朔望

volspiel -Ⅳ

 §~聖ヨト暦331年ルカモの月黒ひとつの日~§

「…………お兄、ちゃん?」
「どうしたのですか、カオリ」
「あ……ううん、なんでもありません。 ただ……なんだかお兄ちゃんの声が聞こえたような気がして」
読んでいた本を置き、カオリはそっと窓際に立った。
その不安そうな後姿を追うように、隣に並んで外を見る。良く晴れ渡り、欠けた月がはっきりと見えた。
「今頃、どうしてるんだろう……」

「…………」
その呟きに、答えることは出来ない。困惑が顔に出てしまったのか、カオリは慌てて手を振った。
「ううんううん、ただの独り言です、忘れてください……あ、下弦の月、キレイですね」
そうして誤魔化すように、月を指差す。その仕草に、私はふっと微笑んで見せた。
「カゲンノツキ……ハイペリアの言葉ですか?」
「あ、はい!えっと、月の形が毎日変わるさまに、私達の世界では名前をつけてあげてるんです」
あげている、という表現が面白かった。月を擬人化しているのだろうか。試しに訊いてみた。
「すると、すっかり姿が隠れている時にも呼び方はあるのですか?」
「ええ、その時は、新月っていいます。 「朔」とか、別の呼び方をしている国もありますけど。
 逆に丸く全部見えているのは満月って呼んでます。 そっちは他に、「望」とか、ええと…………」
「なるほど……では私は、シンゲツが好きです」
「? レスティーナ、王女さま……?」
「シンゲツは、全てを隠してくれるから……醜いものも辛い事も、何もかも平等に……」
不思議そうに覗き込んでくる瞳。私は必死で悟られないようにした。
こんなにも純粋で、もしかしたら自分も幼い頃に持っていたかもしれない心。
それを踏みにじり、生贄のように戦場へと送り込んでおきながら、平気で月などを眺めている自分。

「お兄ちゃん……」
いつの間にかまた空を見つめていたカオリが、そっと囁いた。
その呟きは、錐のように鋭く、そして逃れる事の決して出来ない痛みとなって胸を突き刺していた。