回帰

Ⅴ-1

ガチャリ。硬い鎖の音が響く。冷たい金属の感覚に、ヘリオンは目を覚ました。
「う…………」
「おや、これはお早いお目覚めですね。気分はいかがです?」
「ひっ!」
耳許でいきなり囁かれ、その気持ち悪さに飛び起きようとする。が、しかし身体がそのまま勢いよく後ろに引っ張られた。
ばふっ!
「え?あ、あれ…………」
仰向けのまま倒れこんだヘリオンは、ようやく自分が両手を繋がれたままベッドに拘束されていることに気付いた。
舐めるような声がおかしそうに続ける。覗き込んだその顔は、捕われた自分を見下ろしていたあの男。ソーマ・ル・ソーマだった。
「ふ、逃げようとしても無駄ですよ。もっとも、その格好では起き上がる事も出来ませんがね」
「わ、わたしをどうするつもりですか…………きゃあっ!!」
気丈にソーマを睨みつけようとしたヘリオンは自分の格好に気付き、真っ赤になった。
前開きの戦闘服は大きく胸元が開かれ、ささやかな膨らみが露呈している。
脱がされた黒いストッキングが視界の隅で下着と共に丸く転がっていた。
男の前で、自分が今一体どういう対象なのかを嫌というほど思い知らされる状況だった。
「は、外してくださいっ!やぁっ!!」
じたばたと暴れるヘリオンの悲鳴をうっとりとした表情をして聞いていたソーマが、舌なめずりをしながら近づいていく。
「丁度味見をしようかと思っていましたが、抵抗が無くていささか興醒めだったのですよ。これでいい調味料が出来ました」
「それ以上……近づかないで下さい……やだ…………」
涙声ですっかり怯えたヘリオンを嬉しそうに眺めながらソーマが顔を寄せる。湿った声が嬉しそうに告げた。
「心配しなくても、すぐ天国に送り届けてさしあげますよ……快楽と殺戮のね……」
「い、いやぁ!ユートさまぁ!」
恐怖が限界を超えたヘリオンの叫び声に、ソーマの動きがピタリと止まる。しばしの後、ソーマははじける様に笑い出した。
「はははは、これはいい、勇者殿も私と同じ趣味でしたか…………くくく、傑作です」
「………………?」
「わたしの祖父は勇者殿と同じエトランジェでしてね……なるほどなるほど、血は争えないものです、くっくっ」
不思議そうに見つめるヘリオンの目の前で、ソーマはゆっくりと上着を脱ぎ出した。

初めて見る男のそれはただの凶器に思えた。
信じられないくらいに肥大したソーマの欲望を正視出来ずにヘリオンが目を逸らす。
「……………………」
「おや、すっかり大人しくなってしまいましたね…………まあいいでしょう、すぐに嬌声をあげるようになります」
「……………………」
「くくく、なるべくいい悲鳴を聞かせて頂けるようせいぜいわたしも頑張るとしましょうか」
構わず、ソーマがベッドの上に乗りかかった。顔に生臭い吐息をかけられ、顔をしかめる暇も無い。
「…………ひっ!」
熱い何かが茂みに触れた感覚にヘリオンは短く息を飲んだ。それが何かを悟り、本能的に全身が硬直する。
それは、狙いを定めるような動きでゆっくりと下の方に這いずっていく。
透明な粘液が後を引いて震える淡い茂みを濡らした。

やがてソーマがヘリオンの中心に辿り着く。
まだ未成熟な、怯える様に閉じられたヘリオンの秘部に対して、その赤黒い塊は余りにも禍々しい。
「あ…………あ…………」
鳥肌が立つ感触と絶望で目を閉じることも出来ない。
少女の滑らかで白い臀部をゆっくりと擦りながら、ソーマは口許をやや上げた下卑た表情で最後に囁いた。
「さあ光栄に思いなさい、貴女を女にして差し上げますよ………………ぐおおっ!!!」
そしてソーマは妙な悲鳴と共に勢いよくヘリオンに覆いかぶさった。

「お、重いっ!!!」
いきなり男に圧し掛かられてヘリオンは息が詰まりそうになった。
両手が塞がっているのでどうしようもない。ソーマの激しすぎるキスを危うく避わすのが精一杯だった。
「全くうるさいわね…………ほらっ!」
声と共にごとっと鈍い音がして、ソーマが床に放り投げられる。どうやら気絶しているらしい。
やっと圧迫から開放されたヘリオンは息を整えつつ声の主を探した。
するとそこに立っていたのは。
「あ、貴女は…………名も無いお姉さんっ!」
「だれが名も無いお姉さんかっ!……まったくやってらんないわよ」
速攻で鋭い突っ込みを入れつつ、お姉さんがヘリオンの鎖を外す。
手首を擦りながら、ヘリオンは不思議そうに訊ねた。
「あ、あの~……どうしてわたしを助けて…………?」
外した鎖をソーマに付けていたお姉さんが背を向けたまま何故かふっと溜息をついた。
「さあね…………ただアンタを見てると何だか懐かしい頃を思い出すのよ…………」
「…………え?」
「なんでもないっ!ほら、いいから早くその貧弱な裸を隠しなさい」
「えっ?あわわわ!…………って何気に酷い事言ってませんか……?」
ジト目のヘリオンに軽く手を振りながら、既にお姉さんは入り口から外に顔だけ出してきょろきょろしていた。
「ほらいいから早くっ!追っ手が気付く前に逃げるわよっ!!!」
「あ、ま、まだストッキングを穿いて……待ってくださいよ~」
お姉さんがさっさと部屋を飛び出す。ヘリオンはぴょこぴょこと片足で跳ねながらお姉さんの後を追った。

リレルラエル付近の森の中。ソーマが拠点としている小屋まであと僅かというところでヒミカが立ち止まった。
「どうした、ヒミカ」
足を止めた悠人達が不審を感じてヒミカを見つめる。背中を向けたままヒミカが答えた。
「気配がします……ユートさまは、先へ」
「手前どもが敵を引き付けます……ユート殿、先をお急ぎ下さい」
ウルカも決断を迫る様に『冥加』を構える。悠人は二人の迫力に圧された。
「…………判った、頼む。光陰っ!」
「応っ、とっとと片付けてこようぜ!」
光陰が先に飛び出す。続いて駆け出しかけた悠人は、すれ違いざま泣きそうな顔でヒミカにそっと囁いた。
「ヒミカ、ありがとう……ごめんな」
「あ…………ユートさま…………」
悠人の静かな言葉に込められた悲しそうな感情。それだけで、ヒミカには何がしかが伝わった。

「………………はい」
はい、としか言えなかった。既に悠人は立ち去っているのに。聞こえるはずは無いのに。
立ったまま、瞳から勝手に涙が流れ出す。しかし不思議に哀しみは無かった。
最初から判っていたことなのは前と同じ。でも確かに気持ちは伝わった。答えももらえた。
不器用な自分はこんな形でしか伝えられなかったけど。
それでも、やっと気持ちに形をつけられた。その清々しさはちゃんと残っていてくれる。なのに。
…………どうして涙は止まってくれないのだろう?
ウルカがやってきて静かに肩を叩く。
「ヒミカ殿、妖精部隊は強力です。戦いに集中出来ますか?」
ヒミカは鼻をふんっと鳴らして涙を流し続けたままウルカを睨みつけた。
「今のわたしに勝てるスピリットなんて、大陸中探しても貴女とアセリアそれに……ヘリオンしかいないわよ」

「ヘリオン、無事かっ!」
「ヘリオンちゃん、お待たせ!」
「もがもがもが…………」
「………………」
「………………」
悠人達が飛び込んだ小屋の中。
そこには一人ソーマが全裸で猿轡をされた上、手錠をかけられてベッドに転がされていた。他には全く人の気配が無い。
オーラフォトン全開、気合バリバリで飛び込んできた二人のエトランジェにとってそれは色々な意味で困った状況だった。
「もがもがもがもが~!!!」
「……なんだこりゃ、一人羞恥プレイか、それとも放置か?悠人、コイツがホントにあのソーマなのか?」
溜息交じりに光陰が呟く。疲れた表情を浮かべた悠人が『求め』を所在無さ気に下ろしたところだった。
「あ、ああ……確かに姿形は奴そのものなんだが……すまん、俺にも自信が無くなってきた」
急激に萎む白と黄緑のオーラ。二人は顔を見合わせたまま力無く立ちすくむ。暫く嫌な沈黙が流れた。
「むぐ~~、むぐむぐ~~~!!!」
くねくねと貧相な体を捩じらせながら、ソーマがくぐもった唸り声を上げていた。…………全裸で。
「やれやれ……おいおっさん、あんたソーマか?」
心底嫌そうに光陰が猿轡を外す。口だけ開放されたソーマが掠れた悲鳴をあげた。
「ゆ、勇者殿、どうやってここへ!それにマロリガンのエトランジェ、ロリペドのコウイン!な、なぜ貴方がここにいるのですっ!」
「…………そういや前にそんな流言が流れてたな……ラキオスの方から」

「待て光陰、そんなことよりこの口調、この態度」
眼光鋭い光陰の眼差しに身の危険を感じた悠人は、まずい流れと判断してあからさまに話題を摺り替える。
幸いにして何の疑問も持たずに光陰の怒りは一瞬でソーマに向いていた。ぼきぼきと指を鳴らして睨みつける。
「ああ……間違いなくコイツがソーマだな……おいおっさん正直に吐け、ヘリオンちゃんはどこだ?」
「ひぃっ!ま、待ちなさいっ!わたしを殺したら、あ、あの小娘の命はありませんよ!」
「くっ……こいつ…………」
咄嗟の嘘だったがそれでも二人の動きを止めるには十分だった。調子に乗ったソーマが更に畳み掛ける。しかしそれが失敗だった。
「さあ、判ったらこの鎖を外しなさい!まったくあの妖精、油断していたとはいえ……………………あ」
慌てて口を噤むがもう遅い。絵に描いたような一人ボケである。
たちまち全ての状況を把握した悠人と光陰が互いに目配せした。次の瞬間には駆け出しながら、悠人が叫んでいた。
「光陰、後を頼むっ!」
「おう、ヘリオンちゃんに宜しくな」
悠人が戸口から飛び出していったのを見届けた後、口笛を吹きながら光陰は振り向いた。
「さ~、この俺様にこんなつまらない役目を負わさせたんだ、その償いは体でじっくり支払ってもらうぜ」
にやにやしながらの恫喝に、ソーマはみっともないほど狼狽する。腰が抜けたのか、ベッドを這いずったまま壁にぶつかった。
「こここ殺す?わたしを殺すというのですか?このわたしを、ロリペドの貴方が?!……そ、そうだ、ある意味わたし達は同士じゃ」
瞬間、ひゅうっとソーマが息を鳴らした。胸に『因果』が突き立てられている。
胸元と光陰を交互に見つめ、不思議そうな表情をしたままソーマは永遠に喋らなくなった。
「しまった……気持ちの悪いこと言うからつい苦しませるのを忘れちまったじゃねーか」
悔しそうにこぼし、握った『因果』に力を込める。開放された『因果』が青白く光り出した。同時にソーマの死体が一瞬にして消滅する。
「全く反吐が出るけどよ……まあ仏は仏だ、一応唱えといてやるか」
光陰は念仏を唱えだした。今までで、最も心を篭めずに。


ヘリオン達は森の中を逃げ回っていた。先ほど小屋を出る時、哨戒していた妖精部隊に見つかってしまったのだ。
「ほら、こっちだよ、早くっ!」
前を行くお姉さんをヘリオンは必死で追いかける。
(速さなら負けないって思っていたのに……!)
森の木々が枝を伸ばしたその隙間をお姉さんは苦も無く潜り抜けている。
いくら地の利があるとはいえ、ヘリオンは速さで「ただの」グリーン・スピリットに遅れを取っていた。
妖精部隊にこれ程のスピードを誇るスピリットがいるなんて聞いたことがない。
ヘリオンはただただその「強さ」に驚き、後姿を見失わないように必死についていった。
一方名も無きお姉さんもこの状況に戸惑っていた。以前戦った時のスピードがヘリオンに見出せない。
(おかしいわね……あの娘あんなに遅かったかしら……?)
自我を僅かとはいえ取り戻した妖精部隊。心の力がその能力を最大以上に引き出している。
しかしその事実にヘリオンはもちろん、当の本人も気付いていなかった。

「ふぅ、ここまでくればもう大丈夫かな……」
やっとお姉さんが立ち止まった。辺りを見回しながら木にもたれる。
少ししてヘリオンが追いつき、ぺたんと地面に腰を下ろした。
「はあはあ、お、お姉さん、速いですね~」
「だからそれやめなさいって……それより、貴女の方が遅くなったんじゃないの?」
「え~、そうですか?へんだなぁ……」
頭にはてなマークを浮かべてうんうん唸っているヘリオン。その様子を見ていたお姉さんがくすくすと笑い出した。
「え、え、なんですか?」
「まったくアンタってよくそうくるくると表情を変えれるよね」
「そ、そんなことないですよぅ。それにお姉さんだって今、笑ってるじゃないですか……」
「え……あ、そ、そうね…………不思議……どうしちゃったんだろう、わたし…………」
笑うのを止めてしまったお姉さんがふと哀しそうな表情を見せる。ヘリオンは恐る恐る声を掛けた。
「……お姉さん?」
すると決してこちらを見ようとはせずに、お姉さんは静かに語り出した。


「昔ね……といってもホンの少し前のことなんだけど……わたしたちもそんな風に笑いあってたわ……」
木に寄りかかったまま、ぽつぽつとお姉さんは話し出した。
「その頃はとても楽しかった……わたしは弱かったけど、いつも隊長が優しく声を掛けてくれて……」
ヘリオンはじっと話を聞いていた。とても口を挟める雰囲気じゃなかったのだ。
何故今自分にそんな話を聞かせてくれるのだろう。ぼんやりと、そんな事を考えつつ。
「いつからなのか思い出せない……気付いたら神剣に『振らされて』いた……あのソーマ、奴が現れてから…………っ!?」
「…………?」
そこでお姉さんは、ちっと軽く舌打ちして急に言葉を止めた。
歪んだ表情を浮かべた後、ふうっと大きく溜息をつく。
「…………もう行きなさい。わたしはなにくわない顔をして部隊に戻るから」
「え、あの、まだお話の途中じゃ」
「貴女は間違えちゃだめよ。決して心を失くしちゃだめ…………今度会う時は敵だからね」
話は終わり、とばかりに黙ってにっこり微笑んだお姉さんがやっとこちらを向いた。
長い緑のポニーティルが風に揺らめく。笑顔が意外と幼なかった。
きっとこれが本来の笑顔。なんとなく、そう思った。だがヘリオンは、可愛いと思う一方で、その翳に感じる寂しさが少し気になった。
釈然としないまま、それでも真面目な瞳に圧されてしぶしぶ立ち上がる。ちょうど遠くで声が聞こえた。

「お~い…………」
「え…………あ、この匂い!ユートさまだ!」
「ふふ……貴女、匂いだけで判るの?」
「え、は、はいっ、何故かユートさまの匂いだけは判るんです、わたし」
「そう……それじゃ、なおさら、早く行か、ないと…………さよならね」
「は、はい…………あのぅ、お姉さん…………」
「…………ん?」
「その…………ありがとうございましたっ!!」
ぺこり、と大きくお辞儀をした後、ヘリオンは振り向いて駆け出していった。