SALVAGE

28-46

「くそっ、何だよ、こいつらっ!!」
敵の追撃を辛くも逃げ切り、森へと迷い込んだ悠人とナナルゥに襲い掛かってきたのは
オオカミのような肉食獣の群れであった。何度かナナルゥの火焔魔法で追い払ってみたものの、
隙を見ては、後から後から湧いて出るように二人に牙を向いてくる。
「こんなところで、こいつらの餌になるなんて、ゴメンだっ!!」

やみくもに神剣を振り下ろす悠人ではあったが、さすがにその数の多さに疲労が溜まってくる。
スピリットを斬るのと違い、マナを吸い上げる事の出来ない「求め」の力も次第に弱まってきていた。

―――逃避行はすでに数日に及んでいた。
深く森の中に入り込んだ二人は、もはや自分達がどの方向に向かって走っているのかさえも、分からなくなっていた。

「ぐうっ!」
ナナルゥが小さく呻いた。その細い足に、獣ががっちりと鋭い牙を食い込ませていた。
「くそおっ!」
悠人は「求め」を一閃させ、その首を断ち切った。ごろり、とイヌのような頭がナナルゥの足下に転がる。
「大丈夫か、ナナルゥ!?」
苦痛に顔を歪めるナナルゥに悠人は訊いた。
「く―――、はい。」

しかし、ナナルゥはまともに歩けないようだった。
ナナルゥに悠人が肩を貸す格好で、二人は再び逃走を始めた。

――やがて、突然、獣たちの追撃が途絶えた。
森を抜け出た二人の目前に、剥き出しの岩肌が、人がやっと通れる程度の
洞穴とともに現れた。
「――ナナルゥ、足、見せてみろ。」悠人はしゃがみこんだ。ナナルゥの深紅の
ニーソックスが破れ、華奢な右脚のむこうずねに歯形がくっきりと残っていた。
そしてその歯形から下が、ありえない方向に曲がっていた。

「――折れてるじゃないか。」悠人は眉間に皺を寄せた。

「――はあ。」あまり痛みも感じていないかのごとく、ナナルゥが間の抜けたような返事をする。
悠人は木の枝を拾い、上着を脱いでナナルゥの脚に縛り付けた。
「これで、そえ木がわりにはなるだろ。――よっと。」
悠人はナナルゥの体を支え、再び立ち上がり、改めて洞穴を見つめた。

「ナナルゥ、確か、この辺りって...」
悠人は、エスペリアに習った、乏しい地理の記憶を辿った。
「ラシード山脈の麓だと思います。」
ナナルゥが抑揚のない口調で答える。
「―――魔龍の巣窟だと、聞いています。」
「―――だよな。」
悠人はサードガラハムの龍の姿を思い起こしていた。
今の二人の戦力では、魔龍には到底太刀打ちは出来ない。
「どうだ、バカ剣、なんか感じるか?」
悠人は「求め」に問うた。

―――全く、無駄に我を振り回してくれたものだな、契約者よ。
苦々しく「求め」が語りかけてくる。
「しょうがないだろ、お前だって俺が死んだら困るんじゃないのか。」
―――神剣の気配は、ない。魔龍が潜んでいる様子もないな、契約者よ。
しばらく反応を探ってから、「求め」は言った。ナナルゥも「消沈」に
精神を同調させていたが、問いかけるような悠人の視線に、首を振った。

「――よし。あの穴に入ろう。雨露くらいはしのげる。」
二人はその、鍾乳洞のような洞窟に潜りこんで行った。
洞穴の奥に進んで行った二人の前に、何者かの、ゆっくりと近付いて来る気配があった。

―――中に、誰かいたのか?
悠人はほとんど反射的に神剣を構えた。

「―――ククク。まったく、性懲りもなく、またバーンライトのスピリットが迷い込んできおったか。」
突然、低い声が聴こえる。
「な―――?」
悠人は愕然とした。その声は、口調に相反して若い女のものであった。
洞窟の闇の中に、ランプの光が浮かび上がった。そして、その光に照らし出されたのは、重そうな甲冑を身に着けた女兵士であった。
「だ、誰だっ!?」悠人は叫んだ。

「礼儀を知らんな、若いの。他人のところに勝手に上がりこんできて、その挨拶か。」
からかうような口調で女兵士が近付きながら、言った。

「あ...いや、俺達は森で獣に追われてここに入って来たんだ。」
少し毒気を抜かれた悠人が言い訳した。
ナナルゥは敵意を隠そうともせず、双剣を握る手に力を籠めている。
「なるほど...ほう、「求め」の遣い手か。―――外界がキナ臭くなってきたと思ったら、
そういう事か。」その声の主が右手にランプを掲げ、完全に姿を現した。
端正な、しかし、冷酷さをあわせもつ顔立ち。ショートカットにされた
濃いブルーの髪の毛、透きとおるような白い肌、そして、切れ長の薄茶色の瞳。
しかし、悠人は甲冑に包まれたその体を見て驚かされる。

――左手が、ない?
その女兵士は隻腕であった。

「知ってるのか...?この剣の事を。」今にも飛び掛かって行きそうなナナルゥを押さえ、悠人は尋ねた。
「もう一人は...どうやらレッドスピリットだな、それもかなり「呑まれて」いるようだ。」
悠人の問いに答えず、皮肉な笑いを浮かべてその女は、挑発的に言った。

「この娘は、怪我をして気が立ってるんだ、気を悪くしないでくれ。」
悠人はとりなすように言った。
「ここには龍はいない。マナが欲しいのならよそを当たれ。それとも、私を退治してみるか?」
女兵士は笑いをかみ殺すような表情で続けた。
「見ての通りの体だが、退屈はさせんぞ。」
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか得体が知れない。
「森で獣に襲われて逃げてきたんだ。本当に、龍退治とかじゃない。信じてくれ。
俺は、ラキオスのエトランジェ、ユートだ。こっちは、同じラキオスのスピリットで、ナナルゥって言うんだ。」

「フン...貴様がエトランジェだというのは分かっている。そうか、―――ラキオスに現れたか。」
女の顔から笑いが消えた。その瞳が細められ、悠人を舐め回すような視線が送られた。
「まあ、いいだろう。ついてこい。」
そう言って女兵士は洞窟の更に奥深くへと歩いて行った。

「バカ剣、どうなんだよ、あの女は...人間なのか?」
悠人は小声で尋ねた。

―――ふむ、神剣は持ち合わせていないようだ。という事は、やはり、人間という事になるな。
「求め」が興味深げに言った。
―――しかも、我の事を知っているふうであった。人間であったとしても、
用心に越した事はないぞ、契約者よ。

「どうした、早く来い。」洞穴の奥から女の声が反響した。
「あ...待ってくれ。」悠人はナナルゥを支えながら歩き始めた。

「ナナルゥ、やたらに仕掛けるな。それに、その脚じゃかえって怪我がひどくなるぞ。」
「―――はい。」ナナルゥが、その紅い瞳から殺気を消して素直に頷いた。

細く続いた洞窟の小道をゆくと、少し広がった部屋のような場所に出た。
どうやら女兵士はそこで生活しているようであった。片隅にいろりのような
一角があり、チロチロと燃える火に鍋がかけられていた。
煙が漂ってこないところを見るとどこかに通風孔が開いているのだろう。
真ん中に木を切って自作したと思しき簡素なテーブルが置かれ、その中央に先程のランプが置かれていた。

「これでも飲んで気を鎮めろ。」
カタン、と硬質な音を立てて金属製のカップが二つ、テーブルに置かれた。
その中には強いハーブの匂いがする黄色の液体が湯気を立てていた。
「フフフ、安心しろ、毒など入っていない。」
カップを見つめてどうするか迷う二人を見て、片頬に笑いを浮かべながら女が言った。


「あんたは―――一体、誰なんだ?」カップの中身を飲み干して、悠人が尋ねた。
「私か?まあ、貴様が知ってどうなるものでもないが――訓練士だ、雇われの。
もっとも今は隠居の身だがな。」

訓練士―――その言葉を聞いて悠人がいぶかしげに眉宇をひそめた。
悠人は、ラキオスの訓練場で、ヘリオンに「先生」と呼ばれていた居丈高な男の姿を思い出していた。
「その腕は――神剣のせいですか?」唐突にナナルゥが口を開いた。悠人がしまったという目でナナルゥを見る。
「訊きにくいことをずけずけ訊くスピリットだな、お前は。―――まあ、そんなところだ。
―――昔の話だが。」気分を害したふうでもなく、破顔しながら女兵士は答えた。
「さて、もう話は終わりだ。お前達も一休みしたらとっとと出て行くがいい。」
「待ってくれ。今の状態じゃこの娘を連れて出て行けない。あんただってここに住んでるなら知ってるだろう?」

「――ふふ。森であいつらに噛まれたか。まあお前達の方が侵入者だからな、仕方ない。
慣れればかわいいもんだぞ。」女兵士はナナルゥの足を見て、言った。「貴様らと違って
他人の縄張りには絶対入って来ないしな。私の番犬みたいなもんだ。おかげでこの洞窟に
辿り着くのは生き残りのスピリットくらいだが。」

悠人はごくりと唾を飲み込んだ。

「そのスピリット達は―――どうなったんだ?」
「―――教えて欲しいか?」女の声が低くなった。
「まさか、あんたが―――?」背筋に冷たいものを感じながら悠人は尋ねた。
「この辺りは上等の鉱脈が走っているらしい。バーンライトにとっては
喉から手が出るほど欲しい資源だ。――私はここで静かに暮らしたいだけなのだがな。
まったく、人間の欲望というのはキリがない、そう思わんか、若いの。」くっくっと笑い声を
漏らしながら女兵士は続けた。「降りかかる火の粉は振り払うしかない。たとえそれが、
人間の欲望の手先になり下がった哀れなスピリットだとしても、だ。―――どうだ、話が見えてきたか、坊主。」

「なんとなく、分かってきたよ。魔龍が棲むっていう噂は―――あんたの事だったんだな。」
「少しは頭が働くようだな。」女の冷ややかな視線が、悠人に投げかけられた。
「―――俺には、信じられないよ、この世界にスピリットよりも強い人間がいたなんて。」
はあっと悠人は溜息を吐いた。送り込んだスピリットが次々と消えてゆけば、
誰でもそこには強大な龍が棲んでいると考える筈であった。
「―――神剣やスピリットに頼ってばかりいるから、そういう事になる。自分の
持っている力を信じられなくなった人間ほど、哀れなものはない。」

女兵士の口調が初めて、感傷を帯びた。悠人はその言葉を、どこか懐かしいものに感じた。
「―――頼む!なんでもするから、俺に、剣を教えてくれ!」悠人は自然と手を付いていた。
「強く、なりたいんだ!」

「はははっ、そう来たか!ずいぶんムシのいい話だが...で、強くなってどうする、貴様。」
試すような目付きで女兵士は悠人の顔を覗き込んだ。
「守りたいんだ、佳織を。―――俺の妹が、人質にとられている。」悠人は哀願するように、言った。

「ふむ...残念だが、もう弟子はとらんと決めたのでな。―――まあ、そのスピリットも
どうせしばらくは動けまい。しばらくの間はここに置いてやろう。」
妹という言葉を聞いて、女兵士の表情が僅かに和らいだ。

「今日のところはもう休め。そこの穴を抜けて少し行ったところに空洞がある。
いつもは私の寝室だが、特別にお前達に貸してやろう。私はここで寝るが、
興味と度胸があれば襲ってくれてもいいぞ、若いの。」

悠人はぶるぶると首を振った。

悠人とナナルゥは女兵士に言われた「寝室」に入って行った。
一人になった女兵士はやおらテーブルの上に茶色い液体の入った瓶を取り出した。

「あのエトランジェも...少しばかり心を喰われているな。―――「四神剣」か。
若い身にはあの貪欲な剣は辛いだろうが――自分で乗り切って貰うしかない。」
その女はごくりとウィスキーのような液体を一口飲んでつぶやき、カップを
置いた手で、そっと自らの左の肩口を押さえた。

ナナルゥと二人きりになった途端、「求め」の干渉が悠人を襲ってきた。悠人が頭を抱え、うずくまる。
「ぐっ、ぐううっ!!」

―――契約者よ、このままでは、汝に力を貸すことなどは出来ぬ。さっさとマナをよこせ!

「な、何言ってんだ、バカ剣!ここには魔龍もいなけりゃ、敵だって
いないのは知ってるだろ!どうやって――。」

―――そこに、いる。使い物にならなくなった妖精が。
「―――!!」悠人は血走った目でナナルゥを見つめた。
傷を負った脚を投げ出して座っているナナルゥが相変わらずの無表情で悠人を見返していた。

「―――冗談じゃない。これ以上ナナルゥを犠牲になんて、出来ないよ。」
弱々しげにかぶりを振る悠人の顔が蒼ざめた。
―――これ以上抵抗しても無駄だ、契約者よ。汝の精神はすでに我の手の内にある。
神剣の声とともに、悠人の意識が遠のいた。その双眸から光を失った悠人が、ふらふらと
立ち上がり、青白く輝く「求め」を振りかぶる。
悠人をじっと見つめていたナナルゥが目を閉じ、まるで首を差し出すようにうなだれた。

―――あんまり、面白い事ってなかったなあ。
死を覚悟したナナルゥの胸中には、しかし、思い出らしいものは浮かんでこなかった。
自分の感覚は、どうやら他のみんなとはズレているらしい、その事に気付いてから、
周囲との関わりも避けるようにして生きて来たのだ。誰かに指示された事を諾々と
受け入れて行動するだけにしよう、そう思っていた。悠人が隊長になってからは
命令も多かったので、ナナルゥにとっては、むしろ好都合であった。

―――もう、何バカな事言ってるのよ、ナナルゥ。

ふと、そう言って苦笑するヒミカの顔が思い出された。
ナナルゥが何か言うごとに、彼女にたしなめられたものだ。あるいは
周りからナナルゥが浮き上がらないように心配してくれていたのかも知れないが、
もう、今となってはどうでも良かった。
最近ではそのヒミカとも、すれ違う事が多くなっていた。

求め」を振り上げた悠人の、僅かに残った心の視界に、ナナルゥの頭上にぼうっと現れた
真っ黒なハイロゥが飛び込んできた。

「ぐわぁぁぁ―――っ!!」
獣じみた叫び声とともに、振り下ろされた剣が、ナナルゥの体をそれ、背後の岩を打ち砕く。
ナナルゥの体が、びくりと動いた。悠人は「求め」を握り締めたまま、地面の上で、のたうちまわった。

―――まだ抵抗する力を残しておったか。しかし、我を受け入れる他の選択肢は残されておらんぞ、契約者よ。
「いっ、嫌だっ!!ナナルゥを殺してまで助かろうなんて、そんなマネが出来るかっ!!」
悠人が絶叫する。その声の大きさに比例するように「求め」の輝きが増した。しかし、悠人は叫び続けた。
「死んでも、お前の言いなりには...ならんっ!もう、これ以上...お前の...助けは...借りないっ!!」


―――どのくらいたっただろうか。

ガシャッ。
悠人は完全に輝きを失った「求め」を地に放り出し、ぜえぜえと喘ぎながら、仰向けに寝転がった。

―――俺は、無力だ。
ランプに照らし出される岩肌を見つめて、悠人は思った。

―――結局、神剣の力を引き出して、佳織を助ける事も―――、部隊のスピリット達を
まとめる事も出来なかった。・・・俺は、一体、この世界に何をしに来たんだ。

少し視線を動かした悠人の目に、赤い妖精が座ったままこちらを見ている姿が映る。

―――やった事と言えば、ナナルゥのハイロゥを黒くしたことぐらいかよ、全く。

ナナルゥは、そんな悠人をただ黙って見守る以外なかった。どうやら悠人が自分を処刑出来ずに
困っているようだ、というくらいの見当しかつかなかったのだ。やがて、ふとある事に
思い当たり、ナナルゥは悠人へと這い寄って行った。

ほうけた様に天井を見つめる悠人の下半身から、カチャカチャと音がした。
我に返った悠人が見ると、慣れぬ手つきでベルトを外そうとしているナナルゥの姿があった。
「――?何してるんだ、ナナルゥ。」
悠人はゆっくりと起き上がった。

「はあ。あの、――ユート様が、喜ぶかと思って。」
ナナルゥが自信なさそうに、首をかしげながら答える。
「喜ぶ―――俺が――?」悠人は、一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「―――!」悠人は赤い妖精のしようとしていた事を理解し、その両肩を
弱々しく押し返しながら、笑い始めた。「何、考えてんだよ。
――はは。こんな時に、――は、はは。」また場違いな事をしたのか、と困惑するナナルゥの
戦闘服の裾から、パタパタッと雨の雫がしたたるような音がしはじめた。
「は...くくっ。く...うっ、くっ。」悠人の笑い声が、いつしか嗚咽に変わっていた。

「―――何故...泣くのですか、ユート様?」ナナルゥは不思議そうに悠人の顔を見つめて、尋ねた。
「―――人間てのは、―――悲しいと、涙が出るんだ。」かすれる声で、悠人が答える。
悠人はナナルゥの赤い頭を引き寄せ、泣き続けた。
「―――はあ。」半ば溜息のような返事だった。ナナルゥは、どうしてこの男が
泣いているのか、よく分からなかった。ただ、その涙の理由が、理解できない自分が、悲しかった。

――翌朝。

「ほら、起きろ、朝だ!飯だぞ!」
泥のように眠る悠人に威勢の良い声が掛けられた。

――あれ、ここは――?
寝ぼける悠人を叩き起こすように、女兵士が続けた。
「食ったら、少し遊んでやる!ありがたく思え、坊主。」

普段は寝起きの悪い悠人が飛び起き、がばっと地に伏せた。
「あ、ありがとう...ございます!」

「ククク。一文にもならんが、腹ごなしの運動だ。途中で後悔するなよ、エトランジェ。」
ぴしりと悠人の頭を引っぱたいて、女兵士は笑みを浮かべた。