反転

「ね~ね~セリア~、なんでおめめ、真っ赤なの~?」
「………………」
言えない。一晩中、考えていたなんて。
聞けない。どうやって、男の人にお礼を言ったらいいの?なんて。
「もしかして、寝不足~?大丈夫ぅ?今日はケッセンなのに~」
「…………そう、なのよね」
深く、溜息をついてしまう。そう、今日はいよいよサモドアに突入する日なのだ。
というか、もう目前に城が迫っている。既に最前線からは、激しい剣戟の音や、爆発音が響き渡っていた。

「も~、心配性なんだなぁ、セリアって~。こういうのは、なんも考えないでずばっといけばいいんだよ~!」
溜息の理由を誤解したまま、にぱっと笑うネリー。……この子、本当は何もかも知ってるんじゃないかって気がしてきた。
「ホント、貴女が羨ましいわ…………」
何の悩みも無さそうな彼女に、わたしは少し恨めしい口調を篭めて呟いた。

ぽんっ。
「よっ、セリア、寝不足だって?」
軽く肩を叩かれる。振り向くと、そこにいた。悩みの原因が、真っ赤な顔をして。
「あ…………そっか、つけてくれてるんだ」
嬉しそうな顔。そう、わたしは彼のくれた、例の緑のリボンで髪を結んでいた。
これが切欠になって、上手く話が出来ればいい、なんて我ながら可愛いことを考え付いて。

それなのに、いざ対面してしまうと思わず恥ずかしくなって、ぷい、と顔をそむけてしまう。
彼が頭を掻きながら、ばつの悪そうな顔をしていたからでもあるけど。
変に意識してしまう。落ち着け。彼だって、そんなに過剰に反応されたら困るではないか。
「あ~、ユートさま~。ね、ね、セリア、なんだか緊張してるみたいだよ~」
「え…………そうなのか?」
「……………………#」

余計な事を。わたしは心の中で、ネリーに舌打ちをしていた。しかし無論、そんなものが伝わるはずもない。
そっぽをむいたまま動けなかったわたしに彼は、心底心配そうな顔をして、励ましているつもりなのか、こんな事を言った。
「まああまり考え過ぎるなよ、セリア。こういうのは、なんも考えないでずばっといけばいいんだし」
「………………は?」

ね~、とか、ああ、とか言い合っている二人が遠く感じる。またもや置いてきぼりのわたしは急速に冷めていった。

また、勘違いされた?しかもネリーと全く同じセリフで?というより今、何て言った?ずばっと?
一体誰のせいで、こんなに悩んでると思って…………人の気も、知らないでっ…………
いつのまにか、わたしの肩は勝手にぷるぷると震えだしていた。駄目。落ち着かないと。

俯いたまま、こみ上げてくる何かを必死に耐える。それでも止めとばかりに、二人の声が仲良さ気に被った。
「あれ~、どうしたの、セリア。もしかして、震えてる~?」
「お、おい大丈夫かセリア。そんなに怖いなら…………」
ばきっ。わたしは半泣きしている自分を自覚しながら、思いっきり彼の頬を殴りつけた。
「………………痛って~…………お、おいっ」
「だ、大丈夫、ユートさま?!」

手が、痛い。凄く、痛い。ぎゅっと握ったまま胸に当て、そのままその場を逃げ出した。
おろおろしているネリーと、呆然とこちらを見送る彼の視線を背中に酷くしっかりと感じながら。

こうして、サモドア攻略戦は、最悪の気分で始まった。

サモドア城は、それなりにスタンダードな石造りの、バーンライト王城である。
…………でも、そんなことはどうでもいい。
そこに突入したわたしは、猛然と先頭に立って斬り込んでいた。いや、先頭に立たざるを得なかった。
正面に、ばらばらと現れる敵スピリット。
彼女達が神剣魔法の詠唱を終える前に、立ち塞がる一人に全速で突っ込む。
薄紅紫(ルージュ)に輝く『熱病』を片手で肩に担ぎ、一気に間合いを詰め、袈裟に振り切る。
避わされても、受けられても躊躇しない。倒そうが体勢を崩そうが、その隙間をすり抜けて、更に奥へ奥へ、と。
この際背後からの反撃は、考慮する必要が全く無かった。何故なら。

「……しつっこいわねっっ!」
「なっ、しつっ!…………おい待てって!セリアっ!!」
「何よっ、ついてこないでっっ!!!」

…………わたしは、彼に追いかけられていたのだから。

「来るなって言ったって…………おおおおおっ!!!」
先程越えた『壁』にぶつかってしまったのだろう、彼の気合が大きく響く。続いて後方で、爆音。
どうやら、また一蹴してしまったようだ。わたしは敵の不甲斐なさに、見当違いにも、ちっと軽く唇を噛んだ。
「もうっ…………使えないわね…………」
そんな理不尽な事を呟いている間にも、次の敵が見えてくる。わたしはスピードを緩めずに、きっ、と前を見据えていた。

最初は、こんなつもりじゃ無かった。ただ、泣いている所を見られたくなかっただけだ。
殴られて、この上彼が追いかけてくるとは思わなかった。完全に、嫌われたと思っていた。
それなのに、彼は必死になって追いかけてくる。……それで、わたしは逃げてしまった。
実をいうと、もうとっくに怒ってなんか、いない。少し目が赤く腫れているけど、そんな事はもうどうでも良くなっていた。
自分が悪かった、との自覚もある。むしろ早く、謝りたい、仲直りをしたい、と思っている。
なのに何故、わたしはこうして逃げ回っているのだろう。色々な感情が無い混ぜになって、わたしはすっかり混乱していた。

「ま、待ってよ~……ア、アイスバニッシャ~…………」
へろへろになりながら、ネリーが必死になって彼の後を追ってきている。
「くっ、セリア、ちょっと落ち着けって!!!」
倒した敵を飛び越えて、彼が叫んでいる。
「だから、ついてこないでっ!」
そしていつのまにか、追いかけられているわたし。この間とは、全く逆だな、とわたしは少しだけ可笑しくなった。
きっと、混乱しすぎてどうかしていたのだろう。もう、なんだかどうでもよくなって。
「バカ…………落ち着いてるわよ」
なんて、囁く。進めば進む程激しくなってきている敵の抵抗を前にして、わたしは毀れる笑みを隠せなかった。

どれくらい、そんな滑稽な鬼ごっこを続けた事だろう。
そろそろ息が上がってきた頃、わたしは今までで最も激しい敵の迎撃を受けていた。
恐らく、ここが最深部。もう、これ以上、逃げ場所はない。そう、腹を決めなければならない、所謂正念場。
そんな、本来敵が思うような事を、わたしは自分に言い聞かせていた。

ブルースピリットが飛び出してくる。低い体勢からその上体を避わし、交わしざまに水平に『熱病』を薙いだ。
力の入らないその一閃は、彼女に致命傷を与えてはいない。けれど。
「ぐ、あっ!!」
断末魔の悲鳴が、すぐ後ろで聞こえる。わたしは手を片膝に当て、少し丸めた背中でそれを聞いていた。
そう、もう、とっくに気付いていた。
わたしが後ろを気にせずにいられたのは、彼が、必ず追いかけて来てくれていると、確信しているからなのだ、と。

ぽん、と肩が叩かれる。思えば、わたしは最初から、彼に助けられてばっかりだったのだ。
「ようやく捕まえた……けど、話は後だ。まだ、動けるか?」
こくっと小さく頷く。荒く乱れていた呼吸が、少しづつゆっくりと、深いものに変わっていく。

さあ、もう、諦めろ。覚悟を決めろ。彼の言葉通り。わたしはもう、捕まってしまっていたのだから。

エトランジェの出現に一瞬動きの止まっていた敵集団が、各々の役目をようやく思い出す。
レッドスピリットが後方で詠唱を唱え始め、グリーンスピリットの杖型神剣が緑色に輝きだす。
ブラックスピリットがにじり寄り、ブルースピリットがその背後に続く。

『マナよ、力となれ 敵の元へと進み……』
「マナよ、オーラへと姿を変えよ……」
『風の盾よ……力を』
「マナよ、我に従え 氷となりて…………」

敵味方の詠唱が交錯する。
唱えながら、ゆっくりと、その攻撃位置(ポジション)を交代する彼とわたし。
恐らく敵は、神剣魔法主体の戦いを、想定しているのだろう。
詠唱を終えたとたん、ブラックスピリットが飛び込んでくるに違いない。
だけどね。わたしは心の中で、呟いた。こういう戦い方もあるのよ、と。

全ての神剣魔法がわたしのバニッシュで無効化されていく中、彼のパッションだけは見事な効力を発揮していた。
これが、エトランジェの特性の一つ。彼の神剣魔法は、わたし達あらゆるスピリットのキャンセル魔法が通用しない。
それを知らなかったのか、敵の動揺は見ていて憐れな程だった。ブラックスピリットの剣尖にさえ、発生する迷い。
『熱病』に、新たな光が広がっていく。薄紅紫だった刀身が、白く眩しく輝きだした。
先日の、いやそれ以上に暖かい何かが体中を包み込み、不思議な力に満たされていく。
振り返った彼に、力強く頷き返した。彼はふと、たなびくわたしの髪とリボンにちらっと目をやって――――

「先に、行くぞ!」
――――その瞬間。にっと微笑んだ彼は、確かにわたしの中心に、決して抜けない楔のように打ち込まれた。

「…………ええ!」
もちろん、神剣魔法程度じゃ全然無効化できない、パッション(情熱)としての見事な効力を発揮して。

半分崩れ落ちた城を背後にして、彼がアセリアに語りかける一言一言に耳を傾ける。
心からの言葉を聞いていれば、先程の「ずばっと」などが、いかに彼の本心では無かったかがわかる。
彼はわたしを励ますために、心にも無い事を口にしていた。また、知らない彼を見た気がする。
石柱にもたれながら、そんな事をつらつらと考えていた。

やがて話が終わったのか、彼が歩いてくる。目が合い、少し恥ずかしそうにそのまま近づいてきた。
その様子をただじっと大人しく待っていただけのわたしは、客観的に見ても生涯で一番素直になっていた、と思う。
「…………お疲れさま、セリア」
「…………お疲れさまです」
わたしの治癒を終えた『大樹』のハリオンが、後は若い者同士で~とか意味不明なことを呟きながら、行ってしまう。
それを切欠にして、覚悟を決めたわたしは、一度ぎゅっと手を握り締めて、きっと彼を見上げて。
「あの、さっきのことですけど…………」
「セリア、逃げるのはいいけどせめて敵中突破するのはやめてくれ」
「あ、あの、ですから…………」
「わかんないけど、なんか俺、また無神経なこと言ってたんだよな。ごめん、謝る、このとおり」

…………だからなんで、彼はこう人の話を聞かないのだろう。
リボンのお礼も今の気持ちも、謝ることさえ伝える事を許してもらえない。
勝手に解釈して、勝手に捲くし立てて、勝手に頭を下げている。もう、すっかり段取りは“おしゃか”にされていた。
「ちょ、か、顔を上げて下さいっ!」
「だからさ、俺も、これからはもう少し考えるよ。セリアに嫌われたく、ないからさ」
「な………………っ!!」

顔を上げた彼は、ぽん、とわたしの頭に手を乗せた。人の話も気持ちも何もかも放っておいて、満面の笑顔で、大きな手で。

うわ、ごめん、俺またつい、反射的に、とか、弁解の単語一つ一つが遠い世界からのもののように響く。
わたしは馬鹿みたいにふるふると、辛うじて動く首を微かに左右しただけで、
口をぱくぱくさせたまま、そうか、よかったなんて彼の言葉を聴いていた。

やられた。反則だ。かーっと顔中が熱くなってくるのが判る。これでは耳の先まで赤くなっているだろう。
けれども、わたしはもう、それを隠せなくなっていた。ううん、違う、もう隠す気が無くなっていた。
気づくなら気づけ。そんな半分投げやりな、でも少しは期待する何かを篭めながら、真面目な顔で懸命に見つめ返した。
心臓の鼓動が、戦闘中よりも煩い。かつて無い程緊張した自分を意識して、更に全身が熱くなった。
きっとわたしの瞳はこれ以上ないというくらい、爛々と輝いていたことだろう。

「そ、それじゃ、いこうか」

………………だっていうのにこの男は、こういう時に限って、さっさと行こうとしたりする。
一瞬不思議そうな顔をしただけで。何事も無かったかのように。しかも一度も振り返ろうともしないで。

 ――――この、鈍感っ!

一大決心ごと置き去りにされたわたしは瞬間沸騰しかけた頭を冷やす為に、今度は懸命に冷静にならなければならなかった。
とりあえずは『熱病』を握りすぎて、感覚の無くなりかけた心と手の平を緩めるところから。
……ところで、何でこんなに我慢しているのだろう、わたしは。以前なら、ただ怒鳴り返して終わりだったはずなのに。
どうしてこんな事になったのか。いつからこうなってしまったのか。どこまで辿っても、思考は堂々巡りを繰り返すだけ。

 ――――なんで、気づかないかなぁ。

なのに、声にも出せずにそんな無茶を心の中で呟くわたしがいる。
そして非常に拙い事に、そんな自分が決してイヤでは無かった。