朔望

円舞 Ⅸ

 §~聖ヨト暦331年コサトの月青みっつの日~§

「ヘリヤの道で友達と……再会したんだ」
そっと離れた後、彼はそう、ぽつりと呟いた。
「友達、ですか……?」
温もりが名残惜しかったが、恥ずかしさの方が上回っていた。
見えない角度でそっと自分の肩に手を添えてみる。
まだふんぎりはつかなかったけど、体の震えは止まっていた。
まだ怖いけど、それでも、頑張れそうな気がしてきた。
見失いかけた、理想。レスティーナ女王と求めた世界。……忘れていた。
『ああ、変えなきゃな。こんな、スピリットだけが戦わなきゃならない世界なんか』
彼の、レスティーナ女王が言いそうな言葉が、まるで魔法のように踏み出す力をくれたようだった。

「ああ、向こうの世界じゃ親友だった。相変わらずだったよ」
「そうですか、おめでとうございます」
一通り話せてすっきりしたのか、それとも安堵感からなのか。
ぽーっとしていたわたしは彼の話の決定的な違和感に、少しの間気づかずにいた。
「…………え?」
彼は、遠くを眺めながら、訥々と話している。その声色が、全然嬉しそうでは無かった。
――迂闊、だった。この世界に、ハイペリアから訪れた者。それは。
「まさか……マロリガンの、エトランジェ……」
はっとなり、慌てて口を抑える。自分がその存在を知っている、とはとても今、話せない。
それよりも、今の彼の哀しみに思い当たった。良く知る者との、再会。それが、“敵”としてだなんて。
髪を抑え、視線を逸らす。無神経な、さっきの発言が恥ずかしかった。
「……ごめんなさい。失言、でした」
「いいよ。でも正直、驚いた。光陰や今日子もこの世界に来ているなんてな」
苦笑しているが、笑っていない。心の動揺を伝えてきて痛い。
「ユート、さま……」
かける言葉が、思いつかなかった。


「ファー、神剣に飲まれた心は、もう二度と取り戻せないのか?」
「……可能性は、あります。ただ、どの程度“深く”同調しているのかにもよりますが」
話を聞いている内に、大体の事情が判った。
どうやらマロリガンにはエトランジェが、二人もいるらしい。それも、二人ともユートさまと関係の深い。
一人は、デオドガンで戦っていた、巨大な気配の神剣を使っていたエトランジェだろう。
そしてもう一人が酷く神剣に飲まれている様子だった、という事だった。酷い偶然。余りにも出来すぎて……
「そっか……」
悲しそうに俯く様子から、その人が相当自我を失っていたのだろうと窺える。
「ユートさまは、それでも……それでも、戦えるのですか……?」
残酷な質問だと、自分でも思う。だけど、止められなかった。どうしても、知りたかった。
それなのに、再びこちらを向いた彼は、うん、と力強く頷いていた。

「ファーと話していて、自分でもなんだかすっきりした。決めたよ」
「え……わたし、ですか?」
「アイツらにも、理由がある。俺にも、理由がある。昔からよく喧嘩したけど……」
何故、笑っていられるのだろう。そんなに、軽い調子で決められるのだろう。
「こればっかりは、譲れない。はは、今までで、最大の喧嘩だな」
「ユートさま……」
「まず、光陰はぶん殴る。アイツは、珍しく何も判ってない。それに今日子を、救い出す」
「…………え?」
「それから、佳織を助ける。ついでにレスティーナに、この世界を何とかしてもらう」
「ユ、ユートさま?」
「それで万事解決だ。そうだろ?」
余りにも、単純な結論。それでいて、最も辛い、困難な道。もしかしたら、死ぬ、かもしれない選択。
ぽかん、とただ見つめるわたしに、
「だから、その……ファーにも、少し手伝って欲しい。一人じゃ無理そうだからな」
はにかむように、照れ臭そうに呟く。だから、答えていた。

「……はいっ!」
胸の奥底に精一杯の悲しみを抑え込んだ。お互いを思いながら。精一杯の、笑顔で。
いつの間にか雲間から現れたらしい月の光が頬を温めてくれていた。


 §~聖ヨト暦331年ソネスの月黒いつつの日~§

それは、稲妻部隊によるランサ反攻を防いでいる最中の事だった。

「パパ~、いいから、こっちこっち!」
「まったくなんだって…………って、え?」
急に『理念』がどうのこうのと、オルファに連れて来られた拠点近くの砂漠。
「う、うう…………」
「……ウルカ、か?」
そこには、所々傷だらけの上、すっかり憔悴しきって倒れているウルカの姿があった。


「手前は捕虜の筈……どうして、自由に?」
俯き、戸惑い気味に視線を逸らせる。そこに、『漆黒の翼』と恐れられた面影は無い。
「どうしてって……判んないけど、別に逃げたりはしないだろ?」
「手前には……最早帰る場所も無い故……」
「?…………まあいいや、取りあえずはゆっくりしてくれ。レスティーナに許可も貰ってるし」
何があったのかは判らない。それでも、
「……感謝いたします」
ぺこり、と律儀に頭を下げてくる。こうして、頼もしい仲間がまた一人増えたのかも知れなかった。


 §~聖ヨト暦331年シーレの月青みっつの日~§

「とうちゃ~く!」
何気なく出て来た久し振りの街。そこで冗談の様にレムリアと再会した俺は、見慣れぬ草原に連れて来られた。
「へぇ、これはまた……」
見渡す限りの緑、花。澄み渡る青空に浮かぶ雲。遠くに連なるリクディウス山脈が悠然と取り囲んでいる。
こんな気持ちのいい場所があったなんて。俺は素直に感嘆の声を上げた。
「ここは初めてきたな」
「前の高台と同じで、ここもとっておきの場所なんだよ♪…………どうかな?」
「ああ、気に入ったよ」
「へへ~♪ 良かった」
俺の反応に満足したのか、レムリアが嬉しそうに微笑んだ。

その後、正体不明の食物を与えられたりしたが、大方は平和に時間が流れた。
最近の色々な出来事に疲れていた心が、少し癒された気がする。俺は穏かな気持ちで芝生に横になった。
同じように隣で転がるレムリア。草の匂いに混じって、ふわりと甘い香りがする。
くすぐったいような、そんな気持ちで俺は目を閉じた。

「毎日こうやって、のんびり過ごせたらいいのになぁ~」
……同意。
「レムリアも普段から忙しいのか?」
「え……あ、うん、それなりにね~」

  ――――戦争で苦労するのは戦う人だけじゃないってことだよ。

俺たちは、無粋な敵の奇襲を受けるまで、ただそうしてのんびりと寝転がっていた。

 ――――――――


「あ…………」
「あ…………」
王城の、室内訓練場。そこで鉢合わせたウルカとファーレーンは、暫くそのまま固まってしまった。

お互い、直接は面識が無い。ただ、ファーレーンはウルカの事をよく知っていた。
仕事柄入ってくる情報に悠人から聞きかじった話などを総合すれば、そう悪い貴女(ひと)でもないらしい。
ただこう直接出会うとやはり緊張してしまう。同じブラックスピリットとして、最も恐れられている存在。
悠然と立っているだけで、何かこう、威圧感が違う。赤い瞳が何もかも見透かしているようだった。

一方のウルカも、決して平静では無かった。
ラキオスの、自分と同じブラックスピリット。穏かな物腰に、何か不思議な気構えの様なものを感じる。
決意、とでも言えばいいのか、とにかく自分に無い何かを彼女は身につけていた。
「……手前は、ウルカと申します。宜しければ、お名前を訊かせては頂けませぬか」
「はい、わたしはファーレーンといいます。宜しくお願い致します」
ぺこり、と二人揃ってお辞儀する。こうしてラキオスでも最も礼儀正しいスピリット同士の挨拶は始まった。

十数分後。ようやく挨拶を終え、少し雰囲気が解けてきた所でファーレーンは思い切って頼んでいた。
「ウルカ……さん。わたしに、剣を教えてはくれませんか?」
「ウルカで結構です、ファーレーン殿…………手前に?」
「はい。『漆黒の翼』……そう恐れられたのは、きっと技量(わざ)だけのものではないのでしょう?」
「…………承知。手前もまだまだ修行の身。なれど、それがファーレーン殿のお役に立てるというのならば」

何気なく呟いたウルカの一言に、ぱぁっとファーレーンの顔が明るくなる。
「ありがとう、ウルカ。頑張りましょうね……一緒に」
「……一緒、に?」
「ええ、独りでは出来なくても……でも、一緒ならもっと“強く”なれますよ、きっと」
わたしも最近知ったんです、と言ってぺろっと舌を出すファーレーンを見て、
先程感じた決意の奥底をウルカは垣間見たような気がした。それはきっと、剣の声とはまた違った強さ。
「……こちらからもお願いします。手前も、ファーレーン殿から学びましょう」