朔望

夜想 Ⅹ

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒みっつの日~§

全員が揃ったダラムの街で、悠人達は小休止を兼ねて、これからの作戦を練っていた。
もっとも作戦といってもここから先は一本道の上、こちらには一刻の猶予も無い。
あとはただひたすら街道を駆け抜け、イースペリアのエーテル変換施設を停止させる。それだけだ。
「もう、ユートさまに何かあったらわたくしは…………」
少し離れた所で、ファーレーンが『大樹』のハリオンに神剣魔法を掛けられている。
いつも穏かな彼女は、その性格にふさわしく優秀なグリーンスピリットである。
岩場に腰を下ろし、足を差し出すファーレーンに緑色のマナを送り込みながら、
「あらあらファーレーンさん、暫く見ない間にこんなにボロボロになって~。めっめっですよ~」
などと天然でからかっている。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいハリオン」
そしてそれを真に受けて、ぺこぺこと頭を下げているファーレーン。
何となく微笑ましいその光景を見ていると、ふいに顔を上げた彼女と目が合う。悠人は軽く手を振ってみた。
とたんぱーっと頬を染め、慌てて手を振り返そうとしてバランスを崩し、
「きゃっ!」
座っていた岩場から滑り落ちて、尻餅をついてしまう。
「……………………」
「痛った~い…………」
「何してんのお姉ちゃん……」
「あらあら~。じっとしてないと、いつまでも治りませんよ~?」
「なっ、何でも無いのごめんなさいごめんなさい……」
「…………ぷっ」
涙目になって謝っている姿を見ながら、悠人は笑いを噛み殺していた。
ファーレーンって意外とドジなんだな、などと新鮮に思いつつ。

ぐきっ!と急に首を捻られる。
「ぐぉっ」
「ユートさま、どこを見ていらっしゃるのですか?わたくしの話、ちゃんと聞いていらっしゃいました?」
見ると、両手を悠人の頬に添えたまま、不機嫌そうなエスペリアの顔がむ~と至近距離で睨んでいる。
悠人は自分も回復魔法を受けている事を、すっかり失念していた。

 ―――――――――

……見られましたよね。はぁ、よりにもよってユートさまの前で……。
恥ずかしい。熱く火照る顔を感じる。自分が、彼を意識しているのがわかる。

どうしてだろう。
エスペリアが彼に接近しただけで、どうしてわたしはちらちらと、
そちらを盗み見るような事をしているのだろう。
どうしてこんなに見つめ合う二人が気になるのだろう。
「他人」をこんなに気にした事など、今まで一度も無かった。
なんだか、そちらを見ると胸が痛い。どうにも焦ってしまう。
この感情は、何?どうして、こんな気持ちになっているのかしら…………

あ、エスペリアがユートさまから離れました。
真剣な表情で、どうやら作戦について話し合っているようですね。

――――あれ?おかしい……なんだか胸の痞(つか)えが取れたみたい…………

「はい、終わりました~」
「あ、は、はい!ハリオン、ありがとうございます!」

 ―――――――――

頬を少し膨らませ、拗ねたようなエスペリア。
琥珀色に潤んだ大きな瞳がじっと無言のままこちらを覗き込んでくる。
……傍目から見れば、いい雰囲気に見えるのかもしれないな。
そう、この頬にぎりぎりと感じる圧力さえ無かったら。

さて、どうしたものか。
「あ、ああ、ちゃんと聞いてるよ、エスペリア。えっと…………」
しまった。いきなり詰まるような、“口から出任せ”だ。
「……………………」
う。絶対続きを待ってるよな、この目。
気のせいか、皆の視線がこちらに集中しているような気もするし。
だったら見てないで助けてくれ。少しずつ離れなくていいから。
「あ~その……イースペリアの事、だろ?」
「え……?あ、はい……その、通りです…………」
急に頬から圧迫感が消える。当てずっぽうだが、どうやら間違ってはいなかった様だ。
…………気のせいか少し元気が無いのは、判らないけどやっぱり俺が悪いんだろうか。
「あのさ、エスペリア……」
「ユートさま、これから先は一本道ですが、なおのこと伏兵への警戒は怠れません……」
「え?あ、ああ……」

急に真面目な口調で説明を始めるエスペリアに、悠人は口を挟めなかった。

エトスム山脈を正面に、イースペリアを目指し、真っ直ぐに街道を進む。
途中小規模な襲撃に遭ったが、向こうに戦意がないのかあっけなく撃退出来た。
やがて、真っ白な城の全容が見えてくる。小高い丘の上から見下ろすとそれは精巧な模型の様にも見えた。

「なんだ、あれは…………」
悠人は呟いた。その視線は城自体より、やや上を睨んでいる。
突き抜けるような青空の、その上空だけが、紫色の雲に覆われていた。
時々雷のような音が響き、放電が街に降り注ぐ。どぉん、という破壊音が木霊のようにここまで届く。

「イースペリア中のマナが集められた空間に収まりきれないのです」
いつの間にか横に立っていたファーレーンが、城を見つめながらそう説明した。
ゆっくりとこちらを向く瞳に、強い決意の光が籠められている。
「ユートさま、一刻の猶予もありません。先にお進み下さい」
「ああ、そうだな…………え?」
ファーレーンの言い方に違和感を感じた悠人が問いかけると、
「申し訳ありません、ここからわたしは別行動を取らせて頂きます…………ニムをお願いしますね」
そう言ってファーレーンは優しく微笑んだ。誰にも見られないように、きゅっと軽く悠人の手を握って。