朔望

奏鳴 A

 §~聖ヨト暦331年ルカモの月黒ふたつの日~§

一旦バートバルトまで戻ってきた悠人達は、そこで仲間達と合流した。
知らせを受けた全員が集まったのは、もうすっかり日が傾いた頃。それだけ各方面に散らばっていた事になる。
悠人は申し訳なさで一杯だった。自分の油断が招いた事態。その事は良く理解していた。
「みんな、今回はすまんっ!」
言い訳もせず、このとおり、と皆の前で頭を下げる。批難の声が聞こえてくるのは覚悟の上だった。
「………………」
しかしどれだけ待っても、息遣い一つ聞こえてこない。
恐る恐る顔を上げてみると、輪からエスペリアがしずしずと前に出てくる所だった。
きっと唇を噛み締め、やや眉を顰め、無言で近づいてくる。そしてゆっくりと、悠人の眸を覗き込む。
こういう時、冷静な彼女が一番怖い。背中に冷や汗が流れるのを感じながら、悠人は覚悟を決めた。

「ごめん、エスペリア。……俺の勝手な行動で、迷惑をかけた」
「…………ユートさまは」
「……え?」
「ユートさまはっ! 御自分の立場というものが判っておられませんっ!」
エスペリアは、泣いていた。無くした筈の、悠人の白い羽織をぎゅっと両手で握り締めながら。
「どれだけわたくし達が心配したと…………! それを、“迷惑”だなどと…………」
語尾を濁らせたまま両肩を震わせ、俯いてしまう。見ると、皆が一様に頷いている。
その表情に籠められた深い、静かな怒り。その意味に、悠人は胸を打たれる思いがした。
本気で心配していたが故の怒り。それは、自分がいかに仲間達に、「大切」だと思われているかという事。
不謹慎ながらも心に暖かいものが流れてくる。こんな感情は、光陰や今日子に接した時以来忘れていたもの。
「本当に……すまなかった…………」
心からの、呟き。そして決心した。二度と、軽率な行動は取らない。大切な人を悲しませない、と。

ぽすっと胸に、軽く羽織を押し付けられる。
「……行ってあげてください。ファーレーンが、どうやら風邪を引いたようですから…………」
俯いたまま、何かを押し殺す様に両手を突き出したエスペリアが囁いた。

「ファー? 入るよ……」
軽くノックをした悠人は、静かに扉を開いた。
仮に設置された部屋は、どこか手狭だが、小さな窓からも充分な光が差し込んでくる。
風にた靡いて揺れている白いカーテン。中央にベッドが用意され、ファーレーンが布団に包まっていた。
「しーーー。お姉ちゃん、今寝たとこなんだから」
横で看病していたニムントールが指を立て、悠人を睨みつけていた。

こくこくと頷き、その隣に腰を下ろす。
監視しているようなニムントールの鋭い視線を気にしつつ、悠人はファーレーンの様子を窺ってみた。
すうすうと静かな寝息を立て、長い睫毛をじっと閉じている。
時折ニムントールが拭いてやっているのだろう、今は汗を掻いている様子も無い。
呼吸も穏かで、どうやらそんなに酷い風邪でもないようだった。
それでも恐らくは、自分が伝染したのだろう、そう思うと呟きが漏れる。
「ばか、だな…………」
こんな俺を助ける為に、そんな意味を篭めたつもりだったが、耳聡く聞いていたニムントールが激しく反応した。
「バカって何よっ! ユートの方がバカじゃないっ!」
「わ、ばか、しーーーっ!」
「う、う~~ん…………」
眉を顰めたファーレーンに、二人は一瞬顔を見合わせ、そして気まずそうに沈黙した。

(バカってなによ、バカっ!)
がすっ。いきなり肘鉄が、悠人の脇腹に決まる。
(いてっ! ニムが大声出すからだろっ!)
(先にユートがお姉ちゃんをバカにするからじゃないっ! っていうか、ニムって呼ぶなっ!)
がすがすっ。
(ぐぉっ! やめろって、ファーが起きちまうだろっ!)
(~~~っ!! お姉ちゃんのこと、ファーなんて呼ぶなっ!)
がすがすがすっ。
(あたたたっ!……あれ? そういえば、なんでだろ……まあいいか、呼びやすいし)
(いい訳ないでしょっ!)
ごきんっ。
(ごっ! ニ、ニム、『曙光』は反則…………ってうわわっ)
(ニムってい~う~な~っっ!!!)

「…………ニム、何をしてるの?」
「「へ?」」
白刃取りで受けた『曙光』を差し挟んで睨み合ったところで、ベッドの方から声がかかる。
固まり、恐る恐る横を向いた二人に、すっかり目を覚ましたファーレーンが不思議そうな顔を向けていた。

「全くもう……だめですよニム、ユートさまに『曙光』を振り回したりしたら」
弱々しく、それでも姉としての威厳を保ちながら、ファーレーンが嗜める。
突っ込みどころはそこかい、と思いながらも悠人は黙ってそれを見ていた。
しょんぼりと俯いたニムントールが、それでも反撃を試みる。
「だってユートがお姉ちゃんのこと、ファーって…………」
「ニム、ユートさまを呼び捨てにしちゃいけません、って言ったでしょう?」
「う…………」
あっさり返され、言葉を失うニムントール。普段からは考えられない程従順な態度に、悠人は感心した。
とはいえ、この場は自分も悪い所があるし、とニムントールのフォローに回る。
「まあまあ、俺もニムとかファーとか呼んでるし……あ、嫌か?」
途中で気づき、本人に訊ねる。するとシーツを顔まで上げたファーレーンは、小さく恥ずかしげに
「いいえ……その、呼びやすい方で、構いません……」
蚊の鳴くような声で呟いた。とたんニムントールがぷ~、と頬を膨らませる。
「却下っ! そんなのズル………………ユート、お姉ちゃんに馴れ馴れし過ぎっ!!」

その様子がよほど可笑しかったのか、じゃあ、とファーレーンが提案する。
「じゃあ、ニムもユートさまをちゃんとお呼び出来るのね?」
「う……で、出来るもんっ! ユ……ユー…………」
「お、おい無理しなくても、俺は別に構わないって」
「う~~~~~っ!」

がたっ。

突然ニムントールは立ち上がった。
「お水汲んでくるっ! ふ、ふんっ! ユート、暫くお姉ちゃんを看ててっ! ちゃんと看てないと許さないからっ」
そう捨て台詞を残し、ばたばたと走り出す。一度入り口でけつまずいてお下げが跳ね上がった。
バランスを崩しながらもそのまま駆け去るうなじが真っ赤に染まっている。
そんなニムントールの慌てっぷりを見送った悠人とファーレーンは、お互いを見合ってくすくすと笑いあった。

「その、ごめんな。なんかファーに伝染しちまったみたいで……」
「そんな、わたしこそこんな、わざわざユートさまに来て頂いて何のお構いも無しで……」
慌しい気配が遠ざかった後、二人は静かに話し始めた。
「いや俺が…………」
「いいえ、わたしが…………」
ぺこぺこと、頭を下げ合う二人。ややあって、どちらからともなくぷっと吹き出す。
「はは……元気そうで、安心した」
「はい……ユートさまも」

当たり障りの無いやり取り。ほっとした悠人はふいに真剣な表情になった。
「あの時、俺、『求め』に飲まれかけてた……ファーにも酷い事、したよな……」
「あ…………」
言われて頭に浮かぶ、あの夜。一瞬にして顔を真っ赤にしたファーレーンは頭までシーツを被った。