朔望

夜想 Ⅳ

 §~聖ヨト暦330年シーレの月黒いつつの日~§

駆けつけたリーザリオは何の変哲もない、ただの古びた小さな街だった。
ただ一点、そこを舞台として行われている、妖精同士の殺戮と破壊を除いては。

「…………はあっ!!」
『存在』が白く輝きながら煌き舞う。「蒼い牙」が無表情のまま敵の連携を崩す。
辛うじて避わした先鋒のブルースピリットが細身の剣を振るい、殺到する。
「…………させませんっ!!」
『献身』から走る緑色の光が編みこむ様に盾と紡がれ、弾かれた剣と少女が体勢を崩す。
「てりゃ~っ!!!」
待ってましたとばかりにオルファリルの放ったファイアーボールが敵を包む。
燃え尽き、金色のマナに還っていくその景色を、どこか遠い処のものの様に見ていた。

――だから、気付かなかった。死角から訪れる、もう一人の敵意に。

「…………ユートさまっ!!」
慌てたエスペリアの声が聞こえる。と、思った時には身体が勝手に動いていた。
「くっ!」
巨大な神剣を軽々と振り下ろす。意外と身軽な動きが敵の予想外だった様だ。
驚きの表情を浮かべ、僅かに避けた少女は、それでもハイロゥだけは庇いきれなかった。
ざっくりと肩口から抜けた『求め』によって腕と片翼が失われる。
「ぐぁ、あぁぁっ!!!」
バランスを崩し、地面を這い蹲い転がり回る少女。その姿に、反射的に駆け寄っていた。
「お、おい大丈夫か…………」
「いけません、ユートさまっ!」
「ユート、あぶないっ!」
「パパ、だめだよっ!」

仲間達の、叫び声。
瞬間、傷ついた少女の蒼い瞳がキッと睨んだ。背筋に冷水を浴びせられた様に悪寒が走る。
おもわず仰け反った鼻先を、ひゅん、と片手で振るった神剣が走り抜けていった。
…………咄嗟に覆いかぶさるように、『求め』を突き出していた。考えなど、何も無かった。
切先が少女の躯に沈み込むのを、どこか冷静な目で見下ろしている自分がいた。

「きゃああぁぁぁぁ…………」
ぴぴっと赤い飛沫が頬に当たる感覚。手に伝わる肉を貫く感触。
断末魔の叫び声。やがて動かなくなる体躯。
「ぱぱ~、だいじょうぶ~!?」
駆け寄ってくるオルファリルが見える。見えるが、認識出来なかった。身体も動かなかった。
『そうだ、倒せ。それでいい、契約者よ』
僅かとはいえマナを吸収した『求め』が嬉しそうに呟く。
それが引き金になったのか、急に体中の力が抜けた。どすん、とその場に腰を下ろす。
手を放した『求め』がからん、と軽い音を立てた。

「あ、ああ…………」
ようやく声を漏らす。見下ろすと、真っ赤に染まった両手が金色に煌き始めていた。
白く霞んでいく頭。今更震えだす全身。声にならない悲鳴が口から飛び出した。

 ――――その日、俺は「人殺し」になった。

 §~聖ヨト暦330年スフの月青ふたつの日~§

剣と剣がぶつかり合う金属音が耳に纏う。目を閉じても浮かび上がる苦悶の表情。
どうあがいても、寝付けそうに無かった。びっしょりと重いシャツが肌に貼り付いている。
「ふー…………」
悠人は立ち上がり、窓際に寄った。ぎぃっと少し錆びた音を立てて窓を開く。夜空に弓の様な月が見えた。
風が涼しい。汗が徐々に引いていく。自分の手を確かめる。濡らしたものは既にマナになり、還ったはず。
しかし悠人にはそれが信じられなかった。手の平を繰り返し眺める。赤く染まってはいないかと。
見慣れた掌。何時もの、自分の手。ほっと安心した途端、また一昨日の感触が蘇った。
ぎゅっと拳を握り、それをやり過ごそうとする。その時、微かに音が聞こえた。
顔を上げる。期待していた訳ではない。それでも、予感はあった。

月の光が殆ど降らない闇の中、少女は淡く輝いていた。
包まれた白翼の中で、両手を胸に当てて。瞳を閉じたまま、朗々と詩っていた。
なにもかもがあの時と同じ。そして悠人もまた、動けなかった。前と同じく、届く旋律に耳を傾けたまま。

 ―――サクキーナム カイラ ラ コンレス ハエシュ…………

やはり歌詞などは判らない。ただ、哀しげなその韻律だけは心に染みた。
何故なら今悠人が感じている感情が、正にそれだったから。
また距離感がぼやけ始める。遠くにいて、それでいて近い少女。ふいに、口が動いていた。
「ラ、ニィクウ、セィン、ウースィ…………」
まだたどたどしいヨト語。うろ覚えな単語を繋ぎ合わせた、聞こえるはずもない小さな呟き。
それでも呼応するように、唄はぴたりと鳴り止む。
ゆっくりとこちらを向いた瞳は不思議な色を湛えて悠人を見ていた。
どれだけの時間が経ったのか。ふと彼女が微笑んだ。
遠くて良く見えないはずの表情に、確かに柔らかさを感じた。
「…………イス、ファーレーン」
綺麗な、澄んだ声が響く。確かに、そう聞こえた。それは静かな、唄の途中の様な音の流れだった。

……気付いた時には既に少女の姿は消えていた。月の光が届かない闇に、まるで溶け込むかのように。

 §~聖ヨト暦330年スフの月~緑いつつの日~§

人と変わりが無いスピリット達を殺す事に、慣れるなんてことは一生無い。
肉を骨を断ち斬った時のあのイヤな感覚。一つの生命を奪うという行為。
何度繰り返してもその都度吐き気がする。それなのに、内で騒ぐ『求め』の歓喜。
突き上げてくるのは支配欲、破壊欲。マナを、血を啜れと囁く衝動。

「ねね、パパ見て。まだ動いてるよ~、おっもしろ~い!!」
血に染まったオルファリルが無邪気にはしゃぐ。苦悶に満ちた敵の少女を見下ろしながら。
そう、敵。それだけで、“殺し合い”をやっている。自分の意志じゃない、と言い訳しながら。
守る為、生きる為と称して。

「戦わなくちゃ、みんな死んじゃうよ?オルファ、そんなの嫌だよ」

――――オルファにかける言葉が見つけられなかった。
「いいんだオルファ、オルファにも……きっといつか、判るから」
そんな言葉を自分自身に思い合わせて。

 §~聖ヨト暦330年スフの月黒みっつの日~§

今日はなんとなく、真っ直ぐここに来てしまった。
一度部屋に戻ろうかとも思ったが、ニムが何がしかを悟るかも知れない。
気持ちを切り換えてから帰りたいと思った。気落ちしている顔は、見せたくなかった。

ふわり、と暗い森の中、いつものようにゆっくり浮かび上がる。
そっと目を閉じ口ずさもうとして、ふとまだ灯りの灯る部屋に目が止まる。……あの部屋は。
どくん、と胸が一つ、大きく弾んだ。自分が、期待している事が判る。
(――いったい、何を?)
問いかける。離せなくなった視線が、動き始めた窓を捉えた。鼓動がうるさかった。

はっきりと見えないはずの顔が、表情まで判る気がした。その縋りつくような瞳の色まで。
何かあったのだろうか。純粋な黒。そこに見える、吸い込まれるような儚さ。思わず呟いていた。

『守りたい大切なものは、ありますか?』
声には出ていなかったかもしれない。だけど、確かに彼が、頷いたように見えた。
自問自答。何度も自分に言い聞かせてきた想い。それに、思い込みでも応えて貰えたのが嬉しかった。

「それならば……きっと、大丈夫」
今度ははっきりと、自分に言い聞かせる言葉。届かないはずの、言葉。
それでも彼は、微笑んでくれた。きっと、それはただの偶然。でも、それでもよかった。

やがて流れてきた雲が、月の明かりを静かに落とす。
不思議に気持ちが安らいでいた。胸を暖かいものが包んでいた。
いつも落ち着くために唄っていた、支えてくれる詩。今日は、必要なかった。

森の静けさが再び迎え入れる。部屋へと戻る足取りは、心なしか軽くなっていた。