朔望

円舞 Ⅴ

 §~聖ヨト暦331年エクの月緑ひとつの日~§

表面冷静を保ちながら、光陰は少なからず動揺している自分に気が付いていた。

(このおっさん……)
内心だけで舌を巻く。スピリットでさえ容易には捌けないエトランジェの攻撃。
ふいを突き、加減したとはいえ完全に背後を取った上での一撃をこの男は受けて見せたのだ。

「なるほど、な。流石は発祥をロードザリア歴遥かに遡る国の王だ。歴史は伊達じゃないってか」
「ふん、上っ面の知識をよく喋る。……エトランジェとは皆考古学者か何かなのか?」
ぱんぱんと服についた砂埃を叩き、ザレントールは光陰の呟きにふっと皮肉な笑みまで浮かべて見せた。
がっしりと筋肉に鎧われた体には、風韻を匂わす佇まい。油断の無い鋭い眼光がその奥で光っていた。
「…………まあな。……何故俺がエトランジェだと判った?」
「あの男の考えそうな事だ。まぁしかし……運命を天運に准えるかどうかは本人次第だがな」
「? なぁ、一応訊いておくが、降伏する気はあるか?」
言いながら、光陰はこの男が降伏など絶対に受け入れないとわかっていた。
既に周囲に守るべきスピリットは無く、丸裸同然の状態で、それでも全く闘志を失っていない不敵な瞳。
そして鋼のような筋肉。自分にも多少の心得はあるものの、正式に訓練を施された戦士には敵う筈も無い。
ましてやこの男と身一つで対峙する気はさらさらしなかった。
『因果』を持ち、人足り得ない力を持って初めて戦場に立っていられるのだと改めて実感する。
戦力では凌駕しているというのに、光陰はまるでライオンの檻にでも入れられたような感覚を味わっていた。

「降伏?…………ふっ、ふはは。“駒”が、面白い事を言う」
背中を、じんわりと嫌な汗が流れるのを感じる。踏み込んだ砂が心情そのままの湿った音を立てた。
光陰は膨れ上がる予感を必死に隠しながら、無理に笑おうと口元を上げた。
「何が、言いたい?」
「……終わりにしよう、エトランジェ。もっとも、どちらにとってかは知らぬが、な」
答えず、ザレントールはざっと腰を低く構えた。


 ――――――――

接近した集落から突然上がった火柱の熱気に、ファーレーンは身を硬くしてその場に伏せた。
(…………なに?)
周囲の気配を探る。複数のスピリットがデオドガンを取り巻き、素早く動き回っていた。
戦闘が、始まっている。ファーレーンは『月光』の鯉口をはずし、力を籠めつつ尚もその動向を探った。
ふいにその一部が消えうせ、残りがこちらに向かって集まって来るのが判る。
(帝国……マロリガン……デオドガン……)
そのいずれかは判らない。しかし、それを見極めなければならない。
ファーレーンはそう決心した。緊張で、冷えた砂の感触が湿った。

ややあって、周囲の動きが突然ぴたりと止まった。顔を上げる。遠目に、二つの気配が炎に揺らめいていた。
大柄の男達が対峙している。一人は素手。一人は巨大な鋼を振りかざしていた。

りぃぃぃぃん…………

途端、腰の『月光』が警鐘を鳴らす。
その気配に覚えがあった。まさか、と心臓が一つ大きく跳ねる。
永遠神剣。それも、ファーレーンが良く知っている人物が持つ、あの剣と非常に似た波動を持つ。
「あれは『求め』……いえ、違う…………」
戸惑いが、乱れた思考を空回りさせる。エトランジェ。ようやくそんな単語が頭に浮かんだ。

「…………動く、な」
「!」
首筋に、冷たく硬い感触。耳元で低い声が囁いていた。

 ――――――――


風一つ吹かないしんとした空間。光陰は、ゆっくりと『因果』を持ち上げた。
「神剣よ、守りの気を放て、俺たちを包み…………」
詠唱が始まると共に動き出す空気。緑を帯びたマナが光陰を中心とした小さな竜巻を起こす。
地面の砂が螺旋状に引き摺られ、浮かび上がった魔法陣を陽炎のように揺らした。
「ほう…………」
感嘆の声を上げるザレントール。逆巻く髪を嬲る風に、むしろ高揚感を感じて口元が歪む。
「なるほど、良い瞳をしている…………。見せてもらおう、どれだけの決意があるか」
「敵を退けよ…………トラスケード!」
爆発的に舞い上がった砂の中。二人は同時に動いた。

「おおおおっ!」
低い姿勢から跳躍し、一気に距離を詰めたザレントールの攻撃手段は胸に忍ばせた短刀しか無い。
狙うのはただ一点、心臓のみ。頭蓋は意外と硬く、刃が滑る事がある。即死させねば他の部位では相打ちにもならない。
エトランジェが迫る。魔法陣を展開し、夜目にもはっきり見える程の緑のマナを纏って。
手に持つ巨大な神剣が、青白い光を帯びている。どれも、「人」の行う所業から外れた理(ことわり)。

……そんなものに。

“この世界に在ってはならないもの”に抵抗も出来ず、ただ座して滅びるわけにはいかない。
幸いなのか甘いのか、上段に振りかぶった構えは隙だらけの上動きが鈍い。こちらの方が先に届く。
そうザレントールが考えた時二つの影は重なり、必要最低限の動きで突き出した刃が光陰の胸に到達した。

きん、と鋭い音が響く。
「…………悪ぃな。こっちにも譲れないモンがあるんだ」
きりきりと舞い上がる、折られた切先。中空に舞う欠片の煌きがザレントールの目に映った。


間を置かず振り下ろされる『因果』。余りに高速で、斬られた感覚も無しに右腕が吹き飛ばされる。
「ぐ、がぁぁっ!」
傷口と口から溢れ出す大量の血液。その場に懸命に堪えながら、ザレントールは呟いた。
「全て、いずれ失われるもの……小僧…………」
光陰のジャケットにもたれかかり、しがみ付くように言葉を絞り出す。
「それでも、貴様は守れるのか……その、仮初めの力に踊らされてまで…………」
言いながら、ザレントールは最後の力を振り絞って残った左腕を動かした。
「――――俺の勝ちだ、エトランジェ」
くい、と仕込んだ細い紐を手首だけで引っ張る。血に塗れた顔に凄惨な笑みを浮かべて。

もう決着は付いたと油断していた光陰は、ぞっと背筋を走る悪寒に硬直した。
もう虫の息な筈のザレントールからは、まだ戦意が消えてない。予感が確信に変わった。
「うぉ…………!」
瞬間、直ぐ側で膨れ上がる膨大な熱量。意図に気づき、反射的に顔を庇う。その直後だった。
どぅぅぅん…………
やたらと鈍い破裂音、そして衝撃が全身を襲う。吹き飛ばされそうになり、懸命に地面を踏みしめた。
加護の力が無ければ消し飛んでいただろう。ザレントールは、自爆した。自らに仕掛けた大量の火薬で。

「…………」
ばらばらと、肉片が零れ落ちる。光陰は黙ってそれを見守っていた。
背後で、駆け寄ってくる足音が聞こえる。気配でクォーリンだと判ったが、そのまま動かなかった。
「御無事ですか!…………コウイン、さま?」
「ああ…………任務完了だ。クォーリン、部隊の収集を頼む。俺もすぐ行く」
「は、はい!」
時々振り返つつ去るクォーリンに目もくれず、じっと一点を見つめる。
砂漠に突き刺さった、短刀。国の紋章が刻まれたそれは、ひび割れたまま月を映し赤く映えていた。
やがて目を閉じ、ゆっくりと背を向ける。マナに還らぬザレントールに伝えるように。
「守ってみせるさ…………例え何を失ったって、な」
一陣の風が吹き抜ける。光陰の呟きは、燃え尽きた砂漠の空に虚しく吸い込まれていった。

 ――――――――


「エトランジェ……」
ファーレーンは深い溜息を付きながら自らの言葉を反芻していた。
先程まで自分を拘束していた稲妻部隊のスピリットは、爆発と共に飛び出して行き、今はいない。
……マロリガンにも、エトランジェがいた。それはラキオスにとって重大な意味を持つ。

「あれがエトランジェの戦い方か……ふむ、興味深い」
「!」
いきなり背後から、囁くような声。ファーレーンは飛び退がりながら反射的に抜き打ちで払っていた。
しかし剣は虚しく宙を斬り、ふわっと浮いた人影が風のように降りたつ。月を背にした顔が見えない。
「…………何者ですか」
自然、声が下がる。明らかにスピリットの気配ではない。
それでもこの“人”は自分の背後を易々と取り、そしてスピリットの剣撃を難なく避わしたのだ。
「……ははっ。そう険しい顔をするな。そんなに怪しい者でもない。取りあえずお前よりは、な」
動揺を悟ったのか、面白そうに笑いを含んだ声が返ってくる。意外にも、良く澄んだ声は女性のものだった。


「………………」
「ふん、そうだな。非礼の詫びに一つ教えてやる。闇に目を逸らしていては、剣は振れんぞ」
「…………!?」
「汲々と守るのもいいが……先程の戦いを見ただろう? あれはザレントールの勝ちだよ」
くっくっと忍び笑いが聞こえる。ファーレーンには判らなかった。いや、認めたくはなかった。
たった今、ザレントールという存在は亡んだではないか。デオドガンという国と共に。
「……貴女は、何者ですか」
ファーレーンはもう一度呟いた。それに応じてか、人影がざっと砂を踏みしめる。
「まぁラキオスがどう動こうも私には詮無き事だが。妖精、お前はいずれ悟らなければ……死ぬぞ」
軽い調子で言い放ち、歩き出す。最後の一言が、深く思考を貫いた。
自分に向かって悠然と歩いて来る無防備な姿を相手に、どうしても動けない。
やがて興味を無くしたように横をすれ違う足音が、段々と遠くなっていく。

気配が消えたと同時に、動けなかった体が急に重くなる。がくっと膝を付いたまま、ファーレーンは呟いた。
「死、ぬ……わたし、が…………」
言葉を反芻するまでも無く体が正直に反応していた。月と闇の加護の下で簡単に背後を取られた事を思い出す。
小刻みに震えながら、自分自身を抱き締めた。拍子に乾いた冷たい砂が、ぱらぱらと掌から零れ落ちた。