代償

Ⅱ-1

「お、あれは…………おーいシアー、なにしてるんだ?」
「え、あ、ユ、ユート……あのね、あの…………」
戦いの合間、散歩を兼ねた偵察の最中、悠人は珍しく一人でいるシアーを見つけ、声をかけていた。
それは普段は誰も足を向けることは無いであろうモジノセラ湿地帯の片隅。
ただでさえ敵陣の真っ只中の上、ここはエーテルの動きが不安定で有名な場所だ。
そこでシアーは、しゃがみ込んでじっと何かを見ていた。
「こんなとこにいちゃあぶないぞ。今日はネリーは一緒じゃないのか?」
「う、うん。ごめんなさい、ネリーちゃんとはその、はぐれちゃって…………」
「いや、別に謝るほどじゃないけどな……なに見てたんだ?」
「え……?あ、えっと、これ…………」
あたふたと自分がいた場所を少し開ける。その小動物みたいな動きに苦笑しながら悠人もしゃがみ込んで覗き込んでみる。
「……へぇ…………」
するとそこでは二匹のエヒグゥが寄り添うように眠っていた。
眠っているせいで警戒心が薄れているのか、逃げ出そうともせずじっとしている。
「珍しいな、コレ。見つけたのか?」
エヒグゥを起こさないように小声で訊ねる。するとシアーは恥ずかしそうにコクンと頷いて話し始めた。
「うん…………でも気付いたらネリーちゃんいなくなっちゃって……でも気になって…………」
そういうと、またエヒグゥに目を移す。その横顔を見て悠人は思わずドキリとした。
考えてみればこんな近くでシアーを見たことはなかったが、例に漏れずシアーもいわゆる美少女である。
細く長い睫毛とかさらっとした青いストレートヘアーとか整った顔立ちとか、悠人が見とれる要素は十分概ね備えていた。
(…………?)
突然黙り込んでしまった悠人にシアーはちらりと様子を窺う。しかしすぐ自分が見つめられていると気付き、慌てて視線をエヒグゥに戻した。
心なしか、この雰囲気にシアーも緊張している様だ。
すると風のそよぎ以外なにも感じられない沼のほとりで女の子と二人きりという状況が改めて悠人の頭に認識される。
そういえば、こんなにシアーと話したこと、なかったよな……いつもネリーの後ろに隠れてたし………………
そんな事を考えつつ無意識にシアーの髪に触れそうになった悠人は慌てて手を引っ込め、エヒグゥに目を移した。
「そういえばこいつら、ネリーとシアーみたいだもんな…………メスかな?」
この空気をなんとかしようと冗談まじりに呟いてみる。案の定シアーはぷぅっと膨れて悠人を睨みつけていた。
「もー、なんでそんなこというかな、ユートは…………恥ずかしいよ…………」
そう言ってすぐ目をそらす。頬が真っ赤になっていたが怒っている様子はない。
「ごめんごめん。でも、そうしてむくれると、ホント、ネリーみたいだな。さすが双子だよ。」
言って、こんどこそわしゃわしゃとシアーの頭を撫ぜてみる。
「や!もー、ユートの、ばかー。」
口ではそういうものの、嫌がっている様子もなくシアーはされるがままになっていた。
すやすやと眠るエヒグゥの前でじゃれている二人には、先程の変な雰囲気はいつの間にかすっかり無くなっていた。


悠人達ラキオス軍は、バートバルトの仮宿舎に駐屯していた。
あの日以来めっきり元気になったネリーに引きずられた訳ではないだろうが進軍は順調に進み、
マナの変動が激しいミスル平原を無事に突破してここバートバルトに辿り着いたのだ。
幸い住人達は今までの圧政に苦しんでいたのか、悠人達を快く受け入れてくれていた。
ここまで来れば首都サルドバルトまではあと少し。そこで部隊は英気を養う意味での小休止を取る事になった。
そんなある日の事。
悠人が暇を持て余して仮宿舎の廊下を歩いていると、厨房の方からなにやら楽しげな声が聞こえてくる。
なんだろう、と思いそっと覗き込んでみると、ネリーとシアーが夢中でなにかをやっていた。

「あっ、シアー、それはまだ入れちゃダメだよー。それは隠し味なんだからー。」
「えっ?えっ?そーなの?でも、エスペリアさんが、ここでって…………」
「いーんだって!後で入れた方がぜったいオイシクなるんだから!」
「う、うん……そーなのかな……?」
「そうそう、それから、こ、こ、で…………」
「お前ら、何してるんだ?」
「わっ!!ユート、い、いつからいたの?」
「ユ、ユート……びっくりしたー」
「いつって今だけど…………なんだ、なんか作ってるのか?」
そう言って二人の手元を覗き込もうとする。と、ネリーとシアーがまるで戦闘中みたいな素早さで通せんぼをした。
「……えっと……?」
「え、えへへ…………」
「ユ、ユートは、だめ!」
「……………………」
引きつったネリーの笑顔と既に涙目のシアーになにやら不審なモノを感じ、横から覗こうとする。
すると同じ体勢のままネリーとシアーの体も素早く横に移動していた。
ネリーはともかくシアーに至っては普段からはとても考えられない素早さだ。
(ああ…………)
強烈なデジャビュー。確か前の世界でもこんな事があった。そう、あれは佳織が初めて料理を作っていた時だ。
そしてその時も、悠人はこう言って佳織を困らせたのだ。
「…………ふう、わかったよ。俺は仲間はずれ、って訳だな。…………はぁ………………」

遠い目をしつつ大げさに溜息をついてみせる。
もちろん演技だったが、予想通りそれは絶大な効果があった。たちまち二人が慌て始める。
「そ、そんなことないよ、そんなことないんだけど、えと、その……そ、そう!
 エスペリアに料理を教わって、それでいろいろ試してみてたんだ!」
「う、うん、そうなの、それで、ネリーちゃんと、二人でユートにご飯を作ってあげたいねって……」
「あーーーーーーーーーー!!!!!シアー、それ言っちゃだめだってばーーーーーーー!!!」
「え?あ、あ、ちがうの、えっと、えっと…………」
「………………」
あっけなく口を割ったネリーとシアーの予想外な告白に、今度は悠人が照れる番だった。
「…………つまり、俺に飯を作ってくれるって事?」
「………………(コクッ)」
「………………(コクッ)」
瞬間湯沸かし器もかくやという様子で、真っ赤になって二人同時に頷く。
もじもじと手をすり合わせているその仕草に激しく父性愛を刺激されてしまった悠人は優しく二人の頭にぽんっと手を載せて言った。
「ありがとな、楽しみに待ってるよ。」
その瞬間、ネリーとシアーの顔にぱぁっと浮かぶ満面の笑顔。
「………………う、うん!ネリー、頑張るからね!」
「うん!待っててね、ユート!」
「ああ、とびっきり旨いのを頼むぜ。それまで腹減らししてるからさ。」
心の動悸を悟られまいとさわやかに厨房を後にしてみる。しかし、直後に聞こえてくる悲鳴がお約束だった。
「あーーーーー!!!なんか、煙が出てるーーーーーー!!」
「ネ、ネリーちゃん、落ち着いて、ほら、水、水をかければ……」
「あ、ありがと、シアー…………えいっ!!」
「……!!!!」
「……!!!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

………………限りなく不安だった。

「はいっ!めしあがれー!!」
「召し上がれー。」
そう笑顔で出されたモノは、悠人の予想の遥か斜め上を逝っていた。
既に大して期待はしていなかったものの、もはや料理というカテゴリーを超越しているソレが何故皿などに載っているのかすら疑問だった。
“これ、ナニ?”
言いそうになるのを悠人は必死になって抑える。目の前には期待に目を爛々と輝かしている二人。
その完全無垢な表情に思わず目を逸らしてしまう。
ふと視線に止まった『求め』が何故かカタカタと震えていた。バカ剣なりに何かを感じているのだろうか。
首筋に流れるイヤな汗を感じながら、悠人は必死に自分に言い聞かせていた。
(そうだ、これは俺の為にネリーとシアーが一生懸命作ってくれたモノだぞ。)
(まがりなりにも女の子が心を込めて作ってくれた手料理だ…………たぶん。)
(それをだいなしにするような事が出来ようか。否、出来ない!覚悟を決めろ、悠人!)
泳いだ目つきでそれでもとりあえずモノを観察してみる。大皿の上に乗っているソレは、いわゆるサイケ色だった。
例えるなら36色絵の具を全部皿に捻り出したような、そんな感じ。
そういえば匂いも似ているな、と思った時、悠人はその事についてこれ以上考えるのをやめた。
ほのかに湯気なんかも立てちゃっているソレの群青色?っぽい所に試しにフォークをさしてみる。深い意味は無い。ただ好きな色だったからだ。
……なんの抵抗もなくささる。その無抵抗っぷりが引っかかったがどうやら噛み切れない、などというオチは無さそうだった。
そこだけほっとした。…………なぜか涙が出そうになった。
覚悟を決め、恐る恐る口に運ぶ。近づくにつれ漂ってくるシンナー臭?の様な芳香。遠くなりそうな意識を必死にかき集める。
(そうだ、なにか楽しい事でも考えよう。辛い時は楽しい事を考えれば乗り越えられるって誰かがいってたよな…………)
脳裏に浮かぶ楽しかった日々を次々と掘り起こしながら、悠人は思い切ってモノを口に入れた。
「……………………」
「ねーねー、ユート、おいしい?おいしい?」
「あのね…………どう、かな?」

興味津々に二人が聞いてくる声が、とても遠くからのものに思える。とても返事など出来るものでは無かった。
先程の思い出が走馬灯になるのを感じながら、悠人は顔面から皿に向かって突っ伏していった。


その夜。
昼間のダメージが抜け切れないままベッドで寝込んでいた悠人は、かすかなノックの音で目が覚めた。
「…………どうぞ~」
心底やる気のなさそうな返事を返す。
首だけ動かして入り口を見るとそこにはうるうると目を滲ませたシアーが立ちすくんでいた。
両手で抱き締める様に枕を持っている。
「な、なんだ?シアー?どうした?」
思わぬ来客に、慌ててベッドから起き上がる。ぴくっとこちらを見たシアーは捨てられた仔犬の様だ。
「あ、あのね……ネリーちゃんが先に寝ちゃったの……それで、あのね……」
気を付けないと聞き取れないようなか細い声で枕をぎゅっと掴む。
不安そうに部屋の入り口で佇むシアーは、昼間に続いて再び悠人の中にデジャビューを蘇らせていた。
(ああ、なるほど。そういえば佳織も小さかった頃、よくこうして寂しがって俺のベッドに潜り込んできたっけな……)
「暗く、てね……怖くて眠れなくなっちゃって……」
一生懸命状況を説明しようとしているシアー。その仕草は悠人の保護欲を駆り立てるのに充分だった。
脱力と共になんだか可笑しくなってきた悠人はベッドにもう一人分のスペースを空けながらぽんぽんとそこを叩く。
「ああ、いいよ、ほれ。」
一瞬ぽかんとした表情をするシアー。
しかしすぐに嬉しそうに真っ赤な顔を枕に埋めながら、とてとてとベッドに駆け寄ってくる。
ベッドの傍らに『孤独』を立てかけ、
「お、おじゃま、します…………」
そして妙な挨拶をしながら、おずおずとベッドに潜り込んできた。背中を向けている悠人のシャツをきゅっと握り、
「え、えへへ……」
上目遣いでそっと寄り添ってくる。悠人は背中越しにそれが伝わって、急に体温が上がるのを感じた。
妹に対するような感覚でつい一緒に寝てしまったが、仮にも相手は女の子だ。
普段あまり自覚は無いが、なぜかこの世界のスピリット達は皆かわいい。緊張するなという方が無理だった。
そんな訳で、照れをごまかそうと話しかける声は少し上ずってしまっていた。

「それで、ネリーはもう寝ちまったのか?」
「う、うん…………いつもはシアーが寝るまで起きててくれるの……シアー、怖がりだから…………
 で、でも、ネリーちゃん、今日はすごく疲れてたみたいで、すぐに寝ちゃったの……」
「疲れたって…………ひょっとして、あの料理、か?」
「料理」という単語を使うのを一瞬躊躇ったのはどうやら気付かれなかった様だ。
「うん…………。ネリーちゃん、張り切ってたから。あ、で、でもね、シ、シアーも頑張ったんだよ…………」
「そ、そうか…………」
なんて言っていいか分からず、適当に相槌を打ってみる。シアーはもう一度小さくうん、と呟いた。
「で、でもあのね、今日は…………ごめんなさい。お料理なんて初めてで、それで、ユート、困ったよ、ね…………」
その目は反則だ、と見えもしないのに今シアーがどういう表情をしているか判ってしまった悠人はそう思う。
「まあ、なんだ、初めてなんだから、しょうがないんじゃないか?
 下手だって自覚があるなら上達も早いだろうし。これからもっと頑張れば良いんだよ。
 その、試食役ならいつでも買って出るからさ。ただ、これからはもう少し味見とかしてくれればこちらも助かるというか。
 ああ、そういえば佳織な、あいつなんかも最初の頃はそりゃあ酷いもんでな………………」
ふと静かになった背中の方をそっと振り返る。と、シアーはいつの間にかすうすうと寝息を立てていた。
悠人はふっと微笑むと、静かにシアーの頬を撫ぜてやる。う、う~ん、と可愛い寝顔でシアーは呟いていた。

「…………ユート、あたたかい………………」

その寝言に赤面した悠人はそっと手を放すと仰向けになって天井を眺めた。動悸が一段早いような気がする。
(…………妹、みたいなもんなのに………………)
悶々とした悠人が中々寝付けなかったのは言うまでもなかった。