代償

Intermisson

「ネリーちゃん、今日はなに作ろっか?」
「う~ん、今日はエスペリアが会議で忙しいから、新しいことに挑戦できないんだよね~。」
「ネリーちゃん、別に毎日違う物作らなくても。」
「え~、でも、その方がユートがビックリするかなって。それにおんなじの作るのってつまんないじゃん。」
「あはは………………」
新メニューに挑戦するよりもまず基礎をしっかり学ぶ方が自分達の為ではないかとも思うのだが、
楽しそうなネリーを見ているとそうも言えなくなる。受難の続きそうなユートにシアーは心の中でそっと謝った。
いつもの訓練の合間。小休止中のネリーとシアーは並んで草原に座っていた。
遠くにはパートバルト湾と呼ばれる港が望める。生命が皆無でそのせいかいつも陰鬱なイメージしかないその海は、今日は珍しく晴れ渡っている。
二人とも海というものを見たことがなかったから、ついいつも飽きるまでもの珍しげにその風景を眺めていた。
一度ベッドの中で(注:問題発言)ユートにハイペリアにも海があるという話を聞いたことがある。
あちらの海はおおよそパートバルトからは想像も出来ないほどにぎやかな物だった。
それはハイペリアの全ての生命の源だとユートは言う。そして今でも様々な生命が海の中で生活している、とも。
もしかしたら、パートバルト湾にもかつては生き物が住んでいたのだろうか?だとしたら、なぜ今は絶滅してしまったのだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、そっと傍に置いておいた『孤独』に触れる。しかし相変わらず神剣の声は聞こえない。
いつもそうだ。『孤独』はシアーの心を如実に表す。文字通り、シアーが「孤独」を感じていなければ話しかけてはこない。
シアーは最後に『孤独』の声を聞いたのがいつの事だったか思い出そうとしたが、考えるだけ無駄だった。
ネリーと出会ってから、シアーが孤独を感じたことは一度しかなかったのだから。
それも実際はネリーを失うかもしれないという恐怖を味わっただけで、それ以降「本当に孤独になった」事は一度もない。
つまり厳密にいうとシアーはそれ以来一度もまともな意味で神剣を使いこなしてはいなかった。
それでも今まで生きてこられたのは元々の素質もあるが、紛れもなくいつもネリーがいてくれたお陰である。
神剣と会話が出来ないシアーはせいぜいサポートの神剣魔法を使うくらいしか出来ないのだが、
ネリーは知ってか知らずかシアーをいつもそのポジションにおいてくれる。そしてそれが常にシアーを『孤独』からも守ってくれていた。
しかし最近、シアーの心の中には更にもう一人、大事な人が住み着き始めている。
あの日、先にネリーが寝てしまい、久し振りに小さな孤独を感じそうになった夜。
シアーはそのときふと思い浮かべたその人に、無意識のまま飛び込んでいた。
そのおっきな、そして温かい背中。それを思うとなぜか胸の奥が熱くなることがある。
その優しい、そして力強い瞳。それを覗き込むと、なぜか心の底から安心できると思える。
でも。それだけに。
「ユート…………」
「え?なに、シアー?ユート?」
思わず口にしてしまっていた呟きをネリーに聞きとがめられてしまう。

「ネリーちゃん、ユートのこと、その、好き………………なの?」

……慌てたシアーはつい「でも」の続きをネリーにぶつけていた。

そよそよと優しい風が頬を流れる。波の様にうねる草原を見つめながら、ネリーは自分の中に広がるさざ波を感じていた。
「……………………え?」
とっくに自分がユートに惹かれていることには気付いている。
だけど、同様にシアーもユートが好きなのだ、とも分かってしまっていた。
これが普通の女の子同士なら派手にライバル宣言でもして正々堂々、というのがネリー的には望むところな展開なのだが…………
いつかは聞かれることだと思っていた。自分が気付くくらいなのだから、シアーがネリーの気持ちに気付かないはずがない。
そしてそのときの答えもあらかじめちゃんと考えていた。
(そんなわけないじゃん!ネリーはくーるなんだから、ユートなんか相手にしないよー!)
もちろんそんなセリフでごまかせるものではない、とは思っていたが、とりあえずその場のしのぎにはなる。
ネリーはいつか壊れるとわかっていても、もう少しこの状態に浸っていたかった。シアーを「守って」いたかった。
でも一方、初めて人を好きになってしまった。その温かさを失いたくはない。「守る」ことと「好き」になる事が矛盾してしまう。
だから、自分からこのことに触れる事はしなかった。シアーが言い出すまでは、と引き延ばしていた。
しかしいざその場に立たされ、ネリーは自分が用意していたセリフを口に出せなくなっていることに驚いていた。
自分の気持ちが強ければ強いほど、それを偽る言葉を口にするのは難しくなっていく。
なにも言えないネリーは改めて自分のユートに対する想いに気付かされただけだった。
どうする事も出来ずに俯いたまま、黙り込んでしまう。沈黙を了承ととらえたのか、優しく見つめながらシアーが続ける。
「…………そっか、そうだよね………………。うん、シアーもね、ユートのことが…………好き。」
ピクリ、とネリーの背中が反応する。分かってはいたことだけど、直接本人から聞くとやはり衝撃だった。
コクリ、と頷き、そっとシアーを見る。シアーは遠く、海を見つめていた。声を掛けることが躊躇われる。
だけど、何か言わなくては。焦るネリーに気付いているのかいないのか、シアーは続けた。

「だから…………ね?がんばろうね、ネリーちゃん。」

再びネリーを見て、にっこりと微笑む。その笑顔がふとにじんだ。
「…………あ、あれ?え?」
慌てて目をごしごしと擦る。いつの間にかネリーは泣いていた。

「え?え?ネリーちゃん、どうしたの?泣いてる、の…………?」
急に泣き出したネリーを見て、シアーは慌てた。こんな姉を見たのは二回目だ。
おろおろと両手をふるシアーに、ネリーはしゃくり上げながら精一杯の言葉を伝えた。
「ありが、とう、ね…………ごめんなさい…………ごめんなさい………………」

強いのは、シアーの方だった。いつも自分の行動を示してくれるのはシアーの方だったのだ。
ネリーはただ「守って」いただけだった。でも、シアーはちゃんと「成長」している。心の強さを「成長」させていたんだ。
あの時も、ネリーは守ろうとして「姉」になった。けど、それは失うことを恐れていただけ。
こんども。こんども、ネリーは恐れていただけで、進もうとは思わなかった。「こうすれば」とは考えなかった。
でも、シアーはちゃんと考えてくれていた。「壊れないように」、ちゃんと考えてくれていた。
「がんばろうね」。たった一言。ささやかなその一言にどれだけの意味が込められたのだろう。どれだけの想いを詰めてくれたのだろう。
ネリーは嬉しさと情けなさが入り混じったまま、ただ泣くしかなかった。
そして、自分の幸運に感謝した。こんな大切な「妹」に出会えて、本当に良かった…………

しばらくの間すすり泣いていたネリーは真っ赤に腫らした目をシアーに向けて、にっと笑った。
まだ少し引きつっていたけど、それでも笑ってみせた。そして、きょとんとしているシアーに呼びかける。
「うんっ!頑張ろうね、シアー。ネリー、負けないよ!」
「…………う、うん!シアーも……負けないもん!」
二人は一瞬真面目な顔で見詰め合ったあと、ひとしきり笑いあう。
「あ~あ、でもネリー、こんなに泣き虫だったかなぁ~。こんなんじゃユートに嫌われちゃう。」
「……え?……ネリーちゃん、ひょっとしてユートの前でも泣いたこと、あるの~?」
「うっ……へんなとこでするどいなぁ。う~ん…………へへっ、ナイショだよ~!」
「あっ、ズルい~!ネリーちゃん~、ちょっと、まって~!!」
「あはは~~~………………」

はしゃぎながら走り去る二人。草原に置き去りにされた二本の神剣が寄り添うように日に煌いていた。