朔望

奏鳴 Ⅰ

 §~聖ヨト暦330年スリハの月黒みっつの日~§

もう、飽きるほど見てきた光景。それでも慣れる、などという事は無い。
そしていつも、二度とは見たくないと思っている光景。それがまた繰り返されている。
地響き。炸裂音。崩れ落ちる家並。燃え上がる木々。逃げ惑う人々。怒涛、異臭、悲鳴……
一瞬立ち竦んだ先は、狂乱と恐慌の渦。一国の首都とは思えない惨状を呈している。
「なんだよ、これ……」
無作為に降って来る雷が、逃げ遅れ、立ち止まる人々を一瞬で焼け焦がす。
建物を貫き、火柱を吹き上げる。地面に突き刺さり、地鳴りを呼び起こす。
もうこれは、「戦争」と呼べるようなものなんかじゃない。
以前テレビで見た、大震災の映像。それが今目の前にあった。
違うのは、これが天災では無く、人災であるという事。
それは紛れも無い「現実」で、もしかしたらこれを引き起こした要因の一つに
自分が巻き込まれている、そんな恐ろしい想像に押し潰されそうになる。

「ユートさま!」
「っ!」
悲鳴に、我に返る。同時にすぐそこでどぅんと、大地が裂けるような衝撃。
一瞬膨れ上がった空気が鉄塊のように焼けながら襲ってくる。
直後、飛んでくるのは様々な街の欠片。枝、岩、礫。
「くっ!」
『求め』の加護が無ければ、生身の人間にはとても耐えられない落雷という現象。
防げると判っていても、思わず顔を庇ってしまう。びりびりと、それでも風圧だけは感じながら。

やがて風も収まり、恐る恐る手を下ろす。ふと、肌色が目に止まった。
それは、巨大な岩の下からはみ出していた。逃げ遅れ、潰された幼い腕。
自らの赤に塗れて、それでもまだ何かを必死に掴もうとしていた。
「~~~~!!!」
胃の中がせり上がる感覚。悠人は声にならない叫びをあげていた。

イースペリアは、建国以来最大の混乱に覆われていた。

「これは……」
ファーレーンは逃げ惑う人波を摺り抜けながら、知らず呟いていた。
おかしい。破壊された街で遭遇するのは、イースペリアとサルドバルトのスピリットだけ。
加担しているはずの帝国スピリット達の影だけが見えない。
更にこれだけ城に接近しても、いやむしろ接近するほど敵の気配が少なくなる。
「やはり……」
ちらっと上空を窺う。そこに広がる、禍々しい暗雲。時折降り注ぐ紫電。
先程郊外で見た時から、気にはなっていた。そして今、それがほぼ確信に変わる。
『たとえ我が国が滅びようと……』
ロンドの森で遭遇したイースペリアのスピリットの言葉が蘇る。
あの時彼女は「滅びる」と言った。それがずっと引っかかっていた。それは、こういう意味なのか。
『……人のやることではありません』
恐らくレスティーナ皇女は気づいていた。だからこそ、自分に任じたのだ。
その「暴走」を止めるのではなく、その先にある「戦い」の為に。
これはもう、戦争と呼べるものじゃない。巨大な陰謀の、その結果に過ぎない。

ふと、彼の顔が浮かんだ。
混乱のどさくさで別れても良かったのだけれども、どうしても別行動になる事を伝えておきたかった。
そうしないと、彼はきっと心配してしまうから。殆ど面識の無い自分の様なスピリットに対してでさえも。
それに、ニムの事もある。彼になら託せそうな気がした。どこまでも優しそうな、あの背中になら。
今頃は、エーテル変換施設に向かっているのだろうか。
何も知らずに。この作戦を、ただの「救助活動」だと信じて疑わずに。
「…………急がなくては」
もう、時間が無い。今は自分の任務を果たす。後ろめたさはその後で感じればいいのだから。

城の入り口に、巨大な扉が見える。
ファーレーンは『月光』を抜き放ち、炎上しているその中へと飛び込んだ。

オルファ達に陽動を任せた悠人とエスペリア、アセリアはエーテル変換施設に侵入した。

「……おかしいです」
立ち止まったエスペリアが、訝しげに周囲を見渡す。アセリアと共に駆け出そうとした悠人は振り向いた。
「通常、エーテル変換施設は、最後の防衛線です。……にも関わらず、こんなに手薄などということは」
「正面にあれだけ敵がなだれ込んでいるんだ。 施設なんて、」
もう一度作ればいいと思ってるんじゃないのか、と告げる悠人をエスペリアが不安そうに見つめる。
「ですが……」
「話は後だ。 今は施設を止めないと、な」
「…………はい」
一刻も早く、この戦いを終わらせたい。そうしなければ、皆死んでしまう。
そんな焦燥に囚われていた悠人には、エスペリアの危惧を顧みるゆとりが無かった。
なおも納得がいかないという表情で胸元の手をぎゅっと握り締めるエスペリアを、
半ば引っ張るようにして悠人達は変換施設の中枢部に向かった。

「ここ……」
アセリアに導かれて辿り着いた場所。それは、巨大な遺跡のような部屋だった。
ほの蒼くぼんやりと輝く壁は何かの文様を刻まれたブロック体に覆われ、
その中央に、透明に光る巨大な正八面体の結晶が浮かび上がっていた。
「なんだ……これ…………!?」
そしてその水晶のような物体を、圧倒するように“剣”が斜めに貫いている。
鎖が絡んだ銀色の刀身は鈍く輝き、秘められた膨大なマナが周囲に漏れ始めて辺りに充溢していた。
部屋の隅に、とってつけたような不恰好な装置が取り付けられている。
耳に煩わしいぶぅんという稼動音が、この神秘的な部屋にはいかにも不釣合いだった。

「驚きましたか? これがエーテル変換施設の中心部。 永遠神剣……全ての変換施設の動力中枢です」
説明しながら機械の方へと歩み寄るエスペリア。悠人は黙って頷いた。

滅びつつある国というのは、こういうものなのだろうか。
首都の、それも城の内部を歩いているというのに、誰一人とも擦れ違わない。
もっとも擦れ違えばそれだけではすまないのでしょうけれど、
ファーレーンは廊下を歩きながら、そんな事を考えていた。
時折どおん、という遠い音。それにともなう微震。それを除けば静謐、といって差し支えが無い。
こつこつと、自分の足音だけが響く。薄暗い廊下を真っ直ぐに進めば王座の間があるはず。
方向からも、外からの侵入に対して必要以上に複雑な経路からも、間違いない。

それにしても、と思う。イースペリア女王に会って、そして自分はどうすればいいのだろう。
親書を携えている訳でもない。伝えるべき言葉を託されている訳でもない。
いや、もし携えていたとしても、この状況でそれを渡して、意味があるとも思えない…………

(…………っ!!)
ふいに、悪寒が走った。全身を包む、氷のような冷たい気配に戦慄が走る。
体中に、蛇が這い回るような感覚。動けないのに痺れの様な、五感だけが研ぎ澄まされるような。
支配しているのは、絶対的な死の予感。昏い、邪悪なものが侵食してくる。
覚えが、あった。それもつい最近。あれはそう、サルドバルトで出会った謎の敵…………

唐突に、気配が消えた。とたん体中の筋肉が弛緩して、その場に膝をつきそうになる。
ようやく呼吸をしていなかった事に気づき、大きく息を吸い込んだ。鼓動が激しい。汗が大量に流れる。
それでも今感じたことにまるで現実感が伴わない事に、ファーレーンは戸惑った。
通路の先をじっと見つめる。そこに何か不吉なものを感じながら。

小さな手帳を取り出したエスペリアが、しおりを挟んでいた箇所を確認している。
「でもこんな大きなもの、どうやって破壊するんだ?」
悠人はその背に向かって話しかけた。純粋な疑問が口についただけだった。
「マナ吸引装置を破壊させれば、マナの吸収が出来なくなり、全ての機能が停止します」
エスペリアが手帳をしまいながら、簡単に答える。しかしその内容はさっぱり理解出来なかった。
要するに、どこか重要な機能が失われればこの装置は止まる、そういった事なのだろう。
「……そのはずです」
自分の中で勝手に結論付けていると、エスペリアが小さく呟いたような気がした。
「え?」
思わず聞き返したが、しかし振り向いたエスペリアは厳しい口調で、
「ユートさま、アセリア、警戒をお願いします」
とその疑問を遮る。不安は残るが、信じるしか無かった。
「……わかったよ、気をつけて」
悠人はそう言って、入り口の方を見つめた。ありがとうございます、そんな声を背中に聞いて。

それにしても、と周囲を見渡す。この世界に来て、初めて見る“近代設備”。
そしてこの、永遠神剣。そのギャップから来るのだろうか、この違和感は。
ファンタズマゴリアというこの世界。その全体を覆う、なにかしっくりこないもの。

――『いずれファンタズマゴリアの趨勢は、与(あずか)り知れない者の手に委ねられている』

確かにこの世界は、「この世界によって創られたもの」には思えなかった。