反転

サモドアで、彼と一緒の部隊にいきなり編成されたのには驚いた。
いや、むしろ驚く暇も無かった、というべきか。わたしは最初から、彼に振り回されっぱなしだった。
「ちょっと、待ってくださいっ!」
「だめだ、もう少しでここは崩せる、セリア、後は任せたっ!」
「ちょ…………もうっ!なんだっていうのよ!」
口論は、尻切れトンボで終わった。話の途中で彼が飛び出して行ってしまったせいだ。
ちょっとした敵の動揺も乱れも見逃さないのは、確かに良い事だと思う。そこを切り崩す作戦も、まぁ当たっている。
…………だけど、なんで自分が先陣切って突撃するのか。もしかして、自分の立場を自覚していないのだろうか。

不満が口に出せないまま、そんな場面が立て続けに起こった。不思議な事に誰もそれに文句を言わない。
みんなは大体苦笑いをするだけで、全員がさり気ないフォローに徹しているのだ。
必然的に、新参者?の自分だけが常にやきもきさせられている。何だか理不尽な状況だった。

「セリア~、何だかご機嫌斜めだね~」
置いていかれ、腹立ち紛れに石を蹴っていたりすると、罪の無い笑顔でネリーが聞いてくる。
渡りに船。ここぞとばかりにわたしは疑問をぶつけていた。もちろん、同意を求めるつもりで、だが。
「ネリー、彼っていつもこうなの?」
「ん~、そうだね、いつもこう、かなぁ……へへっ」
首を傾げながら即答し、にぱっと笑って彼の後を追ってしまうネリー。
ぽつり取り残されたわたしは、まるで馬鹿みたいだった。これでは彼との会話と変わらない。聞いた相手が悪かった。
ふぅっと溜息をついて、手を当てたままの頭を軽く振る。
「もうっ…………マナよ、我に従え 氷となりて…………」
彼はともかく、ネリーのフォローはしなければならない。わたしは渋々バニッシャーを唱えながら、後に続いた。

一見ぱっとしないぼろぼろの、元は白かったかもしれない薄鼠色のロングジャケットと、針金頭。
その横でぴょんぴょん跳ねているはずの蒼いポニーティル。それを目印に追いかけていれば、それでいい筈だったのに。

「なんでわたしが迷子にならなきゃならないのよっ!!!!」
思わず叫んでいた。独り、森の中で。部隊からもはぐれて。…………おまけに、敵に囲まれて。
気配を悟られない様注意しながら手頃な木に拳を叩きつける。我ながら器用だ。
ぜーぜーと息が切れかけていたが、それで少し落ち着けた。

ちょっと前の事を思い出す。
あの後、神剣魔法で敵の火球を無効化し、ネリーと彼に駆け寄った。……そこまではいい。
ところが、あろう事かその問題児二人組は、それで気を良くしたのか、更に加速して敵部隊に突っ込んでいってしまったのだ。
もうすぐ追いつける所まで来ていたわたしは完全にその虚を突かれ、不覚にも唖然として足が止まってしまった。
まるで台風のように敵を蹴散らしながら駆け抜けて行く二人。それをわたしはただあっけに取られて見送るしかなかった。
最後に(特にネリーの)背中に見えた、楽しげに浮かんだ巨大な「♪」マークは、決して目の錯覚なんかではない。
忘れようとしても、金輪際忘れてなんかやるもんか。わたしは記憶の片隅に、その映像をしっかりと刻みつけた。
そうして彼らの行方を求めて彷徨って。こんな状況に追いやられているのだから。

「死ねぇっ!!!」
助かった。掛声を上げながら斬り付けてきてくれなければ、油断していたわたしは今頃真っ二つになっていただろう。
そんな事を考えながら、瞬間体は勝手に反転しつつ、自分から斜めに倒れていた。
ブラックスピリットの一撃が、咄嗟に首を捻って避わしたわたしの頬すれすれを掠めていく。
風切り音まで聞こえた攻撃をやり過ごしたわたしは『熱病』を地面に突き刺し、それを軸にしてくるりと体勢を整えた。

木を盾にして、半身だけで敵の姿を視認する。ブラックスピリットとレッドスピリットが一人づつ。他に気配は感じない。
どうやら当面、二人を相手にするだけで済みそうだ。判断したわたしは、だけど見通しが明るい、とはとても思えなかった。
手前にブラックスピリット、そして後方に控えるレッドスピリット。とにかく、この相性が、最悪だ。
ブラックスピリットを相手にすれば、レッドスピリットの神剣魔法が飛んできて、たちまち骨までロースト。
レッドスピリットの神剣魔法を無効化しようとすれば、その隙にブラックスピリットの斬り込みでこま切れにスライス。
もしブラックスピリットが神剣魔法全体をキャンセルする事が出来る程の手錬なら、わたしのバニッシュも通用しない。
つまり、レッドスピリットの神剣魔法を避わしながら、ブラックスピリットのスピードと渡り合わなければならないのだ。

「…………面白いじゃない」
そんな絶体絶命の状況で、しかしわたしはぺろっと小さく上唇を舐めていた。
自分の力をようやく試せる。そんなぎりぎりの状況は、きっと心のどこかで求めていたものだったから。

いきなり全身を晒したわたしに、仕掛けを躊躇ったブラックスピリットが戸惑いの表情を浮かべる。
こちらとしては開き直っただけなのだが、間合いを外したと思ってくれたのなら好都合だ。
ばきっと、勢い良く跳ねる。
速さで競っては負けてしまう。一か八か、こちらから打って出るのみ。わたしは掌(たなどころ)に神経を集中させた。
硬く透明な結晶が組み合い、そのスピリット特有の色に変化する。左鎖骨から左心房、右肺下部、そして肝臓。
おおよそ致命傷と思える箇所を、わたしの場合は薄紅紫(ルージュ)のマナを帯びた『熱病』が一閃した……する筈だった。

――ずっと後に、彼から教えてもらった。そういうのは、「黒より昏い深紅」というのだ、と。
本能が、警鐘を鳴らした。わたしは無意識か、その沈んだ瞳の色から逃れようと、『熱病』ごと後ろに飛んだ。
赫く燃え上がった瞳は視線を残滓として空間に残し、取り残された神剣の軌跡が誰も居ない空間を切り裂く。
わたしの後に動いたはずのブラックスピリットは、わたしが『熱病』を振り切るより速くその初撃を終えた。

「…………ちっ」
ブラックスピリットの予想外の速さに舌を巻く。
今この局面では役立ちそうにはないが、ファーレーンの恐ろしさが骨身に沁みて良く判った。
無理矢理バックステップで踏み込んだ足が地面に潜り込む。抉れた土が後方に飛ぶのを知覚する。そしてその先には。
何時の間にか廻りこんだレッドスピリットの気配。一方、正面で剣を鞘に収めたブラックスピリットが左に飛ぶ。挟まれた。
咄嗟にウイングハイロゥで上方に羽ばたくのと、後ろから飛んできた火球が蹴散らした土を蒸発させるのと、
追って飛んできたブラックスピリットの打突が迫るのが、同時だった。

――――わたしはここにきて、生存の可能性を半ば放棄した。

「…………だけどっ」
だけど、ただやられはしない。空中で、更に左足を蹴り上げる。止まらない敵の切先が、勢い良く足の裏を突き抜けた。
物凄い激痛が頭の先まで走り抜ける。全身から流れる油汗。耐えようと噛み締めた奥歯で舌が切れ、血の味が広がった。
反動で仰け反った視界にレッドスピリットの姿が映る。手にした杖型の神剣に、次の火球が浮かび上がっていた。
「あああああっ!」
左足を貫いた剣先が眉間に届く前に、わたしは残りの右足を前方に蹴り出していた。
ぐぅっ、とくぐもった声が、初めてブラックスピリットの口から漏れる。確かに手(足?)ごたえがあった。

わたしに腹部を蹴られたブラックスピリットはバランスを崩して木々の間に突っ込んでいく。
同時に神剣の抜けた傷口から、赤い霧が噴き出した。空中に撒き散らされては呼び起こされる痛みの波。
だが、それらを確認する暇も無い。空中で制御無く浮いた形のわたしは、格好の標的だった。
レッドスピリットと一瞬目が合う。深い緑を湛えたその瞳は、しかし今は歪んだ敵意剥き出しだった。
火球がどす黒い渦を巻いて周囲のマナを吸い取っている。それが放たれてはひとたまりもないだろう。
ウイングハイロゥを捻り、体を反転させる。交差した足を屈めて遠心力を加速させ、投げた。
――――先程飛び出す時に折って隠し持っていた、ただの木の枝を。

それでも渾身の力を込めたそれは、ブーメラン同様、唸りを上げてレッドスピリットに向かっていく。
何かの攻撃だと思ったのだろう、レッドスピリットは杖を振るって枝を叩き落そうとした。
……予想通り神剣魔法の詠唱が止まる。

一瞬の、隙。それを見逃す程間抜けではない。わたしは『熱病』にマナを篭め、ようやく辿り着いた地面を蹴った。
放った枝と、同じ位、速く、速く。レッドスピリットは、まだ枝を払ったその体勢のまま、体を開いている。
無防備のまま立ち竦む彼女を、両手で握った『熱病』が、左肩から袈裟にスフィアハイロゥごと斬り捨てていた。
「…………か、はっ」
レッドスピリットが吐き出した血がぴぴっと霧のように空中に四散する。髪を庇ってそれを避けた。
踏み込んだ足の激痛に、そのまま倒れこむ。眼前に、口元から血を流しつつマナに還るレッドスピリット。
やっと、一人。額の汗がぽたり、と音を立てて、地面に吸い込まれる。
両手をついたわたしは、それでもう完全に息が上がっていた。

動きの止まったそんなわたしを、残った彼女が見逃すはずが無かった。
背後から、唸りが音より速く近づいてくる。仲間を倒され、手負いの獣のように怒りを纏って。
猛烈な殺意にかろうじて振り向いたわたしに、弾丸のように身を縮めながら、黒い影が迫った。
迎え撃とうと立ち上がったとたん、がくっと膝が落ちる。体に力が入らない。足の怪我から抜け落ちていくマナ。
時間がスローモーションで流れていく。殺到してくるブラックスピリットの白刃が、網膜に広がった。
…………もう、だめかな。
この時、わたしは確かに弱気になっていたのだと思う。だからだろう、そんな幻聴が聞こえたのは。

――――我らに宿り、彼の者を薙ぎ払う力となれ……

ゆっくりと、周囲が白く輝きだす。足元の小石が浮かび上がり、重力が逆ベクトルに働き出した。
「…………ちっ!」
一瞬あらぬ方向を睨んだブラックスピリットが、舌打ちを鳴らして大きく後方に跳ねる。
わたしといえば、何が起きてるのか、さっぱり状況が掴めなかった。
「…………パッション!!」
今度は、はっきりと聞こえた。声と共に、背中からかかる圧力。同時に、身体の内部から湧き上がる、不思議な力。
自慢の髪が逆巻き、それぞれに波打つ。半ば浮いた状態で、わたしは何故か強い安心感に守られていた。

「セリアっ!諦めるなっ!!!」
背中から、遠い叫び声が近づいてくる。
「………………もぅっ」
まったく、勝手な事を言ってくれる。誰のせいでこうなったと思ってるのよ。後で、覚えてなさい。
『熱病』に、光が戻ってくる。いける。口元に零れ出る笑顔を隠しきれないまま、わたしは前方に力強く弾んだ。

迎え撃つブラックスピリットは、両手握りの神剣を青眼に構えている。既に動揺からは立ち直っているようだ。
構わず、間合いに飛び込んだ。八双の構えから、乾坤一擲の『熱病』を振り下ろす。同時に動いた敵の神剣は、下から上へ。
がっ、と火花が飛んだ。鈍痛と共に訪れる、手首の痺れ。鍔元からかち上げられ、弾き飛ばされる『熱病』。
彼女の方が、初撃は速い。それを覚悟の打ち込みは、やはりというか、凌がれた。でも、それも承知の上。
『熱病』を握ったまま仰け反ったわたしをすれ違いざま斬り捨てる。そんなシナリオが出来上がっていたのだろう。

――――だから。

空中に、くるくると舞っている『熱病』。
神剣をあっけなく手放して、姿勢も崩さず潜り込んだわたしは、動きの止まった彼女の背後に簡単に廻りこめた。
「…………!!」
驚きの気配が伝わってくる。そんな彼女が振り返る前に、すばやく髪のリボンを解いた。
両手に握り、彼女の首に巻きつけて、そして思いっきり左右に引っ張る。
ひゅっと空気の漏れる音。首を絞められたまま浮き上がった彼女は、咄嗟に神剣を逆手に持って突いてきた。
ここで手放す訳にはいかない。僅かに身を捩っただけで避わすわたしの肩に、ざっくりとそれが突き刺さった。

「ぐっ…………ぐっ!!」
「…………っ!…………痛ぅっ!!」
灼けるような痛みが、肩口から全身に広がる。それでも力を緩めないよう、懸命にリボンを絞った。
じたばたと暴れるブラックスピリットの抵抗が、徐々に弱まっていく。
最後に、びくんっと跳ねた体が、ようやく動かなくなった。

「はぁ~~~…………」
長い、長い溜息をついて、その場に大の字になった。仰向けになって四肢を投げ出す。
肩の痛みも、硬い地面の冷たい感覚も、下敷きになった髪が傷まないかとかいう心配も、もうどうでもいい。
とにかく、生き残れた。自分の力を試せるとか、そんな事を考えている暇も無かった。無我夢中だった時間。

冷静になった自分が振り返る。わたしは、どこかで甘く見ていた。一人で戦う事が、こんなに辛いものとは思わなかった。
ぽつり、と頬に何かが当たる。何時の間にか厚い雲に覆われた空が、冷たい雫を降らせていた。
ああ、雨だ。それはきっと、疲労しきった身体に与えてくれた、マナの導き。ぼんやりと、そんな想いに耽っていた。
「セリア、怪我は大丈夫か?」

…………どうしていつも、こうタイミングが悪いんだろう。
浸っていた気分が一瞬で台無しになる。空を見上げていたわたしの視界を遮って、彼がぬっと覗き込んでいた。
ちょっと機嫌を損ねたわたしは、何か文句を言おうとして……やっぱりやめることにする。
――そうか、一人じゃ無かったんだ。
代わりに、無言で手を伸ばした。少し戸惑ったような彼が、その手を取って引き起こしてくれた。