回帰

法皇の壁。
旧ダーツィー領ケムセラウトとサーギオス帝国領リレルラエルの間に横たわる巨大な防壁は、
そのまま大陸を横断して旧マロリガン帝国との接触まで遮断している。
「お~お~こりゃまた随分デカイ代物だなぁ、ここから見渡せる地平線全部壁じゃねぇか」
ケムセラウトの一室。窓際に立った光陰の呟きはあながち的外れでもなんでもない。横に並んで悠人が答える。
「でもそれを攻略しなければ帝国には侵入出来ない。佳織も取り戻せない。…………俺達はもうやるしかないんだ」
「ま、俺はもう悠人に従うって決めちまったからな、今更文句は言わんさ…………でも今日子、お前は残ってもいいんだぜ?」
「なに言ってるのよ、アタシだけ逃げる訳にはもういかないでしょ?それにアンタ達二人だと何かと不安だしね」
「今日子……ありがとな」
「な~にシケた顔してんのよ悠!これはもう自分で決めたことだからさ。…………さっさと佳織ちゃんを助け出しましょ」
「そういうこった。悠人は大船に乗った気で俺達に任せとけばいいんだよ。何でも一人で抱え込むモンじゃないぜ」
背中を軽く叩いてそのまま肩を組んでくる光陰。悠人は黙ってもう一度二人に頭を下げた。

「友情って美しいですね~」
「御三方の強い絆……感動いたしました」
「うう~コウインさま、かっこいいですぅ~」
「パパもなんだかおっとこらし~!」
「これはジカイコウエンに使えるわね……メモメモっと……」
「……貴女いつも手帳を持ち歩いているの?」
「ヒミカのこれは最早癖になってますから」
「こほん……それはそうとユートさま、そろそろ会議に戻りませんと」
エスペリアの声に我に返った悠人を全員が注目していた。

とっとと終わらせて欲しいオーラを出しているニムントールと悠人の目が合う。
「あ、ははは……」
「…………ふんっ!」
「こ、こらニム……すみませんユートさま、折角感動的な場面でしたのに」
「ああ、いやこっちこそすまん、つい現実逃避してしまったみたいだ」
「だって~退屈なんだもの。ねえエスペリア、部隊編成ってそんなに難しいものなの?」
「え、いえキョーコさま、以前はわたくしの一存に任されていたのですが……」
「ああ、エスペリアの指示は的確だったからそれで問題なかったんだよな」
「それでどうして今回は会議までしてるんだ?俺達のことなら気にしなくてもいいぜ?」
「そうそう、適当に悠のアシストでもしてるからさ」
「そんなもったいない……実は最近ユートさまの部隊にどうしてもという内密な相談を頻繁に持ちかけられてまして……」
「あ~エスペリア、それ言っちゃダメだって言ったのに~!」
「ネ、ネリーちゃん、ばらしてるよう……」
「…………へ~悠って結構モテるんだ……どれどれエスペリア、誰と誰が悠と一緒に戦いたいって?」
「え、ええ……」
困った顔で一同を見回してから今日子に編成表を見せようとするエスペリア。
とたんその場にいたほぼ全員が弾かれたように立ち上がった。
「だめ~!」「いけませんっ!」「キョーコさま、それだけはっ!」「あ~れ~」
その様子をイジワルそうな表情で流し目しながら今日子がエスペリアの手元を覗き込む。
「いいではないかいいではないか……ふんふん、ネリーシアーオルファヒミカファーレーンハリオンっと」
「お姉ちゃん、いつの間に……」
「ち、違うのよニム、これには遠大な訳があって」
「お姉ちゃん、ニムの目をちゃんと見て」
「う…………」
「ヒミカ、抜け駆けですか?」
「おかしな言い方しないでよナナルゥ、わたしはただアタッカーとしてお役に立てれば、と……」
「セリアさんは~いいのですか~?」
「こんなのはエスペリアの決めた通りでいいんじゃない?どうでもいいわよ」
「それにしては~握った拳がぷるぷるしてます~」
あっという間に喧騒に満ちた面々。エスペリアが溜息混じりに額に手を当てた。

「つまりあれだ、要するに悠人が決めちまえばいいんだ、とっとと決めろコンチクショウ」
悠人のモテっぷりに半ば呆れ顔の光陰が投げやりに提案する。しかしその一言が場を一気に沈黙させた。
「お、おい光陰…………うっ………………」
期待の視線が悠人に集中している。後づさりながら悠人はどうやってこの場を切り抜けるか必死で考えた。
「早くしなさいよ悠、会議が長引くじゃない」
「お、おぅ…………」
焦っている悠人に今日子がとどめを刺す。気のせいか二人ともニヤニヤと笑みを浮かべている。悠人は心の底から二人の薄い友情に感謝した。
(お前ら早く会議を終わらせたいだけだろう…………くそ、どうしろと…………)
もう一度一同を見渡す。らんらんと輝いた少女達の視線が痛かった。
連れていけるのは二人。名前の挙がった娘の内から選べば修羅場は間違いない。
ふと蒼い髪の少女と目が合った。無関心を装っているふりをしているが、視線を決して逸らそうとはしていない。
「その…………なんだ」
無言の脅迫。真剣な面持ちが心なしか睨んでいるような。鳴り渡る警鐘に背中を押され、悠人は一人の名前を挙げていた。
「…………アセリアと」
ほうっと溜息ともとれる声が会議室に立ち込める。それが更に緊張感を煽って悠人は息が詰まりそうになった。
もう無難な所で適当にエスペリアでも指名するかと考える。
(……いやでもそれじゃ他の部隊と戦力バランスが取れない。本末転倒だ)
(誰か適当に強すぎないでそれでいてアセリアのスピードに付いて行ける、出来れば青以外の…………あ)
部屋の隅っこで縮こまっている小柄な女の子に目をやる。うつらうつら揺らしているおさげ頭を悠人は指名していた。
「それじゃ、ヘリオンに頼むかな」
「…………ふぇ?…………は、はいぃ!」
いきなり名前を呼ばれたヘリオンが慌てて立ち上がり、体を勢いよく曲げる。がつんと机に頭を打ち付けた音が響き渡った。
「うう~~、い、痛いですぅ~~」
涙目で赤くなった額を擦ると、ヘリオンは無意味に辺りをきょろきょろと見回した。一同が注目している。
「あ、あれ?どうしたんですかみなさん、なんだか一部睨まれているような気がするんですけど…………」

 ―――――――――

ケムセラウトを出撃した悠人達は法皇の壁兵へ波状攻撃をかけていた。
とにかく城壁に篭るスピリット隊の数が半端じゃない。以前サルドバルトで戦った時、いやそれ以上の大兵力が巨大な壁に篭っている。
(“ただの壁”でさえこれだ)
戦いの最中、悠人はサーギオスの強大さを想像するたびに気の遠くなる思いがした。
(とにかく少しづつ削るしかない。それも、帝国からの増援がこないうちに)
そう決心した悠人はケムセラウトとの反復を諦め、城壁付近に陣を構えた。
そして何回目かの突撃の後。
悠人とヘリオン、アセリアは遂に城壁内部への侵入を果たしていた。
ここで敵主力を追い出す。そうしなければ、もう味方が限界だった。体力的にも、精神的にも。

城壁は基本的に居住空間ではない。上下に昇降するための階段があちこちにある多層構造だ。
狭い空間では比較的待ち伏せによる数の纏まった攻撃を心配しなくても済んだ。
ところで、高い位置からの展望は篭城戦では生命線である。
ここを押さえてしまえばもし主力が別にいても立ち枯れてしまうのは自明だった。
それでも広い頂上部に敵主力が控えているのは間違いない。アセリアが先頭に立ってひたすら上へと駆け上がる。
悠人達は意外と何の抵抗も受けず屋上へと到達した。
まず勢いよく飛び込んだアセリアの目に空の青が広がる。その時、風が動いた。
「…………はぁっ!」
猛然と襲い掛かる深紅の炎。イグニッションがアセリアを襲う。予感に逆らわず既に身を翻していたアセリアの『存在』が光り出す。
ウイングハイロゥを展開しつつ敵の数を確認しようとした所でひょっこりと通路からヘリオンが顔を出した。
「ふぇぇ~ん、髪、少しコゲました~」
「だから言っただろ、顔出すなって!全く落ち着かない奴だな!」
「う~、すみませ~ん」
「………………」
アセリアの身体からがくっと力が抜けた。

緊張感が一瞬抜けたのは敵も一緒だった。というか。
「またアンタなのかよぅっ!」
半ば投げやりなお姉さんの声がこだまする。つくづく縁のある人だった。
「まったくことごとく任務に失敗した挙句こんなとこに飛ばされたと思いきや…………」
そして地団駄を踏みながら、延々と愚痴をこぼし始める。
一応リーダー格なのだろう、突然の隊長の錯乱に他のスピリットの動きも完全に止まった。その隙を突いて、ヘリオンが挨拶をする。
「あ、あ、その節は、どうもっ!」
「……ヘリオン、知り合いか?」
「あ、アセリアさん、実はですねあの夜に……」
「ふんふん、ユート、あのお姉さんにも手を出していたのか?」
「どうしてそうなる!って、だーーーっ!そんなことはどうでもいいっ!おいお姉さん、ヘリオンと知り合いなら話が早い、ここは引いてくれ」
「誰がお姉さんよっ!そんな訳にいくかっっ!!!」
もう呼称がお姉さん確定になってしまった哀れな少女の鋭い一言で和平交渉はおしゃかになった。高速詠唱と共に敵の姿が緑の壁に包まれる。
同時に先程イグニッションを放ったスピリットの神剣の先にも赤い光球が複数浮かぶ。しかし構わず悠人達の言い合いは続いていた。
「大体“にも”ってなんだ、あの話は誤解だって言っただろう?!」
「そんなこと、ユートは言ってない」
「そういう問題じゃない、少しは読んでくれ空気を」
「うぇ~んそういえば髪が…………」
「 無 視 す る な っ っ !!!!」

お姉さんの怒号と共に敵スピリット達が一斉に動き出す。
仲間割れを始めた悠人達に向かって怒りのファイアーボール(×4)が放たれた。しかしそのとたん、今までの喧嘩が嘘のように悠人が叫ぶ。
「ヘリオンは待機、俺は右、アセリアいいなっ!」
「ん、マナよ、凍てつく風を運べ 争乱を止め……」
「は、はいっ……ええと、ええと……って……え?待機?」
「うおおおっ!」
アセリアのサイレントフィールドが発動した瞬間お姉さんの怒り(自分で放った訳ではないが)はあっけなく霧散した。
同時にその左を駆け抜けていくアセリア。面食らったレッド・スピリットに次の詠唱をする暇も与えず殺到する。
攻撃力に特化した場で悠人は右手の敵をまとめて薙ぎ倒していた。蒼いオーラフォトンが『求め』全体に煌いている。
「…………なっ!」
お姉さんが驚きに目を見開いた時、敵は既に全滅していた。

 ――――――

アセリアに神剣魔法を封じられたお姉さんは殆ど為す術無く味方が全滅したのを確認すると逃げ出した。
「覚えてなさいよ~~~!!!」
まるで悪役のようなセリフである。しかし悠人達はあえて彼女を追いかけようとはしなかった。
「よ、アセリアお疲れ」
「ん……ユート、怪我はないか?」
「ああ、アセリアも大丈夫そうだな…………ヘリオン?」
「へぅ!…………は、はいっ、今行きますっ!!」
アセリアと悠人のコンビネーション。
それが先日の光陰と今日子の姿に重なってしばし呆然としていたヘリオンは慌てて悠人の元に駆けて行った。

こうして法皇の壁が落ちたその夜。
ヘリオンは一人ベッドの中でいじけていた。
「そりゃあわたしはドジですけど、だけどいくらなんでも待機ってひどいじゃないですかぁ……」
昼間の悠人とアセリアを思い出す。あんなに喧嘩していたのに、呼吸がぴったりだった…………なんだろう、もやもやする。
コウインさまとキョーコさまの時はこんなこと考えなかったのに。ただ羨ましいだけだったのに。
結局自分が悠人に戦力として期待されていない事が悔しいのだろうか。でもそんなのは今更だし前はこんな気持ちにはならなかった。
「ユートさま、アセリアさんにはあんな顔で笑いかけるんだ……」
訓練に付き合ってくれた時の悠人の少し困ったような笑いを思い出す。比較している自分に驚いて頭をぶんぶんと振った。
枕に顔を押し付ける。
「ユートさまの…………ばか…………」
寝言のように呟いて、ヘリオンはそのまま不貞寝の中に落ちていった。

「ヘリオンは待機、アセリア行くぞっ!」
「ま、待ってくださいユートさま……って…………いっちゃった……」
法皇の壁を抜いた数日後。リレルラエル城に突入したラキオス軍は帝国軍と混戦の真っ最中にあった。
その中にあってめざましい活躍をしている悠人隊であったがその殆どは悠人とアセリアのコンビネーションによるものだ。
二人の完全に息の合った攻撃と防御。ヘリオンはただそこに居るだけといった格好である。
ぽつん、と取り残されたヘリオンは暫くその光景を眺めていた。
悠人のただ振り回しているだけのような剣技。その稚拙さはヘリオンでもこうすればもっと良くなるのにと思わずにはいられない。
ただその威力はやはり神剣『求め』の影響なのかそれとも悠人の潜在能力なのか、強大である。
逆に力に振り回されている様な気がしないでもない悠人をしっかりサポートしつつ、側でアセリアが『存在』をなびかせる。
無関心を装ってはいるが未熟な悠人に常に気を使っているのだ。更には自らも斬りこんで敵を倒す。
さりげなく背中に立って逸る悠人を抑え、バニッシャで相手の神剣魔法を崩す。
それらが全て暗黙の了解で行われているのだ。改めて見るとやはりお似合いの二人に見えた。

やがて周囲の敵が沈黙するのを見届けたアセリアが悠人に何か話しかけている。そして答える悠人の顔も笑顔に満ちていた。
ふと自分を省みてしまう。もしあの場に立っているのが自分だったら……もしもあんな笑顔で応えてもらえたら……
(わたしだって…………)
「ヘリオン、おいヘリオン、どうした?」
いつの間にかこちらに来ていた悠人が微笑みかけている。
でもやはりその笑顔はさっきアセリアに向けられていたものとは違うもの。保護するもの、例えるなら、まるで「妹」を見るような目。
ちょっと痛い心を抑えてヘリオンはにっこりとガッツポーズをした。燻ぶった心を悟られないように。
「大丈夫です!さ、行きましょう、ユートさまっ!」
その無理をした笑顔の意味に気付かなかった事を悠人は直後後悔することになる。

次の部隊を捕捉したとき。ヘリオンは悠人が指示を出す前にいきなり動いた。
「お、おいヘリオン、ちょっと待て!」
悠人の制止も聞かず、駆け出す。ウイングハイロゥを羽ばたかせ、加速をかけた。
「大丈夫です……いこう、『失望』!」
握った『失望』が共鳴して光り出すのを確認してヘリオンは詠唱を始めた。サポートに回っている敵に照準を定める。
自分だってやれば出来るというところを悠人に見せたかった。
(わたしだって…………!)
今出来る最大の詠唱魔法、ダークインパクト。それで敵の陣形を崩す。その間に……そこまで考えた時、ヘリオンの詠唱がいきなり絶叫に変わった。
「あそこを先に叩けば…………って、きゃ~、ど、どいて下さい~っ!!」
敵味方屈指のスピードが致命傷になった。詠唱前に敵に到達してしまったのである。ドジの本領発揮であった。
敵こそ驚いただろう。自らの神剣魔法の詠唱を終える前に斬りこんで来るスピリットなど聞いた事もない。
「あ、あわわ、ぶつかる~~~~」
「ちょ、ちょっと……きゃぁぁぁぁ!!!」
動揺しつつヘリオンを避ける敵の群れ。逃げそこなった哀れな一人がヘリオンに巻き込まれて壁に激突した。どすんと鈍い音が城内に響き渡る。
「~~~~~~~きゅぅ」
「いたたたた~~…………あ、あの、大丈夫でしたか……あれ?」
頭に大きな瘤をこしらえて目をぐるぐるさせている敵グリーン・スピリットが下敷きになっていた。というかお姉さんだった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさ~い!!」
今度は怒る暇も与えられずに気絶させられてしまったお姉さんにヘリオンがぺこぺこと頭を下げる。かなり間抜けな光景だった。
一方動揺から立ち直った敵集団は仇とばかりにヘリオンに襲いかかろうとしている。そこにやっと悠人が飛び込んできた。
「大丈夫か、ヘリオン!」
駆け込みざま一人の少女を斬り倒しつつ悠人が叫ぶ。
「は、はい、大丈夫です!」
ヘリオンは条件反射で立ち上がると急いで悠人の側に駆け寄った。背中合わせになって剣を構える。
期せずして悠人とコンビが組めた。胸の鼓動が高鳴る。わたしだって…………ヘリオンは期待と緊張を抑えながら『失望』をぎゅっと握り直した。
「よし、それじゃ早速だけど……逃げるぞっ!」
「はいっ!…………ふぇ?」
予想外の悠人のセリフにあっけに取られ、ヘリオンは思わずまぬけな声を上げてしまう。
「だから逃げるの。アセリアが向こうでエーテルシンクを掛けるから、その隙に。……いくぞっ!」
駆け出す悠人。しかしその声はもうヘリオンには届いていなかった。
やっとアセリアさんみたいに悠人と戦える。やっとアセリアさんみたいに悠人と一緒にいられる。
アセリアさんみたいに。アセリアさんみたいに。それなのに…………

「…………やだ」

ヘリオンの呟きは悠人に聴こえない程小さい、でも初めて見せたヘリオンの我が侭だった。


 ――――――

悠人の背中が遠くなっていく。おそらく付いてきていない自分のことなど気付いてもいないのだろう。
――寂しい。悔しい。哀しい。様々な感情がヘリオンの中で渦巻いた。
判ってしまった。わたしはユートさまになにも期待されていない。でも、それも当然。
今までなにも出来なかったのだから。ひたすら甘えてきただけなのだから。守られて、いるだけだったのだから。
…………それなのに、今更アセリアさんの真似をしたいなどと考えるのがおこがましかったのだ。
初めて出来た大きな、兄のような存在。嬉しくて、甘えてきた。安心して、頼れた。いつも、後ろばかり追いかけていた。
それだけでよかった。今までは、それだけでよかったのに―――
「……でも、このままじゃ、やだ」
下を向いたまま呟く。
一度も横に並んだことなんて、ない。一度も助けたことなんて、ない。一度も対等に戦ったことなんて……ない。
…………認めてもらいたい。横に並んでもいい、と。助け合ってもいい、と。対等に戦ってもいい、と。
 
 ――――だから…………アセリアさんのところに。

「いっちゃ………………やだ」

迫ってくる敵の姿に被って悠人の背中が見えなくなる。ヘリオンはかっとなった。
「…………っわたしだってっっ!!」
あふれ出てくる感情をそのまま爆発させる。『失望』が呼応して大きく輝きを増した。
「わあああああああっ!!!!」
大粒の涙をこぼしながら、そのスピードを最大にして斬りこんだ。集中していた敵に対しての三連撃。袈裟、薙ぎ、振り下ろし。
一番近くにいた青スピリットが驚きの表情を見せたまま崩れ落ちる。ヘリオンはそのままハイロゥを羽ばたかせて飛び越えた。
着地と同時に悠人の姿を確認する。いた。ようやく気付いて振り向いた悠人の慌てている表情が見える。
そのまま駆け寄ろうとして…………肩に一撃を受けた。それでも走ろうとして……今度は肢と背中。体の力がふっと抜ける。
「……あぅっ!」
倒れこむ体を必死にささえているところに正面に立った黒スピリットの冷たい笑みが迫った。
細身の剣がヘリオンを貫く。腹部に熱いものを感じながら、ヘリオンの意識は遠ざかった。


追って来ないヘリオンに気付いた悠人が振り返ったとき、既にヘリオンは敵の集団に包まれていた。
何人かの剣から赤いものが飛び散るのが見える。悠人は弾かれたようにそこに駆けつけた。
「うおおおおおっ!!!」
背中を向けている敵にオーラフォトンブレードを浴びせ、周りを睨みつけて牽制する。
ふと今倒した敵が手に持つ剣が視界に入った。膨れ上がる嫌な予感。不自然に斜め上を向いているその神剣の先を辿る。
細く伸びた剣の先は途中で消えていた。どくんとひとつ大きく心臓が波打つ。更に追ったその先には……ヘリオンが赤く染まって立っていた。
からん、と妙に乾いた音を立ててその手から『失望』が落ちる。悠人は頭が真っ白になった。
「ヘリオンっっ!!!」
剣をその身深く貫かれたまま、ヘリオンはゆっくりと倒れようとしていた。それを悠人が無我夢中で強く抱き締める。
その身体が冷たく、やけに重く感じられた。血の気の無い青い顔を覗きこんだとき、なにかどす黒い霧の様な思考が悠人の頭を掠めた。
『求め』が鈍く、ひっそりと息づいている。しかし今の悠人にはそれに気付くゆとりなど無かった。
「くっ…………ヘリオン、ヘリオンっっ!!!」
叫びながら激しくヘリオンを揺さぶる。すると微かに細い眉が動いた様な気がした。
「…………う、うう………………」
「!!ヘリオン?!」
慌てて顔を近づける。と、僅かだがまだ息はあった。

アセリアのエーテルシンクで神剣魔法をバニッシュされた敵は斬りこんでくるアセリアをまず考えるべきだったろう。
しかし目の前でたかが一スピリットに泣きながらしがみ付く男に気を取られていた彼女達は猛然と突っ込んでくる『蒼い牙』に抗する暇も無かった。
数人倒された後で総崩れになり四散していく。それを確認したアセリアは悠人達の側に駆け寄った。小さく悠人の呟きが聞こえてくる。
「大丈夫……まだ生きてる……大丈夫だ……大丈夫だ…………」
アセリアは屈みこんだ。悠人越しにヘリオンの様子を窺うと尋常ではないマナが傷口から蒸発している。相当の重症であることがすぐに判った。
「大丈夫だ…………大丈夫だ…………」
それでも悠人はまだぶつぶつ呟いてヘリオンを抱き締めたままだ。アセリアは両手で悠人の頬を押さえ、こちらを向かせた。
そして真っ直ぐ悠人の目をみながら、激しくその頬を打つ。驚いた悠人の目に正気が戻ってきた。
「…………アセリア……?」
「ユート、ヘリオンはまだ生きてる。どうすればいい?」
「え…………?」
一瞬意味が判らない、といった表情を浮かべた悠人だったが、すぐにはっとなって考え始める。
「あ…………ああ、そうだ、すぐにエスペリア達と合流しよう。アセリア、位置は判るか?」
「ん、ユートはヘリオンを連れてきて」
駆け出そうとするアセリアに悠人が後ろから声を掛けた。
「……アセリア、ありがとな」
「ん。………………こっちっ!」
「ああっ!」
先行するアセリアに遅れないように、悠人はヘリオンを抱いたまま駆け出した。

ばきっ!
病室前の廊下に光陰の拳の音が響き渡った。
「お前がついていながら!なにをやってたんだ悠人っ!!」
「ちょっと光陰!」
「コーインさま、おやめ下さいっ!」
更に悠人に掴みかかろうとする光陰の腕を掴んで今日子とクォーリンが必死になって止めようとする。殴られた悠人はそのままうなだれて動かない。
「放せ今日子!コイツはっ!」
「だから少し落ち着きなさい!悠だってやりたくてこうなった訳じゃないでしょ!」
「当たり前だっ!俺が怒っているのはそんな事じゃない!おい悠人、なんでヘリオンちゃんを一人で放っておいた!」
今日子達を振り払ってそのまま悠人の胸倉を掴む。光陰は悠人を睨みつけたまま少し落ち着いた声で続けた。
「俺はなあ悠人、お前なら大丈夫だと思ってた。俺達が間違っていると、俺達が信じようとしなかったものを、救ってくれたお前なら」
「………………」
「なのに今日のざまはなんだ?お前、ヘリオンちゃんを信じてなかったばかりか追い詰めた挙句ほったらかしか?はっ、いいご身分だな!」
「………………」
「ちょ、ちょっと光陰…………」
「黙ってろ今日子、いいか悠人、あの娘はお前を慕ってる。悔しいがそれは事実だ。その意味をよく考えろ」
「………………」
「お前がアセリアに惹かれているのは判る。だけどこれはそういう問題じゃない。いつかはっきりしないとこんな事がまた起こる」
今まで無気力だった悠人が光陰のその言葉にピクリと反応した。俯いていた顔を上げる。
「俺がこんな真面目な話をするのはこれが最後だ……いいかよく聞け悠人、お前がマロリガンで見せてくれた戦う意味って何だ?」
「俺が……戦う、意味…………」
「そうだ、それは“ただ”守りたいものなのか?それとも信じられるものなのか?信じようと出来るものなのか?」
「………………」
「頭を冷やしてよく考えるんだな…………じゃあなっ!」
どんっと悠人を突き放すとそのまま光陰は去っていく。慌てて今日子とクォーリンがその後を追いかけた。

リレルラエルは陥ちた。しかしその代償は決して軽いものではなかった。
落城寸前ヘリオンを抱えた悠人達は法皇の壁に設置された仮詰め所に飛び込んだ。
たまたま帰還していたエスペリアと落城した城から戻ってきたハリオンが一昼夜治癒魔法を掛け続け、症状が安定したのが今夜の事だ。
既に戦いが終わってから2日経っていた。
しかし戦力の大幅ダウンで激戦を余儀無くされた他のスピリット達は傷だらけのままだったしエスペリア達は疲れ果てて眠ってしまっていた。
そして先程のいざこざ。仮詰め所内には重苦しい空気が立ち込めていた。

悠人は城壁の屋上に立っていた。分厚い壁の縁に寄りかかりながらリレルラエルの方角を眺める。
城は今ラキオスの一般兵士達で守られていた。篝火が幾つも点滅している。夜風が涼しかったが今の悠人にそれを感じる余裕は無かった。
「…………いい風ですね」
ふと声がすぐ側から聞こえる。
そこにはいつの間にか深緑の髪をそっと押さえたファーレーンがいた。先程の悠人と同じようにリレルラエルをじっと見つめながら。
「……ファーレーン」
「ユートさま、隣、宜しいでしょうか?」
「あ、ああ……」
にっこりと微笑んだファーレーンがすっと静かに腰を下ろす。流れる髪から微かに森の匂いがした。
「………………」
「………………」
少しの間、沈黙が広がる。二人とも視線を前に向けたまま、何も話さない。ゆっくりと時が流れた。


暫くの間があった後、ファーレーンが静かに話しかける。
「……ユートさまも涼みにいらっしゃったのですか?」
「…………え?」
何気ない一言にぼんやりと振り向く。するとファーレーンもいつの間にかこちらをじっと見つめていた。
そこで悠人は彼女がいつもの兜を脱いでいることにようやく気付いた。意志の強い濃緑の瞳。すっきりとした面長の顔にきゅっと引き締まった唇。
素顔の彼女は凄く大人びた優しい表情をしていて、とても昼間見せる冷徹な戦士の面影は無かった。悠人は少し恥ずかしくなってきて顔を背ける。
「あ、ああ、そんなところだ」
くすっと小さな忍び笑いが聞こえた。

「ねえユートさま、わたし思うんです。どうしてわたし達は戦っているんだろうって」
「?」
いきなりの言葉に悠人は答えようが無かった。返事が無いのを気にする風もなくファーレーンは話し始める。
「でもね、それはユートさまのお陰、なんですよ?」
「……俺?」
自分の名前が出て悠人は驚いた。
短く呟く悠人に、ファーレーンは眩しそうに目を細めながら微笑む。
「ええ、サモドアでユートさまがアセリアに仰ったというあの言葉……わたしはその場にいませんでしたけど、あのお芝居でちゃんと伝わりました」
以前ヒミカが行ったナナルゥ達の為の演劇。ファーレーンはそのことを言っているのだろう。悠人は懐かしく思い出した。
「ああ、あれか。でもあれは…………」
そこで言葉を飲み込む。アセリアに伝えたあの一言。あれは確かに自分の本心だった。だけど自分はそれを守れなかったのだ。
光陰に言われたことを思い出す。俺の戦いの意味。信頼出来るもの。信じられるもの…………
再び俯いてしまった悠人をファーレーンは優しく見つめて続けた。
「わたしはそれで守るべきものを確信することが出来ました。だから……ユートさまが今ちょっとだけ迷われていてもそれを信じる事が出来ます」
風が強く吹いた。乱れる髪を抑えながらファーレーンはそっと立ち上がる。
月を背にしたすらっとした長身。それでいて柔らかい女性的な物腰を備えたシルエット。
かちゃり、と腰の神剣が静かな音を立てる。名前と同じ穏やかな光を浴びて浮かび上がった影。
悠人はファーレーンに見とれた。綺麗だと、純粋に思った。

「だってそれが、ユートさまに教えて頂いたものだから。みんな、そう思っています。もちろんヘリオンも」
「あ……」
「ふふっ。あの娘はちょっとドジですけどね」
ヘリオン、という単語に反応した悠人の声が上ずったのを見て、ファーレーンは可笑しそうに肩を丸めてくすくす笑った。
ようやく苦笑いを返した悠人も立ち上がって答える。
「それは酷いなファーレーン。ヘリオンはちょっとじゃなくて、“一生懸命背伸びした”ドジだ」
悠人のおどけた口調に一瞬目を丸くしたファーレーンが直後ぷっと軽く吹き出した。
「まあ……それじゃなおさらユートさまがしっかり付いていてあげないと」
「ああ、やっと判った……じゃなくて思い出したよファーレーン。行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい、ユートさま」
駆け出す悠人の背中にファーレーンの声が被さる。悠人はちょっと振り返り、はにかみながら呟いた。
「ありがとう、ファーレーン。その……さ、ファーの笑ってるとこ初めて見たけど、優しいお姉さんみたいな感じで凄く安心出来た」
「え…………あ…………」
立ち去った悠人の背中を名残惜しそうに見つめながらファーレーンはそっと囁く。
「もう…………今更やっと『ファー』なんて呼んで下さるなんて……あいかわらずズルい人ですね…………」

風だけが、それを聞いていた。