安息

Ⅳ-1

「…………甘いっ!」
一瞬の隙を突かれて懐深く潜り込まれてしまう。
まただ。そう思った瞬間には為す術もなく神剣を叩き落されていた。
どんなに鍛えても、スピリットの属性に伴うスピードの差はそうは埋まらない。
まして目の前で剣を収め、一息入れている大陸随一の剣士には敵う訳がなかった。
それでも有る程度は工夫したつもりだったんだけど、なぁ…………
痺れた腕をさすりながら、大きく溜息をついてしまう。
それを見ていたウルカが小さくくすっと笑った。
「そう落ち込む事も無いと思われます、ヒミカ殿。今の間合いの取り方は、なかなか思い切ったものでした。」
「褒めて貰えるのは嬉しいけどね……。でもやっぱり速さでは敵わないんだなぁ……。」
「それは仕方の無い事でしょう。けれど手前にはヒミカ殿の強さはそれとはまた別の処にある様に思いますが。」
「う~ん。例えば神剣魔法との複合とか、そういう事?それならウルカだって……あ……。」
「左様。手前はこれまで剣の声が聞こえませなんだ故。ですが、そういう意味ではないのです。」
そう言ってウルカはこれ以上上手く説明出来ないという風に首を傾げる。
自分の事とはいえ、そんな感じで悩まれるとかえって戸惑ってしまう。
そんな強さが自分にあるとは思えなかったし、
それよりこれまで神剣本来の力を使わずにこの強さを発揮していたウルカの方がずっと凄いだろう。
「ところでいつもゴメンね、訓練に付き合ってもらって。ウルカだって大変なのに……」
「いえ……手前は囚われの身。むしろこうして剣を振るっている方が気が晴れます。それに……」
「……それに?」
「それに、約束ですから。『今度は逃げませぬ』。」
「…………ぷっ!」
「…………ふふっ。」
一瞬見つめあった後、二人は楽しそうに笑いあっていた。

エトランジェ、永遠神剣第五位『因果』の光陰、第六位『空虚』の今日子。
彼らと遭遇した数日後、悠人達は一旦占領したスレギトを放棄して一時撤退を余儀なくされていた。
マロリガンの新技術、『マナ障壁』。
ヨーティア曰く元々は帝国の研究だったらしいのだが、つまりそれの攻略が上手く行かないのだ。
マナによって作られた強力な障壁はそれ自体が巨大な『壁』となって悠人達の前に立ちはだかっていた。
それをどうにかして越えるか壊すかしなければ首都であるマロリガンには辿り着けないのである。
ラキオス軍は最前線であるランサに釘付けになりながら、ヨーティアの策を待つ状態が続いていた。

そんなある日の事、ウルカが捕虜としてラキオス首都に送還されてきた。
哨戒中のオルファリルが砂漠の中で倒れているのを見つけ、悠人が保護を決めたそうだ。
よくレスティーナ皇女が許したとは思うが、待機中だったヒミカはすぐにウルカを訪ねていた。
最初はただ話がしたかっただけなのだが、うまが合うとでもいうのか、すぐに打ち解けた。
今ではこうして暇をみて剣の稽古をつけてもらっている程である。
聞けばウルカは『剣の声』を聞いた事がなかったという。
最近ある事がきっかけでその神剣『冥加』が目覚め、真に使いこなす事が出来るようになったというのだ。
それはつまり今までは自らの技量だけでスピリット同士の戦いを切り抜けてきたという事で、
それだけでもヒミカは彼我の力の差を思い知った気持ちだった。
しかしウルカはウルカで何故かヒミカを高く買っている様なのである。
ある日その疑問をぶつけてみた時、ウルカが何故か寂しそうにこう呟いたのが印象的だった。
「手前の部下にもヒミカ殿のような眸を持った者がいました……」
意外な答えに、いや答えにもなってない呟きにヒミカはそれ以上何も言えなかった。

「…………はぁ。」
ひとしきり笑い合った後、ヒミカは別の事でまた溜息をついた。
「どうなされた、ヒミカ殿?」
「え……、ううん、なんでもない、さ、もう一合お願い、ウルカ。」
「…………承知。」
こういう時何も訊いて来ないのはとても嬉しい。そう思いながらヒミカは立ち上がった。
構えながら心の中でそっと苦笑する。
(あの時……足が竦んで何も出来なかった……)
そう、マロリガンのエトランジェ、キョーコとコウイン。
情報では伝えられていたが、実際に対峙してみるとその力は正に隔絶していた。
もともと神剣は自分より位の高いモノとの戦いではまず勝負にならない。
しかし『求め』を持つユートさまとですら、両者の力の差は歴然としていた。
特に『因果』のコウイン。彼は、上位神剣の支配すら跳ね除けて使いこなしていた。
最後に見せたあのオーラの放出。『因果』をそのまま振るわれていたら、どうなっていたかは明らかだ。
なぜか向こうが引いたので戦いにはならなかったが、もし戦闘になればスピリットの出る幕などなかっただろう。

(あれ以来ユートさまの元気がないのよね……なんて相談出来るわけ、ないか)
(でもマロリガンのエトランジェ……ユートさまは知っているようだった……)
(キョーコとコウイン……ユートさまとどういう関係なんだろう……)
(キョーコ……女の人……ユートさまとキョーコ……)
(やっぱりユートさまも人間の女の人の方がいいわよね……)
(ううんううんっ!ユートさまはそんな方じゃないっ!…………きっと)
(でももしかしたら……ハイペリアで積み重ねた)

「隙だらけですぞ!ヒミカ殿っ!」

げしっ!

いつの間にか自分の世界に逝ってプロットを組んでいたヒミカはあっさりと宙に舞っていた。

一方その頃。
「ふぁ~あ…………こほっ」
ハリオンは哨戒中のランサの砦で欠伸をしていた。とたん、熱い砂埃が口に入り咳き込んでしまう。
ここ数日、敵に目立った動きは無い。加えて目の前に広がる砂と空の単調な景色。
欠伸くらいは仕方が無いのかも知れない…………が。
「緊張感の欠片もありませんね、貴女は。」
容赦無いナナルゥの一言が突き刺さる。隣で彼女に見られていたのはまずかった。
ここは笑ってごまかす事にする。
「あらあら~。なんだか埃っぽいところですねぇ~」
「……砂漠ですから。うかつに欠伸などするものではないでしょう。」
「ははぁ~。そうなんですか~、気をつけます~」
「…………はぁ」
ナナルゥは諦めたような溜息をつきながら砂漠に目を戻す。
一見なんでも無い会話。しかしそこには以前にはなかった『温かみ』があった。
ユートさまから受けた影響。そして先日の出来事。
それらは確実にナナルゥの中で何かを揺さぶっている。
ハリオンはいつものにこにことした笑顔で砂漠を見つめる彼女の横顔を見守っていた。
ふと、ナナルゥの顔に緊張の色が走る。
「…………敵影。」
つられて見た砂漠の丘の上。敵部隊の影が見えた。
「……いくわよ、ハリオン。」
言うや否や駆け出すナナルゥを追いかけながら、ハリオンは先程とは違う喜びを感じていた。
そう。いつもなら一人で飛び出すナナルゥに初めて誘われたという、その事に。

マナ障壁の存在を脅威に感じたサーギオス帝国がマロリガンに宣戦布告をした事で、戦況は三つ巴の形になった。
形式上帝国とは中立の立場同士との事だったが、それでも接触すれば交戦しなければならない。
マロリガンだけでも手一杯の現状では、頭の痛い事態であることは間違いなかった。

そんな中、ラキオスに衝撃が走った。
哨戒中の悠人とアセリアが行方不明になったのだ。
ラキオスでは本国で待機中のスピリット達も刈り出されての一斉捜索が行われたが、依然二人の行方は判らない。
戦闘が膠着状態だったこともあり、レスティーナ皇女の指導の下大きな動揺は見られなかったが、
それでもスピリット隊に与えた波紋は大きかった。

毎夜第一詰め所や第二詰め所からは抜け出すスピリット達が居た。
もちろん軍律違反であったが、昼間の捜索だけではなく自主的に自分達で探そうという彼女達をレスティーナは黙認した。
これまでの戦いで、彼女達はちゃんと悠人を「隊長」と認めていたのだ。
レスティーナはそれが嬉しかった。

そして二週間程たったある夜。
ナナルゥはリュケイレムの森の中にいた。
ガサガサと草木を掻き分けながら歩く。
自分でも何をしているのかよく判らないが、それでもじっとしているよりはましだった。
とりあえず、今の第二詰め所は落ち着かないのだ。
気の抜けた様な稽古でウルカに叩きのめされているヒミカ、しゅんとなって妙に大人しいネリーとシアー。
料理を皿ごとぶちまけるファーレーンとそれをフォローしようとして素っ転ぶニムントール。
ブツブツと何か呟きながら食事を口からぽろぽろ落としているヘリオン。
それを妙にイライラしているセリアが叱り飛ばす。
ハリオン……は相変わらずだが、食事時などは火の消えた様な有様だった。
落ち着かない。今までそんな事を感じたことは無かった。
しかし今はそれを感じ、あまつさえ何とかしようなどと考えている。
我ながらそんな自分が少し可笑しく思えるが、それでも悪い気分ではなかった。

で、その原因を何とかしたいとこうして森を捜索している。
「本当に……どこをほっつき歩いているのでしょう……」
呟きながら更に森の奥に進む。昼間、大体捜索し尽している辺りだ。
今更確認しても当然誰も居ない。ふいに針金みたいな髪を思い出し、腹が立った。
(やっと納得のいく薬草の調合が終わったっていうのに……もうっ!)
いつの間にか憤慨して拳を握り締めている自分に気付き、はっとする。
なんでこんなにイライラしているのだろう……肩を落として軽く溜息をつく。
諦めて戻ろうとしたナナルゥが振り返りかけた時、少し離れたところに突然光が発生した。
(…………!!)
普段なら危険を感じて警戒する筈の彼女は、無意識に走り出していた。光球に向かって。

エスペリア達に伴われて森を出て行く悠人とアセリアを、ヒミカは黙って見送っていた。
ナナルゥと同じく夜も悠人を捜索していた彼女は、同じく異変に気付いて駆けつけたのだ。
ただヒミカが辿り着いた時には光は収まり、既に一行が詰め所に向かっている所だった。
悠人の姿を見たとたん駆け出そうとしたヒミカは、しかしなぜかそれ以上前に進めなかった。
同時に救出されたらしいアセリアを見る悠人のまなざし。
その眸に心配以外の何事かが宿っているのに気付いてしまったのである。

「ま、もともと叶うはずも無かったけどね…………」
自嘲する様に呟きながらそばの木にもたれると、自然に力が抜けた。同時に頬に感じる熱いもの。
油断したのだろうか、知らず涙がこぼれていた。あわてて腕で目を覆ったが、涙は止まらない。
「あ、あれ…………なんだろう、コレ…………はは、らしくない、じゃない…………」
エトランジェである悠人とスピリットである自分。釣り合わないとは判っていた。
それでも淡い期待感みたいなものを抱いていたのも確かだ。しかしそんな幻想も、さっきの光景で消し飛んでしまった。
自分と同じスピリットであるはずのアセリア。
そんな彼女が、いつの間にか悠人にあんな眸で見つめられるようになっていたのだ。
自分にも、そうなる可能性はあったのだろう。ではこの差はなんだったのか。考えるまでも無かった。
幻想を幻想としかとらずに何も行動を起こせなかった自分。アセリアは、きっとそれを成し遂げただけなのだろう。

「負けた、なぁ…………」
「そうですね~。」
「またアンタは……気配殺して近づかないでよ…………」
いつの間にか側にいたハリオンに怒鳴る気力も今は無い。
それどころかヒミカはそっとハリオンにしがみつき、そのまま胸に顔を埋めた。
「あら~?」
「ちょっと、いいからこのままで…………おねがい…………」
何も言わずにされるがままになってくれているハリオンが有難かった。
泣き声を懸命に堪えながら、ヒミカは悠人への想いを涙で必死に洗い流そうとしていた。
(大丈夫、明日になればきっと二人を応援できる…………だから今だけ…………)

ふと、既視感が走る。前にもこんな感じが……それは、いつのことだっただろう………