明日への飛翔

第三幕

 ――ランサ防衛隊特別練兵場。

 この施設は現在はラキオス王国スピリット部隊の訓練に使用されているが、かつてはイースペリア兵による
数百人単位での演習が行なわれた事もあり、無骨ながら十分な奥行きを持っている。
 戦闘が激化し訓練士達も皆王都に戻っている今では、年長のスピリット達が暇を見て自主訓練に使用する他は、
人影も無く、町の喧騒からも離れているので思索には持って来いの場所だった。
 その練兵場の木陰で、エトランジェ――<求め>のユートは、ひとり悩んでいた。

 ヘリオンが異動となってから、既に十日。エスペリアにはまだ前線に戻すつもりはないようだ。
 数日してセリアも無事復帰し、配置はほぼ元に戻ったのだが、王都への報告事務は、あれ以来負担軽減の為と
してエスペリアが代行していた。
 (何故か女王の機嫌が悪くなって来たというので、近々元に戻されるかも知れないが。)
 昨日王都防衛の任務を終えて戻ってきたアセリアとオルファによれば、ヨーティア達にも慣れて案外楽しそうに
やっているらしいが、不安は尽きない。
 隊長として贔屓をするつもりはないのだが、助けが必要な者がいるのならば、仲間としてそれを支えるのは当然
じゃないかという思いもある。
 別に自分が・・・機会さえあればちょっかいを出してくる元気者達のその後ろに、仲間に入れて欲しそうにおず
おずと控えているヘリオンの姿が見えない事に物足りなく感じているわけではない・・・と、思う。
 そして何よりも。悠人は、あの日エスペリアが告げた言葉が気にかかっていたのだった。


 十日前。夜襲に関する報告と作戦会議が終わった後、二人きりになると悠人はエスペリアに詰め寄った。

 『それじゃ聞かせてくれないか。・・・さっき、一体何を言おうとしてたんだ?』
 ヘリオンに異動を告げる際に、エスペリアが言い淀んでいたことである。
 それに対し、エスペリアはゆっくりと悠人に背を向けると、逆にこう尋ねてきた。
 『それでは、ユート様・・・ユート様は、ヘリオンについてどう思われますか?』
 『どうって・・・ミスをしたことにか?・・・そりゃぁ、それが何度も続けば、指揮官として放って置く
わけにも行かないだろうけど・・・。でも、たまにポカするってのは、他の皆も同じだろう?・・・まぁ、
俺も偉そうな事は言えないけどさ。何もあんな・・・』
 そう答える悠人の言葉を遮って。エスペリアは、悲しげにこう告げた。
 『そんな・・・そんな事ではないんです!・・・ただの失敗ならば・・・勿論許される事ではありませんが、私もあれ程
強く言ったりはしません・・・ユート様、これは見舞いに行ったとき、セリアも言っていた事なのですが・・・。』
 何かに耐えるかのように言葉を切るが、見ればエスペリアの手は震え、その頬には涙が伝っていた。

 『・・・あの子には、戦いは向いていないのだと思います。』


 ヘリオンは、戦いに向いていない。・・・それは、悠人も感じ取っていた事だった。
 あの子は他の者達のように、スピリットとしての義務感や、何かを守る為に戦っているのではない。
 アセリアやナナルゥのように、神剣の意思に従っているわけでもないし、オルファやネリーがそうである
ように、無邪気なままでいるというわけでもなかった。・・・それはそれで困りものではあるのだが。
 ヘリオンは、何と言うか・・・臆病である前に、戦いその物を忌避している所があった。
 それは人間としては、素晴らしい感情であるのだろう。
 少なくとも、スピリットは全て人間と、永遠神剣の為だけに存在する・・・そんな馬鹿げた思想よりは、
よっぽど共感することができた。
 しかし、スピリットにとってそれは・・・戦えない、そして相手を殺す事ができないと言うことは、自身の
存在理由を否定することに繋がり、欠陥品の烙印を押される事になるのだ。

 ・・・だから、エスペリアはあの場で告げる事を避けたのだろう。
 この世界の摂理とやらが、たまらなく憎く感じた・・・いや、運命そのものがか。
 このままへリオンを戦わずに済ませられるのならば良い。
 だが戦闘は日々激化し、ヨーティアが<抗マナ変換装置>を完成させた暁には、マロリガン共和国に対する
全軍による総攻撃を開始する事になるだろう。
 そして例えその戦いに勝利できたとしても、今度は更なる脅威である神聖サーギオス帝国との戦いが待ち
受けているのだ。・・・今後、より多くの戦力が必要とされるだろう。
 「・・・何とかしなくっちゃな。」
 
 絶え間なくマナを求める神剣<求め>の干渉に晒されながらも、帝国に拉致された最愛の妹を思い、敵国の
エトランジェとして再会した親友達のことを思い・・・そして今また、新たな悩みを抱え込もうとする。
 これが、例え愚かだと自覚しようとも、どうする事もできないこの男の性分であった。


 「これはユート様。今から訓練ですか?」

 思考を中断し伸びをする悠人に対し、声をかける者がいる。
 振り返ればそれは、凛々しい素顔を兜で覆い隠した黒ピリットの、<月光>のファーレーンだった。
 「ん・・・あぁ、そうだな。これから始めようと思ってたところだ。」
 「そうでしたか・・・それではぜひ、ご一緒しましょう。」
 せっかくだからと言う事で、少し体を温めてから模擬戦をして見ようと言う事になる。
 「・・・全力を尽くさせて頂きます。」
 「あぁ、よろしく頼む!!」
 開始線に立ち、構え合う二人。模擬戦とは言っても、互いがその手に握るのは永遠神剣である。
 ちょっとした気の緩みが、大事故へと繋がりかねない。
 それも剣技では一、二を誇るファーレーンが相手とあっては、悠人の声も自然と緊張した物となった。
 「・・・ぃぁぁぁああああ!!!」
 気合一閃。ファーレーンが一陣の疾風となって突っ込む。彼女が得意とする居合いの太刀である。
 その動きを読んでいたのか、間一髪<求め>を間に入れて受ける悠人。
 「くぅ・・・いきなり居合いとはな。峰打ちにはしてくれないのか!?」
 「全力を尽すと、先に申し上げました。・・・それよりも、無駄口を叩く暇はありませんよ!」  
 二閃、三閃・・・ファーレーンの白刃が舞う。
 悠人は辛くもそれを防ぐが、その剣速の前についに致命的な隙を見せた。
 「そこ!!」
 最速の踏み込み。しかし悠人は剣での防御を諦めると、守りのオーラを急激に集中させた。
――ギイィィン・・・!!
 強大なオーラフォトンの壁に阻まれ、体ごと弾き出されるファーレーン。
 悠人はその一瞬を逃さず間合いをつめると、体勢を整える彼女の面前に<求め>を突きつけた。

 「・・・お見事です。」
 ファーレーンの投了である。


 「さすがはユート様。半ば勝利を確信していたのですが・・・参りました。」
 敗北を認め、その力を称えるファーレーンに対し、汗を拭きながら悠人が答える。  
 「いや、剣では完全に俺が負けていたよ。今勝てたのは、こいつを持っていたからさ。」
 そう言って<求め>を持ち上げてみせる。
 「それに、これが実戦だったなら、ファーレーンの本気の一撃はとても耐えられなかったと思う。」
 実際、先の戦いでファーレーンは七分の力しか出してはいなかった。
 ・・・もっとも、あれが寸止めで済ますことのできる彼女の全力だという事に嘘はなかったのだが。

 それを指摘して見せる悠人に対し、ファーレーンが微笑して答える。
 「いいえ、例えこれが戦場であったとしても、ユート様が勝ちを得られた事でしょう。・・・私も、
そう簡単にマナの霧へと還るわけには行きませんが。」
 守らなければならない存在を持つ者同士、通じ合う物があったのだろう。
 二人は互いに頷き合うと、しっかりと握手を交わしたのだった。

 その後個人訓練に移ってからしばらくすると、素振りを止めて悠人が呟いた。
 「そういえば、ファーレーンとニムが王都防衛に就くのは明後日からだったかな?」
 「はい、その予定でしたが・・・何か?」
 打ち込みを中止し向き直るファーレーンに対し、先ほどからの思い付きを告げる悠人。
 「実は、向こうに行ったらヘリオンの稽古を見てやって欲しいんだ。もしかしたらイオが見てやってる
かも知れないけど、ファーレーンなら同じブラックスピリット同士、気づく所もあるだろうし。」
 「ヘリオンの稽古をですか・・・。」
 口に手を当て、思案するファーレーン。
 我ながら名案だと思う。こう見えてファーレーンは優しくて面倒見の良いところがあるし、実力は折り紙
付きだ。これで彼女の戦う姿勢を見て少しでもヘリオンに感じるところがあれば・・・。
 抵抗を感じながらも悠人はそう期待したのだが、その思いは意外にもすぐに打ち破られる事となる。   

 「申し訳ありませんが・・・辞退させて頂きます。」


 「え、辞退って・・・ダメってことか?」
 拒絶されると思わなかった為に、思わず聞き直してしまう悠人。
 「一体どうして?」
 それに対して詫びながら、慎重に言葉を選び返答するファーレーン。
 「私では、残念ながらユート様が期待されるような効果は得られないかと思われます。・・・それにその
様子ではご存知なかったようですが、ユート様は一体何故、私よりもあの子の方が先に部隊に配備される事
になったと思われますか?」
 「それは・・・確か、あの頃ファーレーンは別の任務に就いていたんじゃなかったか?」
 うん、エスペリアが以前そう言っていたような気がする。
 「それもありますが、理由の全てではありません。・・・加えて、当時はニムの育成もまだ不十分でした
が・・・私の任務は、バーンライト王国侵攻よりも優先されるほど重要な物ではありませんでした。」

 確かに、言われて見れば不思議だった。
 エトランジェが出現し、魔竜討伐の成功により国力が増大していたとはいえ。
 ・・・あの頃のラキオスはまだ、北方の小国の一つに過ぎなかった。
 戦力となるスピリットは、一人でも多く必要というのが道理だろう。
 にも関わらず、配備されたのは経験に勝るファーレーンではなく、未熟とされるヘリオンの方だった。

 「私の持つ<月光>は第六位の神剣ですが、あの子の<失望>は第九位に過ぎません・・・しかし、それ
でも尚あの子が選ばれる理由があったのです・・・これ以上は、デリケートな話題でもありますし、私からは
申し上げられませんが・・・もしもユート様が詳しい事情をお知りになりたいのならば、エスペリアさんに
尋ねられると良いと思います。彼女は昔からラキオスのスピリット達のまとめ役でしたし、あの子を一番
可愛がっていたのも、彼女ですから・・・。それでは、私は警備に戻らなければなりませんので、これで
失礼させて頂きます。」

 場を辞するファーレーンに応える事も無く、悠人は彼女の言葉の意味を考え続けていた・・・。


 数刻後。悠人はエスペリアの私室の戸を叩いていた。
 ヘリオンについて知りたければ、エスペリアに聞くと良いと言った、ファーレーンの言葉を思い出す。
 ・・・もしかしたら、エスペリアのあの涙の意味も解るかも知れない。
 「はい、ただいま・・・あら、ユート様。ようこそおいで下さいました。今お茶をお出ししますね。」
 悠人の来室を歓迎しながらも、その意味を図りかねている様子のエスペリア。
 「いや、お茶はいいよ。ただ、ちょっと話を聞きに来たんだ。ファーレーンに、エスペリアが一番へリオン
を可愛がっていたって聞いて・・・。」
 悠人がそう言うと、エスペリアは少しだけ驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情を取り戻す。
 「そうでしたか、ファーレーンが・・ふふ・・今は想像できないかも知れませんが、他の子達も昔は皆、
オルファのように私を『お姉ちゃん』と呼んで慕ってくれたんですよ?」
 「へぇ・・。」
 「ユート様があの頃この世界にいらしてたら、皆に『お兄ちゃん』と呼ばれていたかも知れませんね。」
 それを聞いて微妙な表情をする悠人に対して、エスペリアが続ける。
 「皆、とっても可愛い子達でした・・・ニムだけは、『私のお姉ちゃんは一人だけだもん』と言って、距離を
取っていましたが・・・それでも、お話を聞かせてあげる時は隅の方にやって来て。」
 「ニムらしいな。」
 「ええ、本当に。・・・でも、確かにファーレーンの言う通りかも知れません。その中でもヘリオンは、一番
私に懐いてくれましたから・・・。」
 そこで悠人に向き直るエスペリア。

 「ユート様、長い話になります・・・。やっぱり、お茶を淹れて来ますね。」


 『~~。~~~♪』
 『あらあら、どうしたのヘリオン、今日はやけにご機嫌ね。』
 『えへへ、だって私、エスお姉ちゃんにこうして髪を鋤いて貰うの大好きなんだもん。』
 『まぁ・・・あ、ほらじっとしてなきゃだめよ。これからリボンをつけるんだから。』
 『はーい♪』

 『ねぇ、エスお姉ちゃん・・・?』
 『なぁに?』
 『どうして、ヘリオンの<失望>はあまりお喋りしてくれないのかな。アセリアお姉ちゃんは、剣と仲良し
なんだって言ってたよ。』
 『・・・。』
 『もしかして、<失望>は私と仲良くしたくないのかなぁ・・・。』
 『そんなことないわ。きっと、<失望>はとっても恥ずかしがり屋さんなの。必要になった時には、
ちゃんと<失望>は力を貸してくれるわ。・・・でもね、ヘリオン。その為にはあなたがもっともっと強く
ならなきゃダメ。体だけじゃなくて、心もね。』
 『そうなんだ・・・うーん、難しいけど、エスお姉ちゃんがそう言うならがんばるね!』
 『ええ、そうよ・・・だから、焦らずじっくり、ヘリオンの早さで。ね?』

 『ん~、えい、やぁ!・・っとっと・・・えーい!』
 『ヘリオン・・・突き技の練習をしているの?』
 『あ、エスお姉ちゃん!・・・うん・・・私、手が短いから、普通にやるとネリーに届かないの。』
 『でも、持ち方がちょっと変よ?工夫するのは偉いけど、<失望>は槍じゃないんだから、ちゃんと
こういう風に・・・。』
 『でも私、エスお姉ちゃんみたいになりたいの・・・。』
 『・・・嬉しいわ。ありがとう、ヘリオン。でもね、やっぱり武器には武器に合った持ち方があるの。
お姉ちゃんが見ててあげるから、ちゃんとした持ち方で練習しましょうね。』
 『・・・うん♪』


 昔の出来事を語るエスペリアは、見たことも無いほど良い表情をしている・・・悠人は、そう思った。
 今も昔も、スピリット達の在り方に変わりはない。けれど、少なくとも今のような激動の時代ではなかった。
きっと、かけがえのない思い出なのだろう・・・エスペリアにとっても、恐らくヘリオンにとっても。
 「・・・その頃のヘリオンは、とても大人しくはあったけど、今のように気弱ではなく明るい子でした。
他の子達とも、元気に走り回って・・・でも、そんな時あの事件が起きたのです。」
 「あの事件?」
 それまでとは打って変って、影が差した表情でエスペリアが言う。
 「ラキオスでは、まだ幼く未熟なスピリット達に行われる特殊な訓練があるのですが・・・それが、完全武装
した訓練士の方との一対一の戦闘訓練です。」
 「訓練士って・・・人間と?」
 「はい・・・但し未熟な子供とはいえ、スピリットは基本となる身体能力に大きな違いがあります。その為に
スピリットは神剣を持つことは許されず、防具も無しに木製の武器が一本だけ与えられるのです。」
 「そんな・・・それじゃ、勝敗なんてやる前に明らかじゃないか。」
 「その通りです・・・。これはユート様だからこそお聞かせするのですが、恐らくあの訓練は、戦闘訓練と
いうよりも、人間に対する恐怖心を植えつける為だけに行われているのだと思います・・・。」
 悠人はそれを聞き怒りに震えたが、これでもこの世界では人間的な訓練法なのだ。
 「通常この訓練はスピリットが十分な身体能力を得るまで続けられます。そして当然、ヘリオンに対しても
その訓練が行われたのですが・・・・。」
 何と、ヘリオンは初挑戦にして、板金鎧で完全武装した訓練士を返り討ちにしてしまったという。
 「・・・三段突きだったと聞いています。木刀は砕け散ったそうですが・・・永遠神剣無しで幼いスピリットが
それほどの力を見せたのは、ラキオスの記録では初めてのことでした。私が教えたからではなく、ヘリオン自身の
才能の為だったのですが・・・。」
 そう、その為に・・・幼いヘリオンは、訓練士の恨みを買ってしまったのだ。


 「次の日から、あの子は他の子達とは遠ざけられ、特別訓練を受ける事となりました。私も一切の接触が
禁じられていた為に、これは伝え聞く噂と、あの子自身の様子から推測しただけの物なのですが・・・その
ほとんどは、野生動物や囚人との殺し合いだったそうです。」
 「・・・殺し合い・・・あのヘリオンが?」
 これほど似つかわしくない言葉もない。
 同じ思いなのだろう。そう語るエスペリアの声も震えていた。
 「いかに力があろうとも、幼いヘリオンにはあまりにも過酷な状況でした。・・・私でさえ、初陣の時には
恐怖に震えていたのを覚えています。目の前で金色の霧となって消えていくスピリットの姿は、何か悪い夢を
見ているかのようでした・・・。」
 悠人もまた、自身の初陣を思い返していた。あの時の恐怖は、今でもありありと覚えている。
 ましてやヘリオンは、その当時まだ今のオルファくらいの幼さだったという。
 通常この世界の戦争で死ぬのは、ほとんどがスピリット達である。
 罪悪感は覚えるが、彼女達には死体は残らず血の一滴に至るまでマナの霧となって消えてしまう為に、その
死はひどくリアリティに欠けるのだ。
 ・・・それが、元々は平凡な一般人に過ぎなかった悠人の、精神の崩壊を助けているのも事実だった。
 しかし、相手が野生動物や囚人だとしたら、そうは行かないだろう。
 そして<失望>は第九位の神剣だ。強い自我は持たず、倒す敵からマナも得られないとしたならば、ほとんど
反応はしなかっただろう。
 アセリアのようにその意思に従って、自分を誤魔化すという事もできないのだ。
 エスペリアと接して育まれた情操が、皮肉にもヘリオンを苦しめ続けた。
 「訓練士の方々は、方法を誤りました。そうしてあの子は、戦う事が出来なくなって行ったのです。」


 「そんな事があったなんてな・・・。ヘリオンの過去については解った。でも、それなら尚更、どうして
ヘリオンがファーレーンよりも先に配備されたのかが解らないんだけど・・・。」
 大事なのは、どうすればヘリオンが戦えるようになるかという事だったが、その疑問も不可解だった。
 戸惑う悠人に対し、エスペリアは・・・それを告げるべきかどうか、迷っていた。
 「ファーレーンもデリケートな話題だと言っていた。けれど、俺は全てを知りたいんだ・・・頼む。」
 そう懇願する悠人の一言を受けて、エスペリアはその理由を口に出す決心をした。
 「ヘリオンは・・・育成を放棄されたのです。これ以上無駄な労力を掛けるよりは、他のスピリット達に
時間を割いた方が良いだろうと・・・。『とんでもない失敗作だが、エヒグゥでも追い詰められれば反撃する。
戦闘を続けていれば、すぐに神剣に呑まれてしまって、使い易くなるだろう。』・・・訓練士の方は、
そう言っていました。」
 「・・な・・・に・・・・?」
 一瞬にして悠人の怒りが頂点に達する。カップを持つ手が震え、椅子が音を立てる。
 席を立とうとした悠人を、エスペリアが必死に宥めた。
 「ユート様、どうかお静まり下さい!!・・・その方は国王派であった事もあり、今は女王によって遠ざけ
られました!・・・今は、他の者がそのような扱いを受ける事はありません・・・少なくとも、このラキオス
王国に於いては、そのような事は無くなったのです!」     

 「・・・済まない、エスペリア。落ち着いたよ。」
 あのまま激情に任せて行動していたら、レスティーナも自分を擁護する事は出来なくなっただろう。
 「でも、そうか・・・。だから、ヘリオンが配備された時、俺達のいる本隊に配属させるように勧めたんだな。
・・・やっぱり、エスペリアは今でもお姉ちゃんなわけだ。」
 エスペリアが照れて赤くなる。そして小さく抗議しようとした時、バタンと戸を開ける者がいた。
 「ま・・オルファ、いつもドアを開ける前にノックしなさいと言っているでしょう!それに今は・・・」

 「それどころじゃないの!・・ねぇ、パパ、早く来て!!・・・<理念>が言っているの。助けてって。
あのお姉ちゃんを・・・早くしないと、間に合わなくなっちゃう!!!」


 ランサでそうした騒動が巻き起こっていた頃。
 王都ラキオスでは、大天才の空腹を満たすべく二人のスピリットが奮闘していた。
 「わ・・・ここでネネの実の粉末を加えるんですか!?」
 「ええ、隠し味になるんです・・・味見して頂けますか?」
 「・・・お、美味しい・・!・・なんて言えば良いんだろう・・・味に深みが増して・・・イオさまって
本当にすごいです。頭が良いだけじゃなくて、料理も上手で・・・尊敬しちゃいます!」
 興奮の余りに小鳥化するヘリオンを見て、イオが控え目にクスクスと笑う。
 「あ・・・す、すみません・・・私一人で舞い上がっちゃって。」
 顔中真っ赤にして俯くヘリオン。
 「これは、こちらこそ失礼しました・・・可笑しいと思って笑ったわけじゃありませんわ。・・・ただ、
ヘリオン様を見ていると、ヨーティア様がこの国をお気に召した訳が良く解ると思いまして・・・。」
 「え?それってどういう・・・。」
 「他の国には、戦いもせずに他の事ばかりに秀でるスピリットなどを褒める方はいませんから・・。」
 「あ・・・。」
 ヘリオンは、そう言って笑うイオに対して、何だか申し訳ない気になってますます俯いてしまった。
―――キィィ・・・ン
 その時。イオにだけ聞こえる声で、<理想>が何事かを告げる。
 「・・・・イオさま?」
 突然真剣な表情に戻るイオを見て、訝しむヘリオン。
 「あ、これは申し訳ありません、ちょっとぼうっとしてしまいまして。・・・恥かきついでに変な事を
申しますが・・・ヘリオン様。」
 「はい?」
 「転機が・・近づいて来ています。何となく、そう思うだけですが・・・食事の後に、第一詰所の掃除
などされてはいかがでしょう。お客様が見えるかも知れませんし。」
 「はぁ・・・。そうですね、午後から少し時間もありますし、そうしましょうか。」
 そう答えながらも、イオの様子にしきりに首を捻るヘリオンであった。