SALVAGE

179-200

――聖ヨト暦258年、スリハの月。

その世界は、「求め」、「誓い」、「因果」、そして「空虚」という、
エトランジェ達の四神剣による戦乱の真っ只中にあった。

「お姉ちゃあん...」
幼い少女が、暗がりの中で戦いに巻き込まれて負傷している姉の体を抱きかかえていた。
「...私は大丈夫よ。それより、今なら兵士達もいないわ。後から追いかけるから、
あなたはすぐにここを離れなさい。」それは、年齢よりもずっとしっかりした口調であった。
「いやだよぉ。お姉ちゃんと一緒にいる!」泣き声ながらに姉にしがみつく青い髪の少女。
「―――駄目よ。もうすぐここも見つかるわ。わがまま言ってないで、早く逃げなさい!」
しかし、叱咤する姉の声にも、幼い妹はその場を動こうとしなかった。
足をくじいて動けない姉の体にしがみつく両手に、いっそう力がこもる。

コツ、コツ、コツ―――。

民家の納屋に、まるで二人がそこにいることが判っているかの如く、
まっすぐに近付く足音が響いてきた。その音が幼い姉妹を恐怖で凍り付かせる。

「ここに居られましたか。――お迎えに上がりました。」
積まれた藁の影に隠れている二人に、感情を感じさせない冷たい声が投げかけられた。
少女達の体が、ビクリ、と動く。

「―――おや。まだ、目覚めておられなかったのですね。」
少女達の顔を見ながら、いや、姉の顔だけをじっと見詰めながら、その男が言った。
それは、人形のように美しい相貌をした青年であった。しかし、その瞳には人間らしい感情はこもっていない。
命を、命とも思っていない冷酷な、暗い光が宿っているだけであった。―――そして、青年の両手には、
瞳と同じように、冷たく蒼い輝きを放つ二振りの剣が握られていた。
幼い少女達は一目でそれが永遠神剣と呼ばれるものであることを悟った。
しかし青年の二本の剣は、見たことのある、「求め」や「空虚」よりも格段に力強い輝きを備えていた。
「来ないでっ!!」幼い妹が、怪我をしている姉をかばうように、気丈にも二人の間に立ちふさがった。
「危ない、逃げてっ!!」
姉の叫び声が小さな納屋に反響した。

「―――フ。お嬢ちゃん、邪魔をしないでくれるかな。」立ちはだかる少女にほとんど目もくれないまま、
その男の振った片方の剣が、ヒュンッ、と軽やかな音を立てた。
同時に幼い妹の左腕が、音もなく断ち切られた。

「いやあ――っ!!」悲鳴を上げたのは姉であった。
妹は苦痛に顔を歪ませながらも、それでも歯を食いしばって、青年の顔を睨み続けていた。
「―――ほう。なかなか我慢強いお嬢ちゃんだ。少しばかり、楽しませて貰いましょうか。」
青年が酷薄な笑みを浮かべ、初めて妹に視線を向けた。―――その時、姉に異変が起こった。
「グッ、グアアッ!」姉が、何かに襲われるように体をかかえこんでうずくまった。
次の一撃を仕掛けようとした青年の動きが止まる。
「―――どうやら、時が来たようですね。」
「お姉ちゃん、大丈夫っ!?」片腕を失った少女が、姉の下へ駆け寄る。
しかし、目を大きく見開かせた姉の顔は、いつもの優しい姉の顔では無かった。
「お、お姉...ちゃん...?」
「ハアッ、ハアッ、ハアッ...」
四つん這いになって、肩で息をする少女の傍らに、ぼうっと、何かが浮かび上がった。
「―――お目覚めですか。お遊びの時間はお終いですね。」
別に残念そうでもなく、青年は無感情のままつぶやく。
妹に対して浮かんだほのかな興味も、すでに消え失せているようだった。

シャランッ!

怪我をしていた姉の足に向かって、浮かび上がった物体から、鈴のような音とともに光が放たれた。
すうっと、何事も無かったかのように少女は立ち上がり、それを手に取った。
「―――ずいぶん、遅い出迎えですわね。仕掛けは、終わりましたの?」
「嫌だ...嫌だよ...お姉ちゃん...」妹の瞳から涙が溢れ出した。
そこにいるのはよく知っている姉ではなく、青年と同様の冷たい瞳をした、別の生き物であった。
「すでに手筈は整っております。...全ては、神剣の意志のままに。」
美しい青年が、うやうやしく頭を下げた。
「では、参りましょうか。」
そう言って少女は腕を軽く一振りする。鈴の音とともに、闇のような穴が、ぽっかりと口を開けた。
「お...ねえ...」顔面蒼白となった幼い妹が、気を失い、崩れ落ちる。
「そちらの娘は――?」青年が倒れた少女に目を向けて尋ねる。「姉」であった少女が、幼い妹を一瞥した。
「放っておきなさい。どうせあの出血では助かりませんわ。」

闇の穴の中に入り込んでゆく「姉」であった少女を、心の奥底に封じ込められようとしている記憶の欠片が、
ほんの一瞬振り返らせる。
少女が闇に呑まれる寸前、小さな鈴の音とともに放たれた僅かなきらめきが、血まみれの妹の体に吸い込まれた。

「ああ...強いですねえ...まさか、こうなるとは...思いません...でし...た...。」
神速のウルカの剣に斬り倒された男が、無表情なままで呻きながら倒れる。
「―――下衆め。」
黒い妖精が、珍しく憎しみをこめて、その残酷な男の最期に向かって吐き捨てた。

―――聖ヨト暦332年、コサトの月、黒ひとつの日。

悠人達のラキオス戦士達は順調にロウエターナルのメダリオ、ントゥシトラ、ミトセマールを撃破し、
キハノレの要塞下に集結していた。
「あとひと息だ、行くぞ!」悠人の号令とともに、一斉に部隊の精鋭達が要塞になだれ込む。
迷宮のようなその要塞に入った悠人達を、いかつい男が、とても剣とは思えぬほどの巨大な武器を手に、
待ち受けていた。
「来たか。貴様らのうちに俺と戦うに足る者はいるのか?」
傲慢とも思える言葉でその男、『黒き刃のタキオス』が悠人達を見回した。
「俺が相手してやるよ。」悠人が進み出る。

「フム、貴様の剣は見たところ上位ではないようだが...よかろう。俺の前に立った事、後悔するなよ。」
タキオスが軽々とその巨大な黒い神剣「無我」を一振りし、構えた。
「てやあぁぁぁ――っ!!」
「アセリアっ、待てっ!」悠人の制止も聞かず、血気にはやったアセリアが突っこむ。
しかし、タキオスの張った防御壁に弾きかえされ、その軽い体が壁に打ちつけられた。
「アセリア!」エスペリアが慌てて駆け寄り、回復魔法を詠唱した。
「その程度の攻撃では俺の体にはカスリ傷一つ付けられんぞ!」タキオスが吼える。
「お前の相手は俺だ!来い!!」悠人が怒鳴る。刹那、タキオスが黒い神剣を横殴りに一閃させた。
悠人は跳躍し、その斬撃をかわした。空中から振り下ろされた「求め」がタキオスの肩に命中する。
「何だとっ!?」左肩を砕かれたタキオスが驚愕の表情を浮かべる。
「これが人間様の力ってもんだ、恐れ入ったか!」
悠人が間合いを開けながら言った。「神剣の格やら力ばっかりに頼ってると大怪我するぞ、オッサン!」

「ぐ...そうか、貴様、オーラフォトンを展開せずに...!」
タキオスが肩を押さえ、呻きながらも不敵な笑みを浮かべた。
「ク、ハハ、久し振りだ、これ程の力の主は...!」

神剣魔法による防御壁が無駄と悟ったタキオスが右腕一本で「無我」を構えなおした。
「―――貴様のような男に出会うために、俺は戦い続けていたのかも知れん。」
暴虐の世界から召還された破壊の王、タキオスは静かな口調で言った。
そこには神剣に呑まれた者の顔はなく、満足気に微笑む人間の顔があった。

「ぬおおぉぉ――っ!!」潮合がきわまり、再びタキオスが剣を薙いだ。
「おらっ、気合い入れろよ、バカ剣!!」悠人が凄味を増した斬撃を正面で受け止める。
以前なら破壊されていたであろう「求め」が火花を散らし、しかし、悠人の闘気を吸い込み、
金色に輝きながら、しっかりとその衝撃を受け切った。
「うおおぉぉぉ―――っ!!」
黒い刃をはねのけ、一直線に繰り出された「求め」がタキオスの脾腹を突き抜けた。
「ぐ...はッ...な...なんという...!」
無数の戦闘をくぐり抜けて来た、傷だらけのその体が、ゆっくりと崩れ落ちる。

「勇者よ...最後に、名を聞かせて貰おうか...」
傷口を押さえながら、それでも微笑を絶やさずに、タキオスが言った。
「悠人...。高嶺悠人だ。」戦いに生きた男の最期を看取るように、悠人はゆっくりと名乗った。
その言葉を聞いたタキオスが、頷きながら目を閉じる。やがて、その体がマナへと浄化されていった。

「タキオスも、とんだ見込み違いでしたわ。」
迷宮の奥へと進んだ悠人達を待っていたのは、幼い少女であった。
「こんな下位神剣などに後れを取るとは...。」その少女は苦笑をまじえながら首を振った。
「テムオリン!ここまで来たらもう逃げられません!覚悟なさい!」
時深が、昂ぶったその感情を隠そうともせずに叫んだ。
「あなたも懲りない女ですわね。ぞろぞろと役に立ちそうもない坊や達を引き連れて、
よくもまあ...。私がまとめて葬って差し上げます!」せせら笑う少女の体が宙に浮き上がる。

シャランッ!

テムオリンの振りかざした錫杖から閃光が奔り、もろにその衝撃波を浴びた時深が倒れた。
「くそっ!」悠人が歯ぎしりする。高く舞い上がったその少女にとても刃が届くとは思えなかった。
「虫ケラは虫ケラらしく、地べたに這いつくばっていれば良いのですわ!」
再び、少女が手にした錫杖を振り上げた、―――その時であった。
「こんなの相手に苦戦するとは、やはりまだ未熟者だな、ユート。」
「し、師匠!?」悠人はその声に驚愕した。「い、いくら師匠でもここは危険すぎるぞ!」
「ごちゃごちゃ言ってないであの娘の神剣魔法を何とかしろ。」
悠人は慌ててシールドを張る。刹那、「秩序」が唸りをあげた。

「ぐおぉぉっ!」
悠人が衝撃波を受け止めた瞬間、そのシールドの影に入っていたミュラーが飛び出す。
「ユート、肩借りるぞっ!」悠人を踏み台にしたミュラーが驚異的なジャンプ力で法皇テムオリンに襲い掛かり、
空中で二つの影が交錯した。

「え...?これは...?」
木太刀に鳩尾を貫かれたテムオリンが、その幼い顔に不思議そうな表情を浮かべた。
「私が...負ける...?こんな...虫ケラごときにッ...!?」
少女と、ミュラーの体が折り重なるように地に落ちる。
「師匠っ!」
「ミュラー様っ!」悠人とナナルゥが抱き起こしたミュラーの体にもまた、錫杖が突き立っていた。
「ミュラー殿っ、気を確かにっ!!」
「冗談だろっ、師匠、しっかりしてくれよ、おいっ!!」
ウルカが、そして悠人が虫の息のミュラーに向かって叫んだ。
ミュラーが悠人の手を握りながら、弱々しく笑みを浮かべる。
「憶えておけ、お前達...心の力というものは、時として、神をもしのぐ...だが、それは、時には...
悪魔よりも醜くなる...。どっちに転ぶかは...お前達次第、という事だ...。」
そう言い遺した美貌の女剣士の瞳が、静かに閉じられてゆく。

「ミュラー様、しっかりしてください!まだ...まだ私は...
貴方に教えてもらわなければならない事が沢山あるのにっ!」
しかし、ナナルゥの嗚咽混じりの呼びかけに、ミュラーが応える事は、もうなかった。

よろよろとふらつきながら、時深がテムオリンに近付いた。
その幼い法皇の体は、マナに帰すことなく、静かに横たわっていた。
「どういう事だ、時深...?」悠人が尋ねた。
「―――これもまた、彼女の選択なのでしょう。
本来、エターナルが人間に倒される事などは、あってはならない事ですから...。」
最大のライバルを失った時深は、複雑な表情を浮かべ、幼い少女の瞳を閉じさせた。
神剣の秩序のために身を投じ、時の果てる事のない戦いを続けてきたテムオリンの相貌は、
しかし、ようやく全てから開放された、あどけない少女のものであった。
「師匠...。」
ひょっとしたらミュラーは、その身命と引きかえに、この幼い少女を救い出したのだろうか、悠人はそう思った。
かつて、悪魔への道へと進み始めていた自分を引きずり上げてくれた、あの時の様に―――。

「――行こう、みんな。」
しばらくの休息を経て、悠人達は要塞の最深部へと入って行った。
この世界中から収束しているマナを感じ、誰もが迫り来る恐怖と威圧感に口を閉ざしていた。
「何だか、凄い事になってるな。」
要塞中央の部屋に入った光陰が、マナを吸い込む巨大な神剣を見上げて言った。
世界中のマナをかき集め、その神剣が今にも破裂しそうな赤い光を発している。
その巨大な「再生」の根元に佇んでいたのは、身も心も神剣に同化させた瞬であった。
「あれ―――秋月なの――?」今日子が忌わしいものでも見たかのように息を呑む。
「あんまり、信じたかねえな。」光陰がつぶやいた。
「...間違いなく、瞬だよ。」悠人が「求め」を握りしめる。
「さ、出番だ。――今度こそ、根性見せろよ、バカ剣。」
悠人の言葉に応じるように「求め」が静かに光を放ち始めた。

「ほう、エターナルにもならずに、よくここまでたどり着いたものだな。」
口調こそ違えど、その声だけは、間違いなく瞬のものであった。
「――よく憶えておいて下さい。あれが悪魔の力に身も心も委ねた者の姿です。」
時深がゆっくりとその空間の中央に進み始めた。

「私は混沌の永遠者、『時詠』の時深!あなたの存在を永劫に葬り去って見せます!」
時深の咆哮とともに瞬の体がふわりと浮き上がった。
「まずは貴様から片付けてやる!マナよ、爆炎となって彼の者を包み込め!」
瞬のかざした『世界』から、かつて悠人達が体験した事のないような凄まじい衝撃波が巻き起こった。
「くぅっ!こ、このくらいでっ...!」一身に赤い波動を浴びて、時深がそれでも耐えようとする。
しかし、時深の体が、刃と化した赤いオーラフォトンに、徐々に切り裂かれてゆく。
「と、時深っ!!」
悠人が、耐え切れず崩れ落ちた時深に駆け寄ろうとした時、まるで無差別攻撃のような第二の衝撃が襲ってきた。
「うっ、つうぅっ!」数々の強敵を打ち倒してきた今日子が、アセリアが、そしてウルカまでもが
一瞬にして瀕死の状態に陥る。
「こ、これが悪魔の力だってのか...っ!」悠人の膝が震えた。
今まで見たことのないその光景に、悠人の心が崩れそうになる。
ほんの僅かな時間で同胞達が、次々と倒れてゆく姿を目の当たりにした悠人の心を支配したのは、
逃れようのない恐怖であった。

「フフフ...今頃になって後悔しているのか。次は、お前の番だっ!!」
あざけるようなその声と同時に第三の赤い津波が、悠人を襲った。
「うおおぉぉっ!」衝撃波をまともに食らった光陰の加護のオーラが、まるで薄紙の様に破られた。
同時に悠人も弾き飛ばされ、その視界が霞んだ。

―――やっぱり勝てないのか、俺達の力じゃ。
...しかし、ボロクズのようなその体を、柔らかな体が受け止め、支えた。

「―――しっかりしてください、ユート様。貴方なら負けるはず、ありません。
――地の底から這い上がってきた、ユート様なら。」
その声は、窮地に追い込まれた悠人を、何度となく救ってきた炎の妖精の、静かな声であった。
「倒れないで、ユート様!」
「おい、悠人よ、まだ何も終わっちゃいないぜ。」
「そうよ、バカ悠。あんたが決着をつけるんでしょ?」
ヒミカが、そして倒されたとばかり思っていた光陰が、今日子の声が、折れそうだった悠人の心に、奮い立たせる力を与えた。
「ここまで来て、負けて帰るなんて、イヤですっ!」
「そうだ、私達は、まだ戦える、ユート。」
ヘリオンが、アセリアが、次々と力強く立ち上がる。

―――契約者よ、我に言った事、よもや忘れたとは言わせぬぞ。
戦乱をともにくぐり抜けた相棒が、理性に満ちた声で悠人に語りかけた。
「――ホント、こんな情けない隊長に、よく着いてきてくれたよな、みんな。」
悠人はもう一度、光を取り戻したその双眸で、瞬を睨みつけた。

「悪魔に心を売り渡したあなたを...倒します!」
ナナルゥの頭上に、純白の光輪が浮かび上がった。
そしてその光輪が、美しいスフィアハイロゥとなり、駆け出したナナルゥの体を包み込んだ。
「ナ、ナナルゥ!無茶だ!」悠人が叫ぶ。しかし、その時、それまで瞬のオーラフォトンに妨害され、
本来の力を失っていた光陰の加護のオーラが、突然勢いを取り戻した。
「サポートは任せろ、悠人!あの娘にゃ借りがあるんだ!」
だが、加護の力を受けて加速したナナルゥの渾身の斬撃も、あっけなく瞬のオーラフォトンに弾かれる。
「ハハハッ!そんなひよわな攻撃で、僕の体を傷付けられるとでも思っているのか!」
瞬の高笑いが響き、再びその体が空中から襲いかかって来た。
「ぐ―――ッ!?」
悠人が受けた衝撃は、しかし、それまでの瞬の攻撃とは比べ物にならないくらい、脆弱なものであった。

「へっ、秋月のヤツも、へばって来やがったな。」光陰の表情に、ふてぶてしい笑みがよみがえる。
「今度は、こっちの番です、ユート様。」素早く自陣に戻ったナナルゥが、
ごく自然に悠人の背後に回りこんだ。―――まるで、ずっとそこにいたかの様に。
「ユート様の背中は...私がお守りします!」その言葉に呼応するかのように「消沈」が輝き始める。
「行って来い、悠人!」光陰の黄緑色のオーラフォトンが、強靭なシールドとなって展開された。
―――さあ、行け、契約者よ!我に汝の全てを見せてみろ!
『求め』の放つ金色の光とともに、悠人が翔けた。――その刃に、ともに戦ってきた仲間達すべての思いを乗せて。
「うおおぉぉ―――っ!!」

ガッ、ガッ!!
一発―――二発。悠人の斬撃が、確実に瞬の体を捉える。
「―――マナよ、怒りの炎となれ。黒き血にまみれし彼の者を焼き尽くせ!」
ナナルゥが、何かに導かれるかの如く火焔魔法を詠唱する。
『消沈』がそれまで見せた事のないほどの真っ赤な光を放ち、ナナルゥの目の前に、
巨大な盾のような紋様が出現した。そして、『再生』へと収束しつつあったマナをも巻き込みながら、
その魔方陣が紅蓮の炎へと姿を変え、瞬に襲いかかった。

「ぐあ...あ...なん...だとっ!?僕の...体が消える...?
この僕が...僕が、負ける...なんてッ!!」
煉獄の炎にその身を焼かれた瞬が、獣のような断末魔の声を残し、
そしてその身体が、まるで蒸発するように消え始めた。
...やがて、集めるべきマナをなくし、光を失った『再生』もまた、瞬の体を追うように、
闇と化した空間の中に呑みこまれて行った。


「――これで、良かったんだよな、師匠。」
悠人はソーン・リームの雪原に並んで建てられたミュラーとテムオリンの墓標に向かって言った。
二人とも、穏やかな死に顔であった。
年齢の差はあったが、その二つの顔は、不思議な事に、どこか似通っているようにも見えた。
「さ、帰ろう、俺達の家に。」悠人は墓標の前で長い間ひざまずいていたナナルゥとウルカに呼びかけた。
「―――はい。...さようなら、―――ミュラー様。」
ナナルゥが流した一筋の涙が、真綿のような雪に、ポツリと小さな穴を開けた。

ラキオスに戻った悠人達を、熱狂的な観衆が取り囲んだ。
大陸を救った英雄として迎えられたセリアが、ヒミカが、そしてファーレーン達がもみくちゃにされ、
困ったような笑顔を見せる。スピリットを蔑む目は、もう、どこにもなかった。

「悠人さん、あなたもこの世界に残るのですね?」時深が念を押すように尋ねた。
「そうだな。まあ、時深には悪いけど、俺には永遠の戦いを続ける気はないよ。」
悠人は赤い妖精の肩を抱いて言った。
「―――そうですか。残念です。今のあなた達からは我々と同じような力を感じるのですが。」
時深はそう言って首を振った。
「俺なんかがいなくても大丈夫だよ。もし、この先タキオスや瞬が復活したとしても、―――その時までには、
虫ケラみたいなちっぽけな奴の中から、必ず神様に一泡吹かせようってヒネクレ者が出てくるさ。」
「あなたは根っからのカオスなんですね。」溜息をつく時深の言葉は、悠人にはどことなく聞き覚えのあるものだった。

「あーあ、次のイベントまでに、またイキのいいのを探さなくっちゃ。」時深が苦笑しながら言う。
「はは。あんまり乱暴な事はすんなよ。」悠人もつられて笑った。
「あ、あったり前でしょう!ふん、もっと紳士的でカッコいい男の子を見つけてやるんだから!」
時深が拳を振り回しながら毒づいた。
「―――それ、どういう意味ですか?なんか、性格変わってるし。」
口を尖らせるナナルゥが、控えめに抗議した。

―――スピリットが人間の社会に溶け込んでから、さらに数年が経過した。

スピリット達はこの世界で、自分の選んだ道を歩き始めていた。
ヒミカは王立図書館の司書職を勤めている。勤務の傍ら、創作活動にも精を出しているようだ。
ハリオンは、大陸各地のグルメ旅行にいそしみながら、料理教室を開いていた。
その料理教室を優秀な成績で、最初に卒業したのは、以外にもセリアだという事であった。
ヒミカの情報によると、どうやらいい人が出来たらしい。

―――そんなある日の事。
「あら、ニム、いらっしゃい。」ナナルゥが微笑んだ。
「ふう、疲れた。ここに来るたび思うんだけど、すごいとこに住んでんのね、ナナルゥ達って。」
ニムが溜息混じりに言って荷物を降ろす。
「いつも悪いわね、ニム。こないだお礼にあげたキノコ、どうだった?」
「あれね...料理してコーインに食べさせたら、三日ほど起き上がってこなかったわよ。」

今や大陸でも知らぬ者がいないほどの名医となったニムが眉をひそめた。だが、その躍進の影に、
あるエトランジェの、本人も気付かぬうちに行われた数々の人体実験があった事は秘密である。
「あ...そう?うーん、キノコは見分けが難しいのよねえ。」ナナルゥが腕組みをして、首をかしげる。
「あっ、ニム、いい所に来てくれた!おい、これほどいてくれよ!!」
なぜか洞窟の前の大木に縛り付けられている悠人が叫んだ。

「―――ナナルゥ、あれ、なんなの?」ニムがいぶかしげに尋ねた。
「せっかく髪型整えてあげるって言ってるのに、逃げようとするのよ、あの人。」赤い妖精が屈託なく笑う。
「当たり前だ!こないだ変な薬であやうくつるっぱげにされかけたんだぞ!」悠人が怒鳴る。
「―――で、今度のは大丈夫なの、ニム?」悠人の言葉には全く耳を貸さないナナルゥであった。
「これならどんなに硬い髪でもさらさらになると思うよ。えっと、この前渡したのと、
この青い瓶の中身を混ぜてね。あ、間違えてそっちのと混ぜたら爆発するから気を付けて。」
ニムが荷物の中身を取り出しながらナナルゥに説明を始めた。

「一体お前ら、人の体を何だと思ってるんだっ!!」悠人が泣き叫ぶ。
「気にしないで、ニム。あの人元気が有り余ってるのよ。夕べなんか三回も私と...。」
「んまあ、三回も!?」
「こ、こらこらっ!!ナナルゥ!!そこで赤裸々な夫婦生活を語ってんじゃない!
ニムもなんでそんな主婦じみたノリをしてんだよっ!」
「―――うるさいわね、ユート。ナナルゥ、エレメンタルブラストかましといていい?」
「あ、いいけど、そこ珍しいハーブ植えてるから気をつけてね。」
「―――俺の体の心配は無しかよ...。おい、バカ剣っ、お前の主の危機だぞ!
何とかしろよ!相手は下位神剣だろ!」
―――契約者よ、我の貴重な思索の時間を邪魔するでない。しかも神剣の位などと...それこそ心貧しきロウの発想だ。
「くっ!妙に『聖賢』に干渉されてやがる!こんな事なら復活なんてさせるんじゃ...ぎゃあっ!!」
なおも騒ぎ立てる悠人の頭上からエメラルドグリーンの雨が降り注いだ。

――そんな平和な日々が続いたある日の事。
ナナルゥと悠人が暮らすラシードの洞窟に傷だらけの少年が辿りついた。
「へえ、人間の子か。よくここまで来れたもんだな。」
感心しながら少年の顔を覗き込んだ悠人が目を丸くする。「お、お前、ひょっとしてあの時の...!?」
よく見れば、それはいつか、ラキオスの城下町で出逢った事のある顔であった。
「―――勇者様に、剣を教えて貰いに来ました。」
その少年はボロボロになった剣で体を支えながら言った。
しかし、泥だらけの顔の、そのまっすぐな瞳はどこまでも澄んでいた。
「教えて貰いにって...。うーん、せっかく来てくれてこんな事言うのは気の毒だけど、
俺は別に訓練士とかじゃないんだ。ラキオスの町にウルカって先生がいるだろ。そこで剣を習ったほうがいいぞ。」
ウルカは、一番弟子のヘリオンとともに、ラキオス城下で、大陸中から集まる者全てに、
それこそスピリット、人間の分け隔てなく剣を教えていた。
誇り高い女剣士から教えられた剣の心を、一人でも多くの者に伝えるために。

「そのウルカ様がここに行けって言ったんだよ。」
少年がキッと悠人を睨む。
「は?ウルカが、か?」悠人は眉をひそめた。
なぜ、こんな年端もゆかぬ少年に危険を冒させるような事を言ったのか、見当がつかなかったのだ。

「教えて上げればいいじゃない、あなた。」ナナルゥが横合いから口を出した。
「だって、この子の眼、―――昔のあなたにそっくりよ。」
赤い妖精がいつもと変わらぬ静かな笑顔を見せる。
「やれやれ、ナナルゥまで―――。なあ、お前、何でまた俺ん所まで来たんだ?」悠人は少年に向き直った。
「強くなりたいんだよ、俺!」少年が瞳を輝かせながら答える。
「ふうん。強くなりたい...か。」悠人はニヤリと笑って、言った。

「――で、強くなってどうする、坊主?」


                                             SALVAGE   完