「アセリアっ!!」
ユートの叫び声が聞こえる。
ユートが呼びかける声だけが聞こえる。
記憶も感情も根こそぎ振り回される奔流の中。
ただ、呼びかけられる声だけが自分を取り戻させた。
ユートの手の力強さを感じる。
ユートが握っている手だけを感じる。
腕も足も全身を捻じ切られる様な激流の中。
ただ、繋いだ手の温もりだけが確かな感覚だった。
ユート、ユート、ユート…………
呟くように念じるようにただひたすらその事だけを考える。
抗し難い圧力に、それでも決して屈しないように。
自分と、そして大切なユートを決して見失わないように。
『求め』と『存在』がその輝きの中に霞んでいった時。
それでも、ココロは闇に引きずられていった。
敵を……倒す。
昇華したマナが最後に発する金色を見ることだけが心を高揚させる。
ただそれだけを求めてひたすら「剣」を振るう。
突き動かされる衝動もその瞬間息を止めるような快楽。
しかしその愉悦は、突然背後から抱きつかれることによって失われた。
遠くどこかから不快な声が響いてくる。
「だめっ!アセリア、もう殺さなくても!」
「……!殺す……どけ……!」
背中から感じる悲しみすら理解できない心の強制。
自分の声とはとても思えない低く強い声。抑圧された殺意は出口を求めて声色を変える。
抱きついていた腕の力が抜けるのを当たり前の様に感じながら次の敵を探す。
その時。
「剣」の感覚が無くなった。
「こんなのは……違う……」
急速に失われていく力と意識。最後に聞いたのは、そんな呟きだった。
……………………
圧倒的な力。威圧感が心を突き抜けていく。強力なエトランジェ。
明らかな敵。なのに動かない体。それでも視線は離す事が叶わず。
わたしは初めて焦りというものを感じていた。
ふと目の前をよぎる影。見覚えのある長身は振り向いて一瞬微笑んだ。
それはなんだったのだろう。なぜこの状況で笑えるのだろう。
楔のように打ち込まれた笑顔を残し、その男は戦いへと赴いていった。
白く眩しい敵は悪意のカタマリ。
そう、敵だ。敵ならば倒さなければならない。
巻き上がるマナの竜巻を斬りつけ、開いた隙間に強引にねじ込む。
小柄なスピリットを認識すると同時に「剣」を振り切った。
斬った、と確信したその瞬間。わたしは弧を描いて弾き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。
何が起こったか判らない。それにどうやら手足が動かないようだ。
もがいていると近くにドスン、と何か重たいものが落ちてきた。
辛うじて動く首を曲げると見覚えのあるスピリットがこちらを見ている。
動かない自分を見てなぜか彼女は微笑んだ。
「アセリア、焦らないで。きっといつか……思い出せるから」
なにを思い出すというのだろう。わたしは焦ってなどいない。
そう思ったわたしのココロだけがちくり、と違和感を訴えていた。
なんだろう、これは。
傷付き弱々しく微笑むさほど強いとも思えないレッド・スピリット。
訳の判らない事を諭しているその娘の、しかし瞳の力強さだけは何故かしっかりと印象に残った。
……………………
柔らかいエメラルドグリーンの光。目覚めると澄み渡った空。なんの意味もないもの。
体の異常を確かめる。どこにも問題がない。グリーン・スピリットが囁く。
「アセリアさんも~負けないで下さいね~」
負ける?敵に?わたしが?疑問が幾つか浮かんでは消える。それも癒しの力なのか。
目を閉じるわたしの中へ流れこんでくるその温もりは、不快なものではなかったか。
全てが思い出せなかった。霧がかった頭に聞こえてくる声。
「心って……凄いね。」
どこかの森を駆け抜けていた。
自分の意志じゃない。誰かが強く腕を引っ張っていただけだ。
彼からは敵の気配がしないから。だから黙って従っていた。
なにか話しかけている彼の声に混じって、ふと気配を感じる。
咄嗟に前を走る彼に逆らうように踏ん張って足を止めた。1、2、3……
ブルー・スピリットとブラック・スピリット。全部で5体。敵だ。
みるみるココロから噴出す殺意。押し出されるようにわたしは叫んでいた。
「ウゥア…………アッーーーーーーー!!!」
「剣」を抜き、ハイロゥを開く。
同時に姿を現し始めた敵の真ん中に向かって走り出していた。
今は赤く輝いている剣を的確に敵に打ち下ろす。怯んだ敵は殆ど一瞬で消滅した。
高揚した精神は、更に高みを目指して上昇する。伴って訪れる眩暈。
際限の無い覚醒。心臓の音までもが手に取るようにわかる程激しく。
…………なにか、おかしい。
体が燃えるようだ。なにかが内で膨らんでいく。支えきれないわたし自身がひび割れていく。
そう感じた時にはもう耐え切れなくなっていた。
わたしはもう一度だけ叫んで、そして意識を失った。
次に目覚めたのは、夢のなかだった。
青白い空間の中、自分が自分で無くなったかのように浮いている感覚。
水の中を漂うようなその感覚の中、わたしは一振りの剣を見つけた。
大きな、無骨な剣。その剣がふいに優しく輝いた。
剣に表情がある訳ではない。しかし確かにその剣はわたしに微笑みかけている。
その微笑には覚えがあった。もうあやふやになってしまった三人のスピリット。
彼女達が見せた笑顔が連想される。彼女達の名前はなんといっただろう…………
「幼きスピリットよ」
剣の声が自分を引き戻す。
「……だれ?」
わたしはごく自然に「彼」に問いかけていた。
『求め』の言葉が訥々とココロに染み渡っていく。
少しづつ開かれていく扉。神剣に同化しかかっていたわたしが戻ってくる。
まず、名前を思い出した。次に声。そして最後にあの優しい顔を思い浮かべられた瞬間。
…………わたしは全てを取り戻していた。ユートの全てを。わたしの全てを。わたしの帰るべき安息の場所を。
そう、帰らなくては。ユートのところへ。みんなのところへ。
(きっといつか……思い出せるから)
言葉が蘇る。その意味がやっと判った。
今ははっきりと思い出せる彼女達にわたしはそっと答える。
ナナルゥ、ヒミカ、ハリオン、……みんな、帰るよ―――
あの三人が示してくれた、失わないための戦い。取り戻すための戦い。
今度こそ正しく叶えるための戦い。そしてわたしの戦いは…………
『求め』に導かれるままユートとの想い出を強く念じた。
次々に溢れ出す想いの欠片が心を埋め尽くしていく。
欠片はやがて一つの形となった。それは心の奥底でずっと答えを求めていたもの。
そして自ら問いかけ続けてきたその疑問が一番最後にふたたび零れ落ちる。
「わたしは……………………どうして戦っているのだろう」
―――――――そうしてわたしの中に、見つけた。
再び目覚めた時、わたしは薄暗い洞窟の中にいた。
両手には『求め』と『存在』、二本の神剣が握られている。
『求め』からユートの気配を感じ、わたしは森の中に飛び出していた。
今は純白に光り輝くウイングハイロゥを大きく広げて。
ユートの気配が弱まっていく。
同時に感じられる複数のスピリット達。
考えなくても判る。ユートが危ない。
「このままじゃ、間に合わない!」
全開だったウイングハイロゥに更に力を籠める。
舞い散る白羽が、羽ばたく翼に追いつけないくらいに。
彼女達の姿が見えた時、わたしは両手を振るっていた。
―――――――――
垂れ込める闇の中に舞い上がっていく煌きの群れ。
金色のマナとわたしの白い羽と。
静と寂が交差するその中でたった一つ手に入れたもの。
わたしは最高の笑顔を浮かべて振り返る。
わたしの戦う意味。もう絶対忘れない大切な想いと共に。
――――――ただいま、ユート