代償

Ⅰ-2

援軍の到着とともに、形勢は逆転した。敵はアキラィスに逐次撤退していった。
しかし、援軍も含め、ラキオス軍はラースで足止めをする事になった。
悠人の様子がおかしいことに気付いたエスペリアが、部隊に進軍停止を命じたのだ。
度重なる戦闘で、悠人の精神は神剣に取り込まれる寸前になっていた。
今これ以上無理をしては完全に『求め』と同化してしまう。
退却していく部隊に対して追撃し戦果を拡大させるのが戦術の基本だが、この場合は隊長である悠人がその足を引っ張る形となった。

「…………ふぅっ。」
その夜。やっと収まった『求め』の干渉にほっとしながら、悠人は立ち上がった。
昼間の戦闘で傷ついたネリーとシアーの見舞いに行こうと思ったのだ。
それに少なからず、二人には辛く当たっていた。それも謝らなければ。
謝るなら早い方がいい。それに、聞きたいこともあった。

コン、コン。
「はーい、どうぞー!」
「よう、ネリー。シアーの様子はどうだ?」
「あ、ユート。うん、まだ寝てるけど、大丈夫だよ。ユートはもうへーきなのー?」
「ああ、もう大丈夫だ……って、知ってるのか?その……俺が、神剣をうまく使いこなしていない事を。」
ごまかしながらベッドの脇にある椅子に座ってみるが、いきなりネリーに今の状態を言い当てられてちょっと動揺していた。
シアーはすやすやと寝息を立てている。まだところどころ傷があるものの、まずは大丈夫そうだ。悠人は安心の溜息をついた。
その様子を隣で見ていたネリーがにこにこしながら答える。
「へへー。ネリーは物知りだって言ったでしょー。ユートはえとらんじぇだから、ネリー達より剣の扱いがへたっぴぃなんだよね!」
「……そうか。だけど昼間はごめんな。どなったりして。」
「えっ?いいよー、そんなの。気にしてないってー。」
えへへーと笑いながらぶんぶん首を横に回す。遅れて揺れる長いポニーテール。
よく見るとネリーもところどころかすり傷だらけだった。
それでも満面笑顔のネリーに、悠人は一瞬ドキリとして思わず視線を逸らす。
「いや、でも、それでもやっぱりすまなかった。これからは気を付けるからかんべんな。」
突然頭を下げる悠人にネリーは照れたのかあたふたと両手を前に突き出し振り回していた。
「やだなーもう、いいんだってばー。イイオンナはそんなこと気にしないんだよー!」


そんなやり取りの後、悠人は聞きたかった質問をネリーにぶつけてみた。
「それで、ネリー。なんでシアーは攻撃が出来ないんだ?」
あらたまった悠人の問い掛けに少し首を傾げたネリーは人差し指をあごに当てて考えつつ答える。
「え?うーん、えっとねー。出来ないんじゃなくて、したことがないんだよ、シアーは。いつも一緒だからネリーが攻撃してれば良かったし。
 それにネリー、でぃふぇんすとか苦手だし、おねえちゃんだからシアーを守らなきゃだし。ヘヘっ。」
「ああ、昼間もそんなこと言ってたな・・・・・・。でもそれってネリーが苦手だからシアーがフォローしてるってことにならないか?
 別にシアーが攻撃出来ない理由にはならないだろ?一度試してみてもいいんじゃないか?」
ネリーの言い分も間違ってはいないが、なんとなく説明になっていない。何か他に理由でもあるのだろうか?
悠人の素朴な疑問に、ネリーはなぜか突然口籠もった。こころなしか笑顔もやや引きつっている様だ。
「…………?」
「うっ……違うよー。ネリーの方が……」
そこまで言いかけた所で、はっと口を押さえてシアーの様子を見る。
起こさなかった事を確認した後悠人に向き直った時、彼女の瞳は真剣だった。
「おい、どうしたんだ一体……」
「ユート、ちょっと外にいこーか。」
「は?おい、ちょっと引っ張るなって……」
悠人はよくわからないままネリーに引き摺られて部屋を後にした。

悠人が引っ張ってこられたのは宿舎の裏を抜けてすぐにある、リュケイレムの森の入り口だった。
いつの間にか通り雨でも降っていたのだろうか、地面がしっとりと湿っている。
足音がしないせいだろうか、辺りは完全に静まり返っていた。時折遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
あれはなんという鳥なんだろう…………分かる筈もないのだが、なんとなくそんな事を考えてみる。
いや第一、ここには鳥なんて生き物がいるのか?でもじゃあ鳴いているのはなんなんだろう…………
時折吹く風が木々の葉を揺らしてかさかさと響く。顔に感じる夜の風は、湿り気を帯びて少し重かった。
前を歩くネリーの後姿がどんどん森の中を進んでいく。先程から何度か話しかけてみたのだが、その度に沈黙で返された。
その後ろ姿から感じさせるプレッシャーに負け、あきらめて悠人は黙ってネリーに付いて行った。

しばらくして、歩みと共に揺れていたポニーテールがぴたりと止まった。どうやらここが終点のようだ。
傍にある大木にそっと触れ、目を閉じている。悠人はその様子をただじっと見ていた。やがて静かにネリーの口が開く。
「ここはね、ネリーとシアーが初めて『居た』ところ。」
懐かしそうに木を撫でながら、ネリーはそう小さく呟いた。
そしてゆっくりと悠人に振り向く。真っ直ぐに悠人を見つめるその視線にいつもと違う雰囲気を感じ、悠人はただ頷いた。
それを確認し、ネリーが続ける。
「ネリー達は気付いたらここにいたの。二人ともただ神剣を握ってた。それから、ずっと一緒。二人でずっとここで暮らしてたんだ。
 姉妹だってことは何となく分かってた。だって姉妹だもん。最初はどっちがおねえちゃんか、分からなかったんだ。
 でもね、あの頃はそんなことどうでも良かった。お腹がすけば交代で木の実とか取ってきて、仲良く分けて食べてたんだ。
 寝る時もいつも一緒だし、遊ぶのも一緒。ラキオスにいくまで、そうやって過ごして来たんだ、ここで。」
ネリーはそこで一息ついて、また大木に視線を移した。平和だった時に想いをはせている優しい視線。
拙いながらも一生懸命に語るネリーの普段と違った一面を見せられて、悠人はまた胸が弾むのを感じていた。

その日は一日中雨が降り続いていた。
二人で住む事に決めた小さい洞窟の中。ネリーは朝から熱を出して寝込んでいた。
『大丈夫?ネリーちゃん…………』
傍らで看病しているシアーが不安そうに話し掛ける。しかしうなされているのか、返事は返ってこない。
『はぁ、はぁ、はぁ……』
『ネリーちゃん……ちょっと待っててね……』
やがてシアーは洞窟を出て行った。傍らに『孤独』を携えて。しばらくして目を覚ますネリー。
『?シアー?いないの……シアー?』
僅かに動かせる首をひねって懸命に呼びかける。答えてくれるのは沈黙だけ。雨の音だけがやけに大きく聞こえた。
ふいに孤独感が押し寄せてくる。世界でたった一人になってしまったような感覚。視界がぼやける。
泣いちゃだめ。泣いたら弱虫になっちゃう。弱虫は嫌われるから。そしたらシアーがホントにいなくなっちゃう…………
『シアー、シアー、シアー…………』
膝を抱えて懸命に耐える。……自分は置いていかれたのだろうか?…………
そんな考えがよぎる頃、外からかすかな物音が聞こえた。
『シアー?』
雨に燻ぶった洞窟の入り口。そこには大きな獲物を抱えたシアーが虚ろな目をして立っていた。
何か元気のつくものをネリーに食べさせたい、と思ったのだろう。
今まで危険なので避けていたその大きな動物を取ってきてくれたのだ。もちろん、『孤独』を振るって。

懐かしい思い出を語るネリーの瞳が、そこで初めて辛そうに歪んだ。
「…………でもね、そのときシアーは半分シアーじゃなかったんだ……」
「!それってもしかして…………!」
悠人が初めて口を挟む。ネリーはこくり、と頷くと、予想通りの答えを続けた。
「うん、わかんないんだ、ホントは。シアーがネリーより飲まれやすいのか、『孤独』が『静寂』より強いのか。
 でも、それから暫くの間、シアーは一言もなにも喋ってくれなかった。
 それまでも無口な方だったけど、今度はホントに一言も喋ってくれなかった。返事もしてくれなかった。
 何日も、何日も。すごく、すごく寂しかった。すごくすごく、悲しかったんだ。
 だって、二人なのに一人なんだよ。一人ぼっちだったんだよ…………。」
ネリーはそこで自分自身を抱き締めるようにして話し続けた。
「何日かして、やっと一言、『おはよう、ネリーちゃん』って言われた時、だからネリー、大声で泣いちゃったんだよ。」
エヘヘッと寂しそうに微笑む。しかしその笑顔は上手くいかず、目尻からは涙がこぼれ始めていた。
「だからね、ネリー、それから決めてるんだ。もう絶対シアーに敵を倒させないって。
 ネリーがシアーのおねえちゃんになるんだって。おねえちゃんになってネリーがシアーを守るんだって。
 敵からも、『孤独』からも。だって、そうしないとシアーがまたいなくなっちゃうもん。そんなのヤダもん…………」
必死に感情を抑えようとしても嗚咽を隠し切れずにぽろぽろと涙をこぼす姿には、
もはやいつもの元気なネリーの面影はなかった。
そこにいるのはただ、独りになるのを恐れるひどく危うげな少女。
その心細さを明るさという隠れ蓑で今まで頑張ってきたのだ。今のネリーは普段からは想像も出来ない程儚く見えた。
そう思うのと手を伸ばすのと、どちらが先だったのかわからない。悠人はいつの間にかネリーを抱き締めていた。
子供をあやすように、優しく背中をぽんぽんと叩きながら話しかける。
「ユート…………?」
「辛い事思い出させてごめんな。ネリーは立派なお姉ちゃんだ、俺が保障するよ。
 でもな、ネリーも我慢する事はないんだ。泣きたいなら……」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
最後まで聞かず、ネリーは堰切るように泣き出していた。擦り傷だらけの両手を、悠人の背中に回して。
くしゃくしゃになった顔を悠人の胸に押し付けながら。悠人はネリーが泣き止むまで、ずっとその頭を撫ぜていた。


しばらくして泣き止んだネリーをそっと離すと、ネリーは慌てて勢いよく目をゴシゴシと擦った。
「もー、ネリー、こんなに泣き虫じゃないんだからねー。悔しいなー。」
言い訳をしているネリーに苦笑いをしながら悠人が答える。
「はは。でも、シアーのことは分かったよ。攻撃はさせない。俺とネリーでカバーしていこう。
 ただ、なるべく俺がディフェンスな。これ以上こんなイイオンナを傷だらけにしたくないし、な。」
そう言って悠人はネリーの腕を優しく取った。
きょとん、としていたネリーの顔がたちまち真っ赤になる。
「え?え?こ、こんなの大したことないよー、こんなのおねえちゃんなんだから当然なんだってば!
 …………って、その……また一緒に戦ってくれる、の……?」
上目遣いでそっと訊ねてくる。そのしおらしさに悠人はぷっと吹きだし、冗談っぽく言った。
「ああ、攻撃は頼むぜ、おねえちゃん。俺も出来るだけ攻撃するようにするけど、ほら、こいつもうるさいからさ。」
傍らの『求め』をかざして見る。今は大人しいその剣。
「もう、ユートってば、からかうなー!…………でも」
可愛い舌をちょっと出して怒ったふりをしたその後。目尻にはまだ少し涙を残した満面の笑顔で。

「ユートは、だいじょうぶだよ!」

ネリーははっきりとそう言った。繋いだ手をぎゅっと握り返されて、今度は悠人が赤くなる番だった。
「あ、それからシアーにはこのことはないしょだからね…………シアー、そのときのこと、憶えてないんだ。」
こんなこと話したの、ユートが初めてなんだよ、と微笑む。
「…………ああ、わかったよ、二人だけの秘密、だな。」
動揺を隠しつつなんとか返事を返した悠人に少し頬を染めたネリーが元気よく答える。
「へへっ…………さ、かえろ!」
そういって森の出口に向けて歩き出した。もちろん、手をしっかりと繋いだまま。温もりが、心地よかった。