朔望

円舞 A

 §~聖ヨト暦331年シーレの月赤よっつの日~§

「うわ。参ったなこりゃ」
突然の、通り雨。どうやら今日の「運命」は、少しだけ意地悪いらしい。
「おっ……レムリア、あそこに行くぞ」
どこか雨宿り出来る場所は、と見渡し、街の一角で見つけたマーク。何となく喫茶店のように見えた。
「えっ、ん~と、あれってどんなお店なの?」
「入ったことないのか? 多分、喫茶店だと思うんだけど……。まぁ、少しの間休めればそれでいいさ」
「キッサ、テン? う~ん、私も入ったこと無いからわかんないなぁ」
う~ん、と首を傾げる、運命的な相手。もう偶然会っても驚かなくなってきた。

不思議と縁がある隣の少女は、手を頭の上に乗せながら何か悩んでいるようだった。
「考えるのは後にして、とにかく雨をしのがないか?」
急かすようで悪いけど、こんな所で風邪を引きたくは無い。そしてそれはお互いさまだったようで。
「ん、さんせ~い」
ずぶ濡れのまま、俺たちは笑い合った。


そうして飛び込んだ一軒の店。それは――

「はいっ!お客さん、どこか痒いところはありますかぁ?」
呑気そうに頭上から聞こえてくる声。俺は、それどころでは無かった。なんでこんな事になったんだ。

思えば、最初に気づくべきだった。そう、あの変な親爺に
「ん……ほぅ……。なるほど。上手いことやったな」
などと、意味ありげにレムリアと俺を見比べた後、ニヤリと呟かれた時に。
「仕方ねぇ……着いて来な。今日のところはルールを教えがてら部屋まで案内してやる」
「いや、俺は……」
「ぐずぐずするな。のろまな男はもてねえぞ」
「だから……」
「ユートくん、置いてっちゃうよ~」
「…………」
いやに親切な親爺の迫力に押され、なし崩しに来てしまった部屋。
「ここで湯を取って部屋まで運ぶ。まぁ、男の仕事だな……で、この部屋だ」

そこには、ダブルベッドが中央に、堂々とましまして俺たちを迎えていた。
(休める場所っていうか……ここは思い切り「御休憩」する場所なんじゃないのか?)
部屋の奥には、タライが一つ。お湯ってこういうことか。ようやく追いついてきた思考に、我ながら呆れてしまう。
「そんなに緊張するな。オレの経験上、ああいうタイプは押していけばなんとかなるもんだ」
いつの間にか妙に馴れ馴れしく俺の肩をがっしりと組み、小声で呟く親爺の声はもう耳に入ってはこなかった。


「うん? なに話してるの?」
かといって、何の疑いも無く俺を見つめるレムリアに、今更事情を説明する訳にもいかない。
「いや、あのさ……」
しどろもどろになっている俺に一度首を傾げ、辺りを見回していたレムリア。
静かな雰囲気が落ち着かないのか、その仕草が徐々にしおらしくなっていく。
「あ、その……」
何かを話さなきゃいけない、そう言いかけた時だった。
部屋の隅、敷居の向こうを覗き込んでいたレムリアがぽつり、と呟く。
「ユートくん……どうしよ。ひとつしかないよ」
「ああ、ひとつだな……」
生返事を返してから、思いついた。タライは一つしかない。それなら、言うことは決まっている。
「ええと……レムリアが入れよ。俺は別にいいからさ」
レディーファースト。思えば、そんな慣れない事を考えたのがいけなかったのかも知れない。
レムリアの性格を考えれば、自分だけが温まるなどは、考えもつかないんだろう。
「そんなのダメだよ。ユートくん、風邪引いちゃうもん」
「つったってなぁ……」
そして、とんでもなく意地っ張りだったのだ。それは今回で思い知った。
「やっぱりレムリア入れよ。俺は隣で待ってるからさ」
そんな、ダメだよ。私だけ入るなんて……ぺくちっ!」
「だってさ、いくらなんでもふたり一緒に入るわけにはいかな……へっくしっ!」
「…………」
「…………」
「その……いいよ。ふたり、一緒でも」
最後にようやく折れて妥協案を提議してきたレムリアは、薄っすらと頬を染めていた。
「……ユートくんは、嫌?」
もじもじと俯きながら、それでも上目遣いでそう言われては、もう断れなかった。


それから、覗いた覗かないで一悶着あったが、まずは俺がタライに入った。
肩までは浸かれないが、ハーブの匂いが気持ちいい。
「ユートくん……もういい?」
「ああ、いいぞ。俺は絶対に見ないから安心して入ってこい」
「う……ユートくん、声にトゲがあるよ……」
じゃあ入るね、と背中に声がかかる。ちゃぽん。小さな水音がして、水位が上がった。
背中の気配やたまに当たる膝、それらを誤魔化すようにして
「……俺、頭洗う」
憮然と切り出した俺に、実にあっけらかんとレムリアは言った。
「あ、ユートくん! 私が洗ってあげるよ!」
「え゛」

――そして、今に至る。

「お客さん初めて? サービスしますよぉ~♪」
どこで覚えた。
「ん……んっ、しょっと……」
一生懸命に、髪を洗う小さな手。少し力が弱かったけど、それでも人に洗って貰うのは気持ちがいい。
(あ~、気持ちいい……)
一時はどうなる事かと思ったけど。楽しそうなレムリアに、さっきまでの妙な雰囲気はどこかへ行っていた。
俺はすっかり気を許し、ほのぼのとした気分で
「じゃあ、このまま体も洗っちゃうね」
「体!? ちょっと待っ……!!」
「え~い!」
「ぬはぁうっ」
「ん……ユートくん、これなに?……ヘンな手触り」
「う……あ、あ……」
「あ、なんか、固い部分はっけ~ん」
「☆#*&%¥っっ!!」
などと、天国と地獄を味わい続けた。


「じゃ、わたし自分を洗うね。あ、髪の毛は洗わないから、すぐ済むよ」
「俺なら大丈夫だし、髪の毛も洗えばいいのに」
「え?あ、あはは……。いいのいいの。ほらっ、私髪長いし、それにまた髪形直すの面倒だし。ね?」
「そんなもんか。長い髪の毛って手入れ大変そうだもんな」
その時は、気にも留めなかった。ただふと、ファーは短いから大丈夫だな、などと変な事を思いついただけで。
「俺の知り合いにも、すっごく長い髪の人がいてさ、レムリアみたいに綺麗な黒髪なんだけど……」
「へ? あ、アハ……。そうだね。多分、その人も大変だと思うよ~」
何気ない反応。気持ち声が上擦っているレムリアの声。…………この時何故、気づかなかったのだろう。

「ん、どうした?」
「なんでもありません……っもん。ぜっ、ぜぜ、全然、なんでもないんだもん」

こんなにも、聞き覚えのある声色だったのに。

「あっ、晴れてるよ、ユートくん!」

俺は、余りにも鈍感で。

「ああ、すっかり上がったな……それじゃ、行くか」
「うんっっ♪」

窓際で微笑む、ちょっとだけ近づけた女の子が抱えているものに、全然気がつかなかった。