§~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§
ファーレーンが去った後、二つの死骸を虚ろな瞳で眺めながら、レスティーナは決断を迫られていた。
「ちゃんと……ちゃんとしなくちゃ…………」
頭の中を、現在の状況が様々な情報となってぐるぐると回る。その混沌を、纏める時間は僅かしかなかった。
ばたばたと、廊下を駆けてくる足音。飛び込んできた兵士が、びっと直立したまま叫ぶ。
「御無事でしたかレスティーナ皇女!……え……あ…………」
部屋の惨状を確認し、動揺して言葉を失うその兵士に、レスティーナは毅然として立ち上がった。
「報告を!」
「は……はっ! 敵は、帝国のスピリット、現在妖精の第一詰所に向かって逃走中でありますっ!」
「帝国、帝国ですか……。判りました、兵達は続けて城の警戒に。スピリット達を詰所に向かわせよ。
父と母の……“仇”を討たねばなりません! わたくしが指揮を執ります、そのように伝えよっ!」
レスティーナは懸命に震える手を抑えていた。状況を政治的に利用する、その罪悪感に押し潰されないように。
「行きなさいっ!」
「は、はっ!」
絞り出した悲鳴のような指示に、ばたばたと駆け去る兵士。
その後姿を見送りながら、レスティーナは呟いていた。
「アズマリア……父様、母様…………許して頂けますか…………?」
がらんとした部屋に、答えも無く吸い込まれていく。
目に映るのは、床に敷かれた絨毯だけ。血に混じった赤い絨毯。
その鮮やかさが、後戻りの出来ない赤い道だけをただ示しているようにも思えた。
遅れて謁見の間に辿り着いたエスペリアとオルファリルは数人の敵を切り伏せた後、
それが帝国のスピリットだと確認した。消えていく戦闘服に三首蛇の紋章があった。
「サーギオス…………狙いは一体…………」
エスペリアの事務的な呟きに、オルファリルが答える。
「ここの敵さん、弱かったね~」
呑気そうにこんこんと『理念』を床に鳴らすオルファリルをよそに、エスペリアは考え込んだ。
確かに、弱かった。どうやってここまで潜入したのか。それとも…………陽動?
『献身』に力を集中させる。エーテル変換施設のある、城の地下にはもうスピリットの気配はない。
というよりも、先程からどんどん潜入した敵の気配が微弱になっていく。
どこに向かったのか。他に敵が狙う、重要な拠点…………
「エスペリアっ! オルファっ!」
突然の声に、思考が中断される。駆け込んできたのは悠人とアセリアだった。
「ユートさま!」
「パパっ!」
お互いに無事を確認しあう。ほっとした空気もつかの間、不思議そうに悠人が呟いていた。
「おかしいな……最初に感じた戦力より少ない。どういうことだ?」
先程から思っていた事を指摘され、エスペリアは困惑した。首を傾げ、呟く。
「ダメです……神剣の気配がわかりません。何かの妨害なのでしょうか」
そのまま、全員が黙り込む。一瞬の沈黙を破ったのは、殊更に明るい調子のオルファリルの声。
「もしかして、オルファたちじゃなくて、王様たちを狙ってたりして」
「「……っ!!」」
冗談の様な口調に、三人は凍りついた。悠人とエスペリアが、同時にお互いの顔を見合す。
事態を把握したのか、アセリアは既にウイングハイロゥを羽ばたかせている。
「王たちの寝所は確か上だよな?!」
「はい! 急ぎましょう!」
「え!? え~、どうして?」
駆け出す3人を、遅れたオルファリルが慌てて追いかけていた。
城を出たファーレーンは、そこで敵のスピリットと対峙しているニムントールに駆け寄った。
相手は手負いらしく、ニムントールの稚拙な攻撃を懸命に防いでいる。
「ニムっ! どいてっ!」
「お姉ちゃんっ!」
声に応じたニムントールが一度『曙光』を振り切り、体勢を崩したブルースピリットから身を避わす。
開いた懐に殺到したファーレーンは、息もつかせずその脇腹を切り裂き、そして首を刎ねた。
マナに還るのを確認し、やや荒い息を整えて振り向く。思わぬ迫力に、ニムントールは訊ねていた。
「ど、どうしたのお姉ちゃん…………」
「ニム、お願い。すぐに王の間に。そこでレスティーナ“陛下”をお守りして」
「え? え?」
「早くっ!」
「う、うんっ!」
首を捻りながら慌てて駆け出すニムントール。ファーレーンには、妹を気遣う余裕が無かった。
この混乱の中、一番怖いのは帝国のスピリットではない。ルーグゥ派の重臣達。彼らがどう動くか判らない。
まさかとは思うが、警戒するに越した事は無かった。これからレスティーナが為す事を思えば。
「ニム、頼みます…………」
一度後方を確認して、ウイングハイロゥを広げる。『月光』を鞘に収め、飛び出した。
「敵は…………第一詰所…………カオリさま!?」
一際大きく点滅する気配。森の枝を跳ね上げながら、何故、そんな疑問が頭をよぎった。
駆け上がった最上階は、地獄だった。
以前、佳織が監禁されていた階層。その廊下は、兵達の死骸で埋まっていた。
「スピリットが……殺したのか…………?」
壁も床も、真っ赤に染まっている。飛び散った血の跡は、どれだけ待ってもマナに還る事は無い。
まるで壊れた人形のように壁に叩きつけられ、潰れている人だったモノ。頭を吹き飛ばされ、動かない体。
臭酸を極めるその光景が、悠人にはどうしても受け入れる事が出来なかった。
スピリットには、人は殺せない。そんな認識が、今更のように甘かった事を思い知らされる。
エスペリアが呟く。
「人に対して殺意を持ったことは……殆どありません。でも」
苦しげに口元に手を当てながら、歯切れの悪い口調で。
「でも本当は、殺意……というものが、実感できません……と思い、ます」
「…………そういう風に訓練されたスピリットなら、人を簡単に殺せるってことか…………」
怒りが、ふつふつと心の中に湧いてくる。一体誰が、そんなスピリットを。
戦争の道具。そう認識している敵の思惑が、手に取るように窺えた。悠人は拳を握り締めた。
「ぐ……っ…………」
「!」
呻き声が、聞こえた。王の寝所の前。蹲っている兵の一人が、身じろぎした。
「大丈夫か、しっかりしろっ!」
まだ、生きている。悠人は急いで駆け寄り、話しかけた。ひゅーひゅーと、空気の漏れるような音が聞こえた。
助け起こすと、胸から脇腹にかけてザックリと斬られた跡。致命傷なのは一目で判った。
既に目の焦点は合わず、苦しげに漏らした声には力というものがまるで感じられなかった。
「……きさま、か…………エトランジェ…………」
第二詰所は、突然の襲撃を受けた。甲高い警鐘が響き渡り、臨戦態勢を整えた直後。
全員が集合し、ファーレーンとニムントールの不在が明らかになった時、敵は既に詰所を包囲していた。
「まずい、わね」
「何だと思う?」
「敵の狙い? さぁ、訊いてみれば?」
「どうやらぁ~、帝国のスピリットさんみたいですよぉ~?」
「確認しました。敵数、キトラ(8)」
周囲を警戒しつつ軽口を叩くヒミカとセリアに、
放胆にも窓を覗き込んだハリオンと哨戒してきたナナルゥが報告する。
「出入り口からおじゃまします、って雰囲気じゃないわね」
「まぁどこからでも入って来るでしょ、勝手に他国に踏み込んでくるような奴らなんだから」
「全く失礼…………って待ちなさいネリー」
「え~? だって早くしないと他が危ないよ~」
飛び出そうとするネリーを咎めるヒミカだったが、その一言に全員が黙り込んだ。
「…………そう、なのよね」
「やはり、陽動かと」
深刻に頷くセリア。ナナルゥの指摘は的を得ていた。敵は包囲したきり、まるで動こうとはしていない。
ここまで潜入しておいて、明らかに不自然な行為だった。第一ここを攻める理由が他に考えられない。
「ええっ、そうなんですか? あわわどうすれば…………」
一人今更判ったように慌てふためくヘリオンを、全員が冷ややかな目で黙殺した。
「あ~、こんにちはぁ~」
「!!!!!」
窓の方をボーっと眺めていたシアーが、呑気そうに呟く。一同は一斉に各々のハイロゥを展開した。