』と逆に言われる始末。
みすみす自分のせいで悠人を殺すような真似をする訳にもいかない。
何を言えるでもなくただ謝るだけで済んでくれたことを感謝すべきなのだろう。
ずっと見続けてきた身としては、浮気心を起こしそうに無い男になったと思えばそれはそれで嬉しかったりもするのだから。
「と、悠人さんの事は今はもう良いんです。千年の思いは最後まで片思いでした。お終い」
かぶりを振ってもう一度溜め息。すっと頭を上げた先の空中を見据える。
永遠神剣第九位『失望』、その持ち主ヘリオン・ブラックスピリット。
「第九位……でも、あれは既にそんなものではありえない」
『求め』の場合は、最初に第四位にはありえないほどの弱体化をロウエターナルの手によって施された。
それが、スピリットたちを斬る事で元の状態に戻っていったために強化されたのだ。
けれども『失望』は、恐らくはこの世界に生れ落ちた時からずっと第九位のはずだ。
にもかかわらず、ヨーティアの言によればヘリオンが振るう『失望』は現在では部隊のトップクラスの性能を発揮している。
大量のマナを吸い続けて成長する剣。ある意味それは永遠神剣のあるべき姿だ。
「『世界』だって、数本の神剣が一つになってもとに戻っただけなんですからね……あれ」
それなら『失望』はマナを吸い続けて、もとの神剣に戻ろうとしているというのか。
どのような神剣を斬ったとしても力を増す『失望』、その意味は元の神剣の力が殆どの神剣に含まれているということだ。
第九位までに身を落とすほどに細かく砕かれた上位神剣。しかも、元に戻ろうとする心が強いにもかかわらず
持ち主を取り込もうというつもりも無い。そんな神剣の情報はカオスエターナル内に存在したか。
さらに思索をめぐらそうとした時深の前に、二人分の気配が近づいてきた。
はっとして意識を戻すと、そこには悠人とヘリオンが立っていた。


「待たせたな、時深」
「ええ、ヘリオンも……来てしまったのですね」
「はい。最後まで、ご一緒したかったんです」
ここで悠人と時深が『時の迷宮』に入った瞬間に、何故自分がここにいるのかもあやふやになってしまうというのに。
「時間は残り少ないです、もうやり残したことがあっても間に合いませんよ」
そう時深が告げると、二人は視線を合わせて頷き、絡ませあった指を解いた。
「ああ、全部済ませてきた。だからやってくれ、時深」
そっと時深はヘリオンに視線をやった。一滴の涙も滲ませる事無く、悠人の顔を見つめている。
後ろを向いて、『門』を繋ぎとめるための儀式を執り行うと、滞りなく『時の迷宮』への道が開かれた。
「ヘリオン、それじゃちょっと行ってくる。すぐに戻ってくるから……また、会おう」
待っていてくれとは言えないもどかしさに悠人の顔が曇る。一度深呼吸をして、ヘリオンは精一杯の笑みを浮かべた。
「ええ、ユートさまが帰ってきたときにはもう平和になってましたっていうくらい、みんなで頑張っちゃいますからね。
また、お会いしましょう」
悠人は頷いて、『門』へと身を進めていく。その背中にヘリオンの声がかけられる。
「ユートさま、最後に一つだけわがままを聞いてくださいませんか」
ヘリオンが、悠人の聞けないわがままを言うはずも無い。そっと身を屈めて、ヘリオンが求めるままに耳を貸す。
「キョーコさんに教えてもらったんです、男の人をお見送りする時はこうするんだって」
そのまま、ヘリオンは悠人の頬に唇を寄せた。
「いってらっしゃい、ユートさま」
震える声でそれだけを言うとぱっと身を離して、微笑みながらあとを続ける。


「今度は、きちんとユートさまが聞きたいあいさつが出来るようにしますからっ
ユートさまも、忘れないでくださいねっ」
唇を引き締めて体を震わせると、「ああ、行ってくるよ」とだけ力強く残し、悠人は『門』の向こうへと足を進めていった。
「トキミさま、ユートさまをお願いしますね」
「いえ、この先は悠人さん本人の力だけが頼り。私に出来る事は無いんです。ヘリオン、一つだけよろしいですか」
ヘリオンは首をかしげて続きを促す。
「あなたの剣、『失望』に関して何かわかる事はありますか」
「すぐに言えるのは、とても優しい気持ちを持ってるということくらいです。
力が強くなるにつれてそんな感じが強くなってきたような気もします」
それが、どうかしましたかと続けるヘリオンを見返して、ある仮説を組み立てる。
悠人が試練を受けている間に調べられる事はあるだろうか。
「『失望』の抱く気持ちを、大切にしたほうがよろしいでしょう。
……もっとも、この助言を覚えていられる事はないでしょうけれど」
罰が悪そうに目を伏せて、時深はきびすを返した。
悠人に続いて『門』を通る。その後は、何事も無かったように空間が閉じた。


「あ……れ、わたし、どうして……哨戒の途中、でしたっけ」
きょろきょろと辺りを見回して自分の居る場所を確認する。
城の近くの森の中、夜中のここに一体どんな用事があったのか。
急いで城へ戻ろうとした瞬間、ヘリオンの腰に下げられた『失望』が大きく震えた。
「え、なに、『失望』が……」
そこからヘリオンに伝えられる心は。
「忘れ……ないで……。それは、何を……?あれ……なんで」
その声を聞くと、ぽろぽろと、ヘリオンの目から雫が零れ落ちた。理由の分からない涙に、胸がきゅっと締め付けられる。
痛みのままに胸に手をあてると、懐には何か得体の知れないものが入っている。
取り出してみると、それは蒼い金属の欠片。見覚えの無い、一見ゴミのような破片が、ヘリオンの心に突き刺さる。
「なに、これ。知らないもの、なのに」
ぎゅっと両手で包み込んで、もう一度胸にかき抱く。
決して無くしてはいけない物のような気がして、『失望』からの声と、胸にある青い欠片に心を揺さぶられながら、
ヘリオンは歩けるようになるまでその場に座り込み続けた。