代償

Ⅲ-1

サルドバルトへの進攻が本格的に始まった朝、空は分厚い雲に覆われていた。
「あー、なんか雨でも降りそうな天気だなぁ。」
悠人は物憂げに空を見上げた。別に雨が嫌いという訳ではなかったが、煙ってぼやける景色というのはなんとなく気を滅入らせる。
特にこれから出撃ともなると、その先を不安にさせる曇空にはつい愚痴が漏れるのも仕方がなかった。
結局進攻ルートは不安定な戦いを要求されるミスル平原を避け、城正面から伸びている街道沿いに向かう正攻法を採ることになった。
もちろんこの方法ではいきなり城正面を突ける訳がなく、進攻途中での敵防衛隊との不期遭遇戦が予想される。
なのでいきなり全部隊では進攻せず、補給ルートを確保しつつ縦延びでの陣形で順次部隊単位を送り出すことになった。
波状攻撃で敵前衛を撃破した後サルドバルト城に全部隊集結して突入する、それが作戦の主軸だった。
そういう訳でその第一陣として悠人、ネリー、シアーの三人が出発しようとしている。
「ほんとだね~。でも、涼しいし、おさんぽにはちょうどいいよ~。」
「うわっ!聞いてたのか、シアー。全然気配を感じなかった…………」
「えへへ~。ユート、なんかぼーーーーーーーーーーっとしてたよ~。どしたの~。」
両手を後ろ手に組み、首を傾げながら聞いてくる。その距離にどぎまぎしながら(不意を突かれたせいかもしれないが)悠人はごまかした。
「不必要にぼーの部分を強調するなよ。それから散歩じゃないし。・・・・・・俺、そんなにぼけっとしてたかな?」
「そ~だよ~。だからシアーにも気付かなかったんじゃないかな~?へんなの~。」
口元に手を当ててくすくす笑う。その可愛らしい仕草を悠人は必要以上に意識してしまっていた。首筋が赤くなる。
(やべ………………)
自分の思いを自覚してからというもの、悠人は彼女達への接し方に悩んでいた。
二人を一度に好きになってしまったという我ながらの無節操さにもだが、
それよりもまずい事に、二人の自分に対する気持ちにも気付いてしまったのだ。
異性として見た彼女達の仕草に、自分に向けられる目がどういうものなのかを見出すのはすぐだった。
ある時一度、その事をエスペリアに思い切って相談したことがある。
もちろん具体的な名前をあげずに状況だけを説明したつもりだったのだが、エスペリアは少し寂しそうに笑って
「二人の気持ちは誰が見てもすぐにわかりますよ。………………もちろん、ユートさまのお気持ち、も。」
即答していた。どうやらバレバレだったらしい。動揺する悠人にエスペリアはくすくす笑いながら続けた。
「自分に正直になってくださいませ、ユートさま。どうか、大切なものを見失わないように…………」
そう告げるエスペリアはなにか遠くを見つめているようだった。彼女が背負っているものがどんなものかは悠人には想像もつかなかったが。
「おーーーい、シアー、ユートっ!はやくいこー!!!」
嬉しそうに駆け寄ってくるネリーの声に我に返った悠人は、不思議そうに見ていたシアーに微笑みかける。
「じゃ、いくか!」
「うんっ!」

「いっくよーーーー!!てりゃーーーー!!!」
「おいっ!一人であまり突っ込むなってネリー!……っと、シアー、サポート頼む!」
「う、うんっ。……えと、マナよ、我に従え…………」
「ってネリー!射程外まで突出してどーするっっ!おまえはじゃじゃ馬さんかっ!!」
「へ?ジャジャウマサン?それよりユートこそシアーになにさせてるのー?敵よく見なよーー!」
「は?あ………………黒しかいないのか?」
「そういうことっ!まだまだだねー、ユート♪ はやくしないとおいてくよーー!!」
「お、おいコラ待てって!このじゃじゃ馬姫!!くそっ、シアー、行くぞ!」
「あいす…………え?あ、ま、待って~~」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

会話のやりとりとは裏腹に、戦闘は順調だった。
今回は単独での作戦ではないので体力が尽きれば後続部隊と交代して退却すればよい。悠人達はひたすら敵に切り込むだけでよかった。
…………そう考えていたのが失敗だった。
最初は快進撃だった。敵は思ったほど強くなく、その分だけ悠人達の進撃速度は予想外に速かった。
気分良く進攻していた悠人達は、しかしその分後続の味方との差を開いていった。
そして景気よく進んでいた悠人達が罠に気付いたとき、既に彼らは敵陣深く孤立していた。
まんまと森の奥に引きずりこまれてしまっていたのである。三人はお約束の様にそこで力尽きていた。

「へぅ…………ユート、もう疲れたぁ~~~。」
「またこのパターンか…………。」
思わず頭を抱えてしまう悠人。学習しない自分が情けなくなってしまう。
「あ、あのね……シアーも攻撃…………」
「「ダメ」」
「あぅ…………」
「ふぅ、しょうがない、俺がオフェンスに」
「「だめ」」
「………………」
「………………」
お互いに事情を知ってしまった悠人達はむしろそれでより困難な状況に追い込まれていた。
三者顔を見合わせてしまう。どの顔も困惑に満ちていた。
「あ、雨………………」
ふとシアーが呟く。見上げると、頬に当たる冷たい感触。
ぽつりぽつりだったそれは、すぐに激しいものに変わっていった。


「よし、まずは退却しよう。攻撃よりも防御に重点を置く。っていうか、攻撃できない。」
雨と敵の両方から身を隠した大木の下。三人はしゃがみこんでヒソヒソ話をしていた。悠人の説明にふんふんと頷く二人。
「先頭はシアー。ネリーがディフェンス。最後尾は俺が守る。
 後続のアセリア達もそこまで来ているはずだ。間の敵を突破すればそれでなんとかなるだろう。それでいいか?」
「でもそれじゃあ敵に追いつかれたら挟み撃ちになっちゃうよ?それに正面から敵にぶつかったらシアーがおふぇんすに……」
ネリーの質問は当然だった。敵に包囲されている以上、どこかを攻撃すれば敵に居場所を知られ、挟撃されてしまう。
その場合、オフェンスがシアーでは…………そう思い、不安そうにシアーの顔を見ている。
「ああ、ネリーの言いたい事はわかる。でもな、これは戦うんじゃない、逃げるんだ。
 だから、その場合はネリーとシアーは戦わずに全力で逃げるんだ。俺がそれを援護する。
 後ろから来る敵だけなら俺もそんなに攻撃しなくて済むし、シアーは迷子にならないように駆け抜ければいい。
 ネリーはお姉ちゃんらしくシアーを守れ。いいな。」
そう言ってネリーとシアーの頭をポン、ポン、と叩く。
何か言いたそうにしていたネリーだが、あきらめた様に頷いた。続いてシアーも。
二人の様子を確認した悠人が飛び出す合図を告げる。
「ん……いくぞ!」

一斉に飛び出した三人は、いきなり正面に飛び出してきた黒スピリットと鉢合わせしていた。
最初から承知していたかのように剣を構えつつ突進してくる。
「わわわっ!!!」
先頭に立っていたネリーは悲鳴をあげつつもすんでの所で体を右にひねり、勢いのまま黒スピリットの脇を抜ける。
続いてネリーの悲鳴に気付いたシアーが咄嗟にハイロゥを展開して敵の頭上を飛び越えた。
そのシアーの動きに気を取られ、反射的に上を向いた黒スピリットに悠人が斬り込む。
「うぉぉぉぉぉっ!!!」
その視線が自らの一瞬の油断を後悔する色を浮かべた時、黒スピリットは『求め』によって両断されていた。


『求め』が歓喜の声をあげた、様な気がした。

金色のマナが消えていくのを見ながら悠人は考えていた。
さっきの様子からすると、既にこの位置は敵に知られているだろう。
とすれば、もうじき敵は一斉にこちらへ向かってくるはずだ。でもそれなら…………
「ユート、大丈夫?」
「すご~い、一撃だったよ~」
駆け寄ってくる二人に悠人は静かに、でもあえて厳しい口調で言った。
「…………作戦変更だ、ネリーとシアーは先に行け。俺に考えがある。」
いきなりの悠人の口調に一瞬あっけに取られる二人。先に口を開いたのはネリーだった。
「えーーー!だってそれじゃ、ユート脱出出来ないじゃん!ネリー、そんなのイヤだ!」
「いやじゃない、命令だ、早く行け!」
反射的に思わず声を荒げた悠人に二人がビクッと震えた。怖がらせているのだと気付いた悠人は少し声を抑えて続ける。
「…………すまん、でも大丈夫だ、考えがあるっていったろ?今説明している暇はないから、先に行っててくれ、頼む。」
「む~~~。」
「ホントだって。それより早く行って援軍を連れて来てくれよ。そのほうが助かるんだ。」
重ねて言う悠人にまだ何か不服そうだったネリーだが、最後にはしぶしぶ頷く。
「でも無茶はダメなんだからね!ネリーたちが戻ってくるまで絶対だからね!」
泣きそうな声でそう言うと、だっと駆け出していくネリー。
と、当然その後に続くはずのシアーが不安そうに悠人の顔をじっと見つめていた。
「………………?」
まだ怖がらせているのだろうか。俺、そんな怖い顔をしてるのかな?そう思い顔に手を当ててみた悠人にシアーが不思議そうに呟いた。

「ユート、なんで笑ってるの……?」

そう言い捨てて悲しそうな瞳のままネリーを追いかけていくシアー。
思わぬ一言を受けて、悠人は顔に手を当てたまましばらく凍り付いていた。雨が容赦なく悠人を濡らす。

「俺、笑ってるの、か………………」

ずぶ濡れのまま、誰にともなく呟く。『求め』が鈍く光っていた。

ネリーは残り少ない体力で、出来る限りのハイロゥを展開していた。
「いそいで…………とにかく、いそがなくちゃ………………」
幸い、まだ敵には遭遇していない。この重包囲の中でそれは不思議だったが、疑問に思うゆとりも今のネリーには無かった。
ただ、ひたすらに味方の姿を捜し求めながら静まりかえった森の中を走り抜ける。
降り注ぐ雨が痛いほどに顔に当たっている。水を含んだポニーテールが重く揺れるたびに、後方に雫を散らせていた。
『静寂』の力が開放されている。今までネリーの心を侵食したことのないその優しい剣は、静かに進むべき方向を示していた。
やがて遠くに味方の姿を確認した時、ネリーはおそらくこれまでの最速記録を塗り替えていた。

「ユートが、ユートがたいへんなの!早く!」
「ネ、ネリー?貴女、どうしたの?」
エスペリアは突然森の奥から飛び出してきたネリーの姿に驚いた。咄嗟に非常事態が起きたのだと警戒する。
「はぁはぁ、ネリー、攻撃できなくて、それで、ユートが残って、でも…………」
「落ち着きなさい、ネリー。落ち着いて、事情を話して。」
エスペリアが優しく諭す。その声に落ち着きを取り戻したネリーは、深呼吸して事態を説明しようとする。
「ネリー達、敵に包囲されて、脱出しようとしたんだけど……」
そこまで話しかけて、ネリーは初めてシアーがついて来ていない事に気が付いた。きょろきょろと辺りを見回す。
「あ、あれ?シアー、どこ?……………………まさか!」
言うなり、今来た道を戻りかける。その腕を掴んだのは、意外にも横で聞いていたアセリアだった。
なにごとかを理解したのだろう、真剣な瞳でネリーに問いかける。
「ユートはいま、どこにいる?」
「あ……えっと……こっち!」
「ん。エスペリア、いこう!」
「え?あ、アセリア!ちょっと!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫、だよね……


いつの間にか小降りになっていた雨の中に悠人は立っていた。
濡れた前髪が顔にかかる。水分をたっぷり含んだ服が肌に張り付く。
しかしその不快感も、今の悠人にはどうでもよかった。『求め』を振るうたびに、目の前で光るマナが飛び散る。
その蛍の様な儚い美しさ。恍惚。興奮。愉悦。これはどう例えられるべき感情なのか。
薄っすらと笑みを浮かべつつ長大な剣を振るう悠人。
ずぶぬれのその姿は、包囲しているはずの十数人のスピリット達を恐怖心で縛り上げるのに十分だった。
「マ、マナよ…………きゃあ!」
緊張に耐えられなくなった赤スピリットが神剣魔法の詠唱に入る。
しかし震えてうまく回らない口では、その全てを唱えることは出来なかった。
青スピリットもかくや、というスピードで間を詰めた悠人の一撃でゆっくりと倒れていく。
「ひぃっ!……」
すぐ傍にいた緑スピリットが咄嗟に唱えた防御魔法は簡単に破られた。
先程の赤スピリットが金色に還るのを見届ける間もなくその意識は永遠に失なわれた。
スピリットを倒すたびに内に湧き上がる力。それを糧に巻き起こる『求め』の支配。
二つの死体が紡ぎあげる光の中でゆっくりと振り返る悠人は既に『悠人』ではないのかもしれなかった。

勝敗は決した。これはもう既に「包囲」と言えるようなものでは無かった。
敵のエトランジェは最初こそ微弱な力しか感じなかったのに、今やその存在は圧倒的な脅威となっている。
まるでハクゥテだと思って取りかこんでみたらドラゴンだったようなものだ。
なぜエトランジェのほうが与し易いなどと思ったのだろう。
わざわざ二体のスピリットを見逃してまで討ち取ろうとしたことを今は後悔するしかなかった。
功を焦った結果がこれだ。……今や狙われているのは自分達の方だということを、認めざるを得ない。
なぜなら今も一角をたやすく崩され、そこから脱出することも出来たはずなのに、
エトランジェはこちらを向いたまま動こうともしていないのだから。
そして自ら手にしている神剣の震えが、確信を伝える。あの剣には絶対に勝てない………………
隊長格の黒スピリットが思考出来たのはそこまでだった。最後に彼女が見たものは、オーラを纏った無骨な剣だった。

指揮官がマナに還るのを見届けたスピリット達は皮肉なことにそこで初めて恐怖という呪縛から解かれた。
「逃げる」という行動をやっと思い出す。声にならない悲鳴を上げつつ、一斉に潰走を始める。
しかし既にもうそれは遅かった。見逃す筈もない悠人が自らのオーラを開放し始める。
『オーラフォトンビーム』。その忌まわしき技の発動に入ったのだ。
膨大に膨れ上がったその破壊力は、詠唱を終えれば周囲の森の形をも変えてしまうだろう。
もちろんスピリットなど跡形も無くなるに違いない。
しかし制御を失った今の『悠人』はもちろんそんな事を躊躇したりはしなかった。
「一条の光となりて……なにっっっ!」
最後の詠唱を終えようとしたその時。
悠人の目の前に、全く気配を感じさせなかった一体の小柄な青スピリットが飛び出してきた。
反射的に『求め』を振り下ろす。猛烈なオーラで覆われた剣に、しかし彼女は怯むことなく向かってきた。そして…………


・・・・・・・・・青スピリットは、そのまま剣も振るわず、悠人の懐に飛び込んでいた