朔望

夜想 E

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒みっつの日~§

肩に回して支えていた手に、ぎゅっと力が入る。
目の前で舞い上がった朱色の砂塵が風に流れ、徐々に開けてくる視界。
庇うように背を向け、やがて収まった熱を感じながらその中心を見つめる。
影が、二つ。
片や、振り下ろしたばかりの剣が、溢れるばかりの緑色に満ち。
片や、打ち破られた炎の壁の向こう、立ち込める血煙の中で、片腕を失っていた。

「凄い…………」
お姉ちゃんでさえ、避わす事も難しかった敵の神剣魔法。
それを彼――ユートは、力で「捩じ伏せて」しまった。
技量でも、策でもなく。そこにあるのは、ただ、「絶対的な位の差」だけ。
――永遠神剣第四位、『求め』。伝説の四聖剣のうちの一本。
そしてそれを振るうべく、別の世界から現れるというエトランジェ。

その隔絶した強さを目の当たりにして、ニムントールはもう一度、凄い、と呟いていた。

「…………!」
ふと、隻腕のスピリットがゆらり、と動いた。
(エトランジェ――ユートはまさか……気づいていない?)
神剣を振り切った反動からか、動きの止まった悠人に、敵が何かをしようとしている。

ニムントールは咄嗟に落ちていた『曙光』を握り、ハイロゥリングを開放し始めた。
「マナよ、神剣の主、ニムントールが命じる…………」
間に合え、そう念じながら。

体の感覚が少しづつ回復するにつれ、体を駆け巡っていた熱の暴走も収まってきた。
特殊な呼吸法により、僅かに残ったマナを総動員して『月光』を呼び起こす。
完全に「喰われた」右足はグリーンスピリットの回復魔法が必要だが、
それ以外は戦いにおいて、傷と呼べるほどのものではなかった。
問題は、今の精神力とマナで、『月光』を制御出来るか、という事。

――永遠神剣第六位、『月光』。
ラキオスのスピリットでも上位に位置するこの剣は、
使いこなせばその威力は例えば同じブラックスピリットであるヘリオンの持つ
永遠神剣第九位『失望』などとは比較にならないほど強力である。
同じ第六位の神剣を持つ『赤光』のヒミカ、『大樹』のハリオン。
この二人もだが、本気で戦えば、今は主力部隊に属している『存在』のアセリア、
『献身』のエスペリア、『理念』のオルファリル達にも充分勝ちうる。
アセリア達が主力で動いているのは、単にタイミングの問題にすぎない。
ヒミカやハリオンが『熱病』のセリアを助けて次世代の育成に努め、
自分が情報部に属した後にエトランジェ――ユートさまが現れた、ただ、それだけ。
でも、もちろんそれゆえの干渉もまた、比較にならない。
油断すれば、すぐに精神――マインドを削られる。『殺せ』、『奪え』と。
実際今も、あのレッドスピリットを「殺したくてしょうがない」のだ。

(……でもっ)
嫌な予感。
敵の片腕は無くなり、一方多少服が焼けてはいるものの、悠人にダメージは無い。
既に勝敗は決していると思われるその瞬間、
ファーレーンは「残った利き足」を大きく弾ませて、二人の間に飛び込んでいった。

渾身の、一撃。
援護も無しで飛び込み、間歇泉の様に吹き上がった炎を抵抗力だけで凌ぎ、
限界寸前のところで繰り出した剣は、確かに手ごたえを伝えてきた。
少女の左腕が独楽のように舞い上がり、その鮮血を浴び、
勢いは止まらず『求め』はざっくりと地面に突き刺さった。
ぎん、と手に強い痺れが走る。しかし悠人はそれを感じる“ゆとり”が無かった。

『委ねよ、その身を…………』
キィィィィィン――――
「ぐ、おおおおおおっ!!」
無理矢理に引き出したレジストの代償を、ひっきりなしに要求してくる『求め』の干渉。
一瞬で背筋に寒気が走り、ひび割れるような頭痛が脳天に響く。
思わずよろめいたその時。足が、鈍い痛みと共に掬われた。

「っ……がっ!」
最早致命傷ともいえる傷を負ったレッドスピリットがその身に残る力を振り絞って、
斬られた直後に足払いをかけたのだ。
気を逸らしていた悠人はひとたまりもなくどさっ、と仰向けに倒され、
「……くっ!しまった!」
起き上がろうとした目の前に、今まさに神剣を振り下ろそうとしている少女が立ち塞がった。

少女の神剣は、決して鋭い刃先があるというものではない。
むしろ棍棒に近いその形状は、斬る、というよりは神剣魔法を放出する際に、
いわば補助として使うのに適した形状のものである。
しかし双剣型のその重心は当然両端にあり、スピリットの力で振り下ろせば硬度に遠心力が加わり、
地面に小規模のクレーターを作れる位の威力は充分にある。
そして今その標的は、寸分狂わず悠人の頭に向けられていた。
「はぁぁっ!」
気合を叫ぶ口元から血を滴らせたまま、倒れこむようにその神剣を振るう少女。
炎の余韻を未だ纏い、唸りを上げて振り下ろされる神剣が動けない悠人の眼前に迫った。

がっ、ぎぃぃぃぃん…………

一瞬。
二人の間を割ってファーレーンが飛び込み、少女の攻撃を『月光』の刃で受け止める。
打ち込みの威力は絶大で、『月光』の刀身を削りつつ軌道を変え、
それでもなお身軽なファーレーンを圧し潰そうとする。
「く……はぁっ!」
「っ!?…………ファーレーン!!」
水平に受けていた『月光』を、ファーレーンは咄嗟に地面に突き刺した。
土を抉りつつ後退する刃先を懸命に押さえ、そこを支点に刃を返す。
力を逃がされ捻られたレッドスピリットの神剣は『月光』をがりがりと削りながら、
どうん、と鈍い爆発音と共に、ようやく地面に激突した。

「あぅっ!」
「……っあぶないっ!」
力を使い果たしたファーレーンが衝撃で吹き飛ばされる。
悠人はそれを左手で受け止めつつ、残った右手で更に『求め』を振るおうとした。
既に、頭痛は無い。
ファーレーンが危ないと感じた時、悠人にはそんな事を気にするゆとりが無くなった。
しかし先程のダメージの為か、
「くそっ!動けよ、このバカ剣!」
ぶるぶると震える腕を持ち上げようとしても、悠人の腕には力が入らない。

「ウインドウィスパっ!」
その時、ニムントールの詠唱魔法がぎりぎり完成する。
たちまち『求め』が緑の光に包まれ、悠人の、そしてファーレーンの力が僅かとはいえ回復した。

「ニムっ!」
「うぉぉぉぉっ!」
二人は倒れたまま、同時に神剣を繰り出していた。
横殴りに飛んでくる『求め』と、下から跳ね上がる『月光』。
最後の一撃を避わされ、最早死に体のレッドスピリットにそれらを避ける術は無かった。

吹き飛ばされた頭部と両手を失った胴部は、それぞれ金色のマナになって消えていった。