朔望

夜想 A

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒ふたつの日~§

「全部、ぜ~~んぶ、焼き尽くしちゃえ!」
オルファリルの詠唱が終わっても、敵はなす術が無い。
乱れた隊列の中、及び腰で神剣を構えたまま立ち尽くす彼女達に、無情とも思える楽しげな声が響き渡る。

「邪魔するのは許さないんだから!アークフレアッ!」
『理念』に生じた拳大の赫い塊が、ひゅん、と意外に軽い音と共に集団に向かって飛んでいく。
圧縮された膨大な熱量のマナが、敵の中心で一気に弾ける。悠人は思わず顔を背けていた。
「ぎゃあっ!、ああぁぁぁぁ…………」
重い地響きが悲鳴さえ掻き消し、熱風が背中を圧す。
細かい何かの飛礫が収まるのを待って悠人は顔を上げた。
街道は所々黒く焦げ、圧し折られた木々が斜めにせり出しながら燻ぶっている。
そしてもちろん敵集団はマナの霧になり、そしてゆっくりと蒸発していった。
「ねね、パパ見た?オルファの最新技だよ~!」
「あ、ああ…………」
凄いでしょ、褒めて褒めて~、そんなオルファリルの声に虚ろに返しながら、悠人はその惨状を眺めていた。

所々で伏せている敵は、明らかに弱かった。
ブルースピリットはオルファリルの神剣魔法をキャンセル出来ず、
基本的にサポートやディフェンスに入る筈のグリーンスピリットが慣れない攻撃をしてくる。
シールドハイロゥを展開しているエスペリアやハリオンに、そんな同色の攻撃がそう通じる筈も無く、
それらはかえってこちらの進撃速度を上げる結果にしかならなかった。
「こんなの、無駄死にだろ…………」
悠人は無意識にオルファリルの髪を撫でながら、呟いていた。

ランサに辿り着く頃には、既に敵も小隊一つという寂しさだった。
構成するスピリットもたったの三人。怯えた兵士を背中に庇うようにこちらを睨みつけている。
悠人はもう、これ以上の争いは無意味だと思っていたし、したくも無かった。
「エスペリア、ちょっと待っていてくれ」
「え…………ユ、ユートさま…………?」
『献身』にマナを籠め、シールドハイロゥを展開しつつあるエスペリアの肩を押しのけ、
目線だけでアセリアやオルファリル達を抑える。正面を向くと、先頭に立つ赤い髪の少女と目が合った。
「ごめん、言い訳はしない。判ってくれともいえない。こんなにしちまって、すまなかった」
「……………………」
岩石ごと潰された家。薙ぎ倒された木。動かない人。捲れ上がった石畳。
所々で立ち上る煙の焦げた匂い。倒されたスピリット達だけが、跡形も無く消え去った残骸の街。
これまでの戦いで自分達がやってきた事を思えば、とても許されるものではない。
目の前のサルドバルトのスピリットに、そんな事を言っても通じないだろう。それでも悠人は頭を下げた。
「こんな事をしておいて、だけど、頼む!退いてくれないか。もう、誰かが死ぬのは嫌なんだ……」
「……………………」
無駄だろうと半ば諦めつつも、対峙しているレッドスピリットの少女に説得を試みる。
無言の少女からは、敵意しか感じない。それでも伝えておきたかった。たとえ偽善と罵られても。
それだけは譲れない、そう思うから。そうしないといけない、と思ったから。
「…………イースペリアには近づくな」
「……え?」
顔を上げた悠人は、一瞬少女が泣いているように見えた。立場を忘れ、思わず駆け寄りたくなる。
「あぶない、ユートっ!」
「っ!」
アセリアの叫び声が、咄嗟の動きに繋がった。『求め』を構えた所にレッドスピリットが殺到する。
「これでっ、終わりだぁぁっ!」
スフィアハイロゥを纏った杖状神剣が、残像も残さない速さで三連撃を繰り出してくる。
しかしそれも、正規兵の「人の目」から見てのもの。
エトランジェの悠人ならずとも、その動きはスピリットから見れば、緩慢そのものだった。

きぃぃぃん。最初の一撃を受けながら、悠人は先程の彼女の表情に戸惑った。
(なんで…………)

きぃぃぃん。二撃目。鋭くも何とも無い、闇雲に繰り出しただけの杖が、『求め』に弾かれる。
(逃げてくれないんだ……っ!)

身勝手なのは、わかってる。それでも、攻撃しなければこちらが殺される。
逃げてくれと心の中で悲鳴を上げながら、悠人が三撃目を受けようと『求め』を斜め上に構えた時。

――――ざしゅっ。

「え…………」
攻撃をしてくると思ったレッドスピリットが、神剣を放り出し、自分から『求め』にぶつかった。
咄嗟に剣を避けることも出来なかった悠人は、ただその様子を他人事のように眺めているだけだった。
無防備で飛び込んできた少女の腹部に深々と突き刺さる『求め』から、生暖かいものが手に伝わる。
そのまま倒れてきた少女の口が薄く開き、何かを告げようとして、赤い霧を吐いた。
「お、おいっ!」
「危、な、い、から……………………」
「…………くっ!」
金色のマナを撒き散らしながら、サルドバルトのスピリットは静かに消えていく。
それでも、最後に見せた透明な笑顔はラキオスのスピリットとなんら変わるところが無かった。
背後からばたばたと逃げ出すサルドバルト兵の足音が聞こえる。頼みの綱を失った、とでもいうのか。
彼らは逃げ出せる。だけども、スピリットである少女は「逃げられなかった」。
どんなに絶望的な状況でも、それが理不尽な要求でも。ただ、「スピリット」というだけで。
だから、少女はこんな方法を取るしかなかったのだ。他の二人のスピリットを救う為に。
「くそっ…………なんで…………」
悠人は最後までその少女を抱き締めたまま、湧き上がる怒りを必死に抑えていた。
怯えるように、それでも逃げようとしない残りの二人が戸惑いながらもその背中を見つめていた。

「お姉ちゃんっ!」
「ニム、下がってっ!」
がぎぃぃん!
鬱蒼と生い茂る背丈よりも高い草原に、警戒を怠っていた訳じゃない。
それでも、飛び出してきたブラックスピリットの太刀筋は、僅かな気の緩みを的確に狙ってきた。
普通のスピリットなら死角になる位置。左前方からの真っ直ぐな突き。少し刀身を斜めに傾けた一撃。
「くぅっ!」
受けた鞘ごと左手に痺れが走る。わざと重心に向けた攻撃は、受け流す事が出来なかった。
敵の気配を探りつつ、目の前の彼女を観察する。身のこなしはやや左に流れる。剣技は……互角。
「はぁっ!」
「…………ちっ」
“軸足の”爪先でフェイント気味に蹴り上げ、避わそうとバランスの崩した相手から離れる。
ざざざっと踏み込んだ勢いで辺りに土煙が舞い上がった。
「ニムっ!」
「は、はいっ!ここだよ!」
視界の隅に、慌てて『曙光』を握り直す緑柚色の髪が見えて、ほっとする。どうやら敵は一人らしい。
「ニム、援護、お願いね」
「う、うん、わかった」
えっと、と下を向いてぶつぶつ呟き出す妹の姿を見て、ファーレーンは思わずくすっと微笑んだ。

奇襲に失敗した相手はじっとこちらを見据えたまま動かない。
ようやく鞘から『月光』を抜き放つ。まだマナを送り込んでいない刀身が、青錆びた鈍い色で煌く。
それを見たブラックスピリットの構えが、ぴくっと微かに崩れた。
「…………いきます」
ゆっくりと下ろす“右手”。その動きとは裏腹に、ファーレーンは全力で地面を蹴っていた。

ががっ!
神剣がぶつかり合う音が、寸断無く流れる。金属音が重なり合い、不協和音を奏でる。
袈裟からの攻撃は、いとも簡単に防がれた。なおもマナを送り込み、下段から払う。
それを敵は、柄をぶつけて来て防いだ。“てこの原理”で頭上からくる刃を辛うじて手甲で受け止める。
「くぅっ!」
「…………ははっ」
主導権を奪ったのは、敵の方だった。力押しに来る所を避わそうとしたハイロゥを無造作に掴まれ、
そのまま空中に放り投げられる。一瞬浮いた躯を捻り、飛んできた刃先に『月光』を合わせる。
ひゅっと息を飲む気配と唸りを上げてせまる蹴り。倒れたまま着地した地面を左手で懸命に弾く。
目の前すぐをカマイタチのように通り過ぎる足が、前髪をすぱっと何本か持っていった。
ようやく体勢を整え終えた時にはやや息が切れかけている。立ち上がって対峙し直す。
「仕方がありませんね…………」
呟いて構えを変えようとしたとき、後ろからニムントールの声が聞こえた。
「マナよ、深緑の風となりて我を守れ……」

「っ……ニム?」
まだ憶えていない筈。ファーレーンが驚きの表情で振り返る前に、ニムントールの神剣魔法が発動した。
「……ウインドウィスパー!」
「!これは…………」
急に背中から、包まれるような暖かさ。それはあっという間にファーレーンを「満たし」た。
身体の隅々までいきわたる活力。マナが充溢するのが手に取るように判る。
いつの間に神剣魔法を…………。驚きながら、ファーレーンは応えなくては、と微笑んだ。

これ以上時間をかける訳にもいかない。つまり、こちらから仕掛けるしかないだろう。
ファーレーンはかちゃり、と『月光』を“左手”に持ち換える。そう、自分の「利き腕」に。
「…………この動き、見切ることが出来ますか?」
「…………っ!!」
踏み込んだと同時に、その姿までもが“掻き消える”。残光すら残さない、見えない刃が水平に流れた。
空いた空間を満たす為の疾風が、遅れて巻き上がる。死に際して敵が感じたものは、ただ森の匂いだけ。
繰り出されたファーレーンの斬撃は、自分に何が起きたか判らないままの敵を一瞬でマナに換えた。