安息

Ⅲ-1

サーギオス帝国に佳織が攫われた後の数週間は慌しく過ぎた。
国王を白昼堂々と暗殺されたラキオスは、その体面を保つ為にも望まない戦いに挑むことになる。
レスティーナ皇女が自ら赴いたマロリガン大統領、クェド・ギンとの
対帝国軍事同盟の交渉はどうやら不調だったようだ。
これでラキオスはサーギオス・マロリガン両大国相手に戦うことが避けられなくなった。
しかし悪い材料ばかりでもない。
元帝国の天才科学者ヨーティア・リカリオン。
マナの理論から実践、その他幅広い分野に彼女の残した功績は数知れない。
隠遁生活を送っていたその彼女がラキオスの召喚に応じてくれたのだ。
彼女が手をかけてあっという間に実現した『エーテルジャンプシステム』はこれからの戦いに即役立つものだった。
彼女が加わったラキオス陣営は充実したスピリット部隊やエトランジェ・ユートと共に、
レスティーナ皇女の下、きたるべき戦いに着々と備えていた。
誰もが漠然とした不安を胸の中に抱え込みながら。


交渉の決裂により、自動的にマロリガンと交戦状態に入ったある日の事。
第一詰め所の台所が当分使い物にならないとかで、悠人達が第二詰め所にやってきた。
どうやらアセリアが何かをしたらしく、横で今座っている姿もなんとなく落ち込んでいるように見える。
厨房ではハリオンが上機嫌で何か作っていた。いつもより大人数なので張り切っているのだろう。
「お、さ、え、てぇ~もっおっさっえっきれないっっ揺・れ・るっこの谷ぃ間ぁ~わぁ~♪」
…………色々と危険そうな歌が聞こえてくるが気にしないでおく。
料理というものはやったことがないが、それなりに楽しいものらしい。
ナナルゥ的には栄養を摂取出来ればどんな形でも構わないと思うのだが……
少し疑問に思い、向かいに座るアセリアに訊ねてみる。
「アセリア、何故料理をしようと?」
いきなり話しかけられたせいか、ちょっと驚いた風なアセリアがちらっと悠人の方を見た。
テーブルの向こうでネリーとシアーにじゃれられている悠人を確認してから視線をこちらに向ける。
「……ん。なんとなく。」
「……そうですか。」
もともと無口な二人なので会話が成立し難い。
たまたま横で聞いていたオルファリルが補足説明を買って出た。
「あのね~。アセリアお姉ちゃん、パパに褒められたかったんだよね~♪」
「オルファ……ちがう。」
よく見ていないと判らないほど微かに頬を染めてそっぽを向くアセリア。
その様子から判断してオルファリルの言う事は正しいのだろう。でも。
「……なぜ褒められたいの?」
感情というものが今だよく掴めないナナルゥはそんな疑問を呟く。
しかし、可笑しそうな顔でそれに答えたオルファリルは明確にして至極単純だった。

「変なの~。だって大好きな人に褒められるのは、すっごく嬉しいでしょ?」

あまりにあっけらかんと答えるオルファリル。その笑顔はなんだか凄く楽しそうだった。
その笑顔に釣られた訳ではないが、試しに自分が料理を作って悠人に褒められているのを想像してみる。
悠人の嬉しそうな顔を想像するのは………………少し、楽しかった。


「さ~、出来ましたよ~」
そう言ってハリオンが披露した料理は普段の数倍は豪華だった。
手早く皿を並び終えたハリオンが当たり前の様に悠人の隣に座る。
そして全員が席に着いた事を確認した後にこにこと手を合わせ、
「いただきます~」
不思議な掛け声を上げた。聞き慣れない単語に第二詰め所の面々が注目する。
悠人にエスペリア、オルファリルにアセリアまでが何故かくすくすと笑っていた。
「ねえハリオン、それ、なに?」
第二詰め所を代表して、セリアがまず質問した。うんうん、と皆が頷いて聞き耳を立てている。
「ああ、それはですね~、ハイペリアでの食事の前の挨拶だそうですよ~」
「挨拶?食事の?」
「はい~。何か色々と感謝をするそうです~。ユートさま達はいつもなさっているそうで~……」
「いただきます!」
「「「いただきま~す♪」」」
ハリオンの説明も最後まで聞かず、あちこちで掛け声が上がる。
真っ先に声をあげたのはヒミカだった。きらきらと睨みつけるような瞳で悠人に挨拶をしている。
大合唱に少し引いた悠人がそれでも苦笑いしながら挨拶をしていると、ふとナナルゥと目が合った。
何か言いたそうにじっとこちらを見ている。
(…………?)
なんだろう、と悠人が話し掛けようとした時、ナナルゥがぼそっと呟いた。
「…………いただきます」
そのまま黙々と食事を摂り始めるナナルゥ。良く判らないまま悠人はフォークを取ろうとした。
「……あれ?」
食器が、ない。自分の分だけ。おかしいなと首をかしげていると、横からフォークに刺さったリクェムが差し出された。
ハリオンがにこにこしながらこちらににじり寄って来ている。
「あの、ちょっと、ハリオンさん?ってうわわ、胸!胸を押し付けるな!!」
「え~、こうしないと食べさせてあげられないじゃないですか~。はい、ユートさま、あ~ん♪」

がしゃん!
ヒミカとナナルゥが食器を落とす音が食堂に響き渡った。


灼ける様な熱風が肌を焦がす。照りつける太陽の眩しさは改めて見上げるまでもなく厳しい。
砂山と中空だけの蜃気楼で歪んだ風景。もう既に一行は見飽きた景色にウンザリする余裕も無かった。
口の中が砂でざらつく。踏みしめる足はとっくにその感覚が無くなっている。限界を感じ、悠人は休憩を命じた。

ダスカトロン大砂漠。
ラキオスとマロリガンの間に横たわる巨大な砂漠。
そこを舞台にラキオスとマロリガン両国の戦いが始まっていた。
「戦い」とは言っても、幸か不幸か砂漠が広大過ぎるが故に敵と遭遇する事は殆ど無い。
それでもここが安全な地だという訳でもなく、常に警戒が怠れないのには違いが無かった。
問題は、それがこの条件下で行われているという事。
生存がそもそも難しいという極限的な環境は、精神の疲弊を加速度的に増加する。
ましてやマナが殆ど枯渇したがゆえに砂漠化したこの土地。
生身である悠人はともかく、その身体をマナで構成しているスピリット達にとってこれほど過酷な条件は無かった。

緑スピリット達が自らを守る為に最小限展開していたシールドハイロゥを少しだけ大きくする。
そうして出来た空間に全員が潜り込んだ。