朔望

夜想 Ⅸ

 §~聖ヨト暦330年スリハの月緑いつつの日~§

何度目かの突撃の後、破壊され尽くしたキロノキロの城の中。
悠人は勝利に沸き立つ仲間の輪を外れ、独り城門に寄りかかっていた。
既に、正規軍にその指揮は移譲され、事後処理に追われた兵士達があちこちで動き回っている。
彼らは決してスピリット達に目もくれない。労いの言葉一つもかけては来ない。
それが、この世界の暗黙の了解。わかってはいたが、何度目の当たりにしても納得がいかなかった。
やるせない気分に、空を仰ぐ。既に暗くなったダーツィの夜空にも、ぽっかりと満月の姿は浮かぶ。
結局、この世界の体制そのものを覆すしか、ないのだ。彼女達が、「生きる意味」を見出す為には。
そんな大それた考えが、一瞬頭に浮かび、すぐに消える。
残るのは、「ただ生かされているだけの自分」。そんな何も出来ない無力感だけだった。

先程エスペリアから、正式にイースペリアへの救助要請を聞かされた。
“救助”目的の為とはいえ、進撃はしなければならないし、サルドバルトとも戦わなければならない。
先日情報部からあった情報、それが今になって現実としてその翳を落としつつある。
一つの戦いを終えれば、タイミングを計ったかのように待ち受ける次の戦い。
絶望感に、その度打ちひしがれそうになる感情。余りにも救いが無いような気がしてくる。
ふいに、月に少女の姿が被さる様に思い出された。ロシアンブルーのその瞳は一体何を語りかけていたのか。
「どうしてかな…………ファーレーン」
毀れる名前に、自分で驚く。思わず口に手を当てかけた時、背後でがしゃ、と硬い音が複数聞こえた。

「おい、どかんかっ」
不愉快な声が投げかけられる。悠人は無言で振り返った。そのまま動かずに声の主を睨みつける。
「な、なんだ…………」
それだけで、完全に腰が引けてしまう兵士の怯えた表情が滑稽だった。
人が、権威だけに平伏すものだとでも思っているのだろうか。悠人は同じ「人」として軽蔑するしかなかった。
呆れながら道を譲る。とたんほっとその体面を回復した兵士達の間に、一人の老人が見えた。

深い彫りの奥で光る、力強い眼光。衣装が埃で汚れてはいるが、高貴な雰囲気は隠しようも無い。
アーサミ・ダーツィ――現ダーツィ大公国領主――はゆっくりとこちらを向いた。
「ダーツィ大公…………?」
「…………異界の者、か」
揺ぎ無い意志が籠められたその瞳と、一瞬視線が合う。
皺がれた口元が、気怠げに言葉を紡いだ。湛えられた感情をあくまでも抑えた低い声が殷々と響く。
「言っておこう。このダーツィ、決して『求め』に屈したのではない。全てはこの“世界”の理(ことわり)」
「…………世界、の理?」
いきなり語りかけてくる老人の意図が、悠人には測り切れない。鸚鵡返しに呟き返す。言葉は続いた。
「そうだ異界の者よ。いずれファンタズマゴリアの趨勢は、与(あずか)り知れない者の手に委ねられている」
「な……それってどういう…………」
「…………まあよい、考える事だ。腰の『求め』は伊達ではあるまい?」
「ほらっ、こいっ!」
言葉を遮るように、兵士達が先を促す。それに抵抗一つせず、老人は連行されていった。
「ちょ、待ってくれ!もう少し話を……」
「だめだっ!連れて行けっ!!」
項垂れる事も無く、堂々と胸を張ってすれ違うダーツィ大公は、とても敗戦の将には見えなかった。

その背中を見送りながら、悠人は先程の言葉に、以前のサードガラハムの言葉を重ねていた。
そして、先程思い浮かべたばかりの少女に問いかけられた時のことも思い合わせる。
『自らが求めることに純粋であれ』
『守りたい大切なものは、ありますか?』
『考える事だ。腰の『求め』は伊達ではあるまい?』
どこかで何かが繋がっている。だがそれが何かだけが解らなかった。悠人は答えを求めるように空を見上げた。
中空に浮かぶ月は、ただ照らすだけ。無言の優しさで世界を包むだけだった。

ダーツィ大公の処刑は即日行われた。

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒ひとつの日~§

レスティーナ皇女の部屋に呼ばれたファーレーンには、既にその用件が理解出来ていた。
「至急、一隊を率いてラセリオから南下して下さい」
それでも、いざ切り出された一言に、ぎゅっと全身が強張る。
「部隊編成はラキオス正規軍から一個中隊、ただしこれは後詰めです。その前にスピリット隊として――――」
当然だろう。「人」はスピリットが整備した道を歩いてくるのだ。それがこの世界の決まりなのだから。
ファーレーンは膝をつき、下を向いたままの姿勢でじっと息を殺し、次に紡がれるであろう言葉を待っていた。
「現在ラキオスに残っているファーレーン、貴女と…………『曙光』のニムントールに、先行してもらいます」
語尾がやや掠れた声色になっている。しかし今のファーレーンにはそれで充分だった。
顔を上げれば皇女の苦渋の表情が見えるのだろう。その心境が、今は痛いほど判ってしまう。
先程偶然聞いてしまったラキオス王とのやり取り。噛み付いていた皇女の表情が目に浮かぶ。

ましてや決断を下す為の判断材料を提供したのは自分なのだ――情報部に属し、妹の為に従ってきたとはいえ。
これまで、レスティーナの「思想」に別段興味があった訳ではない。
しかし先程「人」の身でありながら、王と対峙していたレスティーナに、ファーレーンは別の意識を持った。
自分達スピリットの事をも考え、何がしかの新しい方向性を導き出そうと戦うたった一人の「人」に、
ファーレーンは初めて「スピリット」としての共感を感じる事が出来ていた。
そして同時に、これ以上自分の我が侭で心の負担を強いる事は出来ない、とも思った。
身を引き裂かれる様な思いに囚われながら搾り出すと考えていた一言が、意外にもすんなりと零れる。
「それが、皇女の意志ならば」
「…………っ!」
息を詰める気配。ファーレーンは、初めて求められずに顔を上げた。
吹っ切れた想いで穏かな笑みを湛え、対等な「意志」として言葉を告げる。
「わたしは貴女を信じます、レスティーナ皇女」
にっこりと微笑むファーレーンの目に、涙を浮かべつつ口元を押さえ、それでも強く頷く少女の姿が映った。

「ダーツィが陥落しましたが、イースペリアはサルドバルトに押され、防衛線を首都付近にまで下げています」
深夜、占領したヒエムナに帰還した悠人は、エスペリアの状況報告を受けていた。
「さらに潜伏していた兵士がダラムを占拠した模様です。既にスピリットも配置されたようです」
「そうか、なら直ぐに助けにいかないとな」
「北上されればラキオスも危険にさらされます。王国軍と合流し、イースペリアの救助に向かいましょう」
「わかった、他に報告はあるか?」
「はい、先程正規軍のほうへ、訓練士の志願者が…………」
「ああ…………」
次々と紹介される志願兵の名前を聞き流しながら、悠人は何とは無しに机の上を眺めていた。
散らばっているファイルに、色々な人物の名前と経歴が書かれている。
彼らは、戦いというものにどういう想いを持って参加してくるのだろうか。
戦火の拡大を何とかしようと志願してくる人も、もちろんいるのだろう。
しかしそれが、どんどん戦争自体を広げていく、そんな矛盾が広がっているような気がした。

「……それと、新たなスピリットが補充されます。ブラックスピリット、『月光』のファーレーン」
「…………え?」
考えに耽っていた悠人は、聞き覚えのある名前を聞いて、がたっと勢いよく顔を上げた。
そのまま驚きに目を見開いて、ぽかんと口を開けたままエスペリアを見つめる。
不思議そうに見上げたエスペリアが首を傾げ、亜麻色の髪が揺れた。
「どうかしましたか?ユートさま」
「あ、ああ、なんでもない。先を続けてくれ、エスペリア」
「…………?はい……。そして、『曙光』のニムントール…………」
浮かしかけた腰をようやく下ろしながら、悠人は心臓の高鳴りを抑えようと胸に手を当てていた。
彼女に、会える。冷静に努めようとしても、激しくなってくる動悸をどうしても止める事が出来なかった。

「よっし、これでやっとお姉ちゃんと一緒に戦える!」
珍しく身体全体で喜びを表しているニムントールを目の前にして、
ファーレーンは沈んだ表情を隠しきれないでいた。
「ニム、わかっているの?これは戦争なんですからね」
「うん、ニム、ちゃんとお姉ちゃんを守るからね」
「そうじゃなくて…………」
「それよりさ、ニム、ユートに会ったことないからちょっと楽しみなんだ~」
一応念を押してみたものの、暖簾に腕押し。既に後ろを向いて準備を始めている。
ファーレーンは軽く額に手を当てながら、覚悟を決めたとはいえ、大丈夫なのだろうか、と不安になった。

妹の訓練度合いはもちろん知っている。
グリーンスピリットとして防御は優秀だが、未だに神剣魔法を憶えきれてはいないのだ。
戦場で、もし怪我でもさせたら……。そこまで考えて、ファーレーンははっと我に返った。
「ちょっとニム、又ユートさまを呼び捨てにしてっ」
「わっ、急に大声出さないでよ、びっくりするじゃない」
「あっ……ご、ごめんなさい」
「も~しょうがないなぁお姉ちゃんは」
「…………もうっ」
反射的に謝ってしまう。
苦笑しながらいつの間にか笑えている自分に気づき、いつもこの妹に救われてきたのだ、と改めて思った。
「…………生きて帰ろうね、ニム」
ファーレーンは、ニムントールの背中に届かない小声でそっと呟いた。