エスペリアの家出

52-66

「ウルカ、入るぞ。」
夜になった。敵の攻撃もほとんど止み、悠人は交代でテラスに見張りをおく事にした。
結局その後は新手の襲撃もなく、初日の戦闘結果は上々と言えた。悠人は光陰達に
見張りを代わってもらい、その足でウルカの寝室を訪ねた。

「ユート殿、先ほどは失礼致しました。」ウルカが頭を下げる。
「余り気にしなくていいよ。それより、今後の事だけど、
――ウルカの部下だったスピリット達は、どうも見たとこ西のほうから来てたようだな。」
「―――はい。」
「どうする?」
「どうする、と云われますと?」ウルカが顔を上げて尋ね返す。

「予定じゃウルカ達の担当にしてただろ、サレ・スニル方面は。」
今後も元ウルカ部隊だったスピリットの襲撃があれば、再びウルカ達が相対する可能性が高い。
その時にウルカが冷静でいられるかどうか。
「今ならまだ変更は出来る。編成を総入替えして、
俺たちがサレ・スニルに進攻するのなら、それほど大きな違いは出ない。」

「ユート殿、――出来れば、手前に行かせて下さい。」ウルカが決意に満ちた視線を悠人に
向けた。
「――少し、聞かせてもらえるかな、今日のスピリット達のこと。」
悠人は即答せず、「神剣に呑み込まれていた」というスピリットの話を聞くことにした。

「――なるほど、じゃあ、今そのスピリット達はソーマという男が直轄している部隊にいる、と」
ウルカの説明を聞き終え、悠人は一つ、大きな息を吐いて言った。その男については
以前レスティーナに聞かされた事があった。以前ラキオスでスピリット部隊長を務めていた事、
かつてのエスペリアの上官であった事、――そして、「妖精趣味」の男である事を。

「予定通りサレ・スニルのほうはウルカ達に任せる。」しばらく考え、悠人は言った。
「よろしいのですか、ユート殿?」
「どうせ止めたって無駄、だろ?」無理に止めれば、この武士道精神のスピリットは独りで
飛び出して行きかねない。「そのかわり一つだけ、約束してくれ。」
「――何でしょうか。」
「俺は隊長だ。隊長として、俺の部下を死なせる事は許さない。
――そして、ウルカ。ウルカも俺の大事な部下だ。」

「――約束、します。――必ず。」
深々と頭を下げるウルカの双眸から、涙がこぼれ落ちた。

次いで、悠人は病室に向かった。見ると、その病室からニムントールが出て来るところだった。

「ニム。どうだ、2人の具合は。」
「あ、ユート。」ニムが悠人に気付き、振り返る。その幼いスピリットはずいぶんやつれた顔をしていた。
「ずっと回復魔法をかけてたのか?まだ戦いが終わったわけじゃないんだから、
あんまり無理はするなよ。」
「・・・ん。」ニムは小さく頷き、足早に立ち去っていった。
やや無愛想にも見えるニムを見送り、悠人は病室に入った。
病室というほど立派ではなく、むしろ学園の保健室のような、
ベッドごとにカーテンで仕切られただけの粗末なつくりの部屋の中で、ハリオンとアセリアが休んでいた。
「ハリオン、大丈夫か?」
「あ、ユート様。」ハリオンが体を起こした。
「横になったままでいいよ。――まだ、痛むか?」
「いいえ、もうずいぶん良いんですよー。」ハリオンが笑う。
「ニムにも、もう大丈夫って言ったのにー、あの子、自分のせいだからってー。」

そう言えば、いつも支援役に回っているハリオンが負傷したのは、
たまたまニムが守備から離れて神剣魔法を詠唱しようとしていた時であった事を、悠人は思い出した。
「――そうか。けっこういいとこあるな、ニムも。」悠人は微笑を浮かべた。
「それより、ユート様ぁ、わたし、体に傷が残るかどうか心配なんですけれどもー、
見てもらえますー?」そう言ってハリオンは胸元を開き始めた。
「自分だと、胸がじゃまでよく見えないんですよー。」少し前をはだけるだけで、
下着も着けていない白い大きな谷間が露出する。
「うっ、うわわっ、や、やめろハリオンっ!」しかし、次の瞬間、
悠人の目はタポン、と音が聞こえてきそうなハリオンの見事な胸に釘付けになってしまう。
悠人の心の中で天使と悪魔が言い争いを始めた。

――大丈夫だ、どさくさにまぎれて胸の一つや二つ(できれば二つ)さわったって、
ハリオンなら怒ったりしないって。
――よ、よせっ!いいのか?こんな事が他のスピリットや今日子達にバレたら、
今まで築き上げてきた隊長の威厳が一気に崩れ落ちるぞ!
――へっへっへ。そんなあるのかないのか分からないようなモンにこだわるなよ。
今は目の前のたゆんたゆんが最優先だ。

「うおおおおおお―――っ!!」
かろうじて悪魔をオーラフォトンブレード(Ⅳ)で退治した悠人は
「そ、それだけ元気があれば大丈夫だ!じゃ、じゃあな、ハリオン!」
と言って慌ててカーテンを閉じた。「あらー、見てくれないんですかー、残念ー。」
カーテン越しに聞こえる声が悠人の後ろ髪を引く。
「ハアハア...な、何が残念だよ...」息を整え、下半身がぶざまな事になっていないか確認してから、
悠人はアセリアの様子をのぞいた。「――おい、大丈夫か、アセリア...って、お前っ!」
アセリアはすでに上半身裸になってベッド上に座っていた。
「ユート、傷を見てくれるのか?」
「ちっ、違うっ!いや、違わないけど、違うんだ、アセリア!」
もう自分でも何を言っているのかわからなくなる悠人。
「傷じゃなくって、傷の具合を...た、頼むから服を着てくれ、アセリア~。」
悠人は半泣きになって哀願した。実はアセリアには、今後無理な攻撃を仕掛けないように
隊長らしく注意しようと思っていたのだが、もはやそれどころではなくなっていた。

「まったく、どいつもこいつも...」悠人は愚痴りながら、
先ほどウルカの部屋をカッコよく出て来た時とうって変わって、みっともないへっぴり腰で病室を後にした。

数日が経過し、リレルラエルの防衛戦は成功裏に終了した。
依然としてエスペリアの消息はつかめないままだったが、
アセリア達の傷も癒えた今、これ以上出発を遅らせるわけには行かなかった。
その日の夕方、悠人はオルファ、ニムを伴って最後の見回りに出かけた。
最初は光陰が行く予定だったが、今日子の前でニヤケ顔を抑える事が出来なかったため、
今は生死の境をさまよっている。

水が流れる音が聞こえ、不意に森がひらけた。「――川だ。もうこんな所まで来たのか。」
いつもなら賑やかな仲良しの幼いスピリット達も、今日は口数が少ない。歩いている間も
ほとんど会話らしい会話はなかった。「少し、休憩しようか。」三人は河原の石に腰をおろした。
ニムも、オルファにつられるようにうつむいた。

――こないだ、八つ当たりしちゃったもんなあ。
悠人はオルファを見つめた。――「パパ。」不意に、オルファが思い切ったように悠人を見上げた。

「パパ、オルファの事、嫌い?」
悠人の胸にオルファの言葉が突き刺さる。悠人は自分に腹が立った。
ただでさえエスペリアの事で不安定になっている、こんな年端も行かない女の子に
気を遣わせてしまっている事に。
「バ...バカだな、そんな事あるわけないだろ。」バカはどっちだ、と思いつつ悠人が答える。
「でも...でも、あんまり話してくれないし...」
「そ、それは...」

「オルファ、ユートだって、戦いばっかりで疲れてるんだよ。」
言葉を失うユートをかばうように寡黙なニムが突然口を開いた。悠人は少なからず驚かされる。
「もう少しでこの戦争も終わるんだから、みんなも頑張ってるんだから、
あたし達も頑張ろうよ、ね?」オルファの手を握って言葉を繋ぐニムの姿を見て、
悠人は涙がこぼれそうになった。

「ニムは...戦争が終わったら、何かしたいことがあるのか?」
しばらくして悠人はニムに尋ねた。
「――え?」ニムが驚いたように悠人を見返す。馬鹿げた質問かも知れないが、
悠人は訊かずにいられなかった。

「ニムはね...――笑わない?」上目遣いに問いかけるニムに悠人は、真剣な顔で頷いた。
「ニムは...学校に行きたい。いっぱい勉強して、ヨーティア様みたいな学者になりたい。」
「ヨーティアみたいな、学者...?ニムも、マナとかエーテルとかを研究したいのか?」
確かにあの偏屈な賢者は、縦のものを横にもしないくらいのものぐさだが、
まさかその生活態度に憧れているという訳ではないだろう、悠人はそう思って続く言葉を待つ。
オルファも、突然のニムの告白にあっけにとられていた。

「――ニムは...グリーンスピリットなのに...魔法が得意じゃないから...
だから、薬の事とか勉強して、みんなを治してあげたいの。」
「―――ニム...そんな事考えてたなんて...すごいな...」
思わず正直な感想が口をついて出た。ニムが慌てたように真っ赤になってうつむく。
考えてみれば、この世界にスピリットが通う学校など一つもない。
しかし、レスティーナが目指す世界なら、それも実現可能だろう。

「――あと少しでこの戦争を終わらせて見せる。
うん、ニムならきっといいお医者さんになるよ。」悠人は自分に言い聞かせるように頷きながら言った。

「パパ、戦争終わったら、オルファも学校に行くー。」
帰り道、何だかすっかり元気を取り戻したオルファがはしゃぐ。
「そうだな、オルファなら友達がたくさん出来るだろうな。」悠人の顔にも笑顔が戻った。

もし、この世界に人間がいなかったら、せめて争いがなかったら、スピリット達は何を考え、
何をしていただろうか。悠人がファンタズマゴリアに来た時からずっと考えていた事だった。
しかし、悠人には想像もつかなかったその答えを、少なくともその一つの可能性を、小さなスピリットが示してくれた。
「俺が、この世界で戦う意味、か。」悠人はつぶやいた。
何やら楽しそうにおしゃべりをしながら帰路を急ぐオルファとニムの後ろ姿が、
通学路を行く小鳥と佳織に重なってしかたなかった。

――やってやる。たとえ...神剣に、心を呑み込まれたとしても!

「悠、いい?」夕食を終えて明日の準備をしているところに、ノックの音がした。
「――今日子か、開いてるよ。」悠人は顔だけをドアに向けて返事した。

「光陰は、もう復活したのか?」
「あのさ、エスペリアの事なんだけど。」長椅子に座った今日子が悠人の質問を無視して切り出す。

――あんまりいい話題じゃないな。
悠人はそう思いながら身支度を中断してベッドに腰掛けた。
先日の口論以来、二人ともエスペリアの話題は避けていた。
「――ここで、待っていなくても、いいの?」
「――サーギオスの連中も、もうここには攻めて来ないし、いつまでも居残るわけにはいかないだろ。」
サーギオス軍はリレルラエルの奪還をあきらめたのか、すでにその残存兵力のほとんどを
エーテルポンプ供給基地である三大拠点の防衛に回していた。

「あたしが聞いてるのは隊長としての意見じゃなくて、悠自身の考え。」

「俺自身の―――?」
「そう。結局悠は、エスペリアにどうして欲しかったわけ?」
「どうして欲しいかって....そりゃ、まあ、俺の家来みたいな事ばっかりじゃなくって、
自分のしたい事をして欲しいって言うか...」
「エスペリアにはエスペリアのやり方があるんじゃないの?
今までのスピリットとしての生き方を変えろっていうの?」矢つぎばやに質問を繰り出す今日子だが、
決して冷静さは欠いていなかった。

「スピリットだって自分の進みたい道があるはずなんだよ。
ただ、これまでこの世界の人間がそれを邪魔してたんだ、きっと。」悠人は先刻のニムを思い出しながら、言った。
「エスペリアはね、ずっとそういう人間中心の世界で暮らしてたのよ。
いきなり悠があたし達の世界の価値観を押し付けたら、どうしていいか分からなくなっちゃうわよ。」

「――似たような事、光陰にも言われたよ。」悠人は溜息をついた。
「あのバカが悠になに言ったか知らないけどね。あたしにはあんたが意地になってるとしか思えない。」

「なんだよ、それ。」少しムッとして悠人が聞き返す。
「だって、エスペリア以外にもロボットみたいなスピリットはいっぱいいるでしょ。
――この、ラキオスの部隊の中にも。どうして、エスペリアの事だけこだわるのよ。」

「―――!」半ば、さとすような今日子の問いかけに、悠人は返す言葉がなかった。

「悠は、スピリットとして、振る舞って欲しくなかったんでしょ?エスペリアには。
――エスペリアだけには。」
今日子の、決して怒りを含んでいないその言葉が、
ハリセン攻撃の何倍もの衝撃を持って悠人の心に叩きつけられた。

―――俺は...!
悠人は、うつむき、シーツを握りしめた。
「――やっと分かったみたいね、バカ悠。――じゃ、あたしの話はおしまい。
今さら出発延期ってわけにも行かないだろうけど、もし、今度無事にエスペリアと会えたら...」
「今日子。」悠人は今日子の言葉をさえぎり、顔を上げた。

「――何よ。」
「――『妖精趣味』――そう言うんだそうだ、この世界じゃ。」
「何、それ。」
「だから、その...人間が...スピリットの事を...」
「好きになったら異常だっていうの?――あきれた。
それこそ、スピリットを道具あつかいしてるこっちの世界の言葉でしょ。
あんたがそれに振り回されてどうすんのよ。」
今日子の揺るぎない言葉が、今度こそ悠人の心の壁を、確実に打ち砕いた。

「じゃあね、あたしはもう寝るから。悠も、さっさと準備しときなさいよ。」
そう言って出て行こうとする今日子に、悠人はもう一度、声をかけた。
「今日子、あの...うまく言えないんだけど...」
「礼ならいいわよ。悠には一度、あたしのワガママ聞いてもらってるから。
これでおあいこ。」少し照れくさそうな笑いを浮かべた今日子はそう言うと、
バタンとドアを閉め、悠人の部屋から出て行った。

――参ったな。完全に俺の負けだ。
今日子の出て行ったドアを見ながら、悠人は思った。
「光陰が、神剣に呑み込まれないわけだよ。」今日子がかつて、「空虚」に支配されていた時、
今日子に殺されてやる、平然とそう言った光陰の顔を思い出し、悠人はつぶやいた。
多分、光陰なら三日間オルファと密室に閉じ込められても
何もしないだろう、そう考えると、笑いを禁じえない悠人であった。

「よお、今日子、どこ行ってたんだ?」どうやら復活したらしい光陰が廊下で今日子と出くわした。
今日子が光陰をまじまじと見つめる。
「...ってことは...こいつは、妖精趣味のロリコンってことね...」
いきなりスパークする今日子のハリガネ頭。
「な、何いきなり充電してんだよ、おい。」さっぱり話の見えない光陰があわてふためく。
「ええい、うるさいっ!!こんのド変態―――ッ!!」
今日子のスペシャル・ハリセン・サンダーが炸裂した。
「す...すいま...ゴメッ!ホント、勘弁...しっ!」自分でもなぜ謝っているのかわからない、
哀れな光陰の声がリレルラエルの夜空に響いた。

――翌朝。
快晴の空の下、悠人はウルカをはじめとするスピリット部隊に別れを告げた。
「ウルカ。頼んだぞ。」
「承知。ユート殿の御武運、お祈りしております。」ウルカが一礼する。
「パパー、オルファ達と競争だね。負けないからー!」
「――そうだな、ちゃんとウルカお姉ちゃんの言う事守るんだぞ。」
なんだか本当のパパになった気分だ、そう思いながら悠人はオルファの頭をなでた。
「――ユート、気を付けてね。」控えめにニムが言った。
悠人が笑顔を返すと恥ずかしそうに背を向け、ネリーたちの方に走っていく。

「さてと。行くか、光陰、今日子。」
「へいへい、隊長殿。」悠人をうらやましそうに見ていた光陰が返事をした。
「なにいじけてんのよ、光陰。」今日子がニヤリとわらってハリセンで光陰を突っつく。
「出発前からあんまり無駄なエネルギー使うなよ、二人とも。」
悠人が隊長の顔に戻って、言った。
「まだ、何一つ終わっちゃいないんだ。」
そう言いながらも悠人には、全てがうまく行く、そんな予感がしていた。