SALVAGE

85-100

食事の後片付けを終え、廊下を歩いていた悠人はふと足を止めた。
食堂でヒミカとナナルゥが並んで座り、お茶を飲みながら、何やら楽しげに談笑していた。
おそらく二人の失われた時間を取り戻しているのだろう。
その姿を見て、ここに戻って来て良かった、悠人は心底からそう思った。
「―――友達、か。」
光陰達の顔を思い浮かべ、悠人はつぶやいた。

「ユート様。」
広間でくつろいでいた悠人の下にヒミカが来訪した。
「お、どうした、ヒミカ?」
「あの、少しだけ、お話を。」ヒミカがややあらたまった態度で話し始める。
「いいよ。立ちっぱなしじゃなんだから、座ってくれよ。」悠人は笑って椅子を勧めた。
「―――はい、失礼します。」
ヒミカは頭を下げて悠人の向かい側に座った。隊長時代の名残りなのか、
ヒミカの態度は礼儀正しいままである。
「あの、―――有難うございました。」ヒミカにいきなり礼を述べられ、悠人は面食らった。
「何か礼を言われるようなことしたっけ、俺?」
「―――ナナルゥの事です。」
「―――?」そう言われても悠人にはピンと来ない。


「昔の、あの子に戻していただきました、ユート様に。」
「昔の?」
「はい。―――ナナルゥはもともとよくしゃべる子でした。
ただ、何というか、的外れな事を言う事が多かったので、私はひやひやものでしたが。」
「へえ、そうなのか。」
悠人は以前のナナルゥを思い出し、ヒミカの言っている事が、何となく分かるような気がした。
ヒミカが頷きながら言葉を継いだ。
「ナナルゥの、――世話をしていたつもりだったのです。」ヒミカの口調が沈む。
「でも、私がかばうたびに、あの子は寂しそうに笑ってました。――段々、口数も減ってしまって...
多分、それで、話し相手が神剣しかいなくなっていったんだと思います。」
「そうか、それで、ヒミカはやけにナナルゥの事を心配してたんだな。」

「ハイロゥが黒くなった時は、私も、目の前が真っ暗になりました。」
「―――あれは、俺のせいなんだよ。」自分がナナルゥにした仕打ちをまざまざと思い出しながら、
ふうっと溜息をついて、悠人は言った。
「―――聞きました、ナナルゥから。何もかも。」
「え!?」悠人はその言葉に驚かされる。
ラキオスに戻って以降、ヒミカは一貫して悠人に対し友好的な態度を崩していなかった。
それどころか、悠人と他のスピリットが険悪な雰囲気に陥らないように気配りをしているフシすらあった。

「――我々も悪かったのです。ユート様に対して失礼な態度を取っていたのは、
セリアだけではありません。私も正直、素人扱いしていました。
ユート様を孤立させてしまったのは、私の責任でもあります。」

「あまり何でもヒミカが自分のせいにするのはどうかと思うけど...」
恥ずかしさもあって、悠人はやんわりと反論した。
「でも、ユート様はもう充分苦しまれました。ひょっとしたら、今でもまだ苦しみ続けておられるのでは有りませんか?
でなければ、自ら格下げするなどという事はされないはずです。」
それは、ゆっくりと、励ますような口調だった。
「苦しむも何も...それだけの事をしたんだからしょうがないさ。」悠人は目を伏せた。
「―――私は、今でも、いえ、今のユート様こそ隊長にふさわしいと思っています。」
ヒミカはそう言って立ち上がり、一礼した。

「ユート様。ナナルゥの事、よろしくお願いします。今のあの子にはユート様が心の支えになっています。」
「そ、そう、かな。」さすがに照れくさくなって悠人は頭をかいた。
「はい。私と話す時もユート様のことばかり言っています、ナナルゥは。」そう言ってヒミカはクスリと笑った。
「ふう。―――全部、つつ抜けって訳だな。」
苦笑を浮かべて悠人は言った。「でも、少し楽になったよ。さんきゅ、ヒミカ。」

「あ――いえ、すみません。また、差し出がましい事を言ってしまったようですね、私は。」
悠人に礼を言われると、ヒミカは慌てたようにぺこりと頭を下げ、立ち去った。

「―――ヒミカの目は、ごまかせなかったか。」
独りになった広間で、悠人は言った。ラキオスに戻って以来、つとめて明るく振る舞ってつもりだった。
「ナナルゥの保護者みたいなもんかな、あいつ。」
もし今後ナナルゥを悲しませるような事があれば、ヒミカが黙っていないだろう。
「―――それにしても、ナナルゥのやつ、まさか俺が小便漏らした事まで喋ってないだろうな。」
そう思って新たに戦慄する悠人であった。

「ねえ、ヒミカ。さっきの話、まだ続きがあるんだけど...」
ナナルゥが、廊下を歩いていたヒミカを目ざとく見つけ、駆け寄ってくる。
「はいはい。続きはあっちでゆっくり聞かせてもらうわよ、ナナルゥ。」
自分と同じ赤い妖精の肩に手をかけ、まわれ右をさせながらヒミカは苦笑した。
面倒見が良すぎるのも考えものだ、そう思ってヒミカはそっとつぶやいた。

「――いつか私も、こんなふうに笑えるかしらね。」

第二詰所の生活にも慣れてきた悠人であったが、やはり、平和な日常は長くは続かなかった。
「イースペリアって、確かラキオスの友好国の?」
「そうです、ユート様。サルドバルトが仕掛けてきた模様です。
先ほど、国王より救援命令が下りました。」久し振りに第二詰所にやって来たエスペリアが報告した。
「―――そうか、わかった。」
悠人は何か不吉な予感に襲われながらも立ち上がった。
あの国王が、素直に救援を考えているとは思えなかったのだ。

『人間の欲望にはキリがない。そう思わんか、若いの。』
師匠が耳元でささやいている気がした。

ランサから、ミネア、ダラムへの進軍は順調に推移した。
どういう訳か、下っ端であるはずなのに、スピリット達は以前よりも悠人を隊長扱いしていた。
セリアまでもが、悠人の思惑に沿って動くように後輩達に指示しているようであった。

「ま、死なない程度に、適当にやろうぜ、みんな。」
時には昂ぶり、時にはおびえる仲間達に、悠人はいつしか、こんな事を言うようになっていた。

「エスペリアっ、まだか!?」
アセリアと後方を警戒しながら悠人は叫んだ。
イースペリアのエーテル変換施設中枢に入りこみ、装置を停止させよとの指示であった。
「もう少しです、ユート様!」エスペリアが苛立ったように、それでも手を休めずに答える。
「悪い、焦らずにやってくれ。」
余りにも簡単に施設に入り込めたことが、かえって悠人の嫌な予感を増幅させていた。

「―――ちっ、やっぱり来やがったか。」ひときわ強大な神剣反応に、「求め」が警告を発する。
狭い室内に黒い疾風が飛び込んできた。素早くアセリアがウィングハイロゥを拡げる。
「アセリアっ、無理すんな!」
悠人は地上で虚しく叫んだ。空を飛べるスピリットにはどうしても直接対決を挑みにくい。
「あれは...漆黒の翼、ウルカ!」エスペリアが振り向いて驚愕の表情を浮かべる。
「サーギオスのスピリットが、どうして、ここに!?」

そのブラックスピリットはアセリアと激しい空中戦を展開していた。
三合ほど斬り合ったところで、アセリアが負傷して床に落下した。
「アセリアっ!大丈夫か!?」悠人はその場に釘付けにされながらアセリアの様子をうかがった。
「―――ん、大丈夫。」
脚を抑えながらアセリアが応える。そのブラックスピリットは無言で悠人に向き直った。
悠人は音も無く真正面中段、いわゆる正眼に神剣を構え、そのスピリットを睨みつける。

「―――美しい構えをされております。貴殿の名を、お聞かせ願いたい。」
ウルカが間合いをとったまま、不意に口を開いた。
「ユート、ラキオスのエトランジェ・ユートだ。」
緊張に身を包まれながらも、どことなく師匠と似た雰囲気を持つウルカに、悠人は答えた。
「貴殿が...そうでありますか。」相手も悠人の事は知っているようだった。
「手前の役目は終わったようです。―――また、いずこかでまみえん事を!」
収刀の音を残し、ウルカが飛び去った。それに呼応するかのように、室内の機械音が停止した。

「ユート様...終わりました。」エスペリアが言った。

帰路に着いた悠人の横にエスペリアが並んだ。
「ユート様、少し気になる事があるのですが―――。」
そう言ってエスペリアは、肌身離さずに持っていた手帳を開いて見せた。
開かれたページには大きな赤い×印が付けてあった。
かつて採点すらされずに返ってきたテストの答案用紙を思い出し、悠人の胸に黒い予感が渦まいた。
「エスペリア、それって―――。」
「これは私がかつて師事した方に、絶対してはならないと教えられた操作手順です。」
「で、まさか―――」
「実は、私が本国から指示されていた手順がこれと同じだった気が―――。」
「ば、馬鹿っ!うっかりさんにも程があるっ!!」悠人は最後まで聞かず、全員に退避命令を出した。
「みんなっ、命が惜しい奴は全力で走れっ!!」

次の瞬間、すさまじい衝撃波が襲ってきた。スピリット達が悠人の展開したシールドに飛び込むのと同時であった。

――あってはならない事だったのかも知れない。
この日を境に、大陸の地図からイースペリアという国の存在が消滅した。

悠人達がラキオスに戻った日の夜、第二詰所の広間に集まるスピリット達の姿があった。
誰もが一言も言葉を発しない中、その中心にいた悠人が顔を上げた。
「―――来たみたいだな。」
城を抜け出てきたレスティーナが、すでにかなり手狭になっている広間に入室した。
「手は、打ってあるのか?」悠人は簡潔に尋ねた。王女が頷く。
「―――本来なら、あなた方の力をお借り出来るような義理ではないと思っています。
私が、自分自身で決着をつけるべきなのですが、―――。」
その表情に苦渋を浮かべて、国王の一人娘は言葉を紡いだ。
先日のマナ消失で、レスティーナ自身も、親友であるイースペリアの若き女王、アズマリアを失っていた。

「勘違いすんなよ。別にあんたの為になんて思っちゃいない。
命令を出したのは国王だが、実際に手を下したのは俺達だ。
俺は、―――自分でやった事の後始末をする。あんたは、たまたま俺達に協力した、それだけだ。」
普段、他の者の前では、レスティーナに対して、決して礼を失さぬ態度を取っている悠人が
この時は、あえてぞんざいな口調で話していた。

夜更けが過ぎるころ、城の中に向かう二つの影があった。
門番は何も言わずに扉を開いた。城の中にはなぜか護衛の兵士の姿も無かった。
カチャリ、と鍵を開ける音とともに国王の寝室の扉が開かれる。

「な、何者だっ!」国王が王妃とともに飛び起きた。
「―――俺だ。」悠人は短く答える。神剣は持っていなかった。
「無礼者っ!ここがどこか判っているのか!?」国王が怒鳴りつける。
「判っている。―――かつて、国王だった奴の部屋だ。」悠人が静かな声で言った。
「何だと!?」言いざま、不穏な空気を感じ取った国王が結界を張った。悠人を耐え難い頭痛が襲う。
「くっ...やっぱり神剣なしでも、駄目かっ...!」
悠人がうずくまるのを見て、国王は落ち着きを取り戻す。
「エトランジェよ、お前の妹の命が我が手中にある事を忘れたのか?何を血迷っておるのだ。」
音もなくもう一つの影が入室した。その手には、背丈をゆうに超える槍を携えていた。

「エスペリア...後はまかせる。」悠人は頭を抱えながら言った。
「エスペリア!?お前まで、何のつもりだっ!」国王が再び声を張り上げた。

硬い表情でエスペリアが応じた。
「私は...これまで自らの意思で神剣を振るった事はありません。戦う事も、本当は好きではありませんでした。
それでも、スピリットは人間の道具として生きてゆくのが使命だと、そう信じておりました。
―――ですが、その事がどれだけ罪深い事か、貴方が教えて下さいました、国王陛下。」

エスペリアが「献身」を構えるのを見た国王と王妃が凍り付く。悠人は最後まで見届けることなく退室した。
「せめて...苦しまないように―――。」エスペリアの祈るような声を背中で聞きながら。

―――翌日。
国王の急逝に伴い、レスティーナ女王が即位した。
国王の死は病死と発表され、王妃がその後を追ったとの事であった。

その夜、久し振りに第一詰所の自室に戻る悠人の姿があった。
「お兄ちゃんっ!!」佳織が悠人の胸に飛び込んだ。悠人は久し振りの再会に言葉もなかった。
その夜、ささやかなパーティーを終えた二人は久し振りに語り合う時間を得た。

「ねえ、お兄ちゃん、お嫁さんにするなら、どの人がいいの?」
「何だよ、いきなり。久し振りに会ってその話題か。」悠人は苦笑した。
「ちゃんと答えてよ、お兄ちゃん。ねえ、どの人?エスペリアさん?」
「別に...あんまり考えた事もないよ。」
困惑しながら悠人は答えた。戦闘の日々に身を置いていたのだから、当然といえば当然であった。

「―――お兄ちゃん。」
佳織の声が真剣味を帯びる。思わず悠人はベッドの上で姿勢を正した。
「逃げよう、お兄ちゃん。どこか見つからない所で、二人で暮らそう。
ここにいたらいつまでも戦わされちゃうよ。私がお兄ちゃんのお嫁さんになってあげるから。」
突然の告白であった。悠人は知らぬ間に成長していた義妹を見つめて、言葉を失った。
「――私じゃ、ダメなの?」
「佳織―――。」佳織の目は真剣そのものであった。ごまかすのは許されない、悠人はそう思った。

「どこか、誰もいない所で二人っきりで、か。」悠人は目を閉じた。
「―――佳織、ごめんな。そんな暮らしもしてみたいと思うけど、そこにいるのは―――別の娘だ。」
悠人の胸中に、洞窟で訓練に明け暮れていた頃のことが呼び起こされた。苦しくも懐かしい日々。
そして、悠人の思い描いた情景の中、静かな笑顔で寄り添っているのは、―――紅い瞳の少女だった。

「そう、―――そっか。うん、わかったよ、お兄ちゃん。」そう言って佳織は笑って見せた。
「佳織―――」ゴメン、と再び謝りかけて、佳織にキッと睨まれ、悠人は言葉を飲んだ。
「その人の事―――幸せにしてあげてね、お兄ちゃん。」
絞り出すようにそれだけ言って、佳織は悠人の胸に顔をうずめ、泣いた。
血も繋がっていないのに、自分と同じハリガネのような少女の髪の毛を、悠人はいつまでも、なで続けていた。

「ユート様、申し訳ありません!!」

数日の後の夕方。エスペリアの悲痛な声が悠人の胸を切り裂いた。
一緒に買い物に出た佳織を、例のブラックスピリットが連れ去ろうとしていたのだ。
悠人が「求め」を引っ掴んで外に飛び出した時、リュケイレムの森の上空に、
気絶した妹を抱えるウルカの姿があった。
「ウルカっ!!」悠人の叫び声にウルカは空中で静止した。
「何で佳織を―――!卑怯だぞっ!!降りて来い!!」喉も張り裂けんばかりの悠人の声を聴いて、
ウルカが顔をそむけ、飛び去って行った。
夕焼け空の彼方、黒い点になってゆくその姿を見ながら、しかし、悠人にはなすすべもなかった。

「あれ―――?」
佳織は、自分の頬を濡らす雫に目を覚ました。自分を抱きかかえる黒い妖精の、涙であった。

再び佳織と生き別れた悠人が悲嘆にくれる間もなく、新たな戦乱が巻き起こった。
サルドバルト兵達がラキオス領土南東に位置するラースの街に向かって進撃して来たのだ。
悠人達はサーギオスの息がかかっているとおぼしきスピリット部隊を迎え撃つべく、ラキオスの城下町を出立した。

「今日子、しっかりしろ。」
光陰のさとすような優しい声と裏腹に、今日子は獣じみた悲鳴を上げて床の上を転げ回っていた。
「―――無理か。お前、ホントはそんなに、強くないもんな。」


数ヵ月後。
北方五国を統一したラキオスに対し、マロリガン共和国より宣戦布告がなされた。
悠人達ラキオス部隊は、新たに技術協力者としてラキオスに赴いてきた天才科学者、ヨーティア・リカリオンの
エーテルジャンプ技術によって旧イースペリア領の軍事要衝・ランサへと飛んだ。

「こりゃ、話には聞いてたけど、本当にきついな。」スピリット達を率いて進軍する悠人は、滴る汗をぬぐった。
ランサからマロリガン領・スレギトへと続く「ヘリヤの道」は、道と呼べるシロモノではなく、
荒涼とした砂漠に、ところどころ道標が立っているだけであった。

「―――それにしても、ナナルゥ。」
悠人は横に並んで歩くナナルゥに話し掛けた。
「はい、なんでしょうか。」
ナナルゥはさすがに炎の妖精だけあって、照り付ける日射しにも涼しげな表情を崩していなかった。
「あれ、―――うまそうだよなあ。」悠人はオルファの胸元から顔を出している「それ」をちらりと見やった。
エスペリアが丹精こめて育てたハーブをたらふく食べている「それ」は丸々とよく太っていた。
「多分丸焼きにしたら、そのまま香草焼きになるぞ、あれ。」
「何てことを!オルファのかわいいペットに向かって!」ナナルゥが声をひそめながら悠人を叱りつけた。
ちなみに「あれ」とはオルファが森で捕まえてきたエヒグゥで、佳織の帽子にちなんで「ハクゥテ」という名が付けられていた。
「はは。ごめんごめん。でもさ、ナナルゥもイグニッション掛ける時は、方向に気を付けろよ。」悠人は冗談めかして言った。

「そ、そんな事―――あ、当たり前じゃないですか。」妙にうろたえる炎の妖精が、ゴクリと唾を飲み込んで答えた。
オルファとナナルゥは別部隊に引き離して配置しなければと、悠人は視線をそらすナナルゥを見ながら、
強くそう思ったのであった。  続く。