朔望

夜想 C

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒みっつの日~§

ダラムを目前にして急に現れた敵は、今まで戦ってきたサルドバルトのスピリットと質がまるで違っていた。
「やぁっ……なにコレ……? 力が入らないよぉ……」
オルファリルの神剣魔法が、ブルースピリットによって発動前にきっちりと無効化される。
「オルファ、下がって!アセリア!」
殺到したブラックスピリットから、咄嗟にシールドでオルファリルを庇ったエスペリアが叫ぶ。
「ん……はぁっ!」
「っ!」
ざしゅっ!受け流された剣の勢いのまま動けないブラックスピリットにアセリアが振るった一撃が決まる。
肩口に食い込む『存在』にぎりっと歯噛みをしたまま、それでも動くブラックスピリットに、
「……マナよ、癒しの風となれ」
いつの間にか背後に回ったグリーンスピリットが回復魔法を唱える。
「っ間に合え…………ぐっ!!」
がぎぃぃぃん…………。
アイスバニッシャーを放ってすぐに飛んできたブルースピリットが空中から降下してきて
グリーンスピリットに斬りつけようとした悠人の元に殺到する。
「こ、こいつら……強いっ!」
「ユートさま、お任せくださいっ!私にだって、これくらいなら!」
横を駆け抜けたエスペリアが必死に投擲した『献身』が緑色の粒子を撒き散らしてうなりを上げる。
「ハーベス…………あぐっ!」
どすっと鈍い音を立てて突き刺さった『献身』がようやく敵の回復源を断ち切り、混戦に終わりを見せた。
「きゃぁぁぁぁ!」
同時に後ろで響く、傷ついていたブラックスピリットの悲鳴。アセリアが止めを刺したのだろう。
「…………ちぃっ!」
味方が全滅したブルースピリットが、戦意を失い後退する。
引き際の鮮やかさに感心しながら、悠人はそのウイングハイロゥを見送っていた。

咄嗟に羽ばたいたウイングハイロゥが、先端をちりちりと焦がす。
既に地面は着地出来る足場では無かった。そこは溶岩のように赤く膨れ上がりその勢力を貪欲に広げる。
「な、くっ!」
地上0(ガロ)地帯を舐め尽くして文字通りガロ(無)に帰した炎の波は、
それだけでは満足せずに、空気を伝播して空をも侵食しようとしていた。
周囲の空気が「燃え上がる」のを肌で感じたファーレーンは更に上昇しようとして――目を見開いた。
「…………危ないっ!」
その視界の先、ちょうど敵の背後に回った建物の上、ニムントールが『曙光』を翳していたのだ。
敵の背後を取った安心感からか、ニムントールには、この神剣魔法の本質が「見えて」いない。
ただ地面を燃え上がらせるだけではなく、「逃げる生物を追いかける」有機の灼熱なのだ、という事が。
「ニムは負けない……お姉ちゃんを守る」
「…………」
微かな呟きに反応したレッドスピリットが、神剣魔法を発動したまま後ろを振り返る。
とたんファーレーンへと向けられていた赫蛇が、その気配を掻き消した。
「ニムっ!!!」
ファーレーンは叫びと同時に片翼だけを一度閉じ、残りのマナを全て放出しながら羽ばたいた。
全速で迫る屋根を見据え、一番熱を感じるその一点に、余った「片翼」分のハイロゥを展開する。
着地した右足に集中したファーレーンのハイロゥは、有り得ない筈のシールド状を呈していた。

「…………え?」
俄かにざわめき立った周囲が赤く染まるのを感じたニムントールは、咄嗟に動けなかった。
棒立ちになったまま、既に逃げ場の無い彼女の足元からマナが燃え上がり、
「え、え?」
どんっ!
次の瞬間には沸騰していたであろうその場から、飛び込んできたファーレーンに突き飛ばされていた。

退けたとはいえ、未だ周辺には敵の気配が色濃く残っている。
セリア達別部隊が合流するのを待っている暇も無かった。
ダラムは目の前。先にいきかけたアセリアを押さえ、悠人は警戒しつつ、街を見据えながら言った。
「アセリア達はここで他の皆を待っていてくれ。俺が先に様子を見てくる」
「ユートさま、それは…………」
「ええ~、パパ、危ないよ?」
当然ながら、エスペリアが険しい表情を浮かべて制止し、オルファリルが不安そうな顔で見上げる。
アセリアは判ったような、判っていないような態度で視線だけ双方の間をきょろきょろと往復した。
「大丈夫だよ、エスペリア。それより急がなくちゃいけないだろ?」
「ですが…………」
「エトランジェの俺なら単独で動ける。オルファも、いいな?」
エトランジェ、の部分を強調した悠人に、押し黙るエスペリア。彼女も周囲の気配は感じ取っていた。
頭を撫でられてオルファリルも不承不承に頷く。アセリアは既に臨戦態勢を整え始めていた。

がさっ。悠人の言葉を待っていたかのように、草叢が揺れる。
「それじゃ……頼んだっ!」
現れたスピリット達がこちらを睨むのを合図として、悠人はだっと駆け出した。
「あっ、ユートさま…………もうっ!」
むくれたエスペリアの声を後ろに聞きながら、悠人は自分でも判らない焦燥感に襲われていた。
今行かないと、そんな、虫の知らせにも似た感情が悠人を急き立てていた。

「ぐ…………かは…………」
燻ぶっている背中を、レッドスピリットがつまらなそうに見つめていた。
神剣魔法――インフェルノの放射時間がぎりぎりの所で終了したとはいえ、
既にファーレーンは戦闘継続が不可能なまでに追い込まれていた。
ニムントールを庇う為に晒した背中は灼かれ、ウイングハイロゥを失っている。
その際踏み込んだ右足は、根こそぎマナを奪われたまま動かない。
衝撃で屋根から落下した時に兜は弾き飛ばされ、打ち付けた全身の骨が軋んだ音を立て。
大量に体内に侵入した熱が暴れ回り、朦朧とした意識を激痛でずだずだに引き裂いていた。
幸いにして右足以外身体的には深刻なダメージが無いものの、当分動けそうもない。

「ニ、ニム…………?」
霞んだ視界の先、辛うじて見えるのは、からん、と放り投げられた『曙光』のみ。
求める妹の姿だけが、捉える事が出来ない。
「ニム…………ニム…………」
探るように伸ばし彷徨う手が『曙光』に届きそうになった時。
がしゃっ!
「あ…………」
「……………………」
偶然なのか、いつの間にか近づいたレッドスピリットが、あらぬ方角を見つめたままでそれを蹴った。

――『月光』を握る手に力が入らない。
どうやらこちらに興味を失っている敵に、反撃できない自分が悔しかった。

「うわっ!…………な、なんだ?!」
街の門に飛び込んだ悠人は、いきなり空から落下してきた物体と遭遇し、慌てて手を伸ばした。
どすん。
「ぐ、お…………くあ…………」
反射的に受け止めた腕と重力加速度を逃がそうとする足がじーん、と痺れる。
落とさないように歯を食いしばりながら、悠人は暫くの間、体をくの字に屈めて衝撃に耐えた。
「く~~~~…………ふぅ…………ん?」
ようやく落ち着き、軽く膝を折りつつ改めて腕の中を確認する。
短く切りそろえたクロムグリーンの髪の毛。前髪に隠れた少し幼そうな面影。
気絶しているのだろうか、やや釣り目がちな目元は今は閉じられている。長い睫毛だけが時折ぴくっと動いた。
腕にすっぽりと収まっている小柄な躰から伝わる予想外に柔らかい温もり。
しかしなによりその戦闘服には見覚えがあった。
「女の子……ラキオスの…………スピリットか?」
悠人は呟きながら、少女をそっと地面に横たわらせた。

「ん…………んん…………」
どうやら外傷が無いらしい事を確認して安心した悠人に、うっすらと半開きの口から漏れた声が聞こえた。
「お、気がついたか?」
「んぁ……ニム…………一体…………」
「ああ、どうやらあそこから落ちたらしいな。どうだ、どこも痛い所は無いか?」
顎をしゃくりながら建物を指す悠人。呼びかけに、半分虚ろな瞳がゆっくりと頷いた。
「ん、ニムは大丈夫……お姉ちゃんが助けてくれたから…………お、姉ちゃん?!!」

がばっ!緑柚色の目がみるみる大きく見開いたかと思うと、その表情に驚きの色が広がる。
勢い良く起き上がった少女の変化の激しさに、悠人は思わず身構えた。
「な、なんだ、どうした!?」
「お姉ちゃんっ!お姉ちゃんがっ!…………って、誰?」
今度は一転不審そうに目を細め、見上げて詰問するように覗き込んでくる髪の毛と同じ色の瞳。
そのハイロゥリングがやや輝きを増したのを見て、悠人は何故か狼狽しながら答え、尋ね返していた。
「あ、ああ、俺は悠人、高嶺悠人だ。ラキオスの、一応エトランジェって事になってる。
 君は……ラキオスのスピリット、だよな?…………それで、お姉ちゃんがどうのって……うわっ!」
悠人の答えにぽかんと口を開いたまま聞いていた少女は、急に悠人の手を取るなり駆け出していた。