回帰

Ⅴ-2

背中に衝撃と轟音が聞こえたが、悠人を捕捉したヘリオンは振り返りもしなかった。
真っ直ぐに悠人に突っ込んでいく。ほんの少し離れていただけなのに、もう随分会っていないような気がした。
驚いた悠人がこちらに振り返った時、既にヘリオンはその胸に体当たりしようとしていた。
「~~~~っっっ!!!」
「な、ヘリオン?!ちょっと待…………ぐふっ!」
どささーーー…………
受け止めきれずに悠人が倒れこむ。雪崩式にヘリオンと地面を転がった。
「痛ててて……」
したたかに後頭部を打ち付けた悠人が頭を振りながら上半身を起こす。そこでやっと見慣れた黒髪を確認した。
ヘリオンは鼻を擦り付けたまま悠人の胸で泣きじゃくっている。
ふっと安堵の気持ちがこみ上げて来て、悠人は力強くヘリオンの背中を抱き締めた。
「心配、したんだぞ……?」
同じように顔をヘリオンの髪に押し付け、くぐもった声で悠人が呟く。微かに、森の匂いがした。
それだけで、安心出来る。悠人は湧いてくる安堵感の中に、自分の気持ちを見出した気がした。
その間中、ヘリオンはただこくこく頷くだけで、中々顔を上げなかった。

やがて発見した光陰がさんざんからかったが、ヘリオンは遂に悠人から離れようとはしなかった。
ウルカとヒミカが合流した頃には泣き疲れて眠ってしまったが、
それでも悠人のシャツだけはぎゅっと握ったまま離さなかった。

悠人達はシーオスに帰還した。仮詰め所内は、いきなり行方不明になっていた悠人達に大騒ぎだった。
ずっとヘリオンを背負ったままだった悠人は疲れていたが、ヘリオンをエスペリアに託すとそっと外に出る。
そして空を見上げて溜息をついた。しばらくすると思ったとおり、背後から足音がした。
「ユート、お帰り」
「ああ、ただいま、アセリア」
「………………」
「………………」
しばらく無言の時間が流れた。
悠人はどう答えるべきか、まだ明確には決めていなかった。
それでも素直に答えよう、それだけは守ろうと思っていた。
「ユートは、ヘリオンが好きなのか?」
前にもされた質問、そして今は予想された質問。
問いかけるアセリアはじっと悠人の目を覗き込んでいた。前と同じ、蒼く澄んだ深い瞳で。
悠人は一度深く息を溜め込み、アセリアの目を見たまま一気に伝えた。
「俺は、アセリアが大事だ…………でもいつの間にか、ヘリオンから目が離せない……これはアセリアとは違う『好き』だと思う」
「ん…………わたしもユートが好きだ。それにヘリオンも」
「…………へ?いやだから」
「おやすみ、ユート」
「お、おい」
アセリアはそのまま仮詰め所に入っていった。引きとめようとした悠人の呟きが虚しく夜に飲み込まれていった。

「……ふぅっ」
壁に背を預けてもう一度空を見上げる。風にさざめく木々の間から、ふと忍び笑いが聞こえた。
ぶすっとした表情のまま、悠人はそちらを見つめた。掛ける声の機嫌が悪いのが自分でも判った。
「…………いるんだろ?聞いてたのか」
「すみませんユートさま。難しいものですね」
なにが可笑しいのか口許を押さえながらファーレーンが現れた。悠人は諦めて疲れた声を出す。
「難しいって……なにが?」
「スピリットには必ずしも男女一人ずつという概念はまだありませんから……でもユートさまは、それではいけないのでしょう?」
「今日子からでも聞いたのか……でもそうだな、俺には無理だよ。どちらもなんて支えられない」
「……あら、またユートさまの悪い癖が出ましたね。一体どうしたらいいのかしら…………」
すぐ側にきたファーレーンが屈んで悪戯っぽく上目遣いで悠人を覗き込む。
ロシアンブルーの髪から森の匂いが微かにした。ドキリとした悠人は慌てて目を逸らす。思わず声が拗ねた感じになった。
「どうって……どういうことだよ」
「さぁ…………わたしには沢山質問するんですね、ユートさま」
「え?あ、ああ……う~ん俺って姉や兄がいなかったからかな……ファーにはなにか安心するというか……」
自分で言ってて照れくさくなり、途中で呟きのようになってしまった。いつの間にかファーレーンのペースになってしまう。
「まぁ、わたし、年上ですか?……でもふふ、ありがとうございます。いい風ですね…………」
「ああ、ファーとこうして話している時はいつもこんな風だな……………………………っ!!」
いきなりファーレーンの言っている意味が判った。悠人は横にいる筈のファーレーンに振り向く。
目に優しい月の光を反射させてファーレーンは静かに頷いた。
「そうか……そうだったな……ごめん、また忘れてたよ」
「はい、また忘れたら、今度こそ覚悟して下さいね」
「ああ、ファーのお仕置きは怖そうだからな、肝に銘じておくよ」
悠人の冗談にふふっと微笑んでファーレーンは去っていった。
後に残った森の残り香が悠人を包み込む。空には満月が浮かんでいた。