朔望

円舞 Ⅵ

 §~聖ヨト暦331年エクの月黒みっつの日~§

黄色い埃が熱っぽい風に舞い上がって飛び込んでくる。照りつける太陽がじりじりと肌を焦がす。
「……ふぅっ」
ヘリヤの道。道とは名ばかりのスレギトへと続くその砂丘を、悠人達は進んでいた。
周囲には、砂と空。見渡せど果てが無い地平線が陽炎で揺らめいている。
「こんな所まで向こうと同じなんだな……」
熱い溜息が口元から零れる。知ってはいるが、実際に足を踏み入れたのは初めての、『砂漠』。
物珍しさなどあっという間に消えうせた。単調な景色の繰り返しに、口数がどんどん少なくなる。
散発的に行われる戦闘に徐々に削られていく体力は、ほんの僅かな休息では取り戻せない。
額に浮かぶ汗。背中に流れる汗が気持ち悪い。拭いながら、まだ見えぬスレギトの方向に目を細めた。

「え…………」
最初は、蜃気楼かと思った。揺らめく地表に、ぽつりと浮かぶ影。
今まで何も無かった空間に、突如現れた人影。忘れもしない。銀色に靡く髪。褐色の肌。
「ウルカーーーっっ!!!」
悠然と立つ姿を目にした時、悠人は喉の奥が張り裂けんばかりに叫んでいた。
「佳織を……佳織をどこにやった!!」
絞り出した問いかけに、悠然と受け流したウルカは静かに答える。
「…………我が国へ」
「ふざけるなっ!」
冷静な口調が、逆に悠人の神経を逆なでしていた。ぎりっと奥歯が耳障りな音を立てた。


 §~聖ヨト暦331年エクの月黒ひとつの日~§

「お姉ちゃん、手が止まってるよ?」
「え……あ、ごめんなさいニム。……ええと…………」
「…………次は、この型から」
ニムントールは、そっと溜息をついた。
また最近、姉の様子がおかしい。
暫く任務でどこかへ赴いていたかと思うと、帰るなり急に訓練熱心になった。
今日も自分相手に朝から剣を振り続けている。
それはいいのだが、疲れている訳でもなさそうなのに、いつも途中でいきなり目が虚ろになる。
ぶらん、と剣を下げたまま無防備になるので、気をつけていないと『曙光』で貫きかけた事さえあった。

「ねぇ、今日はもうやめよ?」
無駄だと思いつつ言ってみると、
「もう疲れたの?だめ。それではいざという時満足に動けないわよ」
思った通りの返事が返ってくる。それでいて気迫も何も感じられない棒読み。
だが、こうなってはこの姉はテコでも動かない。
「はぁ……」
今度は聞こえるような、盛大な溜息をついた。


 §~聖ヨト暦331年エクの月黒みっつの日~§

「行くぞっ!」
何故か部下を後ろに下がらせ、1対1の勝負を挑んできたウルカに悠人は突っ込んだ。
「はぁっ!」
距離が詰まった所で低く居合いの姿勢で構えていたウルカが気合を入れる。
ぐっと剥き出しの腕に筋肉が張り詰めるのを、悠人はタイミングだと感じた。
「うぉぉっ!」
一気に『求め』を深く沈め、そこからまだ見えないウルカの太刀筋に向かって跳ね上げる。
根拠など何も無かった。ある意味では、暴挙とも思える行動。
ただ、悠人は今までに何度かウルカと剣をあわせていた。それも、忘れようにも忘れられないような場面ばかりで。
剣の技量は劣っていても、印象的なその姿だけは幾らでも再現出来る。
まだ来ない漆黒の刃が確実にこの地点を駆け抜ける、そう“感じた”空間に『求め』を叩きつけた。

が、ぎぃぃぃぃん…………

鈍い音と衝撃。手の痺れが、悠人の勝ちを伝えていた。
くるくると空中を回転していたウルカの神剣は、ざっ、と地面に突き刺さって止まった。


 §~聖ヨト暦331年エクの月黒ふたつの日~§

夕食後、ファーレーンは一人リクディウスの森を訪れていた。
ここ数日、食欲が無い。残した食事に訝しげなニムントールから、逃げるようにしてここに来た。

先日の、妖精部隊との戦い。それからデオドガンで出会った、謎の女性。
判ったことがある。自分は、明らかに弱くなっている。
それは技量とか剣の位とか、そういった周囲との比較とは関係の無いところで。

 ―――怖い。

失う事が。奪う事が。
ニムントールを守る事や、最近手に入れた別の安らぎを守る事。
それらが心の中で膨らんでいく度、逆に失った時の大きさを先読みし、恐れるようになっている。
佳織を奪われてしまった悠人を見て、自分とニムントールを重ねてしまったのだ。
奪う事についても同様。相手が背負うものが見えてきて、それが迷いとなって剣先に伝わってしまう。
躊躇いが、急所を避けようとする。剣の威力を抑えてしまう。

 ――闇に目を逸らしていては、剣は振れんぞ

言葉が胸に突き刺さる。ファーレーンは、無意識にかぶりを振った。
違う。そんな言い訳じゃない。もっと正直に、“人”なら当たり前の感情が支配しているのだ。
「死ぬのが……怖いだなんて……」
自分が。自分が死ぬのが怖い。存在が、想いが、失われるのが、奪われるのが怖い。

りぃぃぃぃん…………

感情に共鳴した『月光』が、ぼんやりと浮かび上がる。
思わず鞘を押さえようとして、ファーレーンは気づいた。指先が、震えていることに。
「一体……どうすればいいの……」
ファーレーンは、自分自身を強く抱き締めた。見えない何かに縋りつくかのように。


 §~聖ヨト暦331年エクの月黒みっつの日~§

「ク…………」
がくっと地面に膝をつくウルカ。
ついに追い詰めた悠人はあらためて『求め』を振りかぶり――
「…………っっ!」
そしてそっとその剣を下ろした。目を閉じ、覚悟を決めていたウルカが不審の表情で見上げる。
「……行けよ」
「…………?」
「帰って……瞬のやつに伝えろ。俺は必ず佳織を助けてみせる……。お前みたいな卑怯者に負けるかよってな」

止めを刺すことが出来なかった。
少なくともここでウルカを殺す事が、正しいこととはどうしても悠人には思えなかった。
『求め』の干渉は今も頭の中でずきずきと疼いている。ウルカには憎しみもある。
それでも、心のどこかでそれが間違いだと告げるものがいる。

―――俺は…………スピリットを殺したいわけじゃない……

「…………」
無言で不思議そうに悠人の顔を覗きこんでいたウルカが、やがて静かに立ち上がった。
落ちていた神剣を鞘に収め、ゆっくりと悠人の方へと歩いてくる。
「……なんだ?」
「…………」
そうして無言のまま、手を差し出してくるウルカ。その手に握られていたものは、佳織からの伝言だった。
「自分は負けないから、ユート殿も負けるな……と」
驚きながらもそれを受け取る。それは小さなお守り。佳織の両親が残した物。
ウルカが飛び去った後も、暫く悠人はその方向を眺め続けていた。心にしっかりと“伝言”を刻み付けて。