朔望

奏鳴 E

 §~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§

「ね、お兄ちゃん。お嫁さんにするなら、誰?」
「ぶふぅっ!!」
突然の質問に、ルクゥテとクールハテのブレンドを勢い良く噴し出していた。
どういう話の流れでそうなったのかは判らない。しかし今、そんな事を訊かれるとは思ってもいなかった。
「きゃっ! もぅお兄ちゃん汚いなぁ。んしょ……」
「そんな事言ったって……けほけほ、佳織がおかしな質問するからだろ?」
「そんなことないよ~、みんな綺麗だし。お兄ちゃん、本当に誰にも興味ないの?」
テーブルを拭きながら、きらきらした目で畳み掛けてくる。本当に女の子ってこういう話、好きだなぁ……。
「う~んいきなり嫁さんって言ってもなぁ。考えたこともないし」
「本当に?みんなとってもいい人たちなのに?」
「いい人っていうか、そういう問題じゃないよ。なんていうか、こんな状態で考えられないだろ?」
「え~。そうかなぁ…………」

「本当に? 本当に誰もいないの?」
「そうだな、あっちの世界に戻れたら、考えるのかもな」
「え~、それじゃ遅いよぉ」
俺の答えに、いかにも不服そうに呟く佳織。一体なにが遅いというのだろうか。
でも、佳織の言いたい事も判る。本当は一瞬思い浮かべた顔があったが、黙っておいた。
考えたこともなかったけど…………。ちょっとおっちょこちょいで、それでいてしっかりとお姉さんで。
大人びてると思ったら子供っぽい一面も見せるし。楽しく支えあうそんな家庭……ってなに考えてるんだ。
妄想を必死に振り払っていると、何かを思いついたらしい佳織の第二撃が俺を襲った。
「それじゃあさぁ…………ファーレーンさん、とか」
「ぶふぅっ!!」
「あ~、お兄ちゃんお顔真っ赤だよ~。図星なんだね~」
「ば、ばかっ! 佳織がいきなり変なコト言い出すから……」
「照れない照れない~。ファーレーンさん素敵だし、きっといいお嫁さんになるよ。よかったね、お兄ちゃん」
「だから俺は…………」
文句を言いかけて、やめた。口に手を当てて、楽しそうな顔。それに釣られて、俺も笑ってしまったから。

「ねぇお姉ちゃん、最近ユートとはどうなの?」
「………………!!!」
いつもの、午後のお茶。突然の質問に、思わずシナニィとハシバスのお茶を噴き出しそうになった。
どういう話の流れでそうなったのかは判らない。だけど今、そんな事を訊かれるなんて。
「けほけほ……ななな……何を言い出すの? ニム」
「…………お姉ちゃん、何でテーブル拭いてるの?」
「何でって……あ…………」
動揺して吹いてもいないのにテーブルに布巾を走らせていることに気づいた。顔が熱い。なんとか誤魔化さないと。
「どどどどうって……普通ですよ。ふつー」
「……お姉ちゃん判り易過ぎ。どもってるし、棒読みだし。それと赤面症、治そうね」
「うう~……」
「最近毎晩どこかに出かけてるよね、ニム知ってるんだから」
「う゛ううう~…………はぁ。実は…………」
気づかれていた。部屋を抜け出しては『陽溜まりの樹』でユートさまとお話をしていることを。
観念して、今までの経緯をニムに話すことにする。もちろん、情報部に属することは省いて。
「――――という訳です」
「ふ~ん、なるほどって……それだけ?」
「~~~~ルゥ……」
改めて話してみると、恥ずかしい。兜が手元に見つからないのが恨めしかった。赤面症、治さなきゃ……。
「それで? お姉ちゃんはどうしたいの?」
「え…………?」
突然の問いかけに、思わずぽかん、と口を開けてしまった。目の前に、ニムの不思議そうな様子。
そこに、先日のカオリさまの言葉が重なり、心の中に何か違う感覚が芽生えた。
いや、正確には思い出された。ニムを守ると決めた時。その時と同じ。
自分の想いはユートさまを守りたい……いや、一緒に居たいという事なのではないだろうか。
「…………お姉ちゃん?」
思わぬ考えに耽って黙り込んでしまった時。

 ――――カーン!カーン!カーン…………
「「っ!」」
わたし達は、同時に立ち上がっていた。

「逃げちゃおうよ……」
小さな囁きに、心が揺らいだ。神剣を握り、戦い続ける。それがこの国で求められていることならば。
佳織と二人、逃げ出すのも一つの方法なのかも知れない。どこか遠くで、二人だけで生きていく。
それは、元々俺が望んでいた形。――それでも今の俺には、それに頷くことが出来なかった。

 ――――ユートくん、この国、嫌い?

仲間が、いる。大切なものも、このラキオスに。もう、沢山。共に戦ってきた、スピリット達。
彼女達に、生きて欲しい。剣を取らずに済めばいいと願うのは、もう自分だけでは無かった。

「私、ね……お兄ちゃんがいてくれれば……ずっと一緒なら、他は何もいらないから……」
まっすぐに、決意を篭めた眼差し。潤んだ瞳は、まるで別人のように「強い」女の子だった。
応えることが出来ずに、顔を背ける。戸惑い、固まってしまった口からは、何も出てこなかった。

カーン!カーン!カーン!…………

気まずい沈黙を破るように、突然の警鐘。鳴り響く鋭い金属音が、俺達を現実に戻した。
「侵入者?! まさか、こんな明るいうちから!」
「お、お兄ちゃん! この音って……」
心細そうに震える肩をそっと抱き抱えながら、『求め』に意識を集中する。
どうやら相当数の、しかも強力な敵が入り込んでいるようだった。
「…………城か!」
立てかけてあった『求め』を握り締め、椅子から立ち上がる。
「お兄ちゃん、行くの?…………やだよ…………」
裾をギュッと握り締める佳織は、まるで二度と会えないかのような不安そうな瞳だった。
俺はくしゃっとその髪を撫でながら、殊更に明るい声で、
「大丈夫だ。佳織は地下室に入っていろ……任せろって、俺は佳織の保護者だぜ?」
にっ、と笑って見せ、まだ手を離さない佳織をやや強引に引き離し、部屋を飛び出した。
「絶対に帰ってくる。そうだな、帰ってきたら特製のナポリタン作ってやるからさ」
「…………約束だよ。ぜったいに、帰ってきてね」
小さく呟く声を背中に聞きながら、俺は腕だけを上げて答え、そして駆け出した。

きぃぃぃぃぃん…………

城の門をくぐった所で、『月光』が悲鳴を上げる。近づく敵の気配。
「ニムはここに残って周囲を警戒して!」
「あっ! お姉ちゃ…………!!」
後方で叫んでいるニムントールに返事をする暇が無い。
駆けながら、ファーレーンは『月光』を通して敵の数を探ろうとした。
マナが点滅するように、頭の中で白く輝く感覚。スート。ラート。モート…………

「!!!」
ぎっ、と唇を噛んで耐えた。いきなりホワイトアウトした視界から。
必死で『月光』から意識を逸らす。一瞬呼吸が出来無かった。
「なっ…………まさか…………」
いつもは明滅する程度。敵の力が大きければ、小さな灯火として認識出来た。それが。
戦慄するほど一際輝く白い光が意識の中で膨れ上がり、爆発しそうになったのだ。
覚えが、あった。それも、二度。一度はサルドバルト。そしてイースペリア。そして今、ここにも。
『月光』に力を籠め直す。とたん、目に届かない筈の光景が、瞼の奥に広がる。

きっ、と見上げたファーレーンは、そこに開放されている空間を見つけ、咄嗟に肩口に意識を向けた。
瞬時に広がるウイングハイロゥ。とん、と軽く地面を蹴るだけで、一気に体が加速する。
急速に近づく、レスティーナの気配。踊りこんだ城の最上部。そうして転がり飛び込んだ先――――

「よ、余は……手に……入れる……せ、世界……チカラ…………」
冷たく無表情な空気が支配する玉座の前。闇の中でも判るほど、辺りは血の匂いで充満していた。
全てが凍りついた世界に、金色のマナがその最後の輝きを所々で煌かせている。
恐らくは侵入したスピリット達なのであろう。倒れ、消え逝く体に纏うのは三首蛇を印した戦闘服。
静寂の海に住む神の紋章が、ファーレーンの足元でハイペリアへと駆け登ろうとしていた。

「なんて、ことを…………」
ファーレーンは、呟いていた。視線がある一点で、動かせなくなる。
豊かな髭の隙間から泡を飛ばし、何かを呟くルーグゥ王の、その足元。
視線の先で、マナにも還らずじっと蹲っているモノ。その気配に、覚えがあった。

「貴方が……殺したのですか……王妃を」
「ん~~~?」
赤く血走らせながら漂う虚ろな瞳。その声に、ファーレーンは確信した。王は神剣に飲まれてしまっている。
『月光』を、左手に持ち替えた。鞘に収めながら、ゆっくりと前傾姿勢に移行する。
全力を開放しなければ、勝ち目は無かった。吹き出る汗が、神剣の気配が、それを教えた。

「貴方が…………」
もう一度訊ねずにはいられなかった。
「…………このように、変えたのですか?」   
ファーレーンは、掠れる声を懸命に振り絞った。王の背後に・・・・・立っている、得体の知れぬ「何か」に向けて。