安息

Ⅵ-3

一斉に飛び込んできたのがレッド・スピリットだけで助かった。
直接切りつけられていたら防ぎは間に合わなかっただろう。
それでも時間の問題には変わりないですけどね~とハリオンはひとりごちる。
我ながらこんな時でも落ち着いていられる自分が可笑しくてつい微笑んでしまった。
それでも…………
傍らにうずくまるナナルゥをちらっと見つめる。以前の自分に被さるその小さな肩。
守ると決めていたから。あの日、守ってもらったその時から。たとえこの身に代えても。
この優しい少女を絶対に守ると決めていたから。

 ――――震えているのに包んであげられないのは少し残念ですけどね…………

遂に神剣魔法による攻撃を諦めたのか、ブルー・スピリット達が斬りこんで来るのが見えた。
一人や二人ではない。ああ、とても防げませんね……私が盾にならないと。
視界の端には異変を悟ったのか駆け込んでくる悠人の姿が見える。
あらあらだめですよ、ユートさま。そこからでは全然間に合いませんよ。

 ――――ナナルゥのこと、宜しくお願いしますね…………良い娘ですから…………

『大樹』を握る手に力が入らなくなってきた。
防ぎきれなかった最初の神剣魔法攻撃の時に受けた傷からマナがどんどん抜けていく。
弱ったシールドを易々と突破した敵が神剣を振りかぶったその時、ハリオンは振り返ってナナルゥをもう一度見た。
その瞳に優しい光が宿っているのを見て…………

ハリオンはちょっと驚き、次に微笑んだ。

向き直ったハリオンが迫る敵の神剣を体で受けようとしたその時。
疾風のように駆け込んできた誰かがその敵を一閃していた。
横から不意に襲われたブルースピリット達は悲鳴をあげる暇もなく壁に叩きつけられる。

「………………おや~~~~?」
「おやーじゃないでしょハリオン!ほらもう、しっかりしなさいっ!」
いきなりやってきた謎の助っ人は肩で息をしながらずんずんと近づいてきて胸倉を掴む。
そしてそのまま有無を言わさずいきなり平手打ちをお見舞いされた。
左右に揺れる視界の中、短く切りそろえた赤い髪が見える。よく見なくてもヒミカだった。

「あぅっ!あぅっ!あぅっっ!!ヒミカさん、痛いじゃないですか~」
「うるさいわねっ!アンタ今までずっとアタシに黙ってた事あるでしょ!その罰よっ!」
「ええ~…………ああ~もしかしてずっと夕食にヒミカさんの嫌いなラナハナをこっそり混ぜていたことですかぁ?」
「アンタそんな事してたの……って違う!アタシ本当に怒ってるんだからね!!」
「う~ん何のことでしょう…………あらあら~?」

今度はいきなり抱き締められた。
ハリオンの豊満な胸に顔を埋めるヒミカは、しかも何故か泣いているようだ。
困ったハリオンはとりあえず慰めてみることにする。

「どうしたのですか~ヒミカさん~。どこか痛いのですか~?」
「……ばかっ…………痛いわよ…………だから……もう、一人で痛がんないでよ……ハリオン……」
「………………はい~?」
「ごめんねぇ……忘れてて、ホントごめんなさい……全部アンタに押し付けて…………」
「あ、あらららら~…………」

とぼけた口調で誤魔化すつもりがうまく出来なかった。自分の目元にも涙が溢れてくるのを感じたから。

「あぶないぞっ!ヒミカ、ハリオンっ!!」

向こうから駆けて来る悠人の叫び声が二人を現実に戻した。
悠人の必死の叫びに反応した二人は、しかし敵の位置を咄嗟に把握する事が出来なかった。
ヒミカとハリオンからは死界になった所。そこに敵の残りの全兵力が集まり、一斉に神剣魔法を詠唱していたのだ。
敵中での一瞬の油断。スピリット同士の戦いではそれは致命傷に値する。辺りに閃光が広がった。

ガズゥゥゥゥン…………

雷鳴が辺りに轟く。
思わず目を閉じたヒミカは、しかしいつまでもこない衝撃に恐る恐る目を開けた。
もうもうと煙を上げる入り口付近に目を凝らす。辺りには死体の山が出来ていた。
最後の攻撃を仕掛けようとしていた敵は、逆に桁違いの雷撃で一気に炭化してしまっていたのである。
見覚えのあるこの光景。
こんな神剣魔法を使えるのは……ううん、「使えた」のは…………

「アポカリプスⅡ…………」

ハリオンの呟きが自分の思いに重なる。
まさか、と思いつつゆっくりと振り返る。そこに、懐かしいスフィアハイロゥが輝いていた。

「ハリオン、ヒミカ、大丈夫ですか?」

いつもと同じ口調。いつもと同じ態度。
しかし、今までとは全然違うところがあった。
こちらを窺うナナルゥの表情は、柔らかく微笑んでいた。
本来の力を完全に引き出した、まだ赤く焼けている『消沈』を携えて。

「うわ~~~~ん!!!」
「キャッ!ちょ、ちょっとハリオン…………」

ナナルゥの瞳に強い意志の光が宿っているのはすぐに判った。
あの日以来、何時も見ていたから。あの日以来、何時も待ち望んでいたから。
自分では何も出来なくて。それでも側に居続けて。…………ずっと待ち続けていたから。
だからもう、自分を抑えることなど出来なかった。目の前に、ずっと失ったままだった恩人が微笑んでいるのだから。
今度こそ涙を堪え切れなくなったハリオンは、泣きじゃくりながらナナルゥの胸に飛び込んでいた。

「…………よかったぁ~……よかったですよぉ~…………ナナルゥ~………………」
「ハリオン…………今までその……ありがと……ごめん…………」
「そんなことぉ~……わたしこそぉ~…………」
涙と血でぐしゃぐしゃになったハリオンの語尾は掠れていてもうよく聞こえなかった。
いきなり抱きつかれて真っ赤になったナナルゥは、それでもずっとそのままでいた。

少し離れた所でヒミカが浮かんだ涙をそっと拭っている。
やっと駆けつけた悠人がその肩を静かに叩いた。
不思議そうに、抱き合う二人を見つめながら。

「ユートさま…………」
「大丈夫かみんな……っていうか、ヒミカ、なんでここに……?」
「なんとなく、です。ユートさま、友達がピンチの時は助けるのが当たり前じゃないですか♪」
ヒミカは笑顔で即答した。向こうでうんうんとナナルゥが頷いている。
首を傾げながら、悠人はそれでも二人の笑顔がとても眩しいものに思えた。

興奮から醒めたハリオンとナナルゥは、結局普段通りの態度に戻った。
大体の話をヒミカから聞いた悠人はそれでもナナルゥやハリオンの変わりように最初は戸惑っていた。
以前とは比べ物にならない位親密なやり取りを繰り広げる三人に苦笑しながら城の門を押し開く。

ここまでくればもうマロリガン城は目と鼻の先である。
その巨大な城は、ここからでも一望出来る程のものだ。そしてその城を中心に黒々とした雲が渦を巻いている。
マロリガン中のマナが城に流れ込んでいるのだ。それは、『マナ暴走』が近い事を意味していた。
「急がないとな…………」
ふいに、横にいたアセリアがピクリ、と立ち止まった。

「…………どうした?アセリア。」
答えが返ってこないのを承知の上で話しかける。
アセリアは一瞬こちらを見た後、マロリガンの方へ駆け出していた。
「お、おい、アセリア!」
慌てて全力で追いかける。幾つか砂の山を越えた時、アセリアが立ち止まった。
追いついて息を整えた悠人は、文句を言おうとして前方から目を離せなくなった。


道の先に、人影が見えた。
ゆっくりと立ち上がるその男は、悠人が良く知っている人物だった。

「よっ、悠人。遅かったな。」

光陰は、朝の挨拶でもするような軽い口調でそう告げた。