「何とか、ひと区切りついたって感じだな。」
悠人は他のスピリット達を見回して言った。
スレギト防衛戦が始まってから数週間が経過していた。
新戦力のウルカや、ヨーティアの側近・イオの要害設置もあって、悠人達ラキオス部隊は
マロリガン兵を撃退させることにほぼ成功していた。
負傷者の数も半端ではなかったが、ハリオン、エスペリアといったグリーンスピリットが
救護係に徹していたお陰で致命的なダメージをこうむった者もいなかった。
「もうちょっと歯ごたえがあるかと思ってたのにね。」セリアが余裕の表情を浮かべる。
以前なら悠人が不快に感じていた、そういったセリアの言動も、慣れたせいなのか、
今では頼もしくすら思える悠人であった。
悠人は主力をスレギトに残し、南下することを決断した。
まだ、少人数ずつではあったがスレギトへのマロリガン兵の攻撃は完全に沈静化してはいなかったのだ。
偵察隊によると少し遠回りにはなるが、デオドガン・ガルガリンを経由するルートが
比較的敵の守備が薄い、という事だった。
「じゃ、出発しようか。」
悠人と行動をともにすることになったのはヒミカ、ハリオン、そして、このところ火焔魔法が
いっそう強力になったナナルゥの三名であった。
「―――ご武運を、ユート殿。」微笑を浮かべて見送るウルカに頷き返し、悠人達はスレギトを後にした。
悠人達の進撃は快調であった。
しかし、なかなか姿を見せないかつての親友たちに、悠人は漠然と不安を感じるようになっていた。
「ユート様。」敵部隊を撃破し、先を急ごうとする悠人にナナルゥが言葉を掛ける。
「ん?何だよ、ナナルゥ?」
「―――焦らないで。」ナナルゥの、いつもの静かな声だった。
悠人は溜息をついた。本来なら自分が言うべき事であったその短い言葉が、
悠人の心に沁みこみ、冷静さを取り戻させる。
―――もし、あの時。
悠人はかつての自分に思いを馳せた。スピリット達から孤立していた自分。
あの時、もしナナルゥがいなければどうなっていただろうか、と。
「求め」に命令されるがまま部下達を次々と蹂躙していたであろう自分を、本当に紙一重で繋ぎとめ、
そして神剣に沈み込んだ悠人を引きずり上げててくれたのは、寡黙な赤い妖精だった。
「よし、今日は日も暮れてきたし、ここらで野営しようか。」
「あらあら~、見てられませんね~。」
仲良さげに焚き火の準備をする悠人とナナルゥを遠目に見ていたハリオンが、ヒミカをつつく。
「何も砂漠の真ん中で焚き火しなくてもぉ~。」
「なによ、羨ましいの?ハリオン。」ヒミカが笑う。
「まさか~。ふふ~、あんな手のかかる甘えんぼが相手じゃあ、ナナルゥも大変ですね~。」
ハリオンは二人を見守る母親のように目を細めた。
―――でも、良かった。
ヒミカは胸の内でつぶやいた。ナナルゥが自分からだんだん離れてゆく事に一抹の寂しさは感じていたが、
それもまた自分が望んでいた方向であった。
―――このまま、何もかもうまく行けば良いんだけど。
マロリガンの首都が近付いていた。
「――見えてきたな。」
砂漠の彼方に蜃気楼のように浮かび上がる都市が悠人達の視界に入る。
この数日は全く敵の迎撃もなく、怖いくらいに静かな道を、悠人達は進軍していた。
その時、悠人の腰で「求め」がブウン、と唸った。
「――お、電話か。ヨーティアかな。」
悠人は砂漠の熱を吸って、熱くなっている刀身に耳を当てた。
『ユート、まずいことになった。』それはいつもの、人を食ったような口調ではなかった。
『マロリガンで神剣が暴走し始めている。このまま放っておくと、大陸ごと吹っ飛ぶくらいの規模のマナ消失が起きるぞ。』
「―――何だよ、それ――!」悠人は言葉を失った。
ヨーティアの説明によると、マロリガンの大統領、クェド・ギンという男の動きによるもの、という事であった。
『ユート、あの男を、止めてやってくれ。』ヨーティアは苦しげな声で続けた。
その男は、サーギオスの研究所で働いていた頃の、ヨーティアのかつての恋人でもあった。
「ちょっと急がなきゃなんないみたいだな、みんな。」悠人は振り返って、スピリット達に言った。
「ユート様、あそこ...」ヒミカが前方を指し示した。
その先で、街の影に重なって、人影がゆらゆらと砂漠の熱気に揺れていた。
「―――出てきやがった。」悠人がその人影に眼を凝らす。巨大な双剣を携えたその影に。
「みんな、下がっててくれ。」
そう言って悠人は独りで歩き出した。エトランジェ同士の戦いにスピリット達を巻き込むわけには行かなかった。
「大丈夫よ、ナナルゥ。」不安げなナナルゥの肩を、ヒミカがそっと抱いた。
「ユート様なら...何とかするわよ。」
「遅かったな、悠人よ。」光陰が微笑を浮かべる。その顔を見ているだけなら、
これから二人が戦う事など信じられないほどの穏やかな表情であった。
「―――今日子は、どうしたんだ?」悠人は緊張に声を上ずるのを感じながら、光陰に問うた。
「じゃじゃ馬姫さまなら向こうで待ってるよ。―――俺か、お前が来るのを、な」
光陰の表情に、わずかに淋しさがいり混じった。
「さあ、やりあうとするか、悠人。手加減は抜きで相手してやるぜ。」光陰が双剣を構える。
その神剣「因果」が静かな、しかし、研ぎ澄まされた殺気を放っていた。
「どうしても、やらなきゃダメなのか、光陰?」
自分でも無駄だと分かっていながら、悠人はその質問を口にする。
自分一人が死んで、今日子が救われるのなら、友達と戦うよりマシだと、悠人はそう思っていた。
だが、今は自分にも守らなければならないものがあった。
「ここまで来て怖じ気づいたのか?それなら目をつぶって念仏でも唱えてろ、悠人。
俺が苦しまないようにカタをつけてやる。」
『降りかかる火の粉は、払うしかない。』――悠人は師匠の言葉を思い出していた。
「そうだ。――たとえ、それが友達であっても。」
悠人は「求め」を中段に構えた。それは、師匠に体で叩き込まれた構えだった。
「来いっ、光陰!!」
悠人の一喝に引き込まれるように、光陰が奔った。
巨大な双剣「因果」が悠人の頭上めがけて一直線に振り下ろされる。
「くっ!」スピリットとは比べ物にならない衝撃を「求め」で受け止め、しかし、悠人はそれを弾き返した。
予想もしていなかった悠人の力を目の当たりにした光陰の双眸に驚きが浮かぶ。
二、三歩後ずさった光陰に、今度は悠人が無言の気合いとともに神剣を一閃させる。
受け止めようとした「因果」ごと、光陰がその身に斬撃を受けて倒れた。
「ぐ...つうっ!」
立ち上がろうとした光陰が呻き声を上げる。大丈夫か、と喉まで出かかった言葉を、悠人は呑み込んだ。
「―――ちっ、やっぱり俺は...白馬の王子様には...向いてねえな。」
苦痛に顔を歪めながら光陰がつぶやいた。
「行けよ、悠人。行って―――あいつらを、止めてやれ。」
ニヤリ、とふてぶてしい笑いを浮かべながら光陰が顎をしゃくった。
「ハリオン、光陰を―――頼む!」悠人はそれだけ言い残して、走り始めた。
城壁に囲まれたマロリガンの都市の入り口に、スピリット達を従えて、武装している少女の姿があった。
その瞳にかつての快活な輝きはないが、それは紛れもなく今日子であった。
「今日子!」悠人は叫んだ。
だが、返って来たのは明るい声ではなく、天空を指した「空虚」から放たれた雷撃だけであった。
「よせっ、今日子っ!!」シールドを展開させても防ぎきれない衝撃であった。
よろめく悠人の耳に、不意に、懐かしい少女の声が届いた。
「悠...私を...殺して...!」
顔を上げた悠人の目に、目を血走らせ、唸り声を上げる今日子の姿が飛び込む。
「私...いっぱい、殺しちゃったよ...お願い...ころ...し...」
「今日子っ、しっかりしろっ!」悠人はふらつきながらも今日子に近付いた。
その時、再び今日子を支配する「空虚」が閃いた。
「ちっ!」悠人は、反射的に「求め」を差し延べた。
ガッ、と鈍い金属音とともに「求め」の刀身の空洞部分に、「空虚」が突き刺さった。
悠人は手首を回転させ、「空虚」をもぎとり、後方へと振り飛ばした。
すでに精神の大部分を占めていた「空虚」から引き剥された今日子は、
マナの渇きに耐えかね、地の上で転がり回った。
「早く―――ッ、殺して!」熱砂の上で、その体をくの字によじりながら今日子が絶叫した。
「今日子...」悠人は暗然とその姿を眺めていた。
かつてナナルゥを斬り殺そうとしていた時の自分が、今日子の姿に重なっていた。
今日子の苦しみが痛いほど伝わる悠人には、「求め」を振り下ろす事が、どうしても出来なかった。
「―――殺してやれ、悠人。」ギョッとして振り向く悠人へ、ハリオン達に連れられて来た光陰が歩み寄った。
「悠人、よくやったよ、お前は。もういい。楽に―――してやってくれ。」光陰の声が震える。
「今日子、心配するなよ。―――王子様の役どころにゃイマイチだが、俺が付いてってやる。」
そして、光陰は赤子をあやすような口調の鼻声で、今日子に語りかけた。
―――助ける事は、出来ないのか...俺には。
悠人があきらめかけた時、赤い妖精が、静かに今日子のもとへ近付いていった。
「ナナルゥ――!」悠人は止めようとして、息を呑んだ。
その片手には、悠人が跳ね飛ばしたはずの「空虚」が握られていた。
「ナナルゥ、よせ!危ない―――」そう言いかけて悠人は、振り返ったナナルゥの視線に射すくめられた。
紅い瞳に映し出されていたのは、初めて見る、その少女の怒りの炎だった。
「―――甘えないでください。」
ザクッ、と今日子の目の前に「空虚」を突き立てて、ナナルゥが口を開いた。
今日子の血走った目がカッと見開かれる。
「――友達が、貴女のこと、殺せるはずないじゃないですか。命を絶ちたいなら、自分の手でやってください。」
「がああぁぁ―――っ!!」
神剣をつかんだ今日子が、獣じみた咆哮とともに、ナナルゥに飛びかかった。
ナナルゥが、「消沈」の真ん中で、斬撃を受け止める。二人はクロスした神剣を間にはさんだままの格好で静止した。
「ずるいです、そんなの!自分のやったことから逃げて、―――友達に、後始末だけ頼むなんてッ!」
動きを抑えこまれたまま、なおもナナルゥが言葉を続ける。
今日子のオーラフォトンが、ほとばしる電流となって、ナナルゥの体を焦がし始めた。
小さな破裂音とともにナナルゥの戦闘服のあちこちが弾けるように裂け、
悠人のところにまで髪の毛を焼いたような臭気が漂ってくる。
「――おい、ヤバいんじゃないのか、悠人。」光陰が悠人の肩に手を掛けた。
「あ、ああ...」しかし、悠人は足を踏み出すことが出来なかった。
傷だらけになったナナルゥの背中は、それでもなお、助けを拒んでいた。
「貴女の...友達は...ッ!」ナナルゥの肩が震え始め、声がくぐもる。
―――ナナルゥ...泣いてるのか――?
悠人は呆然と、赤い妖精の後ろ姿を見つめていた。
「貴女の、友達は...決して自分のした事から...目をそむけたりは、しなかった!
やった事を神剣のせいにして...逃げるような...卑怯な人じゃ...なかったッ!!」
それは、悲鳴に近いような、嗚咽の混じる声だった。
「貴女が...その人の友達だなんて...認めたくありませんっ!!」
後方から見守る悠人達にもナナルゥの体から徐々に力が抜けてゆくのが見てとれた。
雷撃でボロボロになったナナルゥの躯体が、少しずつ後退し始める。
「―――限界だ。悠人、お前がやれないんなら、俺がやる。」
光陰が悲愴な決意とともに「因果」にオーラを送りこみ始めた。
「―――くっ。」光陰に今日子を斬らせる訳にはいかない、
そう感じた悠人もまた、「求め」に力を集中させた、―――その時。
「あ――っ、もう!!うるさいっ!!」
今日子の絶叫とともにナナルゥの体が弾き飛ばされた。
ほとんど、立っている事もおぼつかなくなっている、その弱りきった体を、悠人が抱きかかえるように受け止めた。
今日子が「空虚」を地面に叩きつけ、再び地上をのたうちまわり始める。
「痛いっ!!何よっ、これ!!光陰っ!!頭痛薬くらい持ってないの、あんたっ!?」
血走った目をギラギラさせながら、それでも、確かな光をその瞳に宿した悠人の幼なじみが、光陰に毒づいた。
―――はやく、行きなさいよ、バカ悠。
ほんの一瞬あった視線が、悠人の背中を力強く押した。悠人が頷く。
「光陰っ、この娘を頼むっ!」
気を失っているナナルゥを光陰に預け、悠人は駆け出した。
「――まったく、恐れいったぜ。」光陰がナナルゥを抱きかかえ、加護のオーラを展開させ始めた。
赤い妖精の眉間に寄せられた皺が消え、やがて眠るような表情へと変わってゆく。
「――もう、大丈夫だな。―――へっ、どの世界でも女は強し、ってか。」
光陰はゆっくりと、優しく、その少女の体を地上に横たえた。
「――ここが心臓部だな。」
マロリガンの中枢部に侵入した悠人を待っていたのは、精悍な顔付きの男であった。
「あんたが、大統領か。なんだってまたこんなバカな真似をするんだ。」
「――出来すぎてるとは思わないか?」クェド・ギンが悠人の質問を無視するかのごとく唐突に切り出す。
「神剣を持つ若きエトランジェ...理想の世界を目指す美しく、聡明な女王...なにもかも、そろい過ぎている。」
「何言ってんだ、あんた?」悠人が「求め」を構えたまま、訊き返した。
「この世界は大きなうねりに突き動かされている、という事だ。神剣の意思とでもいうものにな。」
「何となく言ってる事は分かるけど...それと、あんたのやってる事と、どういう関係があるって言うんだよ。」
「私は、運命と云われてるものに挑戦したくなったのだよ、エトランジェ。
このままでは、この世界は神剣の意思に支配されてゆく。」
そう言いながら大統領が永遠神剣を見せた。
「そんな事はあってはならん...我々は生かされているのではない、生きているのだ!」
「だからこの大陸ごとぶっ壊そうって言うのかよ。―――ふざけやがって。」
悠人はその男を睨みつけた。
「これは人間が扱える唯一の神剣『禍根』だ。エトランジェよ、この世界は近いうちに神剣の力によって破壊される。
そんな事は...あってはならんのだ!」
クェド・ギンがもう片方の手に持ったマナ結晶を高々と掲げる。
悠人は禍々しい光を放ち始めたその結晶に、本能的に「求め」の一閃を放った。
カシャン、とグラスが割れるような音を残してその結晶が砕け散った。
「貴様―――!!」後ずさったクェド・ギンが体勢を立て直し、「禍根」を悠人に向ける。
次の瞬間、素早い身のこなしから、大統領が渾身の突きを繰り出した。
悠人は耳朶すれすれに「禍根」の一撃をかわし、すれ違いざま抜き胴を放った。
「ぐっ―――ッ!」たたらを踏んだ大統領がゆっくりと崩れ落ちる。
「あんたも―――人間の力を信じられなかったんだな。」
斃れた大統領の姿に、悠人は師匠の言葉を口にしていた。
あるいは、この男にも信じられる仲間がいれば、その行動は違っていたかも知れない、悠人はそう思っていた。
「そ、それにしても...」
横たわったナナルゥの肢体を見ていた光陰が、ごくりと唾を飲み込んだ。
ナナルゥの裂けた戦闘服から、ふくよかな胸の谷間がのぞいていた。
「ふうん、あんたのロリコンって、巨乳好きのカモフラージュだったの?」
「そういう訳じゃないんだけどな。これはこれでまた、違った趣きが―――って!?」
パリパリと響くスパーク音に光陰が凝固する。
ハリセンを握りしめた同級生が、いつの間にか背後に仁王立ちしていた。
「きょ、今日子!よ、良かったなあ、神剣から脱け出したのか!しし、心配したんだぞお!」
精一杯の愛想笑いを浮かべる光陰。
「私は『空虚』ですけど、何か?」冷徹に応える今日子がハリセンを振りかぶった。
ハリオンが、普段の彼女からは想像もつかない素早さでナナルゥを抱えこんで逃走する。
「ダーリンっ!!天誅だっちゃ!!」
今日子の喚声と同時に、マナ消失にも引けをとらないのでは、と思われるくらいの雷撃が
破戒坊主の頭上に炸裂した。
「お...おいおい、そいつは本当にシャレになんないぜ...うぅ、ぐ...ふっ!」
冥府へと旅立ちながらも、ダーリンと呼ばれてちょっと嬉しい光陰であった。
「まったく、ハイペリアの人はみんなこうなんですかね~。」
黒焦げになった光陰を見ながら、ほとほと愛想がつきた口調でハリオンがぼやく。
その傍らで、同じく再び気を失った今日子に、マロリガンのグリーンスピリット、稲妻のクォーリンが
回復魔法を施していた。
「ユート様の友人でなければ、私がとどめを刺してるところですぅ。」
剣呑な言葉にヒミカが眉をひそめる。
「もう、冗談はいいから、はやく治してやりなさいよ、ハリオン。」
「冗談ではないんですけどぉ...。」しぶしぶハリオンが治癒の魔法を詠唱し始めた。
その姿にクォーリンが苦笑する。「お手数をおかけします。バカな上官を持つと、お互い苦労しますね。」
「こんなにこき使われて...超過勤務手当て、出るんでしょうか~。」
ハリオンがようやくいつものスマイルを見せた。ほんの数時間前まで敵であった、そのスピリットに。
「あ...終わったみたいよ、ハリオン。帰ってきた!」
ヒミカが市街から駆けて来る人影に、手を振った。
施設の暴走をかろうじて食い止め、仲間のもとへ戻る悠人の姿が、そこにあった。