代償

Ⅲ-2

「ユート、だめだよぅ……………………」


遠くで声が聞こえた。懐かしいような、最近聞いたはずの、あの声。それが剣を振るう手を止めさせた。
それでも、既に悠人を飲み込みつつあった『求め』の勢いは完全には殺しきれなかった。
剣で受けられていたら、剣ごと両断していただろう。
考えての行動ではないだろうが、夢中で懐に飛び込んできてくれたおかげで、
『求め』は鍔元が彼女の肩口に少しくいこんだ所で止まってくれていた。
微かに浮かび上がる感情。悠人はその欠片を懸命に掻き集めて彼女に呟いた。
「………………シアー……?」
「ユート、だめだよぅ…………だめだよぅ…………」
「……な……なん、で…………」
呟きながら、混乱した頭で必死に考える。胸の中で泣きじゃくる見慣れた青いショートカット。そうだ、この娘はシアーだ。
ああ、そっか、俺・・・・・・
急速に浮上してくる自分の意識。それと同時に、先程までのあの愉悦感は波が引くように去っていった。
だけどその代わりに満ちてくる、このとても優しい気持ち。そうだ、エスペリアが言っていた。喪うべきではない大切なもの。
「だめだよぅ…………ユートが消えちゃうよぉ…………そんなの、そんなのだめだよぅ…………」
「…………しょうがない奴だな、命令を破って…………」
そう言いながら、悠人はシアーの肩口の傷に、やさしく口づけた。大事なものを慈しむ様に。
一瞬身を硬くしたシアーだが、すぐに力を抜いて悠人に体を預けた。悠人はシアーの頭を包みこむように抱き締めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい…………」
謝りながら、シアーは泣き続けていた。その間中、悠人は黙ってシアーの髪を撫ぜ続けた。

しばらくすると、断続的に途絶えていた『悠人』が自分にゆっくりと同調してくる。
同時にガクンと崩れる体。今はもう沈黙している『求め』が重い。強烈な睡魔が肩からのしかかってくる。
そのまま倒れこもうとして、支えられた。温かい物。柔らかい感触。…………大切なもの。
「……だいじょうぶ?、ユート…………」
「…………ああ、ただちょっと眠いだけだ、心配するな、シアー。…………ありがとう。」
最後の一言で、シアーの顔がまた少しくしゃっと歪む。悠人はシアーを強く抱き締めた。

ふと見ると、『孤独』が光っているように見えた。

アセリア達が悠人達の元に到着したのは、雨が上がった後だった。
エスペリアの話によると、どうやら敵はここでの防御を諦めてサルドバルト城へ撤退したようだ。
向こうでネリーがシアーに何か問い詰めている。
「じゃあ一旦バートバルトに戻るか。それと、反攻に備えてこの辺に拠点も作らないとな。エスペリア、頼めるか?」
「そうですね、了解しました。ではユートさま達は先にお戻りください。私たちはもう少しここで作業を進めます。」
「ああ、頼んだよ。じゃあ帰るか、ネリー、シアー。」
振り向いて二人に呼びかける。声に気付いたネリーが走り寄ってきた。
「ユート、お話終わったの~?」
「ああ、俺達は一旦戻ろう。ネリーも疲れたろ?」
「うん、もうおなかぺこぺこだよ~。早く帰ろ!」
そう言って先に歩き出すネリー。追いかけて歩き出そうとした悠人のシャツが何かに引っ張られていた。

ぎゅっ。

「………………?」
なんだろうと振り返る。そこには不安そうな瞳で見上げるシアーがいた。
「どうした……?」
「………………」
ぎゅっ。
問い掛けに答えが返ってこない。その代わり裾を掴む力が強くなる。悠人は気付かれない様に軽く溜息をついた。
「どうした、シアー?」
苦手なりに出来るだけ優しく言ってみる。名前を呼ばれてシアーはピクッと震えた。
恐る恐るといった感じで顔を上げる。雨に濡れた前髪が額に軽く張り付いている。
「…………怒ってない……?」
そんなことを聞いてくる。怒っているどころか感謝しているのに。しかし悠人は照れも混じり、冗談まじりに答えていた。
「そんなことは無いぞ。すごく怒ってる。今回みたいなのはこれで最後にしてもらいたい。
 …………ま、うまく生き残れたし、今はそれより腹が減ったかな。何か作ってくれたらそれで許す。」
にっと笑ってそう言ってから恥ずかしくなり、そっぽを向いてさんきゅな、と呟く。
背中でちょっとビックリした気配。そして。

「う、うん!わかった!」

真っ赤になった目で笑うシアーは目尻に涙を残したままだった。