SALVAGE

101-114

宣戦布告から日数が経過していたがラキオス・マロリガン双方ともダスカトロン砂漠を越えて
攻め込むだけの戦力が整っておらず、両にらみの状態が続いていた。
悠人とオルファがランサ近辺を哨戒していたある日。
「あれ~?」頓狂な声を出したオルファがわき道にそれて行った。
「おい、勝手に隊列から離れるなよ、オルファ、危ないぞ。」悠人が慌てて追いかける。
「パパー、こっちこっち!」岩陰にしゃがみこんで、オルファが悠人に手招きした。
「何だよ、一体―――。」悠人は行き倒れ同然のブラックスピリットを見て息を呑んだ。
「お前は―――!」そのスピリットの颯爽とした戦士ぶりを発揮していた頃を知る悠人にとっては、
見る影もなかったが、その姿は過日、佳織を連れ去ったサーギオスの『漆黒の翼』、ウルカに間違いなかった。

「―――これは、ユート殿。お見苦しい姿を晒してしまい、申し訳ない。」
悠人達の声に気付き、気丈にもニヤリと笑ってウルカが立ち上がろうとする。
「あー、ダメだよぉ、お姉ちゃん、無理しちゃ。」
ウルカとはまだ会った事のないオルファが小さな体で黒い妖精を支えた。
どうやらウルカは立っている事もままならぬ程、衰弱しきっていた様だった。

「―――かたじけない。かような体でなければユート殿と立ち会い、たたっ斬って頂けたものを。」
ウルカがあきらめたようにオルファに体を預けた。
「やれやれ。―――ったく、何が起こったか知らないが...とりあえずオルファ、
そのお姉ちゃん運んでくぞ。」
とても佳織の事を問い詰める気にならず、悠人はオルファと二人でやつれきったスピリットを支えた。

「瞬が―――!あいつもこの世界に来てたのか!」
ランサの街に戻り、ようやくまともに喋れるようになったウルカに、事の次第を聞いた悠人は驚愕した。
しかし、当のウルカはどういう訳か神剣がまともに扱えなくなり、サーギオスから追放されたという事だった。

「じゃあ、オルファ達の所においでよ!」無邪気にオルファがはしゃいだ。「ねえ、いいでしょ、パパ!」
「おいおい、このお姉ちゃんはエヒグゥとは訳が違うんだぞ。」
苦笑しながらも、悠人はウルカが神剣の力が引き出せなくなった理由に、思い当たっていた。
「ま、やっぱり道具じゃないって事だよな。」妹を連れ去った張本人であったが、
何となくウルカに対して憎めないものを感じる悠人であった。
「ウルカ、行くところが無いんだったらウチに来い。」
「は―――?」悠人の申し出に目を丸くするウルカであった。

悠人達は、哨戒にあたる部隊だけを交代でランサに置き、ラキオス本国と
エーテルジャンプで行ったり来たりの比較的平和な日々を送っていた。

「おい、ウルカ、ちょっと稽古に付き合ってくれよ。」ある日の事、悠人はウルカを詰所の裏に連れ出した。
「どうだ、神剣の声は聴こえるようになったか?」間合いを開けたまま悠人は尋ねた。
「いえ。―――もはや手前には戦士としての能力は残されておらぬかも知れません。」
ウルカがうつむく。
「神剣の声が聴こえなきゃ、自分の声に耳を澄ませる事だな、ウルカ。」悠人は笑って言った。
悄然と立ち尽くすその黒い妖精の姿は、かつての自分と同じものであった。

「じゃ、始めるとするか。ラキオスの―――、一番下っ端の俺が相手だ。」
自分にも『蒼い牙』とか『黒い翼』とかのシャレた別名が欲しいと思う悠人であった。
「しかし―――、ユート殿、神剣をお持ちではないようですが――?」ウルカが怪訝な顔をした。
「俺はこれで充分だ。ウルカが一太刀でも俺に浴びせる事ができりゃ、バカ剣で相手してやるよ。」
悠人は素振り用の木刀を構えた。「―――来いっ!」

「こ、こんな―――、馬鹿な!」ウルカが肩で息をしながら言った。ウルカの剣は悠人にかすることもなく、
虚しく空を斬り続けていた。いくら神剣の力を借りる事が出来ず、動きが鈍っているとは言え、
人間相手に全く歯が立たない事が、ウルカには信じられなかった。

「うーん、型はキマってるんだけどなあ。」対する悠人は息一つ乱れていなかった。
「ま、そのうち体調も戻ってくるだろ。今日はこのくらいにしとこうか。」
「ユート殿、お教えください!その剣技は我流のものではないとお見受け致します。
一体どなたの下で修練を積まれたのですか?」ウルカが哀願するような口調で問うた。
「俺の師匠か...あんまり名前出すなって言われてるんだけど...。」
ウルカなら口外する事もないだろうと思い、悠人はその名をウルカに耳打ちした。

「あの―――伝説の――!生きておられたのですか、あの方が!」
「へえ、やっぱり有名人なんだな、師匠って。」妙に納得する悠人であった。
「ホントはもう弟子は取らない主義らしいんだけど、俺の熱意に胸を打たれたらしくってな。
まあ、師匠の歴代の弟子の中でも、俺はかなりスジがいいって言われてたけどな。」
ついでに張らなくてもいい見栄を張るのがこの男の悪い癖である。
「おお、さすがはラキオスの勇者として名高いユート殿です。実にお見それいたしました。」
深々と頭を下げる素直なウルカであった。

「ちょっとちょっと、どういう事よ、アレ。」
詰所の影に、ひそひそ声で顔を寄せ合う赤い妖精達の姿が有った。
「なんだかすっごく仲良さそうなんだけど。いいの、ナナルゥ?」
「でも、ユート様もウルカを心配して訓練してあげてるんだと思うし...」
ナナルゥが困ったような顔つきでヒミカに答えた。

「それだけではありません!」いつの間に背後に来ていたのか、エスペリアが二人の背後から言い放った。
「うわっ、びっくりさせないでよ、エスペリア!」
ヒミカの言葉に耳も貸さずエスペリアが続ける。
「ユート様の趣味はこの私がよく分かっています。とにかく、弱っているとか、
ケガをしているとかのキーワードに弱いのです。強い女には見向きもしません。
今のウルカはまさにその状況ですっ!」
ギリ、とエプロンの裾を噛みながら、エスペリアが内緒話をしているウルカと悠人を睨む。
「なんだ、それならあなたと一緒じゃないの、エスペリア。」ヒミカがあきれた口調で言った。
「むむ...言われて見れば、なんとなく思い当たるフシがあるわ...」
思い起こせば、自分が骨折をしていた頃が一番優しくしてくれていたような気がするナナルゥであった。
「でも、このまま放っておくのもまずいわね。―――よし、じゃ、こうしましょう、二人とも、協力してくれる?」
ヒミカが何事かを思いつき、三人は顔を寄せ合った。

「俺みたいな勇者様になりたい、か。」
ある日の午後、ラキオスの城下町を散策していた悠人は去ってゆく少年の後ろ姿を見送りながらつぶやいた。
「―――俺、強くなったのかな。」

幸せな気分に浸りながら第二詰所に戻った悠人を、ヒミカが待ち構えていた。
「ユート様、訓練に付き合って頂けませんか。」
「お、それじゃ久し振りに手合わせして貰おうか。」

「おい、ヒミカ、どこまで行くんだ?」
先に立っていつもの訓練場を通り越し、ずんずん進んで行くヒミカの背中に不審を感じ、悠人は問いかけた。
―――ま、まさか責任を体で払ってもらえるとか!?

「この辺りでいいでしょう。ここなら邪魔も入らないし――おや、ユート様、どうかされましたか?
鼻の下が伸びきっておられますが。」
よこしまな考えにどっぷりのめりこんでいた悠人が現実に引き戻される。
「―――はっ!?い、いや、ヒミカ!もっと自分の体を大切にしないと!―――って、あれ?」
よだれを拭う悠人の前に、草陰からエスペリアとナナルゥが姿を現した。

「訓練相手は私一人ではありません。」
ヒミカが『赤光』を構えながら言った。「もちろん、付き合って頂けますね、ユート様?」
「う、うむ、練習熱心なのはいい事だぞ、三人とも。」
妙な考えを悟られないように、慌てて悠人は答えた。

「求め」を構える悠人の前にその三人がずらりと並ぶ。
「むう、三人同時か。赤緑赤とは...シブすぎる組み合わせだぜ。」
「先制攻撃......決めます。」
「ちょっ、ちょっとナナルゥっ、それはやりすぎ...って、ああっ!!」
ヒミカの制止にも、高速詠唱は止められない。
「くううっ、食らっちまたかっ!」何度パッチを当てても修正されない誤植に業を煮やしながら、悠人が呻いた。
「でも、ホントにこれって訓練なのか?私情がまざってる気が―――って!?」
「私の全力で...行きますっ!!」
すでにその身を激情に委ねている、エスペリアの猛烈な刺突が襲いかかる。
「はああぁぁぁ―――っ!!」


「ユ、ユート様っ!大丈夫ですか!?」ボロ雑巾のように崩れ落ちた悠人を三人が抱き起こした。
「お、お前ら...練習熱心なのもいいが...もう少し手を抜いても...いいと思うぞ...ガクッ」
結局最後まで何が起こったのかよく分からない悠人であった。

そんな平穏な日々が続く訳もなく、戦力を整えた悠人達は、再びスレギトを目指し始めた。

道なき道を突き進んでいた悠人達ラキオス部隊の前方から、異様な気配が漂ってきた。
「―――みんな、ちょっと待て。」緊張した声で、悠人は部隊を制止した。
雲ひとつなかった空が突然かき曇り、同時に誰もが経験した事のない衝撃が襲ってきた。
「なんだっ!...これは!」悠人の顔から血の気が引いた。
それは、全開で張ったシールドをものともせずに突き破る雷撃であった。

「へっ、あれをまともに受けて立ってられるとは、たいしたもんだな、悠人よ。」
全身が痺れるのも忘れさせるような、懐かしい声であった。
「光陰!?お前達も...!?」駆け寄ろうとした悠人は旧友の横に佇む少女の姿に息を呑む。
それは、神剣に呑み込まれ、瞳から完全に生気を失った今日子の、変わり果てた姿であった。
「今日子...?それ、今日子なのか?」
「全く、どういう事なのか、な。俺もお前も、神剣を持ってこの世界にいる。
どうやら、今日子をこの剣から引きずり出すには俺達が犠牲にならなきゃならんそうだ。
―――そういう訳で、悠人よ、俺達に殺されてくれ。」

「ま、待ってくれ、光陰!なんで俺達が―――!」
悠人の言葉も聞かず、光陰は少女を抱きかかえる様にして、その姿を徐々に消した。
「ま、今日のところは挨拶だけにしとけってマロリガンの大将に言われてるんでな。」

数週の後。
スレギトに到達したものの、マナ障壁に阻まれ、悠人達はランサに足止めを食らっている状態であった。
結局その後、光陰達と再び邂逅することはなかった。マロリガンの部隊もまた、
ヘリヤの道を越えて攻撃するだけの態勢は整っていないようであった。
悠人は駐屯所の一室で押し黙ったまま座っていた。
「―――ユート様。」赤い妖精がいつの間にか入室して、悠人の横に座った。
「何だ、ナナルゥ?なんか話か?」視線も上げずに悠人はつっけんどんに尋ねた。
「――――――。」ナナルゥもまた、今の悠人になんと言葉を掛けてよいのか分からなかった。

「友達―――だったんだ、あいつら。」やがて、沈黙に耐えかねたように、悠人が重い口を開いた。
「でも...今は、敵です。」返ってきたのは、ナナルゥの静かな声であった。
「ナナルゥなら―――ッ!」悠人は机の上で両の拳をきつく握った。「ナナルゥなら、戦えるのかよっ!!
もし、ヒミカやセリアと戦えって言われたらっ!!」
悠人の声が自然と大きくなる。

「―――戦います。それで、救われるものがあるのなら、私は戦います。」
ナナルゥがきっぱりと言った。
「―――ッ!!」悠人がその紅い瞳を睨みつけた。
「―――でも」ナナルゥが視線を真っ直ぐに返しながら続ける。
「でも、ユート様がどうしても戦えないのなら、仕方がないと思います。今までユート様に頼りすぎていたんです、私達は。
ユート様抜きでも―――私達だけで戦い続けます。」
「――!」エトランジェの力は、スピリットとは比べ物にならぬ程、絶大だった。
悠人は、自分が初めて今日子の雷撃を受けて、その事に気付いていた。
そのエトランジェ戦士を二人も擁するマロリガンの精鋭部隊を、ラキオスのスピリット達だけで迎え撃つのは不可能である。
そんな事はナナルゥにも、充分に分かっている筈であった。
悠人は、ナナルゥの言葉に、自分がいつのまにかナナルゥに甘えている事に、初めて気付いた。

「―――ごめん、怒鳴ったりして。」
「――いえ。」ナナルゥは微笑を浮かべて悠人の拳の上にそっと手を乗せた。

―――なんだよ、俺よりずっと人間っぽくなってやがる。

「なあ、ナナルゥ。」
「はあ。」
突然の問いかけにナナルゥは、出会った頃のような、妙に間の抜けた返事をする。
「友達って...何なんだろうな。」
「友達、ですか?」少し首を傾げたナナルゥは、続けた。

「――――思い出がある人の事じゃないでしょうか。」
漠然とした質問に返って来たのは、悠人自身期待していなかったくらいの、明確な回答であった。
「―――へ?」今度は悠人が間抜けな声を出す。

「私、あんまりいい思い出ってなかったんです。――楽しかったって思える事が。
ヒミカに、心配されてる自分が、嫌でたまりませんでした。多分...心の中も空っぽだったんだと思います。
でも、ユート様とラシードの洞窟で過ごした頃が、今は、ものすごく懐かしいんです。」
ナナルゥがその手で、記憶を追いかけるように胸を押さえた。
少女の、紅い瞳が細められてゆく。―――純白のハイロゥを取り戻したあの日のように。

「ふふ。今でもあの頃の事を思い出すだけで嬉しくなります。ユート様は毎日苦しい訓練ばっかりだったから、
余り思い出したくないかも知れませんけど...でも、私は全部憶えています。
ミュラー様に教えてもらった事も、ユート様が言った事も、した事も―――泣いた事も、何もかもです。
私にとってはあの思い出が、宝物なんです。」
悠人は本当に嬉しそうに話す炎の妖精の笑顔を、ほうけたように見つめていた。
それは、焚き火の前で、悠人が心から美しいと思った、あの笑顔であった。

「――ナナルゥ。」
「はい?」
「綺麗だ。」悠人はそう言うのが精一杯だった。だが、ナナルゥは一瞬何を言われたのかよく分からないようだった。
「え―――?」充分な間を置いてから、悠人の言葉にナナルゥが驚きはじめた。その顔に、見る見るうちに朱が注がれる。
「なっ、と、突然何を言い出すんですか、もうっ!」
髪の毛から耳の先まですべてを鮮やかな緋色に染めて、紅の疾風と化した炎の妖精が、部屋の外へ逃げ去っていった。

「す、すごい数ですねえ...」
聖ヨト暦330年、スフの月。
ヨーティアの尽力により、マナ障壁の解除に成功したラキオス軍は、
制圧したスレギトで、次々と集結してくるマロリガン兵達を眺めていた。

「怖いか、ヘリオン?」
朗らかな口調で悠人が語りかけた。
「い、いえ、そんな事は!」悠人をキッと睨み返して黒い妖精の少女が答える。
「ま、戦いは数だけじゃない。今の俺達なら充分、勝てるさ。」
明るく振る舞う悠人だったが、さすがに今回は自信が持てなかった。敵は眼前のスピリット兵達だけではない。

「ユート殿!出遅れて申し訳ありません!」
急ぎランサから飛翔してきたウルカが、悠人の目の前にひらりと舞い降りた。
「ウルカ―――!もう、体は、大丈夫なのか?」
問いかける悠人にサーギオス最強と謳われたブラックスピリットが力強く頷く。

「ユート殿のおっしゃられた通りです。ようやく手前にも己の声が聴こえるようになりました。」
そう言ってウルカは携えた神剣をいとおしむように撫でた。「必ずやこの剣で、ユート殿に恩を返させて頂きます。」
『冥加』―――それがその神剣の新たな名だ、ウルカはそう言った。「手前の――命に代えましても、必ず。」

「あんまり気張りすぎるなよ、ウルカ。」
悠人はそう言って笑みを浮かべ、スピリット達を見回した。
―――そうだ、俺はもう、一人ぼっちじゃないんだ。
この世界で、出会い、一時は神剣に呑み込まれそうになった自分を見捨てることなく、
快く許して迎え入れてくれた仲間達の姿がそこにあった。
そして、どの仲間も出会った頃とは比べ物にならないほど、逞しくなっていた。

「さて、敵さんがお待ちかねだ。みんな、適当に片付けて行こうか。」
そう言った悠人の目は遠く、マロリガンの街を望んでいた。
かつて、親友だった者達が待っているであろう、その街を。