明日への飛翔

幕間

―――その日僕は、全てを失ったのだ。

 何処とも知れない、西欧風の城の中。
 中世の騎士の如き装束を身に纏い・・・。
 ・・・僕はその報せを、ただ待ち続ける。
  
 いつもの――
 ・・・・ああ、またこの夢か。
 幼い頃から繰り返し見続けて来た夢。
 どうして僕が、この場面を見続けなければならないのか。
 どれだけ『もういい』と思っても、自らこの夢を終わらせる事は出来ない。
 ここでは僕は、無力な登場人物の一人に過ぎなかった。

 そうして最後まで見せられるのだ。
 この、決して救われる事のない悲劇を・・・。

 『・・・ソードシルダ様!・・・あの方の行方が知れました・・・ラキオスのエトランジェ、<求め>の
シルダスの姉君、レティシア様の行方が・・・!!』

 息せき切って、従者が駆けつける。
 僕は報せを受けて、胸を躍らせて向かうのだが・・・。

 ・・・そこで目にしたのは、物言わぬ、変わり果てた恋人の姿だった。

 『こ、これが・・・これがあの、レティシアだと言うのか・・・!』

 言葉では言い表せない衝撃が、僕であるその騎士を襲う。
 既にレティシアは死病に冒され、昔日の美しさは見る影も無かった。
 ここまで持ったのが奇跡だったのだろう。
 見ればその痩せこけた体からは、残り火の様にマナが滲み出していた。
 それは、やがて確実に訪れる、死の前兆・・・。

 『我々が救出した時にはもう、手遅れでありました・・・やはり<求め>のシルダスは、ラキオス王によって
暗殺された模様です・・・人質の価値が無くなったレティシア様は、恐らく・・・』
 『言うな!!』
 その先を想像する事は、許されなかった。
 レティシアは、既にこの世の苦しみを味わい尽くしたのだ。
 『・・・これ以上、彼女を辱める事は私が許さん・・・!!』

 そうして僕は、今まさにマナに還ろうとしている恋人を抱きしめる。
 『何故だ、シルダス・・・何故守りきれなかった!!・・・やはり貴様に任せるのではなかった・・・これが
私達の、運命に翻弄された私達の結末だと言うのか!!!』

 同じ村に生まれ、共に育ったかつての親友を思い浮かべる。
 神剣に踊らされ、時には憎しみ合いながらも、ついに殺す事は出来なかった男。
 僕達三人は、貧しいながらも、互いに助け合い、その日その日を懸命に生きて来た・・・。
 それが何故、こんな事になってしまったのか・・・!!

 『レティシア・・・ああ、レティシア・・・必ず幸せにすると、誓ったのに・・・。』
 いつまでも、いつまでも・・・その慟哭は、決して止むことは無かった・・・。

 そして僕は哀しみの中、現代に覚醒する。
 目を覚まして見れば、やはりそこは変わる事のない自分の部屋。
 とうに見慣れてしまった、秋月の屋敷の一室だった。

 「幸せにする、誓い・・・。」
 脳裏に佳織の顔が浮かび上がる。
 僕が唯一心を許し、愛する少女。

 出会ったのが先か、この夢を見るようになったのが先か。
 思い出す事すら出来ない程に、僕達は幼い頃から一緒に遊んでいた。
 何故あの少女に、こんなにも心惹かれるのか不思議だったが・・・。
 子供心に、好きな女の子を想うばかりに、あんな夢を見るのだと思っていた。
 そう・・・今こうしていても思い浮かべる事ができる。
 佳織が成長すれば、きっと美しかった頃のレティシアそっくりになるだろうと。

 これがただの夢ではないと気付いたのは、あいつと出会ってからだ。
 僕と佳織の間に割り込んで来た、憎き邪魔者・・・高嶺悠人。
 第一印象からして最悪だったが、僕は直感的にあいつが敵だと悟った。
 あいつの顔を見た瞬間、シルダスの面影がそれに重なったのだ。
 出会ってもいない人間が、僕が見続ける夢に出て来るなど常識では考えられない。
 ならば僕達は・・・運命によって、出会うべくして出会ったのだ。

 同時に僕は、忘却の彼方に何かを置き忘れて来た様な感覚に囚われる。
 ここ最近、度々襲い掛かる激しい頭痛。
 そして囁くこの、聞き覚えのある声は、果たして幻聴なのだろうか・・・?


 今日もまた、退屈な一日が始まる。
 佳織が通っている。ただそれだけの価値しかない、程度の低い学校。
 ――今の僕は本当の自分じゃない。
 何故かそれだけは解っていたから、佳織以外の人間などまともに相手をする気にもなれなかった。  
 
 ・・・理由も無く、廊下を歩いているものじゃない。
 よりによって、あの悠人が歩いて来るのにぶつかってしまった。
 「ッチ・・・。」
 前世だけでは飽き足らず、生まれ変わって尚、佳織を不幸にする疫病神・・・。
 「邪魔だ。」
 それだけ言って通り過ぎようとするが、身の程知らずにも難癖をつけて来る。
 態度だけは大きくて、取り巻き二人も煩わしい事この上ない。

 本来ならば、相手をする事も無かったのだろう。
 だが僕は自分の犯した罪も忘れて、のうのうと佳織の保護者ヅラしているこの男が気に入らなかった。
 「ふん・・・。おい、貴様に言いたいことがある。」
 佳織ですら覚えていない前世の事を持ち出して、こいつらに馬鹿呼ばわりされるのは耐えられない。
 どうせ理解も出来ないだろうが、かつての親友として忠告だけはしてやろう。
 「お前は居なくなった方がいい。佳織はお前が現れるまでは幸せだったんだ・・・僕はお前の知らない
佳織の笑顔をいっぱい知っている。それをお前が奪い取ったんだ・・・佳織はお前といたら絶対に幸せに
なれない。どこかに居なくなる事が彼女の為だ。」

 教室に入る僕の背中の向こうで、岬とか言う女の声が聞こえて来る。
 「ほんっと、あんた達は仲悪いわねー・・・前世の因縁でもあるんじゃない?」

 その夜・・・何故か胸騒ぎがして眠れなかった僕は、外の空気を吸いに出た。
 こんな時僕は、庭園で一人心を落ち着けるのだ。 
 秋月の屋敷は広く、誰も僕を邪魔する者はいない。
 いつもなら、その筈だったのだが・・・・。

 「・・・本当に、良い夜ですわね。」

 ――いつの間に侵入したのだろう。
 振り向くとそこには、奇妙な白い洋服を纏った、見慣れぬ少女が立っていた。
 「貴様、何者だ!?」
 誰何する自分の声が、震えている事に気付く。
 まさか、この僕が気圧されている・・・?
 目の前の少女はどう見ても、まだ小学校に入学したかどうかという幼さなのに。
 いや、しかし・・・。
 この少女はまさか、秋月の警備網を潜り抜けて、ここまでやって来たと言うのか。

 「貴方を迎えに来た者ですわ・・・もうすぐ、契約の時が来ます・・・そして貴方は本来の、自分の役目を
果たすのですわ・・・私の、駒の一つとして。」
 「何だと・・・?」
 「もうすぐ・・・本当にあともうすぐですわ・・・それでは、その時までご機嫌よう・・・。」

 ――次の瞬間・・・・。
 信じられない事に、その少女の姿は目の前から掻き消えてしまった。        
 余りにも不可解な体験。だがこれが、夢だとは思えない。
 強烈な圧迫感から解放された僕は、座り込み、乱れた呼吸を整えねばならなかった。

 「契約だと、何の事だ・・・だがこの感覚・・・僕は、あの子供を知っている・・・?」

 それからの数日間。
 僕は何時にも増して、ひどい頭痛と、ある強迫観念に囚われ続けた。 

 思い出さなければならない・・・。
 白い少女が言っていた、「契約」と言う言葉の意味。
 ・・・あの夢の後、僕達はどうなったのだ?
 レティシアは助からなかっただろう。
 彼女を失った僕が、まともに生きていけたとも思えない。
 その寸前まで来ているのに、成し得ないもどかしさ・・・。
 
 ・・・そして学園祭当日。
 頭痛に耐え、気力を振り絞って辿り着いたそこで、僕は全てを思い出した。

 (この音色・・・。)

 曲も違う。演奏しているのは佳織だけではない。
 それなのに、僕の魂を揺るがすこの音色は・・・。
 かつてレティシアが、農作業の合間に聞かせてくれた、あの歌と同じ想いを感じる・・・。
 この僕が人前であるにも関わらず、流れ出る涙を止める事が出来なかった。   
 次々と浮かんでくる数々の思い出と、僕達が辿った数奇な運命。
 ――やはりあの夢は、かつて在った出来事だったのだ。

 あれ程僕を苦しめて已まなかった頭痛が、嘘の様に消え去っていた。
 同時に僕は、自分が何を為さなければならないのか悟ったのだった。

 佳織を悠人から引き離さなければならない・・・。
 このままでは、佳織は再び同じ運命を辿る事になってしまう。
  
 「い、いやっ!秋月先輩、離してください!」
 「なんで嫌がるんだ?僕が佳織に酷いことするわけないだろう?」
 できるだけ紳士的な態度を取るように努めるが、もう一刻の猶予もないのだ。
 「佳織に聞いて貰いたい事があるだけだよ。」
 「痛いっ!」
 しまった・・・。
 焦る余り、佳織を苦しめてしまった。
 うろたえる僕に、突然怒鳴りつける男の声。
 「瞬、何しているっ!!」
 またこいつか・・・佳織に不幸を呼び込む元凶め・・・。
 憎しみが僕の心を支配する。
 悠人も同じ気持ちなのだろう。
 ここでこいつを殺してしまえば、佳織は助かるんじゃないか・・・?

 一触即発の空気の中、佳織の悲痛な声が、廊下に響く。
 「いやぁ!お兄ちゃん、もうやめて!!・・・・秋月先輩・・・もう・・・行ってください・・・。」
 何と悲しそうな声で言うのだろう。
 それほどまでに、悠人への思いに囚われていると言うのか・・・。
 断腸の思いで、引き下がる事を決意する。
 「そうか。佳織がそう言うなら、僕は退こう。」
 残された時間は少ないが、邪魔者のいるこの状況で、佳織を説得するのは不可能だった。


 ――どうにかして佳織を救わなければ。

 瞬は夕暮れ時の教室に残り、一心にそれだけを考えていた。
 ・・・それができるのは、自分しかいない。
 真実を知り、脅威に立ち向かえるのは。
 封印されていた、前世の記憶・・・。


 瞬の前世・・・ソードシルダは、レティシアの最期を看取ると<誓い>に呼びかけた。
 『どういう事だ<誓い>よ・・・私の願いは、レティシアを幸福にする事・・・お前はその為の力を、私に
与えるのではなかったのか!!』
 『確かに我は力を与えた筈・・・契約者よ、最後の決戦で<求め>の契約者に止めを刺さず、この事態を
招いたのは汝の責任だ・・・だが案ずる事はない・・・契約は輪廻の果てまで有効であり、果たされぬ事は
在り得ない・・・汝は来世で再びあの娘と出逢い、また<求め>の契約者と争う事になるだろう。』
 『来世で、私が・・・?』
 『だがその為には代償が必要だ・・・代償無き奇跡は存在しない。汝には最後の役目が残っている。』

 そうしてソードシルダはサーギオスの皇帝を暗殺すると、自らの喉を突きその生涯を終えたのだ。
 ・・・ただ一つ、愛する娘との再会だけを願って。


 「・・・だが僕や佳織と同じく、悠人もまた転生した・・・恐らくシルダスが<求め>と交わした契約に
関係があるのだろうが・・・二度と情けはかけん・・・もう二度と、佳織をお前に渡すものか!!」
 瞬はそうして、新たな誓いを立てるのだったが・・・。
 それは無情にも、決して果たされる事はなかった。

 「なかなか興味深い話ですが・・・駒に余計な情報は必要ありませんわ。」


 瞬が振り向くよりも早く、目に見えない衝撃波が彼を襲う。
 「ぐっ・・・・。」
 吹き飛ばされ、黒板に打ち付けられる瞬。
 その一撃だけで目の前が暗くなり、身体から力が抜けていく。
 しかし瞬は、最後までその少女から目を離さなかった。

 「あら、まだ意識があるとは・・・頼もしいですわ。」
 超常の力で瞬を吹き飛ばした、白い少女が笑う。
 「貴様・・・覚えているぞ、貴様が僕達の運命を弄んだんだな!」
 「ほほほ、面白い事を言う坊やですわね・・・人の運命など、私達の使命の前では塵芥のような物。」
 冷たく言い切るその言葉には、一片の温かみもない。
 この様な外見はしているが、あどけない表情のその裏には、どれ程の邪悪が潜んでいるのだろうか。

 「忘れられる筈が無い・・・貴様は幸せに暮らしていた僕達の前に現れて、あの世界へと飛ばし、望まぬ
戦いを仕組んだんだ・・・また同じ事を繰り返させるつもりか・・・一体、何を企んでいるんだ!」
 「素晴らしいですわ・・・そこまで記憶を、取り戻したと言うのですか。」 
 白い少女はその問いには答えず、不可思議な力に縛られ身動きできない瞬に近づく。
 「な、何を・・・!?」
 「賢い人間は嫌いではありませんが・・・余計な事をされる前に、修正する必要がありそうですわね。」
 少女が瞬の額に手をあて、何やら妖しげな呪文を唱えると・・・それきり彼の意識は、完全に途絶えた。
 「私、記憶操作は得意ではないのですが・・・まあ、多少人格に異常を来たした方が、都合良く事が運ぶ
かも知れませんわね・・・このまま、新しい世界へと送り届けて上げますわ・・・うふふふっ。」
 薄暗い教室の中。無邪気な笑い声が、不気味に響く。

 ・・・そしてこれ以降、ハイペリアで秋月瞬の姿を見た者は、誰一人としていなかったのである。

 ――時は流れ現在・・・サーギオス皇帝の間。

 「何か、夢を見ていたか・・・?」
 本来ならば皇帝の所有物である筈の玉座で、うたた寝をしていた瞬が呟く。
 ・・・どんな夢だったのか記憶はない。
 だけどそれは、とても大事なことだった様な気がするのだが・・・。

 瞬が思い出そうとする前に、<誓い>が激痛と共に彼を急かす。
 「ぐぁっ!?」
 『契約者よ・・・<求め>を砕け・・・一刻も早く、<求め>を破壊するのだ!』
 「くっ・・・解っている、必ずあいつらには死をくれてやるから、黙っていろ!!」
 瞬が激昂して命令すると、<誓い>は沈黙する。
 (全く、道具の分際で・・・気に入らない奴だ。)

 いや、<誓い>だけではない。
 瞬は彼を取り巻く何もかもが、気に入らなかった。
 せっかく救い出したと言うのに佳織は、悠人の呪縛に囚われて、目を覚ましてくれない。
 佳織の救出を命じたスピリットは、その後帝国を裏切りラキオスについた。
 あの悠人が率いるラキオススピリット部隊は、法皇の壁を越えリレルラエルを制圧したと言う。
 ――何と言う部下共の不甲斐無さか・・・やはり自分と佳織以外、誰も信用出来ない。

 「待てよ・・・?」
 一体何故、これまで気が付かなかったのだろう。
 部下なんて元々必要ない。
 僕と佳織さえいれば、用は足りるんじゃないか・・・。
 「そうだよ・・・ハハハ、僕とした事がうっかりしていたな・・・だったら、僕自身が出向いてあいつを
殺してやれば良いんじゃないか・・・ハハハハハ、そうだよ、そうすれば良いんじゃないか!!」

 その瞳に狂気を漲らせ、哄笑を上げながら、紅く光る<誓い>を手に。
 ・・・瞬はその朗報を届けるべく、佳織の部屋へと向かうのだった。