『失望』の道行

最終幕「真実の在処」

一ヵ月後、時詠のトキミに連れられて、聖賢者ユウトがラキオス王国に姿を現した。
ラキオススピリット隊の全指揮権を譲り受けた悠人が最初に行った事。
それは隊の練度を見ることでもなく、手合わせをする事でもなく。
「俺は、聖賢者ユウト。みんなの指揮を取る事になったから、これからよろしく頼む」
目の前に並んだ者たちを前にしての自己紹介。全員の顔も、名前も知っているのにもう一度聞くのは
奇妙だと思いながら、相手の言葉を待つ。いや、その前に。
「ああ、みんな仲間なんだから、神剣の位も、スピリットの色もいらない、名前だけで大丈夫だ。
……正直言うと、あんまり長い名前になると覚えられないからさ。その代わり俺もユートでいい」
ふっと、緊張した面持ちで並んでいた皆の顔が緩む。
一番にひょこりと出てきたのはツインテールの少女。
「はじめましてユートさま、わたしはヘリオンです。これから、よろしくお願いしますっ」
はじめまして。その言葉にぐっと悠人の息が止まる。皆の目が疑問に染まらないうちに神妙に頷く。
静かに差し出された手を取って、変わらないそのぬくもりに心を奪われかける。
ネリーとシアーの自己紹介に耳を傾けながら悠人はそっとその手を握り返して目を閉じた。
この手を守るために、自分は彼女の記憶から姿を消したのだと言い聞かせて。
「ヘリオンばっかりずるいよ、ネリーもユートさまと握手するんだからっ」
はっとネリーの声に気付くと、悠人は自分がいつまでもヘリオンの手を握っている事に気がついて慌てて離す。
ヘリオンを見ても、少し不思議そうな顔をして自分の手を見つめている。
「どうかしたのか、ヘリオン」
「いえっ、とても優しい握り方をされるんだと思ってしまっただけですっ。
あ、えっと、そのどうかお気になさらないでくださいっ」
わたわたと列に戻り、はしゃいで悠人にまとわりつくネリーとオルファをエスペリアが諌めるのを見ながらも、
ヘリオンは全員の自己紹介が終わるまで再び手に視線をやっていた。


夜、一通りの訓練が終わった後に自室に戻ってころんと寝台に横になり、
ヘリオンは懐から取り出した正体不明の青い金属片を見つめる。適当に紐をくくり付けて首から下げるようにした、
一ヶ月前から何時の間にか持っていた不思議な欠片。どう見ても役に立つようには思えないから誰にも見せてはいない。
ただ一人、ちょうど一ヶ月前からラキオスに現れたトキミと名乗るエターナルを除いて。
「いったい一月前に何があったんだろう……」
サーギオス帝国を倒した後に、正体不明の勢力が大陸に現れて大陸全土を滅ぼそうとする勢いで侵略を開始した。
ファンタズマゴリアを滅ぼす事だけが目的の勢力、ロウエターナル。
それからファンタズマゴリアを守ろうとするカオスエターナルの一員、時詠のトキミ。
その時期からしきりに自分に語りかけてくる『失望』、そしてこの金属片。
さらには今日に姿を見せた聖賢者ユウト、その全てが関わり合って一つになろうとしているように思う。
理由は自分でも分からない、けれども神剣の声は常にヘリオンに問い掛けるように響き続けている。
曰く、『忘れないで』と。
何を忘れてはいけないのか、それとも既に忘れてしまっている事を思い出せというのか。
青の欠片についても、全く見覚えが無いにも関わらずこうして見るたびに胸が締め付けられる心地がする。
その様子が気になったのだろうか。トキミがやって来て間もないうちに『失望』の様子や、欠片について尋ねられた。
神剣からの声と、欠片を見て感じる思いをヘリオンから聞くと、一瞬、彼女は驚いて言葉につまり、
一呼吸の後に平静を取り戻しながら言った。
曰く、『剣の声に耳を傾けて、でも決して飲み込まれないように』


剣に飲み込まれる、ということが起きるような気は全く無い。事実、ロウエターナルが姿を現したときから
他のみんなにしても剣からの干渉が過剰に起こる事は無くなっている。
例えば、人間に絶対に服従しなければならないという強制や、必死に押さえ込んでいた場合もあった他の神剣への殺意が。
それでも、心を貫くような悲しみを与える声を聞くのはつらかった。
しかし同時に、耳を貸しているうちに、何かがぷつりと切れたまま結ばれていないという焦燥感に襲われてしまう。
つまりは、自分にもこの喪失感に心当たりがあるという事に他ならない。
そして今、『失望』からは一際強く声が発せられている。原因はきっと。
「聖賢者……ユートさま」
その名を口にした瞬間、ずきりと胸が痛む。心の中で繰り返されるものは、
自分に向けて放たれた声、差し出した手を握り返したときの彼の表情。
ハリオンやヒミカは、にやにやと一目惚れでもしたかとからかってきたが、恐らく違う。
自分が忘れている事は、きっと彼に関係のあることで、
とても大事なことだからこそ『失望』も必死に思い出させようとしてくれている。
だからこれは、一目惚れではなくて、ずっと想い続けてきたということだ。
「……でも、これじゃあ何か危ない人みたいですよ、ねぇ『失望』」
こちらからの問いかけには答えずに、ただ悠人への感情を増幅させるように声を響かせてくる。
「ふぅ、仕方ないです。行こう『失望』、こんな時にはいつもの通り体を動かさないと」
心がざわめいて落ち着かなくなって、ヘリオンは欠片を懐に戻して『失望』を掴み、訓練棟へと足を運んで行った。


与えられた客室で、悠人は一人『聖賢』を抜いて精神を集中させる。
守るべき世界、守りたい人、それらが悠人の脳裏に浮かび上がって心を高揚させていく。
徐々にオーラフォトンが形成されて空気を震わせていたかと思うと、しかしそれは急に霧散してしまった。
【駄目だ、この程度では奴らに対抗など出来はせぬぞ】
「分かってる、けど何でだ。いくらここのマナが『時の迷宮』に比べれば薄いからって、全然力が出せないじゃないか」
【……言って欲しいか】
「いや、今の態度で分かった。俺がお前の力を引き出すに値する状態じゃないって事だろ」
頭の中に、ヘリオンの姿が浮かんだ後に、声が聞こえた。「はじめまして」と。
彼女の中から消えたという事が想像していた以上に堪えているようだ。
【既に『再生』を暴走させるためのマナが送り込まれ始めている。もはや残る時間も多くは無い。
酷だとは思うが今はこの世界を守る事が第一だ、その結果としてあの娘をも守ることも出来るのだからな】
と、そこで『聖賢』は言葉を切って部屋の外に注意を向けるよう悠人に促した。
直後に扉をノックする音が聞こえてくる。
「誰だ?……って時深か、何か用か」
扉を開けた悠人の前に現れたのは、巫女装束に身を包んだ倉橋時深だった。
「何か用か、じゃありません。いきなり館の中なんかで『聖賢』の力試しなんかしないでください。
元から全力が出せるはずも無いですけど、万が一、加減を間違えれば部屋が吹き飛ぶくらいじゃきかないんですからね」
「悪かったな、力が出せなくて。それで、そんな小言を言うために飛んできたってのか」
思わず口をついて出た棘を含んだ口調に悠人自身の顔が歪む。
一瞬、眉を吊り上げかけた時深もそれを見て溜飲を下げたのか溜め息をついて言葉を返した。
「はぁ、悠人さんにとっては私と別れた直後なんでしょうけど、
私にとっては悠人さんと会うのは一ヶ月ぶりなんですからもう少し何かあってもいいんじゃありませんか」


「あ、そう言えばそういう事になるか。うん、みんなが一ヶ月持ちこたえてくれたのは時深がいたおかげかもしれないな」
「見え透いたお世辞もいりません。この世界の人々やスピリットたちがロウエターナルに対抗しようとしているからです」
あまりにも気を抜いた悠人の返事に、ぴしゃりと時深がそれを切り捨てて続けた。
「ですが、それも時間の問題。一刻も早い悠人さんの参戦が待ち望まれていたのです」
「そうだな、俺はそのためにこいつを手に入れたんだから」
悠人が手に持ったままの『聖賢』に目をやって頷く。だがその表情は決して明るくは無い。
確かに、と時深は思う。せっかくの永遠神剣第二位の力も、悠人がこの調子では宝の持ち腐れだ。
「焦っていても力が引き出せるようにはなりません。
とにかく、剣を使うならきちんとした場所でするように」
そう言うと、時深は部屋にも入らずにすたすたと帰っていった。
「……結局、最後には部屋で剣を使うなっていう小言だったじゃないか」
【ふむ、だが正論だ。まさか自分の拠点を崩壊させるわけにもいくまい】
「きちんとした場所で、か」
そうは言われても、この時間帯はきっと先客がいる。だが、ここにいて考えているだけではどうにもならない事は明らかだ。
つまり時深は、さっさと自分の中で決着をつけろと焚きつけているという事かと考え直して、
息をついて『聖賢』の柄を握りしめ、悠人は静かに部屋の外へと出て行った。
その姿を物陰から見続ける者がいる。
「私に出来るのはこれだけで、後は全てが賭けですか。
さて、もしもの為に私も行きましょうか」
先ほどに戻っていったはずの時深は悠人の姿が見えなくなった頃にそっと後をつけていった。


夜の訓練棟には、悠人の予想通りの姿があった。
『失望』を鞘に納めて目を瞑り、一撃を振るうために神経を研ぎ澄ます姿は以前のまま変わっていない。
悠人はその場に立ち止まり、ヘリオンの一挙手一投足を見続ける。
ややあって、ぱっと目を開いた瞬間にマナのオーラを乗せた斬撃が風を切り、
次にヘリオンを見たときには既に剣を鞘に納めなおしていた。
充分に残心を行う時間をとった後に悠人は一歩を踏み出す。
「精が出るな、こんな時間に秘密の特訓か」
出来るだけぎこちなさが無くなるように気をつけて話し掛けるがヘリオンを驚かせるには充分だったようで、
彼女は『失望』を取り落としそうになりながら慌てて悠人のいる方へと体を向けた。
「えっ、あ、ユートさまっ!どうして、こんなところにいらっしゃったんですかっ」
「俺も明日からに備えてもう少し動いておきたかったから。
それにしても、今の一撃はすごいな。昼間の動きとは段違いじゃないか」
「いえっ、これはその、誰にも見られてないと思ったから『失望』の気の向くままに思い切り振ってみただけでして、
いつもはこんなに上手く切れるわけじゃないんですっ。ですからそんなに褒めないでくださいよぅ」
ぶんぶんと手を振って謙遜を続けているヘリオンに、悠人は表情を固くする。
今くらいの斬撃ならいくらでも放っていたし、それで助けられた事も幾度か経験している。
それはつまり、あの頃のヘリオンは悠人がいたから常に最高の力を発揮できていたという事だ。
「あの、ユートさま。どうか、なされましたか」
「ごめん、ちょっと考え事があって。『失望』の気の向くままってのはどういう事なのかなって」
「それはどういう風にご説明したらいいのか分かりませんけど……実は今も『失望』がずっと話し掛けてくるんです。
わたしが何かを忘れてるって、思い出さなきゃいけないんだって。何の事かも分からないのにそれを聞くと
胸が苦しくなってしまって、いつも、落ち着くためにこうして『失望』が言うとおりの剣の振り方をしてるんです。
今の振り方じゃ、わたしたちの部隊には息を合わせられる人がいないのに」
静かに『失望』を抜き、顔の高さに持ち上げて刀身を見つめていたヘリオンが、ふと顔をあげて悠人を見る。


「ユートさま、すみませんがお願いがあるんです。『失望』があなたに剣を受けてもらえって言ってます。
いつもの声と何か関係があるかもしれないから……いえ、わたしも何を思い出さなきゃいけないのか知りたいから、
一度、お手合わせをお願いします」
その目にはもう照れも、慌てた様子もなく、ただ真摯に悠人を見つめる光が湛えられている。
それよりも悠人を驚かせたのはその発言の内容だ。時深から得た記憶に関しての話とは大きく違っている。
ヘリオンが忘れてしまったことを『失望』は覚えている可能性があるというのか。
「ああ、かまわないぞ。ヘリオンと『失望』の気が済むまでつきあうよ」
それが今最後に残った希望だと言うなら何だっていい。悠人は頷いて『聖賢』を抜き放って距離をとった。
ヘリオンも剣を納めて間合いを調整しようとして、はっと動きを止める。
「ユートさま……どうしてでしょうか。その距離はわたしが一番打ち込みやすい所なんです。
それにこうして向き合っているだけなのに『失望』がずっと大きく震えてるんです。
これで、一体何が起きるのかも分からないのに、すごく懐かしい感じがして、不思議です」
言葉を続けていたヘリオンが再び剣の柄に手をかけて腰を落とした。
その距離も、構えも全てがたった一ヶ月前に行った事と同じだとは思いもよらないだろう。
悠人は静かに『聖賢』を構えてオーラフォトンの障壁を張る。
こちらの防御は『求め』の時とは段違いで破られる事などありえそうにない。
「いつでもいいぞ、ヘリオン」
「はいっ……いきますっ!」
頭上に白く光るハイロゥをきらきらと翼に変化させてヘリオンは一足飛びに斬りかかってくる。
しかし先ほどに見せた最高の斬撃はその威力の全てを障壁に殺されて、
弾き返された衝撃をヘリオンの身体に伝えるだけに留まってしまった。
にもかかわらず、ヘリオンの身体は止まらずに再び距離をとって二撃目を繰り出した。
『失望』が纏うオーラと、『聖賢』が放つオーラのぶつかり合う音が大きく響きあって
悠人とヘリオンの意識から余計な物が消えていく。


『聖賢』の障壁は二度の防御では崩れずに未だに悠人の身体を守り続けている。
そこにヘリオンの放った三撃目の太刀が叩き込まれたが、それでようやくオーラフォトンバリアは空に融けた。
攻撃を終え、ヘリオンは一度大きく飛び退ってから『失望』を構えなおす。
「もう一度、お願いしますっ」
視界に悠人の姿だけを捉えてヘリオンが近づいてくる。
その動きの全てを見極めるように凝視して、悠人も再び障壁を編み上げた。

いかに力が発揮できない状態にあるとはいえ元が強大な神剣である『聖賢』の作り出す障壁は強固で、
へリオンが何度斬撃を繰り返そうが貫く事は無く、持続時間も長いために黒スピリットであるヘリオンの
攻撃でも回数が足りなくて直接攻撃を加えられる機会も無い。
そうしてまたヘリオンは三度の斬撃を弾き返されて後退する。
「はぁ、はぁ……あっ」
だが体力とマナを消耗した状態での動きに足がもつれ、着地に失敗したヘリオンが地に倒れた。
「ヘリオン、大丈夫か!……っ!?」
慌てて駆け寄ろうとした悠人を手をあげて制して、ふらつきながらゆっくりと立ち上がり『失望』を構える。
「まだ、です。まだわたしは大丈夫ですから、ユートさまも構えて、ください」
「いくらなんでも、無茶じゃないか。そんな体で満足に剣が振れるわけないだろ」
「いいえ、だって『失望』が言うんです、『諦めちゃいけない』って。
わたしが、本当に知りたい事を得るには、諦めちゃだめなんです。
だから、ユートさまも全力で防御をしていてくださいっ」
よろめく体とは違って、その瞳からは衰える事のない光が放たれ続けている。
ヘリオンはそっと自らの胸に手をあてて目を閉じた。
「『失望』も、あなたも、優しい力で後押ししてくれるのが分かる……だからわたしは、
それに応えなくちゃいけないんですっ。行こう、『失望』っ」
気合を放つと、背中のウイングハイロゥが一際強く輝きを増した。
それに応えて悠人もオーラフォトンバリアを全力で展開する。


一撃目、一瞬で距離を詰めて抜き放たれた居合切りが悠人の喉元を狙う。
悠人とヘリオンの視線が絡み合ったまま、体に届く遥か遠くで障壁が『失望』を弾き返した。
二撃目、身を翻した勢いに乗せて撃ち放った攻撃が胴体に切り込まれる。
悠人の体を視界に収めて行われた斬撃は障壁を大きく震わせて二人の身体の距離を離した。
三撃目、一直線に悠人の元へ駆け込みながらすれ違いざまに胸元を切り裂こうと疾駆する。
オーラを纏った一撃が、オーラフォトンのバリアを砕き、そのままヘリオンは駆け抜けた。
だがしかし、悠人に攻撃が届くには至らずに、悠人は無傷のまま剣を構え続けている。
さらさらとヘリオンのウイングハイロゥが消え出すのを見て、
悠人がそっと『聖賢』を握る手の力を緩めた、その次の瞬間、ヘリオンの胸元から蒼い光が漏れ出した。
「な……この、光は……『求め』!?」
そのマナ光は崩れ去ろうとしたヘリオンのウイングハイロゥを補うように形を変えて、
足元のおぼつかないヘリオンを叱咤するように最後に強く輝きを残した。
「く、ぅ、ぁあああああぁぁぁぁっ」
ふらつく足を一歩踏み出し駆け抜けた勢いを殺すと、ヘリオンはウイングハイロゥをはばたかせて
方向転換し、今までに成し得なかった四撃目を放つに至った。
「ぃやああああぁぁぁっ!」
迸る『失望』と『求め』のオーラに後押しされて、ヘリオンの動きから加減や寸止めという考えが完全に消えている。
「『聖賢』っ……くぅ、間に、合わないっ」
障壁を張る暇すらなく、悠人は『聖賢』をヘリオンの狙う場所に合わせて構えた。
一撃が来ると思った次には、二人の体が衝撃によって大きく弾き飛ばされていた。
【ぐぅ、あ、ぁぁぁあああああっっっ】
金属同士がぶつかり合う音よりも、悠人の耳には『聖賢』自体が上げる悲鳴のほうが強く聞こえる。
いかな第二位の剣といえどもオーラのない状態で他の神剣の全力攻撃を受ければどうなるかは想像に難くなかった。
「『聖賢』!おい、『聖賢』っ!」
悠人が慌てて『聖賢』の刀身を確認すると、剣の腹から先端までが『失望』の切っ先によって大きく傷つけられている。
その傷から勢いよくマナが吹き出て、徐々に『聖賢』の力が抜けていくのが悠人にも理解できた。


【だ、大丈夫だ……この程度では、我が我でなくなる事は、無い。お主が意識をすれば流出もマシにはなる。
それよりも、我から漏れ出たマナはどこに行った……っ】
「そうだ、ヘリオンっ……いた、あそこだ!」
悠人が『聖賢』からのマナの流れを探る必要も無く、目に見えるほどの濃密なマナが少し離れた所で倒れ伏している
ヘリオンの持つ『失望』に向かって吸収されている。
「ぅぁっ、あ、あああ、ぁぁぁっ」
『失望』がマナを吸収するたびに強く輝きを増し、それに合わせてヘリオンの全身が苦痛に震えているように見える。
胸を抑えてかきむしる様に腕を動かしてのたうち始めたのに気付いた悠人だったが、
「くそっ、これの何処が『優しい』んだよ!『聖賢』、落ち着いてマナを垂れ流すのをやめ……!?」
ヘリオンに駆け寄って『聖賢』からのマナの流出を止めようとした悠人の前に、一人の影が立ちはだかった。
「まだです、まだ、止めてはなりません」
白の装束に赤い袴、その姿は。
「時深!何でだ、ヘリオンだってこんなに苦しそうじゃないか!」
「ええ、ですから完全に止めるのではなく、調節して送り続けるんです」
驚いて時深を見返した悠人に、時深は一瞬だけ俯いて、そして微笑みながら悠人に言った。
「大丈夫、悠人さんなら出来るはず、何しろヘリオンのためなんですからね」
「あ、ああ、それならやってみるけど、本当に大丈夫なんだろうな」
意識を集中させて『聖賢』から湧き出るマナの量を抑えてゆっくりと『失望』に向かって放っていく。
その様子は悠人にとって輸血を思わせる物だった。
【時詠のトキミよ、一体何をするつもりなのだ……行き過ぎれば、我自身もどうなるか分からぬぞ】
「って、『聖賢』が言ってるんだけど……っ。ほんとに、大丈夫なの、か」
「今はまだ説明は出来ません、少なくとも『聖賢』が失われる事態にはならないはずです」
勢いが緩まったために強い輝きを放つ事もその反動でヘリオンに苦痛が与えられる事も無かったが、
『失望』が『聖賢』のマナを吸い取り続けている事に変わりは無い。
悠人の手に収まった『聖賢』を通して、悠人自身の体力や精神力も
ごっそりとヘリオンと『失望』に持っていかれているような感覚に襲われる。


歯を食いしばって消耗に耐え、『聖賢』よりも先に悠人の足が役に立たなくなった頃に、
『失望』がとうとうマナの吸収を止めて、強い輝きを放つ事も無くなった。
『聖賢』から漏れる光を止めて、がくりと膝をつきながらも悠人はヘリオンの顔を覗き込んだが
彼女の顔色は真っ青でとてもあれだけのマナを吸収したようには見えない。
呼吸も弱く、今にも消えてしまいそうなほどになっているヘリオンだったが、
その手にある『失望』だけが、妙に充足した様子で静かに光を湛えているのが不気味だった。

「一体、これでどうなるって言うんだ、時深」
地面に腰を下ろしてヘリオンの頭を膝に乗せた状態で悠人が溜め息をつく。
『聖賢』は側の壁に立て掛けてあるが、
『失望』についてはヘリオンの手が強張っていて外せないために今も右手に握られたままだ。
「全然目を覚ます気配も無いし、『失望』だけが変に力を放ってる。
なあ、ヘリオンは今どんな事になってるんだよ」
悠人がマナを放出し続けている間はずっと黙っていた時深がようやく口を開いた。
「ヘリオンは、今は『失望』……いえ、その本当の姿の神剣の元に居ます」
その言葉にばっと悠人は顔をあげて時深を見返す。
その視線を受けながら、時深は壁に立て掛けられた『聖賢』に向かい言葉を続ける。
「永遠神剣第九位『失望』、それがヘリオンの持つ神剣です。
ですが『聖賢』なら、実際にその身で一撃を受けてみたその強さ、何か感じたことがあるはずです」
【ふむ、あれが第九位というのは何かの間違いでは無いか。
いくら使い手が未熟とは言え我からいとも容易くマナを奪っていく一撃の重さ、
そしてあの状態からでも的確に急所を狙い打つやり口。あれはむしろ……
いや、時詠のトキミは『本当の姿』といったか、それではこの推測は正しいという事なのだな】
異常なまでにマナを吸収した『失望』が本当の姿に戻る。その意味に気付いた悠人が、
時深に視線を戻して、ヘリオンを揺さぶらないように気を付けながら声を上げる。
「『本当の姿』って、こんなやり方じゃ『失望』が『世界』みたいになっちまうんじゃないのか。
『世界』だって、『求め』たちのマナを吸収して上位神剣へと変貌したんだろ、
だったら、いくら上位神剣になったって剣に乗っ取られちまったんじゃ意味がないじゃないか」


確かに上位神剣の持ち主となることが出来れば、エターナルとなることができる。
しかし、その上位神剣の特性、或いは性格によっては『世界』に取り込まれた瞬のように、
世界を破壊していくロウエターナルへと姿を変えるかもしれないのだ。
「いいえ、それはまだ分からないんです。悠人さんがエターナルになるかどうかが読み切れなかったのと同様に。
ただ言えるのは、『失望』はいくら成長を遂げていてもヘリオンの自我を犯す性格ではなかったということだけ。
それが唯一の安心できるかもしれない要素なんです」
目を伏せて時深が言葉を切った。不安を煽る事も、気休めで安心させようとする事も無いのがかえって悠人を冷静にする。
「『失望』が元に戻るためのマナを与えるまでが俺と『聖賢』に出来る事ってわけか。
後は……全部ヘリオン次第なんだな」
膝に乗ったヘリオンの顔を見ると、眉をしかめて呼吸をつまらせている。
苦しげに自らの胸元に左手をやって何かを掴もうとするが上手くいかないようだ。
悠人がそっとヘリオンを抱えなおして服の胸元を緩めると、見覚えのある金属片が紐にぶら下がっていた。
「そっか、やっぱりお前もヘリオンを助けてくれるつもりなのか」
最後の一振りを行う力を与えてくれたのもこの欠片なのだから、ここまできたらとことんこき使ってやろう。
悠人は静かに『求め』の欠片をヘリオンの首から外すと、それを自らの右手に乗せてヘリオンの左手に合わせた。
ヘリオンの指の間に悠人自身の指を絡ませて手を握る。


小さな手がぴくりと震えたかと思うと、その手の力強さを求めるようにきゅっと握り返してきた。
微かに和らいだヘリオンの表情を見て悠人はそっと息をつく。
「あのさ、時深。ところで『失望』の本当の姿って、何ていう剣なんだ」
時深と『聖賢』から同時に剣の名前が紡がれる。それを聞いて、悠人の口の端が笑みを形作った。
「何だ、それが『失望』の元の形なら絶対に大丈夫だ。ヘリオンは最後まで諦めることなんかしなかった。
俺だって……たとえ、希望がなくなったって諦めたりなんかしてやらないから。
だから、絶対に帰って来いよ、ヘリオン」
さらに力を込めて右手を握り願いを込める。
きつく閉じられた二人の手の間からはどんな光も漏れる事は無かったが、
その手の中に確かな熱を感じて、悠人はそっと目を閉じた。


其処には何も無かった。空中も地面も、壁も天井も、光さえも。
自分の姿すら見えない闇の中で、ヘリオンは地に足のつく感覚も無いままにただ其処に居た。
いや、其処と場所を特定することも無く、全ての場所に自分が居るような感覚を覚えて、
さらにそれがヘリオンという存在を希薄にしていくように感じられた。
「……違う、わたしはちゃんと此処にいます」
そう宣言すると、何も無かった空間にヘリオンの姿が不意に現れた。
【ああ、君は確かに此処にいる。だが、今現れた君は本当の君なのかな、ヘリオン】
ヘリオンの周りの空間から響く声にきょろきょろと視線をやってその主を探す。
「この声は『失望』、なんですか」
【『失望』か、確かに君との付き合いはその姿の時の物でしかないな。
それに、こんなに多くの言葉を発することが出来るような事態も何周期ぶりのことか。
確かにいきなり本題に入るのは君にとっても、僕にとってもプラスにはなるまい。
まずは僕の事を知ってもらおうか。『失望』は千々に砕かれた僕の欠片。
それが再び一つになって僕に……まあ、
戻りきれては居ないけどこうして意志を取り戻すくらいにはなったって所かな】
男性とも女性とも取れない声で、それは空間からヘリオンに言葉を投げかけてくる。
雰囲気で言えばそれは優雅に一礼をするような間を空けて自らの名を紡ぐ。
【僕は虚偽を嫌い虚飾を払うもの、永遠神剣第三位『真実』だ。はじめましてヘリオン】
「わたしを知っているのは、あなたが『失望』でもあったからなんですね」
答えは無かったが、空間から感じ取れる気配は肯定を示すように揺らいでいる。
目の前の事態が飲み込めてくると、ヘリオンは自分が此処に居る理由に思いをめぐらせた。
確か、つい先ほどまで城の訓練棟で悠人に打ち込み稽古の相手をしてもらっていたはずだ。
『失望』からの声に促されるままに斬撃を繰り返し、『聖賢』に斬りつけた所までは覚えている。
その時に、いや一ヶ月前からずっと響いていた声が『失望』であり『真実』のものだったということだろうか。


「あなたが『真実』に戻るために、わたしに『聖賢』を傷付けさせたんですか。
それが、わたしが思い出さなきゃいけないことと、何の関係があるんですか」
ただ自分の持つ剣が上位神剣に戻るためだけに自分を利用しただけなのではとヘリオンは身を震わせた。
【……重症だね、なんとも。最初の質問に戻るけど、今、僕の前に居る君は本当の君だと思うかいヘリオン】
その呆れた様子を感じさせる声に、ヘリオンは自分の思考までもが『真実』に知られている事を悟った。
「つまり、思い出さなきゃいけない事のあるわたしは、本当のわたしでは無いって事なんですか」
【質問ばかりじゃ詰まらないよ。自分で見つけなければ意味の無いものでもあるんだからね。
なら、まずは此処から始めないといけないのか】
そうヘリオンの意識の中に声が響いた時には、その身体の周りに無数の景色が張り巡らされていた。
それは、今此処に居るヘリオンが体験してきた出来事を忠実に再現したものだった。
周りを見渡しても、既に『真実』の気配は失せている。一体自分に何をさせようというのか。
一番近い出来事は、つい先ほどの悠人との打ち込み稽古のものだ。
だんだんと昔へと遡っていき、時深が現れた時期のもの、サーギオスを光陰や今日子と共に制圧した時期、
その今日子や光陰がマロリガンからラキオスに下った時期、エスペリアがヨーティアを連れて来た時期、
龍の魂同盟の国々を次々と破っていた時期へと続いている。
そのさまざまな時期のうち、ヘリオンが一人で黙々と剣を振る場面、初めて敵のスピリットを斬った場面、
今日子、光陰と話している場面などが一際強くヘリオンの脳裏に違和感を刻み付ける。
一番初めにある悠人の姿を目に入れてからその記憶へと目をやると言い知れぬ胸の痛みが襲い掛かってくるのだ。
「これは……どうして、わたしがしてきた事のはずなのに。
おかしいです、キョーコさんや、コウインさまがラキオスに来る理由が無いじゃないですか。
それに、それにわたしが一人で訓練したからって……『失望』がこんなに強くなる事なんてない、はずです」
『聖賢』を傷付ける前から、それが出来るほどに『失望』は強くなっていた。


その理由を考える事など必要ないと思い込んでいた事に気付く。ただ第九位ということを忘れたいと思う心と、
部隊の中で役に立っているという安心感から、『失望』がそうなった原因に気を向けることなどなかったのだ。
頭痛と胸の痛みを抱えながらヘリオンは自分の記憶の中の違和感を探していく。
特に、夜の訓練棟の光景の殆どが強く頭痛を訴えかけた。
「『失望』……ううん『真実』、これが、わたしの思い出さなきゃいけないことですね。
だったら、絶対に思い出してみせますから……もっと、あるはずです。
もっと大切なことが、わたしの中にあったはずなんです。どんな事を忘れてしまっているのか全部見せて下さいっ」
一人で剣を振る夜。誰を守りたいと思って敵を斬ったのか。
今日子と談笑するようになったきっかけ。誰が二人をラキオスに呼んだのか。
ヘリオンの頭の中に一人の男の声が響いた。
『神剣の位も、スピリットの色もいらない。名前だけで大丈夫だ。
……正直言うと、あんまり長い名前になると覚えられないからさ』
その声の主は、自分の気にしていそうなことを先回りして読み取って、自己紹介をさせた。
自分の声を聞く表情がとても辛そうだった事を覚えている。
ふいに、目の前の光景には無いところから声が届いてきた。
『長くて覚えにくいから、ヘリオンでいいよ。他のみんなも適当に名前を教えてくれればそれでいい』
それは、全く同じ声。それを聞いてひどく心が揺らめいた。声の出所を探そうとすると、
眼前に広がる景色が輪を縮めてヘリオンの周りを取り囲んだ。
ズキズキとする胸に手をあてて、懐にある金属の感触に安堵を覚える。
これが手に入ったきっかけも、この記憶の中には無い。
耳を澄ますと、周りにめぐらされた光景の更に奥から微かに声が聞こえてくる。
『ごめんな、今からじゃ何の飾り気もつけられない』
『いえ、わたしたちには飾りよりも、剣としての『求め』の方が近くに感じられますから、これがいいです』


男の声と、自分の声、そして金属片の元となった剣の名。
懐から欠片を取り出そうとヘリオンは手を動かすが、痛みに邪魔をされて上手くいかない。
「邪魔を……しないでっ。この向こうにわたしの大事なものがあるんですから……っ」
わたしは、彼を知っていた。それは当然のこと、だってずっと前から一緒にいたはずなんだから。
不意に、懐にあったはずの金属片の感触が左手に移った。微かに光る金属の熱以外に、
温かいぬくもりがヘリオンの手を包んでいるように感じられて、彼女は静かに笑みを浮かべた。
目の前に、一人で剣を振っている光景が迫ってくる。ヘリオンはそっと左手をその景色に向かって突き出す。
ヘリオンの手が触れた瞬間、その光景はさらさらと崩れていき、微かに奥から漏れる声が大きくなった。
それに伴って、ヘリオンの中にひとつの情景が蘇る。先ほどと同じ様に剣を打ち合う悠人とヘリオンの姿。
涙を浮かべながら頷いて、ヘリオンは次々と違和感を生み出している光景だけを打ち消していく。
最後に残ったのは、ヘリオン一人で湯浴みをしている所だった。
その記憶がある時期に思い当たり、かっと頬を染めながら左手を振る。
巧妙に紛れ込んでいた記憶が消された後に、奥に隠されていた
一ヶ月より前の記憶がもう一度ヘリオンの周りに浮かび上がった。
ヘリオンがそれを自らの内に強く刻み込んだ時に、また辺りは元の暗闇に戻る。
しかし、先程よりも温かさを感じさせる気配がヘリオンの周囲を包んでいた。
【よく出来ました、というところだね。言うまでも無いだろうけど全部消してしまえば君が無くなる所だった。
真実と虚像を見分ける目、僕の持ち主になる能力は充分にあるみたいだ】


目の前に、『失望』とは比べ物にならないほどに強い力と存在感を放つ物があるのを感じて、
ヘリオンはそっと息を飲み込んだ。先ほどまでの軽さをかもし出す雰囲気が消えて、
『真実』から自らの全てを見透かされ、試されているような圧力を叩きつけられている。
【これが最後の問いかけだ。此処にいる君は本当の君かい、ヘリオン】
今、取り戻した記憶の中の自分の横には常に彼が居た。彼を思わせるぬくもりの残る左手を胸に抱き、
「いいえ、此処にいるわたしだけじゃ、一人でいるわたしだけじゃ本当のわたしにはなれないです」
ヘリオンは静かに、首を横に振った。
「一人きりじゃなくって、キョーコさんや、ヒミカさん、ハリオンさんに他の皆さん。
それに、誰よりもユートさまがいてくれたからこそ、わたしは今此処にいることが出来るんです。
だからわたしの『本当』はユートさまと共に在ること。
それが『真実』になるようにあなたも力を貸してくれていたんでしょう?」
言い終わって、目の前にある気配に微笑みかける。その周りの空間が苦笑に震えたように感じた。
【ああ、僕だって彼に感謝はしているよ。こうして君が僕を元に戻せるほどに身体も、心も強くしてくれたんだから。
さて、それじゃあ一旦お別れだ、目覚めた時に二人で彼に会おう。僕の姿はそれまでお預けだ。
その心が常に真っ直ぐである事を決して忘れないように。いいねヘリオン】
そう『真実』が告げた瞬間、ヘリオンの周りからその気配が消えて、
ヘリオン自身の意識も、浮かび上がっていくような感覚を得ながら静かに閉じていった。


「永遠神剣第三位『真実』。この剣は私たちカオスエターナルにも、そしてロウエターナルにも属していなかったようです。
私がエターナルとなる以前から既に失われた神剣として扱われていたので、詳細は私にも分かりません」
【属していなかった、というよりは興味が無かったといったほうが正しいかも知れぬ。
世界を破壊しようともしなかった代わりに、積極的に世界を守ろうともせずに持ち主と共に
ふらふらと世界を渡り歩いていたものだ。勢力に与しては『真実』から遠ざかるのみと嘯いておったのだが、
最後にはその在り方に危険を覚えた双方から狙われて散っていったのだ】
時深と『聖賢』の話を適当に聞き流しながら悠人はじっとヘリオンの顔を見つめ続ける。
『真実』がどんな剣だろうと、ヘリオンがそれに負けさえしなければ帰ってきてくれるのだから。
ふるふると、ヘリオンのまつ毛が揺れた事に気付いて、悠人が静かに呼びかける。
「……!ヘリオン、気がついたのかっ……ぅわっ」
同時に、彼女の右手に握られていた『失望』から眩いばかりの光が迸った。
決して手を離さないようにしながらも目を瞑って閃光が収まるのを待つ。
再び悠人が目を開けた時、ヘリオンはゆっくりと瞬きをしていた。
「ユートさま……?あぁ、だから、左手がぽかぽかしてたんですね……」
充分に周りの状況が把握できていないにも関わらず、ヘリオンは悠人に向かい微笑みを浮かべる。
その笑みが、自分にとって慣れ親しんだ物である事を悟って、悠人はぎゅっとヘリオンを抱きしめた。
左手に残された欠片を首にかけなおして、ヘリオンもゆっくりと悠人の背に手を回す。
【感動している所ですまないが、あんまりくっついてると危ないぞ。
なにしろまだヘリオンは僕を握りっぱなしなんだからね】
時深とも『聖賢』とも違った声に悠人とヘリオンははっと身体を離して、その声の出所に目をやった。
【しばらくぶりだね、ヘリオン。そしてはじめまして聖賢者ユウト】
ヘリオンの手の中にある神剣が、その姿を変えて思念を送ってきている。
「あなたが……『真実』なんですね」
宣言どおりに華美な装飾も無く、ただ柄から伸びた刀身だけがその存在を主張する一振りの刀が『真実』の姿だった。


その一点の曇りも無い刃にヘリオンが視線を這わせると、その刃と同じ様に澄んだヘリオンの瞳を真っ直ぐに映し、
自分の心の内を常に探られ、試されているような威圧感を覚える。
【その通り。僕はいつでも君の心を見ているんだ。僕に映る瞳が曇る事の無いようにしてくれよ】
神妙に頷いて、ヘリオンは『真実』を鞘に納める。鞘の見た目も『失望』の時と変わってはいない。
「何というか、随分と面白い剣だな『真実』って」
悠人がヘリオンに手を貸して立ち上がらせながらヘリオンに話し掛ける。
『聖賢』も時に気難しい発言をするが、あそこまで軽い雰囲気をもつ神剣があるとは悠人には思いもよらなかった。
「あ……ユートさま、『真実』が照れてます」
どれどれ、とヘリオンの腰に下げた神剣を覗き込もうとする悠人たちに向かって、
「て、照れてますじゃありませんっ!ヘリオンも、悠人さんも何をそんなに普通にしているんですか!」
呆然と成り行きを見ていた時深が駆け寄ってきた。その慌てようにようやく悠人の思考も働き始める。
「そうだ!ヘリオン、どうして俺たちのことを覚えてるんだ!?」
「えっと、それは……」
【君のおかげだよ聖賢者ユウト。いや、正確には高嶺悠人か。君がいたおかげで『失望』の中に僕が戻り始めていたんだ。
上位神剣にとっては記憶の制約は無いからね、溜め込んでいたそれまでの記憶をきっかけとして
持ち主であるヘリオンの中にあった、彼女自身の記憶を掘り起こしてあげただけさ】
こともなげに言う『真実』に時深と悠人の動きが止まる。
「あの、『真実』は嘘を言いませんので、多分その通りだと思います」
おずおずと手をあげて二人に言葉をかけるヘリオン。
だがそれについてよりも、二人は『真実』の言葉の別の部分に気を取られたようだ。
「それじゃあ、今のヘリオンはやっぱり『真実』の持ち主ってことなんだよな」
「え、あ、はい。そうみたいです」
「そうみたいですじゃありませんっ。何ですかそのエターナルの自覚の欠片も無い態度はっ」


そう叫んだ時深の言葉に反応し、壁に立て掛けられたままの『聖賢』から悠人に声がかかる。
【無駄だ。『真実』とその持ち主にそんなものを期待するほうが間違っているぞ時詠のトキミ。
第一、そんなものなど我の契約者も持っておらんでは無いか】
「な、そりゃ無いだろ『聖賢』。それにこれから身につけていけばいいだけじゃないか」
悠人が『聖賢』を手にとり腰に佩く。静かにヘリオンの横に並んで、その目を見つめた。
「でも、本当に良かったのかヘリオン。時深の話じゃ今はみんなへリオンのこと覚えてるんだぞ。
それなのに急にエターナルになっちまってきっと混乱しちまう」
「大丈夫です。だってここでの戦いが終わったらわたしもユートさまと一緒に行くんです。
だから今ちょっとくらい色々あっても構わないって思う事にしました」
真っ直ぐに悠人を見返して悪戯っぽく笑みを浮かべる。
だがその瞳は決して揺るがない決意と、悠人への想いを秘めていた。
「そうだな。一緒にいれば……って、『真実』はそれでいいのか?
カオスエターナルの仲間になるのは嫌なんじゃなかったっけ」
「ええ、『真実』の中ではカオスエターナルに与するんじゃなくて、
ユートさまについて行くって事で納得してくれました。ですからお気になさらないでください」
そう時深にとっての爆弾発言をあっさりと言いのけてヘリオンは頷く。
「これも、言うだけ無駄なのでしょうね」
溜め息をついて時深はヘリオンと悠人に向き直る。
「けれど悠人さん、ヘリオン。この戦いの後の話はきちんと『世界』との決着をつけてからです。
二人ともまだエターナルになって間もないという事に変わりはありません。
特に、悠人さんは『聖賢』の力が削がれているんですから充分にそれを考えに入れてくださいね」
「ああ、それは分かってる。けどこうして『聖賢』を持っても気になるほど力が落ちてるようには思えないんだけどな」
【当たり前だ。この世界で振るえる力の上限も、今のお主が扱える力の上限も我の今の力の遥か下だ。
余計な心配事がなくなった分、先程よりも調子がいいくらいだ】


ぐぅの音も出ないほどに悠人をへこませて気分を良くしたかそれきり『聖賢』は口を閉じた。
時深も、言いたい事を言い尽くしてすっきりした顔で、
明日からの激戦に備えるよう注意した後は訓練棟から一足先に姿を消した。
残された二人と二本。そのうちの二本はもう静かになっていて邪魔をするつもりも無いらしい。
いや、後一つ大事な奴が居ると悠人は思い直す。
「『求め』に感謝しなくちゃいけないな。まさか、こんなに助けてくれるなんて思ってなかった」
「ふふっ、でしたら、きっとそれが『求め』の良い心の部分の表れだったんじゃないでしょうか」
言われてみれば、皇帝の間での戦いの後から『求め』はずっと協力的だった。
砕かれた時に、ロウエターナルに仕組まれた呪縛が解けたかのようだ。
「そうだな。……さんきゅ、『求め』。俺を、そしてヘリオンを助けてくれて」
ヘリオンの胸元で揺れる欠片に対して声をかけるが、その返答はない。
二人で、その欠片に思いを込めて目を閉じた。そしてしばらく経ってから。
「あの、ユートさま。わたし、この言葉を言えるなんて思ってもみませんでした」
俯いて頬を染めたヘリオンが静かに視線だけを悠人に向ける。
何を言おうというのかに思い当たって、悠人は静かに身体と心の準備を整えた。
「おか……ひゃっ」
顔をあげてヘリオンが口を開こうとした瞬間に、先回りして悠人はヘリオンの頬に口付ける。
真っ赤になって硬直したヘリオンに静かに笑いかけて、耳元に口を寄せて囁いた。
「ただいま……。それから、お帰り、ヘリオン」
くしゃりと頭を撫でて、くしゃくしゃに歪めた顔を覗き込む。
その頬を両手で包み込まれて、何を言われる事も無いまま悠人はヘリオンの唇を受けた。
絶対に、自分たちが負けることも分かたれることも無い。
そう口付けを交し合った願いは、近い未来に真実となる。