明日への飛翔

第九幕

 ・・・人の想い、スピリットの想い・・・
 そして散って往った多くの命を乗り越えて、俺達は今ここに立っている。

 ――帝都サーギオス。
 破壊の時代を象徴する、最後の牙城を前にして。
 この地に集った精鋭達が、女王の演説に心を昂ぶらせる。
 レスティーナ・ダイ・ラキオス。
 ・・・旗印としてこれほど相応しい人間を、俺は他に知らない。

 そして俺は、クェド・ギンの言葉を思い出す。
 『神剣の思惑通りに生きるなど、あってはならない。』 
 あの大統領は、こうなる事を予見していたのだろうか・・・。
 だけど、例えこれが神剣の思惑による物だったとしても。
 時代を開こうとする俺達の意思は、決して偽物ではないはずだ。

 ・・・望んだ戦いじゃなかった。
 俺も、光陰も、今日子も・・・恐らくはあの瞬でさえ。
 平和な日常から一転して、否応無く戦乱に巻き込まれていった。
 最初は佳織を救い出す、ただそれだけの為に<求め>を振るっていたけれど。
 多くの仲間達に支えられ、いつしか心を一つにして・・・。
 俺達は、遂にここに辿り着いた。
 そう、再生の・・・希望の明日を掴む為に!!    
   
 やがて、レスティーナが号令を発する。

 『・・・全軍、行動開始せよ!!』

 怒号のような雄叫びと、剣戟が重なる無数の音が響く中。
 副隊長として最後の助言をする為に、エスペリアが進み出る。

 「ユート様、この様な時に縁起でも無いと思われるかも知れませんが・・・かつて四王子の下に現れた
エトランジェ達の争い・・・最後の決戦で、<求め>のシルダスは、<誓い>のソードシルダの前に敗れて
います・・・しかしそれはシルダスが決して他の者を頼ろうとはせず、最後まで一人で突き進んだからだと
言われています・・・それに対し、ユート様には・・・。」

 「・・・ああ、俺はそいつとは違う・・・俺にはこんなにも、頼りになる仲間がいるからな。」
 そうして見回すとスピリット隊の皆は、力強く頷いてくれた。
 傍らには、この世界で巡り逢い、俺に大切な想いを教えてくれた、誰よりも愛しい少女。
 「ユートさま、必ず・・・必ずみんなで、明日を迎えましょう!」

 「ああ、勿論だ・・・光陰、作戦通り頼むぞ!!」
 俺は決意を新たにすると、気持ちを切り替えて親友に呼びかける。
 既に元稲妻部隊の面々は、城門への道を抉じ開けるべく突撃している。
 「任しとけって・・・今日子、クォーリン!・・・俺達も出る。稲妻部隊の力、見せてやろうぜ!!」
 「承知しました、コウイン様・・・どこまでも、お供致します!」
 「それじゃ悠、アタシ達の分まで、あいつにガツンと食らわしてやりなさいよ!」
 「OK、解った・・・キツイ役目を押し付けて済まないが、絶対に死ぬんじゃないぞ!」

 最後の作戦・・・できるだけ俺の力を温存しながら、瞬の元へと辿り着く・・・帝国のスピリットは、
瞬と<誓い>の支配下にある・・・だから俺が<誓い>を砕きさえすれば、無益な戦いは終わる筈。
 光陰達はその為に危険な、先鋒として突破口を開き、城外の敵勢を防ぐ役目を買って出てくれたのだ。

 「よし、城門は破られた・・・ここは光陰達に任せて、突入するぞ!!!」


 サーギオス城内でも、多くの伏兵が俺達を待ち受けていた。
 それを蹴散らしながら、ウルカの先導で駆け抜ける。
 迷路の様な外郭を突破すると、やがて十字路に出くわした。
 その全方向から、大量の神剣反応!
 
 「ユート殿、ここは正面を突破して下さい・・・その先は手前が居なくとも、ユート殿と<求め>ならば
感知する事ができる筈・・・どうか御武運を!」
 「ウルカ!?」
 一人で食い止めようと残るウルカの横に、アセリアが並ぶ。
 「ダメ・・・ユートは皆で、生き残ると言った。」
 「・・・かたじけない。」
 「全く、貴女達二人だけでどうしようって言うのよ・・・ユート様、私も残りますから、どうぞお先に!」
 「セリア・・・解った、ここは三人に頼む・・・後から必ず来いよ!」

 そして大広間。
 神剣に呑まれた帝国兵が、所狭しとひしめく。
 ・・・まさかサーギオスの戦力の殆どが、ここに集結してたんじゃないか?

 「今度は私達の番ね・・・ユート様、ここはお任せ下さい。」
 「ヒミカばっかり、格好良くしちゃずるいですよぉ?・・・私だって、やる時はやるんですからね~。」
 「ネリー達だっているよ、皆には負けないんだから!」
 「負けないんだから~♪」
 「この敵、この数・・・私達もご一緒しましょう。」
 「面倒・・・とも言ってられないか・・・ユート、私が一人も死なせないから、安心して先に行って!」

 国の為、仲間の為・・・そして未来の為に、志を同じくする仲間達。
 誰一人として失うわけにはいかない。俺達は、生きて明日を迎えるのだ。   
 その為にそれぞれが全力を尽くす・・・今ここで、俺に言えるのはただ一つ。

 「ああ、信頼してるぜ・・・帰ったら、ラキオスで大祝勝会だからな!」


 俺の心を支配しようと、干渉を強める<求め>。
 湧き出す憎しみを抑えながら、少しずつ力を解放して行く・・・。
 そうして瞬の気配を探りながら、俺達は走り続ける。
 確実に、それは近づいていた・・・この先に、瞬と佳織は居る!

 「長い階段・・・ここで襲われるのが一番危険だな。」
 「伏兵の気配は感じませんが・・・何か妙な雰囲気です。」 
 「そうだな、みんな気をつけろ・・・って!?」
 お約束の様に、轟音と共に転げ落ちてくる大岩。
 いくら何でも、あんな物に潰されたら生きてはいられない。
 戻るには余りにも、距離があり過ぎる・・・焦る俺の前に、進み出る二つの影!
 
 「「イグニッション!!」」

 同時に発動する爆炎が、大岩を飲み込み粉砕する。
 「・・・目標消滅・・・・・迎撃成功です。」
 「やったやった~♪・・・ねぇねぇパパ、オルファ達って偉い?」
 相乗効果の為か、その威力は単発での何倍にも高められていた。
 余りの高熱に岩石が一部溶解し、黒い煙が立ち昇る。
 ・・・しかし、それで終わりでは無かった。
 歓声を挙げ、振り向いたオルファが手を振ったのとほぼ同時に。
 ――壁や天井から飛び出した無数の矢が、無差別に降り注ぐ!!

 「くっ・・・二重のトラップか!?」
 これでは俺がオーラフォトンで守れるこっちはともかく、離れていた二人は・・・。
 「オルファ、ナナルゥ!!」
 攻撃が止むのも待たず、急いで駆けつける。

 ・・・しかし既に、護りの力が弱い二人は瀕死の重傷を負っていたのだった。


 「・・・ご、ごめんパパ・・・ちょっとドジっちゃった・・・。」
 「いいから喋るんじゃない!・・・エスペリア、早く二人を!!」
 俺が言うまでも無く、エスペリアは治療を開始していたが、その表情は険しい。
 「出血が多すぎる・・・私の力の全てを使っても、救えるかどうか・・・。」
 「そ、それでしたら・・・ここに置いて行って下さい・・・。」
 「な・・・ナナルゥ、何を言ってるんだ!?」
 「・・・これではもう・・・作戦行動は不可能でしょう・・・エスペリア様の力は、この先も必要に
なる筈です・・・もしかしたら、他の皆さんが駆けつけてくれるかも知れないし・・・。」

 確かに、瞬との戦いを前にエスペリアが抜けるのは痛手だった。
 だが、都合良く皆が駆けつけてくれるかどうかは解らない。
 もし救援が間に合わなかったら、二人は・・・。
 そんな俺の気持ちを察したのか、ヘリオンがそっと袖を引く。
 ・・・その瞳に漲るのは、信頼と決意。

 「・・・そうだよな、考えるまでも無かった・・・エスペリア、二人を頼む。」
 「承知しました・・・必ず二人を救い、駆けつけます。」
 「ナナルゥさん、オルファ・・・安心して、後は私達に任せて下さい!」
 「うん・・・。」
 「すみません・・・。」 
 「ヘリオン、ユート様を御願いします・・・・・最後まで、そのお側に。」
 そう言ってエスペリアは髪紐を解くと、ヘリオンの腕に結びつける。
 「エスお姉ちゃん・・・うん、絶対に!」

 そして俺はヘリオンと二人、瞬が待つであろう皇帝の間を目指す。
 ・・・一刻も早く、この戦いを終わらせる為に!

 「せっかく佳織の為に、止めを刺さずにいてあげたのに・・・恩を仇で返すなんて最低だよ、悠人。」

 それが皇帝の間で待ち受けていた瞬の、第一声だった。
 後方には、怯えながらも俺達を心配する、佳織の姿が見える。
 ・・・待ってろ、今すぐ助けてやるからな・・・。
 だがその前に。瞬には一つ、聞かなければならない事があった。
 「おい瞬・・・お前が仕えていた、サーギオスの皇帝はどこだ?」
 どこかに隠れているのか、玉座には姿が見えない。
 これ以上の無益な戦いを無くす為にも、放って置くわけにはいかない。

 「ククク、今更何を言い出すかと思えば・・・どうせ最期だから教えてやろう、帝国を動かしていたのは
この<誓い>だ・・・サーギオスなんて国は、最初から存在しなかったんだよ!」
 「何だと・・・!?」
 「もうずっと前から、この大地は<誓い>が動かしていたんだ・・・馬鹿な人間共は、それにすら気付かず
踊らされていたのさ・・・そう、僕の様に優れた者だけが、自分で歴史を動かせるんだっ!!」
 そう言って瞬は<誓い>を掲げ、強大なオーラを展開する。
 まるで殺意がそのまま形を持ち、地獄の炎となって纏わりつくかのようだ・・・。

 「ユ、ユートさま!?」
 「手出しは無用だ・・・ヘリオンは、佳織を頼む。」
 「ふん、殺すなどと生温い事は言わん・・・疫病神め・・・僕の<誓い>で、塵になれ・・・!!」
 肉薄する瞬に、俺も<求め>の力を限界まで引き出す。
 そして俺達の、互いの命運を賭けた、負けられない闘いが始まった・・・。

 「悠人・・・お前は目障りなんだよっ!?・・・僕の前から消してやる!!!」

 以前戦った時よりも更に重い、<誓い>の一撃。
 これ程までに力を引き出す為に、瞬は何を捨てて来たのだろう。    
 狂気に濁った瞳からは、理性の輝きは感じられなかった。
 今のこいつは、完全に神剣に支配されてしまっているのだ。

 剣を交わす度に渦巻く、瞬と<誓い>への憎しみ。
 最早それが<求め>の干渉なのか、俺自身の感情なのか区別する事は出来なかった。
 だが俺は、そんな自分を遠くから眺める、もう一人の自分を感じていた。
 ――どうして俺達は、こんなにも憎しみ合っているのだろう。
 ・・・遠い昔在った事を、愚かにも繰り返しているような感覚・・・。
 それが黒く塗り潰されようとする俺の心を、押し止める最後のブレーキを為していた。

 視界の端に、この闘いを見守るヘリオンと佳織の姿が見える。
 そうだ、俺は瞬と同じ道を歩む訳には行かない。
 ・・・託されたいくつもの想い。
 今も俺を信じ、戦っているだろう仲間達。
 それに報いる為にも、俺は・・・。

 「・・・俺は、負ける訳にはいかない・・・神剣にも・・・瞬、お前にもだ!!!」

 自分の中に、<求め>とは違う誰かの意思が流れ込んで来るのを感じる。
 ――それはきっと、俺が忘れていたかつての自分。
 次の瞬間・・・鮮血が飛び、<求め>は瞬の身体を切り裂いていた・・・。

 「やったのか・・・?」

 手応えはあった・・・肉を抉り、骨を砕くあの感触。
 だがあれ程憎かった瞬に致命傷を与えた今、胸に去来するのはただ空しさ。
 狂喜する<求め>の感情も、俺の心を支配する事は出来なかった。
 「せめて、苦しまないように・・・終わらせてやるよ、瞬。」
 そうして<求め>を携え、俺は足を踏み出す。

 ――滅び行く瞬。
 その肉体からは金色のマナが立ち上り、霧となって消えていくだけの筈だった。
 しかしその時、研ぎ澄まされた感覚が異常を告げる。 
 「何だ・・・一体、何が起きているんだ!?」
 周囲に満ちていたマナが、急速に瞬に取り込まれていく・・・。
 それと同時に傷が癒え、体組織が造り換えられていった。
 事態を見て<求め>が、しきりに警鐘を鳴らし続ける。
 ・・・伝わってくるのは、恐怖。


 ――ヘリオンに守られながら、佳織は・・・。
 今まさに朽ちようとする瞬を見て、強い悲しみに囚われていた。
 ・・・先程から感じていた感覚。
 何故か争う二人の姿に、見た事もない、けれど懐かしい誰かの面影が重なる。
 次第に狂気に彩られていく瞬に、恐怖していた筈だった。
 しかし今、瀕死の重傷を負いながらも、自分を想い続けるあの男に感じるこの感覚は・・・!?

 「お願い・・・二人とも、もう止めてぇ・・・!!」

 「佳織!?・・・駄目だ、来るんじゃない!!」
 ヘリオンの脇をすり抜け、突然駆け寄る佳織。
 だが既に瞬は、気を逸らした悠人に向けて<誓い>を振り下ろす寸前だった!
 「隙があるぞぉっ、悠人ぉぉっっ・・・・!!」
 「しまった・・・!?」
 咄嗟に突き出す<求め>に、<誓い>が叩きつけられる。
 そして―――驚愕する悠人の目の前で―――嘘のように呆気なく、<求め>は折れ飛んだのだった。

 「なっ・・・!!」
 神剣の加護を失った悠人に、疲労が押し寄せ、戦う力が喪われていく。
 呆然とする悠人に、瞬が止めの一撃を・・・。

 「え?」
 「何!?」  

 何とその時、瞬が放ったその衝撃波は。
 ・・・悠人と佳織を大きく逸れて、二人の上に落ちてきた瓦礫の破片を砕いたのである。

 「・・・ユートさま、カオリさま!!」
 ヘリオンが駆け寄り、二人の前に出る。
 だが瞬は<誓い>を構えながらも、襲い掛かろうとはしなかった。
 <求め>を失った今、はっきりとは解らない。
 しかし悠人には、瞬の発する邪気も衰えているように感じられた。
 
 「佳織?・・・僕は・・・一体・・・。」


 目の前の瞬からは、あの暴君の気配は感じられない。
 「今の一撃・・・まさかお前、俺達を助けたのか?」
 信じ難いが、そう考える他ない。
 瞬が衝撃波を放たなければ、俺達は崩れた天井の下敷きになる所だった。
 佳織の叫び声が、<誓い>に支配された瞬の心に届いたのだろうか・・・。
 ・・・悠人がそう思ったその瞬間!

 「ぐぅ・・ぁ・・・<求め>・・・うぁ・・・・グァああああ!?」  
 一度は輝きが戻った瞬の瞳から、再び理性の光が失われていく。
 凄まじい光を放つ<誓い>が瞬の腕に融合していき、変貌を始める。
 同時に散らばった<求め>の破片が浮き出して、瞬の元に吸い出されていった。
 「秋月先輩!?」
 「近づくな!」
 手を差し伸べようとする佳織を、悠人が引き寄せる。
 「ぅぐぁぁああああああっっ・・!!!!!・・・ぞ・・ぞんな・・・ぐぉ、ぐぼぉるあああ!!!」
 「秋月・・・先・・輩・・?」
 
 「・・・ぐぉご、ぼ・・ぼク・・・は・・・・僕は・・・カヲ・・リ・・・・・を・・・・・・・。」

 この世の物とは思えぬ絶叫の後。
 辛うじて意味の取れる言葉を吐くと、それきり瞬は沈黙する。

 ――そうして、『彼』は誕生した。  

 「なん、だ・・・?」
 「う、嘘・・・こんな力・・・ど、どうか、どうかお二人は下がって!!」      
 ヘリオンが二人を制し、<失望>を構える。
 瞬から放たれる、今の悠人でさえはっきりと解る絶望的な力の奔流。
 ・・・果たして神剣を持つヘリオンは、どれ程の重圧を感じているのだろうか・・・。


 立ち尽くす悠人達の前で、変わり果てた瞬が哄笑を上げる。
 「クッ・・・フ、ハハハ・・・素晴らしい・・・これ程の・・・・これ程の歪みを抱えていたか!!」
 口元を歪め、紅い瞳を爛々とさせて笑い続ける瞬。
 その周りを、砕け散った<求め>の一部が六本の剣に変化して、悪魔の翼のように浮遊する。
 ・・・最早それは、同じ人間の姿とは思えなかった。 

 「お兄ちゃん、怖いよ・・・。」
 縋り付き、絶望に震える佳織。
 「・・・完全に神剣に取り込まれたか・・・お前は、<誓い>なのか?」
 悠人の問い掛けに、それまで全く三人を無視していた、瞬が嘲笑う。
 「フハハハ・・・<誓い>だと?・・・その様な存在ではない・・・。」
 「何・・・?」
 <誓い>ではない・・・だが断じてそれは瞬でも、ましてや<求め>でもなかった。
 悠人は未知の存在に恐怖しながらも、佳織を守ろうとする。

 (一体瞬に、何が起きたって言うんだ!?)

 「・・・私、また逢えて嬉しかった・・・だから最期までこうさせて・・・覚悟は、もうできたから。」
 強がってみせる佳織・・・だが俺は、こんな事を言わせる為に戦って来たんじゃない・・・。
 「佳織、そんな事を言うんじゃない・・・最後まで生きる事を諦めるな!」
 「お兄ちゃん・・・?」
 「諦めは覚悟なんかじゃない!・・・そんなの俺は認めない!!」
 そうして悠人は、柄だけになってしまった<求め>を握り締める。

 ・・・もう終わってしまったのか?
 あれ程<誓い>を憎んでいたくせに、あれで消えちまったって言うのかよ。
  
 「・・・おい、どうしたよ、今こそ根性見せてみやがれ・・・返事をしろよ、このバカ剣!!!」

 ――瞬が何気なく繰り出す一撃が、全てを打ち砕く衝撃となってヘリオンに襲いかかる。

 全身全霊を懸けても出来るのは、せめて力の方向を逸らす事だけ。
 ・・・ヘリオンは二人を庇い、圧倒的な力に耐えながら、あの夢を思い出していた。
 かつて<拘束>によって見せられた、瞬に敗れ、悠人を失うというあの悪夢を。
 状況は尚悪いが、これではまるで、あの夢の再現ではないか・・・。

 冷たい汗を流し、挫けかけるヘリオンを、<失望>が発する温かい熱が包む。
 相変わらず言葉こそ無かったが、それはまるでヘリオンを励ましているかのように感じた。
 (そうだよね、うん・・・ありがとう<失望>・・・またユートさまに、怒られるところだったよ)
 己を取り戻したヘリオンは、集中し、自分に眠る最後の力を引き出していく。
 そうだ、諦めは覚悟なんかじゃない・・・。

 「私は・・・私は決して、望みを失わない・・・!!!」

 瞬の攻撃の前に、遂に<失望>が亀裂を走らせる。
 しかしそれは<失望>を砕くには至らず、ヘリオンは尚も力を注ぎ続けた。
 既に限界はとうに超えていた・・・けれど、私は死ぬわけにはいかない。
 翼が黒化しようとも、例え精神が崩壊しようとも・・・。
 ・・・ユートさまを・・・カオリさまを、守りきってみせる・・・!!
 篭められた力の大きさに、エスペリアが結んだ髪紐が千切れ飛ぶ。
 その瞬間・・・最後の一線を超えようとするヘリオンに、何か大きな力が流れ込んでいった・・・。 

 瞬が止めのつもりで放った必殺の一撃を、辛うじて撥ね返す。     
 その代償に力尽き果て、倒れ伏すその背に降り注ぐのは、清く暖かな波動・・・。

 「もう大丈夫です、安らかに休みなさい・・・それにしても第九位の神剣で、まさか生まれ立てとは言え
エターナルの猛威に耐えるとは・・・貴女がいなければ、全ては終わっていましたね。」

 (誰だろう・・・もしかして、ハイペリアから迎えに来た天女様・・・・?)    
 涼しげに笑う、美しい女性・・・それが失われていく意識の中、ヘリオンが最後に見た映像だった。

 ・・・・。
 ・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・。

 「・・・あ痛たたた・・・・もう、朝か・・・。」

 目覚めと共に、全身に残る痛みに顔をしかめる。
 「やれやれ、俺って随分<求め>に頼り切ってたんだなぁ・・・。」
 だいぶ癒えたとはいえ、神剣の加護を失った俺は、傷が治るのも遅くなっていた。
 ・・・そう、今の俺の手元に、あのバカ剣はもうない。

 三日前、目が覚めたら英雄として祭り上げられていたのだが、ひどく妙な気分だった。
 何しろ俺自身が肝心の決着の瞬間を、全く覚えていなかったのだから。
 最後の闘いを目撃したエスペリアによれば、俺と瞬は相討ちになりかけ、俺だけが助かった。
 その際に<求め>と<誓い>は、共に消滅したのだと言う。
 長い戦いが終わったのだという実感は沸かなかったが、事実ラキオスには佳織が戻り、<求め>もこんな
小さな欠片になってしまったのだから、疑う理由は無かった。

 そして俺は、この欠片を持ってきた倉橋時深と名乗る少女を思い出す。
 巫女の様な装束に、日本名。初対面の筈なのに、どこかで会った事があるかの様な印象を受けた。
 何より驚いたのは、彼女が持つ神剣<時詠>には特殊な力があり、ヨーティアの科学力と併せる事によって、
俺達が元の世界へ帰る為の「門」を開く事が出来るのだと言う。

 「やっと帰れるんだな・・・。」
 知らず呟くが、予想した様な感慨は沸かなかった。
 本当ならこの降って沸いた幸運に喜んで良い筈なのに、何故かそうは思えない自分がいた。
 
 それはこの、胸にぽっかり穴が開いたような感覚と関係があるのだろうか・・・。


 「エトランジェ・ユート、どうしたのです?・・・今日は、貴方の為の宴だと言うのに。」
 戦勝を祝し、王城で催された華やかな宴の中、レスティーナが問いかける。
 「もしやまだ、傷が痛むのですか・・・?」 
 「ん?・・・あぁいや、そうじゃないんだ・・・何故か、気が乗らなくてさ。」
 言ってしまってから辺りを見回すが、幸い近くに家臣団はいないようだ。
 レスティーナも気兼ねがない為か、真摯に俺を心配してくれる。
 「そうですか・・・気詰まりなのも仕方がないかも知れません。こうして公式に、人とスピリットが同じ
テーブルを囲む事など、かつてなかった事ですから。」

 そうなのだ・・・レスティーナが掲げる、人とスピリットの共存。
 その第一歩として、スピリット隊の皆はあの戦いの最大の功労者として宴に招かれた。
 王宮の侍従達に傅かれて、エスペリアなどは却って恐縮していたっけ。
 オルファやネリーなどは相変わらずだが、いつも冷静なセリアやヒミカまでもが、慣れぬ応対におろおろ
していたのは微笑ましかった。
 だがそのめでたい席で、俺は一人浮いてしまって喧騒から離れていたのだ。
 そうしていても誰かが常に話し掛けて来たが、一緒に楽しもうという気にはなれなかった。

 「おい悠人、こっちに来いよ・・・って、いっけね。女王さんと話し中だったか?」
 「いえ、構いませんよ・・・やっと平穏を取り戻して、エトランジェの方々も積る話がある事でしょう。
・・・女王としての務めもある事ですし、それでは私は退散しますね。」 
 気を利かせたのか、そう言ってレスティーナは離れていく。
 「あちゃ~、悪いことしちまったかな・・・まあ仕方ない、せっかくの好意は受けておこう。」
 光陰は俺の腕を掴むと、半ば無理やり自分のテーブルに引っ張っていった。

 「・・・あ、お兄ちゃん!」
 「どうしたの悠、何だかしけた顔してるわねぇ・・・そりゃあ、これはラキオスの皆とのお別れ会も兼ねてる
訳だけど、あんたがそんなんじゃ、皆まで悲しくなっちゃうじゃないのさ。」        
 そう指摘する今日子も、何だか無理して笑っている様な気がした。

 「そ、そうだお兄ちゃん、まだほとんど食べてないんじゃない?・・・私が取ってあげるね。」
 佳織が引立てるように言い、料理を皿に取っていく。
 ・・・そうだな、うん。
 別れはつらいけど、兄としても何時までも、いじいじしては居られない。
 「ありがとう、佳織・・・って、こら、リクェムは入れるなよ!」
 「えー、ダメだよ~。せっかくのご馳走なんだから、ちゃんと食べなきゃ。」
 「何、あんたまだピーマンも食べられないの!?」
 「それはいかんな・・・この際だから、こっちに居る間に克服させてやろう。」
 そう言って佳織が持っていた皿に、リクェムを積み上げていく親友二人。
 お前ら・・・せっかくのご馳走だからこそ、好きな物だけ食っていたいんだが・・・。

 何とか俺も元気を取り戻し、ハイペリアに戻ったら何をしようかと言う様な事を話していると、ウルカと
ファーレーンの黒スピリットコンビがやって来た。
 「ユート殿、団欒の所申し訳ありませんが・・・これまでの礼と別れの挨拶を致したく、参りました。」
 「別に気にすること無いさ・・・でもファーレーンは、ニムと一緒に来ると思ってたな・・・そう言えば
二人が最後だけど、みんな色別に分かれてやって来た気がするんだが・・・何か意味でもあるのか?」  

 ふと気付いて、何気なく聞いたのだけれど・・・何故かそこで、一瞬場が静まり返ったように感じた。


 静寂を取り払ったのはファーレーンだった。
 「・・・ユート様とこうしてお話出来るのも、あと僅かですから・・・皆で話し合って、けじめを付ける為に
そうしたのです。今思い返してみると短い間でしたが、ユート様の下で働けた私は幸せでした。」
 「手前も同様です、まさに武人として本懐でありました・・・どうか故国に帰られましても、カオリ殿と二人
仲良く、健やかにお暮らし下さい・・・。」
 そう言って顔を伏せるウルカには、彼女らしくもない落ち込みが感じられた。
 「ああ、ありがとう二人とも・・・けれど、何か忘れてる気がするんだが・・・。」
 俺の言葉に、わずかではあるが、確かに動揺するウルカとファーレーン。
 見れば光陰や今日子、佳織までもが俺の様子を伺っているようだった。

 「どうしたんだ皆?・・・ああ、そうだ思い出した!」
 「「「!」」」
 「・・・そう言えば、イオとヨーティアに会ってないんだよ・・・あの時深という女の人もいないな。」
 「そ、そのお三方の事でしたか・・・。」
 「ん?」
 何だか気が抜けたような声で、ウルカが言う。
 ファーレーンが、それを引き継いで答える。
 「イオ様とヨーティア様、そして時トキミ様は現在、皆様がハイペリアに帰られる為の<時空間転移装置>の
開発に携わっておられます・・・せっかくの宴に顔を出せない事を、詫びておられました。」
 「そうだったのか・・・俺達の為に悪い事しちゃったなぁ。」
 「そ、そうねぇ・・・でもヨーティアさんって、こう言う改まった場って嫌いそうだし。」
 「それもそうかもな。」
 「まあ悠人、帰る前にお礼を言う機会もあるんだし、別れの挨拶はその時にしようじゃないか。」
 
 そうして光陰は飲み物を勧めるのだが、その雰囲気に俺はどこか居心地の悪い思いをしたのだった。

 ・・・夕焼け空を眺めながら、一人思う。
 あれから数日が過ぎ、ヨーティアによればもうすぐ<時空間転移装置>は完成するらしい。
 皆は良くしてくれるが、俺はどこか腫れ物に触るようなその態度に、釈然としない物を感じていた。
 失った記憶はまだ戻らず、胸の虚脱感も埋まらない。
 そうして<求め>のペンダントを眺めていると、いつの間にかやって来た佳織が話しかけてきた。

 「お兄ちゃん、ちょっといいかな?」 
 「うわ!・・・な、なんだいきなり?」
 慌ててペンダントを後ろに隠す。
 佳織にプレゼントするつもりでアセリアに造って貰った物だが、やはり段取りと言う物があるだろう。
 我ながら不自然な対応だと思ったが、佳織は気にせずに話し続けた。

 「うん・・・実はね、お兄ちゃんに大事な話があるんだ。」
 「大事な話・・・?」
 「そう、とても大事な話・・・・・私ね、お兄ちゃんが好きだったの。」
 「何を今更・・・。」
 「・・・それも妹としてじゃなくて、一人の女の子として。」
 「い、一体!?」
 突然の告白に俺は動揺するが、佳織の表情は真剣そのものだった。 

 「ずっと好きだった・・・・好きでたまらなくて、でも妹としての、自分の立場を壊したくなくて・・・。
ずっと悩んでいたけれど、でもね・・・あの時思い出したの・・・私は秋月先輩も、好きだったんだって。」
 「な!?」
 その瞬間・・・自分を好きだったと告白された時以上の衝撃が、俺を貫く。
 まさか佳織が、あの瞬を好きだったって・・・?


 「大きくなってからは、少し怖かったけど・・・私にだけは、優しかったし・・・。」
 余りのショックに真っ白になった俺を前に、佳織の独白は続く。
 「私達・・・すっごく小さい時は、本当に仲良しだったんだ・・・毎日一緒に遊んで、笑い転げて・・・
でもどうしてかな、たぶん飛行機事故の頃までは覚えてたのに、すっかり忘れてた・・・これじゃ秋月先輩も、
がっかりするの当然だよね・・・私、いつかこの人の、お嫁さんになるんだって思ってたのに・・・。」

 「か、佳織も小さかったからな・・・それはたぶん、事故のショックかそれとも――」
 ――<求め>の干渉で・・・口にしかけた想像を、慌てて飲み込む。
 すると何か、俺が<求め>と契約したせいで、佳織はその事を忘れ、瞬の奴もあんな風に・・・。
 『お前は佳織に取っての疫病神なんだよ。』
 ・・・瞬がいつか投げ掛けた言葉が蘇る。
 打ちのめされる俺を、佳織はそっと抱きしめて囁いた。

 「ごめんねお兄ちゃん、こんな事言っちゃって・・・お兄ちゃんは悪くないの、きっと私がもっとずっと
強ければ、お兄ちゃんも秋月先輩も・・・今日ちゃんや碧先輩だって、苦しまなくて済んだ筈なのに。」
 「佳織・・・?」
 「私、もう負けない・・・この世界に来てから、悲しい事もいっぱいあったけれど・・・いろんな人に
出会って、助けられて・・・私も少しだけ、強くなれたと思うから・・・だからお兄ちゃん、もう私の為に、
自分を殺すような事をしないで・・・お兄ちゃんの幸せの為に、愛する人の為に生きて!!」
 そうして佳織は、最後に呆然とする俺を強く抱きしめると、涙を拭いて走り去ったのだった。

 「愛する人の為に・・・?」
 佳織の言っている事が解らなかった。
 こうしてやっと再会して、皆で元の世界に帰れる時が来たというのに・・・。

 その日の夜・・・。

 これまでの出来事を思い返しながら、俺は渡しそびれた<求め>のペンダントを眺め続ける。   
 『お兄ちゃんの幸せの為に、愛する人の為に生きて!!』
 佳織のあの言葉、そして失われた記憶。
 ・・・俺は一体、何を忘れているんだ・・・?
 そして瞬と対決した時の事を思い起こし、再びペンダントを掲げた時・・・!!
 
 『――汝はまだ、契約を果たしてはいない。』

 脳裏に流れる微かな、しかし確かな<求め>の意識。    
 ――同時に俺は、忘れていた全てを思い出した。

 <誓い>と<求め>を取り込んで、変貌を遂げた瞬と、絶対的な力を持つ永遠神剣<世界>。
 そして<世界>と渡り合う力を持った不思議な少女、時深の正体。
 二人のエターナルの出現は、俺の想像を超えた出来事だった。
 ・・・だが、そんな事よりも。
 俺と佳織を庇い、単身<世界>を持つ瞬へと立ち向かったあの愛しい少女は。

 「ヘリオンは一体、どうなったんだ・・・!?」

 頭脳を総動員するが、どう穿り返して見てもヘリオンがどうなったのか記憶はない。
 俺も佳織も、瞬が去った後すぐに気絶してしまったのだ・・・。
 記憶を消し去ったのは時深だろう。
 けれど何故ヘリオンの記憶まで、消し去る必要があったんだ?
 目覚めてからの皆の態度を思い返すに、忘れていたのは俺だけだったようだ。

 ・・・・・まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか・・・!!!?

 「光陰!!・・・何故黙っていた・・・ヘリオンは今、どこに居るんだ!?」

 ――時間帯や人の迷惑など関係なく。
 気が付くと俺は、第三詰所の門を叩いていた。
 もしエトランジェだった頃の力が俺にあれば、門を叩き破って侵入していただろう。
 俺が訪ねることを、予想していたのかも知れない。
 ・・・間も無く光陰と今日子の二人が、重い戸を開いて現れた。
 
 「やっぱり思い出しちまったか・・・でも悠人、時深さんもお前の為を思ったからこそ・・・。」
 「何が俺の為だ!・・・あの後何が起こったって言うんだ!?」
 「つまりだな、ヘリオンは・・・。」
 「ヘリオンは・・・ヘリオンは一体!?」
 「あーもう、少しは落ち着きなさいよね!!」

――バコォォォン!!

 光陰の襟を掴み、食って掛かる俺の後頭部に、今日子のハリセンが炸裂する。
 そして今日子は顔をしかめる俺の腕を掴むと、無理やり自分の方を向かせて言う。
 「安心しなさい、悠・・・ヘリオンは無事よ。」
 「ほ、本当か!?」
 「・・・ああ、少なくとも命に別状は無い。詳しい事は本人に聞くんだな。」
 「少なくともって・・・。」
 「ヘリオンは、今はヨーティアさんの研究所にいるわ・・・早く会って、元気付けてあげなよ。」
 「あ、ああ・・・それじゃ今から行ってみる・・・ありがとな、光陰、今日子!」

 ・・・思えばこの時二人は既に、ファンタズマゴリアに残り戦う決心をしていたのだろう。
 だが俺は迫る脅威や自分の事よりもまず、ヘリオンが心配で駆け続けた。
 ヘリオンが無事でいたのなら何故、時深は俺の記憶から消したりなんてしたんだ・・・?

 「・・・大天才の睡眠を妨害するなど、本来なら許されない暴挙なんだが・・・。」     
 そう言いながらもヨーティアは、俺の顔を見るとにやにやしながらヘリオンの寝室へ案内してくれた。
 「悪いな、ヨーティア・・・でも、ヘリオンは本当に無事なんだな?」
 「勿論さ、一時期危険な状態にあったのは事実だがね・・・この私とトキミ殿が、不眠不休で治療に当った
んだ。助からない訳が無いさ・・・それじゃ私は寝るから、後は適当にやってくれ。」
 そうして手を振るヨーティアを見送ると、俺は震える手でそのドアを開けたのだった。

 「・・・ユ、ユートさま!?」
 そう言って目を見開いて、ベッドから身を起こすのは・・・。
 間違いなく、あの気弱な所はあるが芯は強く、真面目で心優しい・・・俺が愛した少女だった。
 「そ、そんなまさか、どうして?・・・ユートさまは、もう・・・。」
 「・・・もう、ヘリオンの事を忘れてしまったはずだって?」

 ヘリオンは、生きていた・・・少しやつれてしまって、いつもより余計にちっちゃく見えたが。
 声を聞いた途端、俺は堪え切れなくなって、思わずヘリオンを抱きしめる。
 「バカだな・・・俺が、ヘリオンの事を忘れてしまえる訳ないだろう・・・。」
 「・・・!」
 「本当に、無事で良かった・・・本当に・・・。」
 「ユート・・さま・・・。」

 感動の余り、俺は泣いてしまいそうになったのだが。
 その直後別の理由により、心底本当に涙が出そうになった。  
 「いっ!?」
 「ユート様・・・怪我人の身でそんなに強く抱擁されては、ヘリオン様がお可哀想です。」
 いつの間にか背後に立ち、俺の背中を思いっきり抓り上げてイオが言う。
 「そ、そうだな。悪かったヘリオン・・・。」 
 「い、いえ・・・。」

 素直に謝る俺だったが、今のは絶対にやっかみ半分だった様な気がするぞ、イオ・・・。


 そうして改めて、俺はイオにヘリオンの具合について尋ねた。
 瞬の<世界>から俺達を庇う為に、ヘリオンは自分の力の全てを使い果たした。
 その為エスペリア達が駆けつけた時には、翼はほとんど黒化し、神剣に取り込まれる寸前だったと言う。
 ヨーティアと時深の治療により自我は取り戻していたが、<失望>には亀裂が入り、<世界>によって
深く傷つけられた身体は、完全に治るまで何年かかるか解らないのと言うのが現状だった。

 ・・・そして明かされる、もう一つの事実。
 記憶を取り戻した俺は、自分もエターナルになれるかどうか、時深に尋ねるつもりでいた。
 だがもし俺がエターナルになれば、ヘリオンや皆の記憶から、俺は消えてしまうのだと言う。
 いや記憶だけではない、俺が存在したという、痕跡そのものが。
 それは時深が施した記憶操作などとは全く違う、完全な別離・・・。

 「・・・だから時深は、俺からヘリオンの記憶を、瞬の記憶と一緒に消したって言うのか・・・。」
 「トキミ様は、私が無事に自分を取り戻せたら、私に関する記憶は戻すつもりだったそうです・・・でも
私が、そのままにして下さいって御願いしたんです・・・このままじゃ、私はお荷物だから・・・。」
 俺達がヘリオンと共にハイペリアに帰る事ができたのならば、違う選択肢もあったのかも知れない。
 だがスピリットであるヘリオンは、マナの薄いハイペリアでは特殊な結界でもない限り生きられない。
 ましてや今の弱っている身体でこの世界を離れる事は、自殺行為にも等しいのだと言う。

 「自分の記憶さえ無ければ、ユート様は安全なハイペリアに戻り天寿を全うする事ができるだろう・・・。
例えファンタズマゴリアが滅び、死ぬ事となっても、最期まで愛する人の思い出と共に在りたい・・・そう
考えられたヘリオン様のお気持ち、どうかお汲み取り下さい。」
 イオが代弁するが、ヘリオンの気持ちは痛いほど良く解った。

 ・・・でも、それでも俺は・・・。


 「・・・俺の我侭かも知れないけれど・・・こうして記憶を取り戻してしまった以上、俺は見て見ぬ振りは出来
ない・・・もしも俺に出来る事があるのなら・・・ヘリオンが俺の無事を願ってくれたように、俺もヘリオンや
イオや、他の皆を・・・そして俺達が生まれた二つの世界を守る為の、力に成りたいと思う。」
 俺の手で幸せにしてやる事は出来ないかも知れない。
 それでも俺は、ヘリオンに生きていて欲しかった。

 「わ、私は・・・私は・・・・。」
 言葉にしようとして果たせず、イオが差し出した水を飲みながら、ようやく落ち着くヘリオン。
 ・・・辛くない筈はないだろう。
 それでも、ヘリオンは最後には、にっこりと笑って頷いてくれた。
 「私はこうしてもう一度、ユートさまにお逢いできただけで満足です・・・私にとって、これ以上の幸せなんて
ないんですから・・・だから・・・だからユートさまは、ご自分の信じる道を進んで下さい。」
 「・・・・・。」
 「そ、それに・・・トキミさまの秘術を打ち破る程に、ユートさまが私を想っていて下さったなんて・・・。
・・・そう考えるだけで、心が舞い上がりそうになっちゃうんです・・・私は、例えこれからユートさまを忘れて
しまったとしても・・・きっと、もう一度ユートさまを好きになります・・・そんな気がするんです。」
 頬を紅くしながら、涙ぐみながら・・・それでもつっかえつっかえ、明るい声で訴えるヘリオン。
 それを見て感極まったのか、目尻を押さえながらイオが言う。

 「そうですね・・・最初からこうなる事は解っていたのかも知れません・・・ユート様の意思の強さと、ヘリオン様
への想いの深さを思えば、避けられない事だったのかも知れませんね・・・。」

 「まあ、俺も・・・<求め>の欠片に残った僅かな意識に導かれて、記憶を取り戻したんだけどな。」
 俺はそんな上等な人間じゃない・・・余りに褒め上げられるのが面映くて、そう言ったのだが・・・。
 二人はきょとんとして、それから妙に納得したような表情になった。
 ・・・な、なんだろうこれは・・・がっかりさせてしまったと言うのでも無さそうだし・・・。

 言葉を捜している内に、ヘリオンが呟くが・・・それは俺にとっても、驚くべき事実だった。
 「そうでしたか、ユートさまも・・・実は私も、あの時<求め>に助けて貰ったんです。」
 「え?」
 「シュンの攻撃に耐えていた時・・・<世界>がまだ吸収しきれてなかった、<求め>の力の一部が
流れ込んで来て・・・限界を超えようとしていた私は、危うい所で神剣に呑まれずに済んだんです。」
 「トキミ様も驚いておられました・・・そうでなければ第九位の<失望>が、エターナルの攻撃を凌ぐ
事など出来なかっただろうと・・・今の<失望>からは第五位の下級、第六位の上級に匹敵する力を感じ
ます・・・もっとも刀身に亀裂が入った今の状態では、ヘリオン様が五体満足でも用は為さないでしょうが。」

 「そんな事が・・・苦しめられてばかりだったけど、もしかしてあいつ、いい奴だったのかな・・・。」
 そうして俺は、鞘に収められた<失望>を眺め、あの戦友を思い返した。
 <失望>に吸収されてしまった今でも、少しくらいは<求め>の意識も残っているのだろうか?
 今の俺に解るはずもなかったが、何となくあいつが、『これも酔狂だ』と笑った気がした。
 
 「・・・それでは私はこれで失礼致しますが・・・ユート様、少し宜しいでしょうか。」
 間も無くしてイオは席を立つと、俺を手招きしてそっと囁いた。
 『・・・ヘリオン様は怪我人なのですから、無茶は為さらず優しくして差し上げて下さいね・・・それと
できるだけ、包帯は外さないように御願いします。では、後はお二人でどうぞ・・・。』
 少し遅れてその意味する所に気付き、硬直する・・・我に返った時には、既にイオの姿は無かった。  
 
 ・・・気付けば夜の寝室で、ヘリオンと二人きりになっていた。
 こうして俺の人間としての、最後の夜は過ぎて行ったのである・・・。