朔望

novellette -Ⅰ

 §~聖ヨト暦327年スリハの月黒いつつの日~§

 ――――雨が、降っていた。

霧の様に細かい水滴は森の静けさに相応しく冷たく、時間をかけて身体の感覚を鈍くしていく。
重くなった髪から滴り落ちる雫は透明な直線の軌跡を描き、音も無く地面に吸い込まれて雨水と交わる。
風は止み、光は無く。ただ見守るだけのそんな森の中を、わたしは独り歩き続けていた。
いつからそうしていたのかは判らない。どうしてここにいるのかも判らない。気づけばただ、理解していた。
歩いているのが森の中だという事と。自分がスピリットという、戦うだけの者なのだという事を。
ぱしゃぱしゃと水溜りに踏み込む音だけが響く中。跳ねる泥も汚れる足も、全く気にならなかった。
ただ…………。ただ、一つの事だけが、判らなかった。「自分は何のために歩いているのか」、という事が。
――――りぃぃぃぃぃん…………
ふいに、肢に当たる硬い金属の感覚。
二紫の鞘に収められていたそれに初めて気づいたわたしは、ゆっくりと「それ」を引き抜いてみた。
闇の中、ぼんやりと浮かび上がる静謐な刃。永遠神剣第六位、『月光』の姿がそこにあった。

その時、さーっ、と光が差した。
ふと空を仰ぎ見ると、それが当たり前だというかの様に、いつの間にか曇一つ無い満天の空。
一片の欠もない月が、闇に顔を覗かせていた。惜しげもなく降り注ぐ、柔らかい月の光。
水滴を反射して煌く森の木々。清冽に輝く鋼。どこか幻想的な眩しさに、わたしは思わず息を飲んでいた。
恐らく、それが原初の記憶。きっとわたしはそこから「始まった」のだろう。
何故なら、導かれる様に視界を下ろしたわたしの目の前。そこに、緑柚色の髪と目を持つ少女がいたのだから。
大木の下、怯えるようにしゃがんで両手で神剣を握り締めている少女に、わたしはどうしてか話しかけていた。

 ――――ラ、ニィクウ、セィン、ウースィ?

それが、初めて使った言葉。ぴくっと大きく目を見開いた少女が、やがて思い切った様にぼそっと告げる。

 …………ニムン、トール。

そしてそれが、初めて聞いた言葉だった。