反転

Romance-1

激しくなった雨を避け、二人並んで大きな木の下に座り込む。暫くの間、沈黙が流れた。
「………………」
「………………」
時々、思い出したように彼が落ち着かなく体を揺らす。拍子に当たった肩や膝に、動揺したのかぱっと離れる。
「ご、ごめん…………」
「い、いえ…………」
そして、沈黙。その繰り返し。その度に、何故か体温が上がる気がした。

――――なんだろう、この状況は。
どうしてわたしは、何も言えないのだろう。言いたい事は山ほど溜まっている筈なのに。
いつも無鉄砲な事や、責任の自覚の無さ。さっさと飛び出して行ってしまった事。おかげではぐれた事。
そのせいで迷子になった……窮地に追い込まれた事。全部、追いついたら言ってやろうとしていた事ではないか。
なんとか助かったから良かったものの…………そう、助けられたのだ…………そのお礼も、まだ、言ってない。
膝を抱えた両手に、ぎゅっと力を篭め直す。手の中にはまだ、お気に入りのリボンが握られたままだった。
鮮やかな黄色を見つめながら、こんな時にまで素直になれない、そんな自分は嫌だと思った。
「あの…………」
「あのさ…………」
思い切って話しかけようとした声が被さる。拍子に合った視線を、慌てて逸らせた。
初めて彼の顔を間近に見てしまったわたしは、どういう訳かそれ以上、一言も話せなくなっていた。

…………なんだろう、この状況は。

水溜りの中にぱらぱらと、静かに波紋が広がるのを、ぼーっと見つめる。
細かい粒が流れる様子を眺めていると、しん、とした森の景色に同調したのか、心が安心感に満たされていく。
何時からか、沈黙が苦痛ではなくなっていた。触れるか触れないかの、彼の体温もむしろ心地いい。
――――だから、それはきっと気の迷い。一時的な、思い込み。
それをもっと感じていたくなったわたしは、戦いの後の安心感からか、自然にその肩に頭をもたげていた。

少しぴくっとたじろいだ彼が、何か言おうとした。
「しっ…………静かに」
それだけ言って、そっと目を閉じる。雨の音だけが耳に柔らかく入ってきた。

「あのさ…………」
ややあって、間を持て余したのか彼が話し出す。わたしは黙って頷いた。うん、と小さく声に出ていたかもしれない。
たまには素直なのも、いいだろう。そんな気分だった。了解したのか、彼が続ける。
「ごめん。ずっと、言いたかった。俺、いつもいつも、セリアには迷惑を掛けてばかりだな」
「…………そうですね」

――――だっていうのに、こんな答えしか、出てこない。

どうなっているのだろう。口にしてから、こんなに激しく後悔するなんて。

それでも彼は、ははっ、と苦笑しながら先を続けた。
「俺さ、セリアに嫌われてるから、言われても迷惑かもしれないけど…………居なくなった時、本当に、心配した」
「………………」
一体彼は、何を言っているのだろう。理解するまで、時間が掛かった。
言いたい事は、いっぱいある。わたしが居なくなったんじゃなくて、居なくなった貴方達を探してたんだ、とか。
心配していたのは、わたしの方だ、とか。迷惑とか、どうして思うのか、とか…………

嫌ってるわけが、ない、とか……心配してくれてたのか、とか…………

――――そうか。そうだったんだ。イライラの原因は、こんなトコロにあった。

どくん、と一つ、心臓が弾んだ。急に落ち着かなくなって、この場から逃げ出したくなる。
所在無く漂わせた視線の先に、ふと赤く滲んでいるものを見つけた。わたしの表情に気付いたのか、彼が自分の肩を隠す。
「ああ、これか?ただのかすり傷だよ、ちょっと木に引っ掛けてさ…………」
それは、どう見ても酷い火傷の傷跡だった。どうして、今まで気付かなかったのだろう。
彼は自分を救ける為に、相当の無茶を繰り広げて、ここまで辿り着いたのだ。ろくに神剣魔法もキャンセル出来ないくせに。
彼の無謀さに頭にくる前に、後悔の方が先にきた。
どうして、ちゃんと側に付いていなかったのだろう。
自分が居れば、こんな怪我をさせないでも済んだのに。……そんな思いが、咄嗟に行動に出た。
「バカっ!…………いいから、じっとしていなさいよ」
「お、おい、それ…………」
「敵の首に巻きついてたから嫌かもしれないけど、我慢して」
リボンを縦に引き裂いて、充分な長さにしてから傷口に巻き付ける。お気に入りとかは、もう頭に無かった。

雨が上がった森を、拠点に向かって並んで歩く。
『熱病』によって癒された傷がまだ少し痛むけど、少し斜め前を行く背中を眺めていれば、多少は忘れる事が出来た。
その肩を縛るリボンを見ていると、今更ながら自分の髪が気になりだしてくる。
そういえば、纏めてないんだ、すっかり乱れちゃったな、変に思われてないだろうか…………
そっと髪を撫ぜ上げる。濡れた幾房かが指に纏わりついた。そうして、知らず彼中心の思考になっている自分が可笑しかった。
「そういえば、セリアは何であんなとこに居たんだ?」
首だけをこちらに向けて、彼が問いかけてくる。それで、思い出した。そうだ、まだ誤解を解いてなかった。
「それは…………!」
口を開こうとして、言葉に詰まる。驚いた。この場面今の気持ちで、「貴方を探していた」とは、とても言えそうに、ない。

「…………あっ!ごめん、俺また余計な事を聞いたかな」
硬直したまま口をぱくぱくさせているわたしに、何を勘違いしたのか、彼は必死に手を振って誤魔化そうとした。
急に慌て出した彼のあからさまに不審な態度を見つめながら、何故こんなに動揺しているのかと、考えてみる。
首を傾げながら、彼の思考をトレィス。瞬時にその激しい勘違いに思いついたわたしは、真っ赤になって全否定を試みた。
「ちっ、違いますっ!!トイレじゃありませんっっ!!!」
がーっと噛み付かんばかりに詰め寄るわたしに、やや仰け反った彼は、ああ、そうか、なんてぼそぼそ呟いている。
煮え切らないぼやけた表現に、まだ疑っているような気配を感じたわたしは遂にハッキリと言い切っていた。

「だから、違いますっ!!心配して探してたんじゃないですかっっ!!!」

「え…………?」
「~~~~~っ!」
ぱしゃっと踏み込んだ足が水溜りを跳ねる。雨に濡れた彼の黒い前髪から滴り落ちる雫まで見えた。
わたしはずい、と詰め寄った体勢のまま、もう一言も言えなくて、唇をぎゅっと結んだまま彼の言葉を待っていた。
上目遣いで睨みつけたまま、黒い瞳を覗き込みながら。
「…………もしかして、俺?」
無言で大きく頷いてやった。自信無さ気に自分を指差して固まってしまった彼にも良くわかるように。

「…………はぁ~~~」
両肘をついていると、深い溜息が漏れた。溜息をつくと、その分幸運が逃げるというが、つかずにはいられない時もある。
あの後、なんとなく二人とも無言のまま拠点に戻ってみると、戦いはとっくに終わっていた。
バーンライトの軍勢はサモドアに引き上げ、どうやら篭城戦に移行する様子だという。
山道からの敵の襲撃が無くなったので、とりあえずスピリット隊に、一時ラキオスへの帰還と休息が命じられた。

……つまりわたしの初陣は、なんだかぱっとしないまま、何時の間にか終わってしまっていたという訳だ。
意気揚々と出撃した割に、結局した事といえば、彼とネリーのお守りだけ。しかもロストしてしまうという大失態。
挙句の果てには自分自身が迷子になり、最後にはお守りをしていた当の彼に助けられるというおまけまで付いていた。

「はあぁ~~~」
「セリア~、どうしたの~?なんだか難しい顔してるねぇ?」
思い出して鬱の度合いが激しくなってきたわたしに、能天気な声が降ってくる。
今は髪を下ろしているネリーに、わたしは皮肉たっぷりに笑って見せた。
「ネリーは、大活躍だったみたいね?」
「わ、わ、セリア、なんで怖い顔~?」
多少笑顔が引き攣っていたようだ。ネリーは思いっきり「ひいて」いた。…………失礼な娘ね。

そう、ネリーはちゃっかり自分だけ敵陣に斬り込み、一人で敵部隊全体を崩壊させていた。
聞くと、てっきりわたし達が付いて来ているものと思い込み、夢中になって『静寂』を振り回していたら、
何時の間にか敵が逃げ出していた、らしい。恐るべきは類の見ない無鉄砲さだろう。

「さぁ、なんでかしら?なんでだと思う?」
「う~ん、ネリー、わかんない!」
少しイジワルな質問も、天然のネリーには敵わない。どうしてどうして?と迫られて、わたしは逆に閉口した。
「もう、なんでもないわ…………よっ!」
「きゃあ!セ、セリア、熱いよ~っ!!」
「ちょっと待ちなさい、ネリーっ!!」
腹立ち紛れに掬い上げたお湯を掛けても、ちっとも堪えていないネリーが、きゃっきゃと軽い悲鳴を上げる。
逃げ出した白い背中を追いかけながら、わたしは不覚にも彼の後姿を思い出してしまった。
俯いて、ちゃぽん、と湯船に映った波紋に乱れる自分の顔を見てみる。酷くつまらなそうに笑っている顔だった。

…………なんで、あんな態度しか取れないんだろう。もう少し、そう、今のネリーみたいに素直に…………
立ち止まったわたしを不思議そうにネリーが振り返っている。あ、なんだかまた落ち込んできた。
「はぁ~~…………」
「あ、また溜息ついた~。いけないんだ、溜息つくと幸運が逃げるんだよ~」
「……………………」
どこかで聞いたような言葉を言われていた。

お風呂から上がって自分の部屋に戻ってみると、入り口で、挙動不審なお客が所在無さげに立っていた。
髪を拭っていたタオルの動きがぴたり、と止まる。先程思い浮かべていた人物が、そこで待っていた。
こちらに気付いたのだろう、彼は落ち着かなく頭を掻きながら近づいてくる。

わたしは、といえば、馬鹿みたいにその場に突っ立っているしか出来なかった。
「お帰りセリア、風呂だったのか?」
「え、ええ…………」
生返事しか返せない。なんでいつもこう、いきなりなんだろう。心の準備ってものが出来ていた例(ためし)が無い。
それ以前に、そもそも何で彼がわたしの部屋を訊ねてきたのか、理由が全然思いつかなかった。

「あ~~実はアセリアから聞いたんだけど……」
あさっての方を向きながら、ぼそぼそと何かを呟いている。どうやら緊張しているようだ。
それはともかく、混乱しきった頭の中に、特徴のある単語が飛び込んできた。
アセリア?アセリアから、一体何を聞いたというのだろう。
…………嫌な過去ばかりが思い浮かぶ。まさか、ね、と思いながら、わたしは悪い予感と戦っていた。

「それで…………これっ!」
「…………は?」
悪い予感は、一瞬で裏切られた。わたしに差し出されたのは、綺麗にラッピングされた小さな、箱。
…………ちょっと待って。よく判らない。なんだろう、これ。え?え?

目を丸くしたまま、固まってしまう。というか、予感に対してゲンジツは遥か斜め上をいっていた。
「聞いたんだ、セリア、髪を凄く大切にしてるって。それなのに、俺、勝手に触ったり、大事なリボン汚したり…………」
彼は箱を突き出したまま、どうしていいかわからない、といった感じで捲くし立てる。
「そんなんだから、嫌われて当然だよな。だからその、これ、お詫びっていうか、もちろんセリアが良ければ、だけど……
 ああ、もちろん、この前のお礼も含めて…………くそ、だめだ、ちゃんと練習したっていうのに……」
しどろもどろになったかと思うと勝手に地団駄を踏んで悔しがっている。彼のそんな姿に、なんだか、不思議に安心出来た。
わたしは自分の動揺を棚に上げたまま、くすっと少し、笑ってみた。今度は本当に楽しい気持ちで。