朔望

nocturn -Ⅰ

 §~聖ヨト暦330年スリハの月~青いつつの日§

ラキオスを出発した時には右手にあったソーンリーム大地が今は左に迫る。
寒々とした灰色の風景の中、ファーレーンはサルドバルト首都を目指していた。
「…………また“浅瀬”ですか………………」
ハイロゥが明滅を繰り返す。元々全力で展開している訳では無かったが、それでも駆ける速度が落ちた。
マナ濃度の起伏が激しすぎる。息を切らせて立ち止まる時もしばしばだった。
ミスル平原を始めとして、サルドバルトにはマナの薄い場所が多い。
それは、人に例えれば空気の薄い高山地帯の様なもの。マナで構成されるスピリットには辛い土地だった。
天然の要害。弱小国サルドバルトが未だ生き残っている、その理由の一つかとファーレーンは思った。
イースペリア領を抜けて警戒しつつ接近したとはいえ丸一日。
慎重過ぎる程ゆっくりな行程は、半分は望んで行ったものでは無かった。

月の姿がはっきり見える。日はすっかり沈み、辺りに夜の帳が下りていた。
丁度良く窪んだ地面に身を潜り込ませ、ファーレーンは休息を取る事にした。
敵地。周囲に全く気配の無い、遠い大地に独り。闇の褥の中で、空を見上げる。
一昨日の戦いを思い出す。何も殺さなくても良かったのではないか。そんな忸怩な想いが沸き起こる。
敵を倒す度、考えれば痛み出す胸。声にしない様、彼女は口ずさむ。
じっと膝を抱えて。心を強く保つように。傍らの『月光』が、りぃぃぃん……と静かに共鳴した。

   ―――サクキーナム カイラ ラ コンレス ハエシュ…………

聞き届ける者は誰も居なかった。自分に言い聞かせた訳でもない。では、誰に届けたかったのか。
ファーレーンには、分からなかった。でもふと、辛そうなエトランジェの背中が見えた気がした