回帰

目覚めると、そこは天井だった。…………じゃなくて。
ここはどこだろう。ぱちぱちと瞬きをしながら、ヘリオンは起き上がろうとした。
「…………痛っ!」
体中に激痛が走る。動けなかった。そのままぱふっと再びベッドに倒れこむ。また天井が見えた。
「はぁ~~~…………ここ、どこだろう」
「病室。大丈夫か、ヘリオン」
「ひゃうっ!」
いきなり横から答えが返ってきて心臓が飛び出そうになった。
胸の鼓動を抑えつつ、痛みが走らないようにそっとそちらを向く。
と、下を向いてなにやら一心不乱に格闘しているアセリアが椅子に座っていた。
「ア、アセリアさん?……………えっと………あ!」
今までのことを思い出す。自分が逸って飛び出したこと。斬られてしまったこと。そして…………
「あの~わたし一体…………」
その後のことがわからないのと申し訳なさでおずおずしながら尋ねてみる。
しかしアセリアはこちらを向こうともせずに真剣な眼差しで手元を睨んでいた。
「…………?」
「………………できた。ん」
何をしているのだろうとヘリオンが覗き込もうとした時、ぷいと横を向いたままアセリアがなにか差し出してきた。
目の前に突きつけられた金属製の細い棒とその先に付いた食べ物。フォークに刺さっている……エヒグゥ?

展開についていけずに首を傾げるヘリオンに、アセリアは口を大きく開けたままハイペリア語で命令してきた。
「あ~ん」
「…………はい?」
「だから、あ~ん、だヘリオン」
「???……あ、あ~ん…………むぐっ」
よくわからないままアセリアと同じように発音する。と、それがいきなり口の中に放り込まれた。同時に広がるのは果物の味。
目を白黒させたまま口の中を持て余してしまう。そこにまたもやアセリアの命令口調。
「噛む」
「んぐんぐ」
「よしよし」
言われるままに従って噛み締める。果物は美味しかったがもうなにがなんだかさっぱりだった。
「飲む」
「んっ……こくこく…………あっ!」
そして飲み込んだとき、ようやくヘリオンはそれがエヒグゥの形をした果物だということが判った。嬉しくなってはしゃぐ。
「アセリアさん、これ、おいしかったです!それにかわいいっ!」
「……ん」
照れくさそうにそっぽを向くアセリアの表情には満足感が漂っていた。

皿の上の“エヒグゥ”を綺麗に平らげた後、ヘリオンは事の顛末をアセリアから聞いた。
訥々と語るアセリアからヘリオンを責めるような調子は感じ取れない。それでもヘリオンは背中から大量の冷や汗を流し続けていた。
「そ、それでユートさまは…………」
「ユートはずっとヘリオンを看病していた。今は寝てる」
「そ、そうですか……」
それっきり部屋に沈黙が走る。気まずい。しかしそんなことよりも。
ずっと側にいてもらえた。しかしその喜びもこれでは半減どころか全滅だった。どんな顔をして悠人に謝ればいいのだろう。
「………………」
放し終えたアセリアはなにかを待っているようにじっとこちらを見ている。それは、ヘリオンの答えを待っている目。
静かに見つめる蒼紫の瞳を前に、ヘリオンは懸命に考えた。
(でもどうやって?……もしアセリアさんなら…………)
アセリアを窺ってみる。無表情に、それでもかすかに伝えたがっているなにかが見て取れた。以前のアセリアにはない瞳の色。
ふと、サモドアのあの芝居を思い出す。そして一度神剣に飲まれても戻ってきたアセリアが手に入れた戦い以外の意味。
自分にとっての戦う意味とは何だっただろうか。
(アセリアさんは一体なにを見てきたのだろう。ユートさまの背中を追いかけてきただけ、それだけじゃないなにか……)
『ラキオスの蒼い牙』。その強さは誰でも知っている。でもそれだけじゃない。少なくとも今は。
ヘリオンの口から、自然に言葉が漏れた。
「アセリアさんの戦う意味って、なんですか?」
訊ねるヘリオンの瞳は真剣だった。そしてまた、即答するアセリアの瞳も真剣だった。
「ユートの幸せがわたしの幸せ。ユートと歩くために、わたしは戦う」
その答えが自分の中に静かに染み込んでいく。ヘリオンは自分の中の意識がすっきり言葉に還元されたことでなにかが吹っ切れた。
(そうだ、謝って許してもらうんじゃだめなんだ。そうじゃなくて…………一緒に歩けるように…………)
決心したヘリオンはアセリアをじっと見つめ返した。そしてはっきりと言う。決心を自分に言い聞かせるように。
「アセリアさん、わたしに教えてください、戦いかたを」
「……ん」
短く答えたアセリアは優しく微笑んでいた。

「ヘリオンの目が覚めたって!?」
ばたん、と勢いよく悠人が扉を開く。驚いたヘリオンとアセリアが目を丸くした。
ヘリオンが目覚めてから今まで、誰もこの部屋を訪れていない。
いったい誰が伝えたと言うのだろう。アセリアが疑問をぶつけた。
「ユート、誰から?」
「たった今、ナナルゥから!そんなことより……」
天井裏っ!?二人の頭に同時に閃くものがあった。無意味に揃って上を見上げる。
悠人がそんな少女達のささやかな疑問を気にした風もなく続けていた。
「ヘリオン、もう大丈夫なんだな…………よかった…………」
「あの、ユートさま、落ち着いてください」
その場にへたり込んでしまった悠人にヘリオンが慌てる。
両手をぶんぶんと振り回してわたわたとするヘリオンを見て悠人は逆に落ち着いた。
「ああ……そうだな、ごめん病室で騒いで」
「まったくだ。ユート、うるさい」
「あああの、アセリアさんもそれくらいで……」
「ん。わたしはもう行く」
「…………?アセリア、なんか機嫌悪くないか?」
「………………」
アセリアはじと目で悠人を睨みつけると黙って去っていった。

「え?お、おい…………」
悠人が閉まった扉を不思議そうに眺めていると、後ろからヘリオンがしずしずと声を掛けた。
「ユートさま、すみませんでした。その、先走って、ご心配もかけて……わたし、だめですね」
先日の戦いのフライングについて言っているのだろう。
しょんぼり、という擬音を背中いっぱいに背負ってどんよりとしている。
しかしファーレーンのお陰で吹っ切れていた悠人はその件について他に言いたい事が山ほどあった。
とりあえずそれを先に伝えようとする。
「まった、俺にも言わせてくれ。確かにヘリオンは無茶したと思う。だけどそれはヘリオンを信じ切れていなかった俺のせいだ」
「どうかしてた。自分で決めた事だったのにな…………ごめん。だから、今度はちゃんと頼む。もう一度、一緒に戦ってくれ」
一気に喋り切る悠人。やや気圧されながらもその内容はきちんとヘリオンに伝わった。
しかしそれだけにヘリオンには信じられなかった。呟きがやっと口を零れる。
「え……」
「もう二度と繰り返したくないんだ、あんなこと。だからもしヘリオンさえよければ、今度はちゃんと……三人で、戦おう」
畳み掛ける様な、しかも思いがけない悠人の言葉にヘリオンの表情がみるみる明るくなる。体中の痛みも吹っ飛んでいた。
「あ…………は、はい!ユートさまっ、こちらこそ……こちらこそお願いしますっ!わたし、頑張りますっ!」
「え、あ、ああ、ありがとう、ヘリオン」
お互いにぺこぺこと頭を下げあうのに気付き、二人でしばらくくすくすと笑いあう。
「そうか、うん、よかった。でも今は怪我を治すのが最優先だな」
「はいっ、でもその間、ユートさまは…………?」
「え?ああ……当分はアセリアと二人っきりだろうな」
「えっ……………………わかりました、わたし頑張りますっ!」
「???」
なにが琴線に触れたのかふんっと力瘤を作って気合を入れるヘリオンに悠人はただ首を傾げていた。

それから数日後。すっかり回復したヘリオンは戦いの合間を見てアセリアに(悠人限定)秘密の特訓を受けていた。
アセリアが悠人役になり、その指示に従うという至極単純な特訓。それでも最初は中々ついていけるものではない。
「ヘリオン、右っ」
「は、はいっ!」
「遅い……もう一度」
「はいっ、お願いします!」
そんな掛け声が何回も交わされる。
剣を振るわけでもなく飛び回るアセリアに仔犬のように懸命について回るヘリオン。
ただひたすらそんなことを繰り返している二人を他の仲間達は不思議そうに見物していた。

休憩中のヒミカが隣に座っているセリアに話しかける。
「あの二人、なにしてるの」
「さあ、わたしには関係ないしね」
「その割には機嫌が悪そうじゃない、セリア…………はは~ん幼馴染をヘリオンに取られたから拗ねてるんだ」
「ふぅ、なに言ってんだか…………」
(ばかね、敵に塩を送る、なんて今時流行らないのに……ホントに昔からバカなんだから)
セリアが小さく舌打ちをしながら首を振る。
「え?なにか言った?」
「なんでもないよ、ただそろそろかなって思っただけ。さ、訓練、訓練」
「?……ちょ、ちょっと待ってよもう!」
神剣を手に取り立ち上がるセリアをヒミカが慌てて追いかけた。

「……なにをしているのですか、アセリア殿とヘリオン殿は」
クォーリン相手に剣の稽古をしていたウルカがたまたま通りがかったファーレーンに訊ねる。
ファーレーンは少しそちらを見た後何故か可笑しそうに口元を緩めた。
「さあ、どうでしょう。これも正々堂々戦うというアセリアなりのスタイルかもしれませんが……ふふ、あの娘らしい」
「……ファーレーン殿?」
ますます判らない、といった表情のウルカをそのままにファーレーンはニムントールの方へと歩いていく。
頭に疑問符を沢山浮かべたままウルカはアセリア達へともう一度視線を向けた。
「もう一度お願いします!」
「ん、ヘリオン行けっ」
「はいっ…………ってどこへですか~~~?!」
ヘリオンの泣き声が響き渡っていた。


ヘリオンの復帰は丁度リレルラエルでの防衛戦真っ最中の時だった。
混乱している事もあり、城の前面で悠人の部隊とは離れ離れになってしまう。
早速成果を試せると思っていたヘリオンは少しがっかりした。
「ヘリオンなにぼっとしてるの!左からまた来るわよっ!」
「は、はいっ!」
同じ編成のヒミカが叱咤を飛ばしつつ敵に飛び込んでいく。ヘリオンは慌ててそれに従った。
ウイングハイロゥを広げ、ヒミカに追いつこうと全力で駆ける。あっという間に差を縮め、同時に詠唱を始める。
「…………!貴女っ……!」
「神剣よ、我が求めに応えよ 恐怖にて、彼の者の心を縛れ…………テラー!」
既に横に並んでしまったヘリオンを驚きの眼差しでヒミカが見つめる。敵の動きが乱れたのを見てヘリオンが叫んだ。
「今です、ヒミカさんっ!」
「あ、え、ええ……はぁぁっ!!」
「んっ、そこですっ!!」
一緒に斬り付けるヘリオンが頼もしく見える。ヒミカは不思議に感じながら剣を振るっていた。

ヘリオンの成長は戦いを重ねるにつれ誰の目にも明らかになった。
元々の優れたスピードに加え、パートナーに合わせた的確なサポート。
攻撃に決定力が無いのが欠点と言えば欠点だが、確実で迅速なフォローはそれを補って余りある。
次第にヘリオンと部隊を組みたがる仲間達が増えていった。
しかしその分肝心の悠人とは中々組めない。ヘリオンの不満は次第に膨れていった。

リレルラエルでの防衛が一段落した後の事。ヘリオンにとって致命的なことが起きた。
敵を退けたラキオス軍がいよいよ秩序の壁に向けて進撃することになったのだが…………
秩序の壁は3つの城によって守られている。サレ・スニル、ゼィギオス、そしてユウソカ。
とりあえずサレ・スニル方面とゼィギオス方面、この2面に向けて進撃しなくてはならない。
その編成で、ヘリオンは悠人と逆方面担当になってしまったのだ。しかも悠人とアセリアは同じサレ・スニル方面という止め付き。
ヘリオンが焦るのも無理は無かった。それでもエスペリアの決定には抗えない。悶々としたままヘリオンはセレスセリスに出発した。

「ヘリオン、そっちに行ったわよっ!」
「は、はいっ、え、えっと…………」
「危ないよっ!てりゃ~っ!」
「あ、ありがとう、ネリーちゃん」
「も~どうしたの~?なんだか変だよ~」
敵の反撃を受けたセリア、ネリー、シアー、ヘリオンはセレスセリスを目前にして足踏み状態が続いていた。
敵が予想以上の強敵だったこともあるが、あれだけよく動いていたヘリオンがまるで別人のようなのである。
ちょっと目を離すとすぐにぼぅっとして立ち尽くす。セリアは薄々原因が判るだけに叱る訳にもいかず、ただイライラしていた。
(まったくエスペリアももう少し場の雰囲気ってものを読んで編成してくれればいいのにっ!)
部隊編成が発表された時の悠人のすまなそうな視線が思い出される。ヘリオンはずっと俯いたままだった。
アセリアが何か言いたそうだったがその微妙な表情の変化に気付いたのは恐らく自分だけだろう。
「くっ、一旦後退するわよ!」
歯噛みをしてセリアは撤退命令を下していた。

一方悠人は悠人で府抜けた戦いを続けていた。
気を利かせたアセリアがなんとか誤魔化しているものの、動きに切れがないのは誰の目にも見て取れた。
「………………」
「ユート、ユート」
「あ、ああ、なんだアセリア」
「……なんでもない。シーオスに着いた」
「ああ、お疲れアセリア、ヘリオンも」
振り向いていつもちょこちょこついてきていたブラック・スピリットの少女を探す。しかし当然その姿はどこにもなかった。
「あ…………」
「………………」
アセリアの視線が複雑な色を見せた。

撤退の際には森の中に逃げ込む。そう指示されていた筈だった。
しかしうわの空でそれを聞いていたヘリオンはものの見事に仲間に置いていかれていた。
「あっ!」
驚いて駆け出したとき。木の上から何かが落ちてきた。
網の目のように組み合わされたそれがヘリオンの動きを拘束する。
そしてどこに潜んでいたのか明らかに今までとは数段威圧感の違うスピリット達が次々と現れ、たちまち取り囲まれる。
身動きが取れないまま敵の集団に見下ろされる状態。恐怖心が心をもたげた。
「これはこれは……思わぬ収穫ですね……」
「…………! だ、だれですかっ!」
敵の集団が一斉に二手に分かれる。声と共に木の陰から姿を現したその男は下卑た笑いを口元に浮かべた。
「勇者殿を迎え撃つつもりでしたが……まあいいでしょう、これはこれで面白い趣向というもの……」
「あ、あなたは……」
突然頭の後ろに強い衝撃。ヘリオンは倒れこみながら以前砂漠で遭遇したその男の名前を必死に思い出そうとしていた。

ついて来ないヘリオンに気付いたセリアが慌てて振り向いた時にはもう遅かった。
気を失っているらしいヘリオンを抱えたスピリット達が森の奥に消えていく。
それを率いているらしい男の横顔が見えた。あれは、あの男は…………
「…………ソーマ・ル・ソーマ!じゃああれがソーマズフェアリー……くっ!」
これだけのメンバーで太刀打ちできる相手ではない。もうすぐ後ろの敵にも追いつかれる。
セリアは竦んだ足に言い訳するように呟いた。
「ヘリオン、ごめんなさい…………」

凶報が届いたその夜。
悠人は占領したシーオスの街でヘリオンがソーマに攫われてしまったことを黙って聞いていた。
しかし、自然と握った拳に爪が喰い込む。よりにもよってソーマに…………口の中が切れて苦い味がした。
自分が怖い顔をしているのが判る。怒りと焦燥。ヘリオンの笑い顔が浮かんでは消える。
もう、判った。はっきりと、失いたくなかった。そうなんだ、俺は…………
頭を上げようとしないセリアの肩が小刻みに震えているのを見て我に返る。それでも出来るだけ優しい声を出すのが精一杯だった。
「セリアの判断は正しかったと思う。後は俺に任せて休んでくれ、セリア」
「はっ!申し訳ありませんでした!」
「顔を上げてくれセリア。別になにも責めてないから、さ」
「し、しかしユートさま…………」
そこで初めて顔を上げたセリアの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
仲間を見捨てた自分からか、悠人の心情を察しての事か。悠人にはよく判らなかった。
それでもその肩をそっと抱き寄せる。ぴくっと一回震えただけでセリアはすんなりと胸に飛び込んできた。
「すみません……ごめんなさい……」
セリアが泣き止むのを待つ間、悠人はずっとセレスセリスの方角を睨んでいた。

その夜。静かに仮詰め所の扉を開いた悠人は目の前にアセリアが立っているのを見て驚いた。
「……なんだアセリアか、どうした?散歩でもしてたのか?」
なるべく冗談に聞こえるように努める。アセリアはにこりともしなかった。
「ユート、ヘリオンを助けにいくのか?」
「…………」
思わず黙り込む。しかしこの少女にその手の沈黙は効果がない。気にした風もなくアセリアはとんでもない事を言い出した。
「ユート、ヘリオンを倒せるのか?」
「な…………!」
叫び声を上げそうになった。それほど意外なアセリアの冷たい一言。しかしすぐに思い直す。
あの『妖精部隊』の存在を。ソーマが何を施して彼女達を戦闘マシーンに仕立て上げるのかを。
もしヘリオンがそうなってしまっていたら…………自分はヘリオンを討たねばならない。仲間の為に。佳織の為に。
それが出来るのかどうかとアセリアは聞いているのだ。しかしそれでも悠人の心は決まっていた。
「……出来ないな。だから、そうなる前にヘリオンは救い出す」
何故か、苦笑いが漏れた。それを見てふと曇ったような顔をしたアセリアだったが。
「そうか、ならわたしもついていく」
相変わらずの即答だった。だがその瞳はなぜか捨てられる仔犬の様に寂しそうでもあった。
ふと違和感を感じた悠人だったが、すぐに気のせいだと思い直す。
「だめだ。もしアセリアまで捕まったら俺達はもうどうしようもなくなる。幸い俺は男だし、な」
「ユート…………」
今度こそ、アセリアが悲しそうな表情を見せた。

「なら、俺も連れて行ってもらおうか」
いつの間にか戸口にもたれていた光陰がいきなり声をかける。
『因果』を無造作に肩に担いだ相棒は相変わらず頼りがいのありそうな笑みを浮かべていた。
「こ、光陰、お前いつから聞いて……」
「幸い俺も男だし、な。それにヘリオンちゃんをあんな男にいつまでも預けっぱなしにしてられるか、な、今日子」
「光陰…………しかし…………」
「そうそう、こっちはアタシがなんとかするからさ、ねっ」
こちらもいつ現れたのか、今日子がアセリアの肩を軽く叩きながら微笑む。いつもとは違った、妙に大人しい登場だった。
「キョーコ……」
「こういう荒っぽいことは男達に任せておけばいいのっ。お淑やかなわたしたちはここで待ってましょ、アセリア」
変なしなを作って言う今日子にからかうような光陰の声が飛ぶ。
「よくいうぜ今日子。とっとと行こうぜ悠人、こっちにいるといつ今日子のハリセンが飛んでくるか判らんからな」
「光陰~。そのよく喋る口は戦いには必要ないわよ~」
「ぅわわっ、ごめんなさい~~!」
「二人とも……ありがとう」
いつもの調子でふざけ合う二人に悠人はそっと呟いていた。

「全く男ってどうしようもないわね~、アセリア」
悠人と光陰が森に消えてしまうと、今日子はやれやれといった感じで大仰な溜息をついてみせた。
するとそれまで俯いて何も喋らなかったアセリアが急に顔を上げて口を開いた。
「キョーコ、わたしはどうしたら、いい?」
「うっ……そうねえ、今は待つしかないのかな」
咄嗟の質問に思わず直球で答える。言ってから今日子は激しく後悔した。自分の苦手な方へ話が進みそうだったからだ。
しかしもうこうなっては腹を括るしかなかった。
「待つ?」
「そう、待つ。出来る?ちなみにアタシは出来ないけどね、たはは」
「待つ……ユートを……」
ぶつぶつと考え込んでしまったアセリア。その様子を見て、しまった、と今日子は舌打ちした。
本当にやりそうだ。ただ自分の場合に置き換えただけだったのに。
こういう娘は元々受身なのだから、ただ待たせていては悠人の思う壺(?)ではないか。
傷つき倒れたヘリオンを前に腑抜けてしまった悠人を思い出す。結果は火を見るよりというやつだ。
今日子は慌てて訂正しようと試みた。早口でまくしたてる。
「ああ~ほらでも悠も結構バカだからさ、ちょっとは態度で示した方がいいかな~なんて……聞いてる?アセリア」
「ん、判った。やってみる」
…………全然聞いてはいないようだった。今日子は気付かれないようにそっと深く息を吐いた。自分でも驚くほど寂しそうな声が出た。
「…………ねえアセリア、アタシ悠と貴女ならきっと上手く行ってたと思う、ほんとよ」
「?」
よく判らない、そう言いたそうな表情を浮かべるアセリアに、それでも今日子は続けた。
「でもね、今悠は悩んでる、すっごく。ひょっとしたらもう答えを出しているかも知れない。でもそうだとしたら……」
「キョーコは、ユートの笑顔、好きか?」
「え?あ~………………まあ、ね。昔からアイツ、笑顔って中々見せない奴だったからさ……」

話しながら、かつて居た世界を今日子は思い出していた。悠人と光陰と自分、そして……佳織。
悠人は佳織の前だけでは違う笑顔を見せていた。自分と光陰に見せるものとは違う笑顔。
そしてそれが今日子自身の感情を抑える鍵でもあった。佳織なら、仕方がないと思えた自分の気持ちを。
でもあれは今思うと、やっぱり本当の笑顔とは違った様な気もする。一方的に支える関係で笑いかけるということ。
悠人が意識していたとは思えないが、やはり佳織の想いが悠人の感情と釣り合っていたとは思えない。
ふと今話しているこの蒼い瞳の少女もそう考えているのだろうか、と思えた。ヘリオンやアセリアと佳織の立場が被る。
好きな人の幸せだけを願う気持ち。そんな純粋な気持ちをどれだけの強さで持つ事が出来るのか。
だがヘリオンは、そんな強さの更に上を行こうとしていた。対等に微笑み合える、そんな関係に。
むしろ気持ちが強くなればなるほど独占したいという感情が起きないはずはないから。
自分が見たところ、アセリアに足りないのはそこだ。
純粋過ぎるのが足枷になっている。もっと我がままになればいいのに、と思う。
「うん、わたしも好きだ」
まるで心を読んだかのようなアセリアのセリフが他人事のようには思えなかった。
今日子は苦笑いをしながら自分の“応援”が失敗に終わった事を確信していた。
心の中でひたすらアセリアに頭を下げつつ。

悠人と光陰が森の中に入って暫くした時。木の陰から銀色の髪が靡いた。
「きっと行かれると思ってました、ユート殿」
「ウルカか……止めても無駄だぜ。俺はヘリオンを助けに行く」
突然のウルカの出現に動揺しながらも悠人は悟られない様努めて冷静に答えた。
「そういうことだ。ウルカの姉ちゃん、コイツはこういう奴だ、言っても聞かないと思うぜ」
光陰が横に立つ悠人を親指でさして苦笑いする。
「ま、心配しなさんな、俺がいる限りヘリオンちゃんだけはちゃんと連れ戻してくるからさ」
「ちょっと待て、『だけは』ってなんだ『だけは』って」
「まあこの際悠人はどうでもいいからな、わはは」
「最初から誰も止めてはおりませぬ……それよりも」
脱線しかけた話を元に戻そうとウルカが何か言おうとした。
しかし最後まで話し終える前に飛び出してきた赤い髪の少女が悠人の目の前に仁王立ちで立ち塞がる。
追い詰められた様な瞳の色が紅くきらきらと睨んでいた。
「わたしも行きますっ!」
「ヒミカまで……一体なんだっていうんだお前達」
やや呆れた様な顔と口調の悠人に構わずヒミカはありったけの声と勇気で叫んでいた。
「ユートさまが心配だからですっ!」
「………………」

さわさわさわ。
突然の爆弾発言に沈黙が走った。それはそうだろう。ヘリオンを助けに行くのに悠人が心配だと言っているのだから。
ヒミカが畳み掛けるように捲くし立てる。
「わたし、もう我慢しません!ユートさまが心配だから心配しますっ!ユートさまだから…………」
はた、と我に返り、真っ赤になって俯いてしまうヒミカ。しかしそこで黙り込んでしまっては告白したも同然。
さすがヘタレの悠人でも言わんとしていることをおぼろげにだが理解してしまった。
ただ、理解したというだけで行動がついていける程にはとても落ち着いてはいなかったが。
「いやえっと……」
「あ~ヒミカ、立て込んでるとこすまないんだが……」
「そろそろ行きませぬと皆が騒ぎ出します」
場合が場合。光陰とウルカがしぶしぶ助け舟を出した。
やや立ち直った悠人が心臓の動悸を抑えつつ結論を後延ばしにしようとする。
「そ、そうだな……すまんヒミカ、その話はまた後だ」
「………………はい、ユートさまがそう仰るなら……」
しぶしぶ、といった感じのヒミカだったがやがて思い直したのかきっと表情を引き締めた。
様子を見てウルカが話を戻す。
「それで、手前どもも連れて行って下さるのでしょうな」
「だけどなウルカ、相手はソーマだぞ」
「判っております。なればこそ手前は役に立ちましょう。帝国は自分の庭でありますゆえ」
「そうです、それに陽動が必要になるでしょう?」
色々と言いたい事はあったが諦めた。
「…………全く馬鹿ばっかりだな…………いくぞっ!!」
二人の微笑みに押し切られた悠人ははぁと小さな溜息を付いて走り出した。