朔望

円舞 B

 §~聖ヨト暦331年スフの月緑みっつの日~§

「剣に心を……気持ちを乗せるのです……ハァッ!」
しゅっ、と音を立てて、『冥加』が煌く。その閃光の、縁を見極め、そこに『月光』を滑らせる。
「はぁぁっ!!」
「……甘いっ!」
くるっと巻き上げた手先の動きだけで、逸らされる『月光』の軌道。
いつもはここで弾かれておしまい。しかしファーレーンは、今までに掴んだ間合いをもう一歩踏み込んだ。
「っ…………シッ!」
ぐっと被せた肩が、重心を低くする。果たして『月光』は回転する『冥加』を抑えこんだ。
「むぅっ……はぁっ!」
「!……っ」
諦め、薙ぐように切先を変化させ、殺到するウルカ。しかし、ファーレーンの方が速かった。

ぴたり。
ウルカの首筋に、乗り上げるように突き上げた『月光』の刃がぴたり、と当たる。
『冥加』はその柄を右手で押さえられ、力を失ったまま何も無い空間を指して静止していた。
暫くそのまま向かい合い、やがて二人はふぅ、と小さく息をつく。
「お見事です……まさかこの短期間に連撃の速さをここまで上げられるとは」
「ううん、ウルカさんのお陰です。『月輪の太刀』……これで、間に合いました」
「本当によく耐えました、ファーレーン殿。……ユート殿も喜ばれることでしょう」
「え……えっえっ? ど、どうしてそこでユートさまのお名前が出てくるのですか?」
「くすくす……声が裏返ってますぞ、ファーレーン殿」
「あぅ……」
俯き、手の『月光』をそっと撫でる。確かに、瞬間彼を思い浮かべた。だけどそれは半分だけ正解で。

「お姉ちゃん、終わった?」
「ああニム、うん、ちょっと待って……ウルカさん、本当にありがとう」
ぺこり、と頭を下げて、ニムの所に駆けつける。後ろで、柔らかい声が聞こえた。
「なるほど……お二人が、羨ましいです……」
それはどこか諦めた調子の、何かを思い浮かべるような声だった。


 §~聖ヨト暦331年スフの月緑よっつの日~§

ソーマとの嫌な邂逅を忘れようと、ぶらっと訪れた城下町。
「ふふ~ん、運命、運命~♪」
予感はあったのだが、嘘のように重なる偶然に、俺は呆れ返っていた。
目の前で、レムリアはすっかりはしゃいでいる。妙な歌を歌い出し、このままでは踊りを披露しそうだ。
「運命なのはいいとして、これからどうしよっか?」
と思ったら意外と冷静らしく、くるっとこちらを向いたときにはもう建設的な提案をしてきた。
「そうだなぁ……」
「せっかくのデートだもん。楽しいところがいいなぁ……」
デート、という単語に、ちく、と胸が突然痛む。ファーの、何故か膨れた顔が思い出された。

……俺は、ファーにとってどういう存在なんだろう。

今更ながらにそんな考えに思い当たる。
「とりあえず、ワッフルでも食べながら決めるか」
「だ~いさ~んせ~い♪」
自然に腕が絡められる。だけど俺はそんな事に気づかない位、別の事を考えていた。
「それにしても、ユートくんも甘い物が好きになったよね~」
「誰かさんが甘い物しか許さなかったせいなんだけどな」
「私、知らないもん~♪」
ぎゅっと抱きついてくるレムリア。楽しいはずの会話が、どこか空気の抜けたように感じられる。
大体、ファーとはお互いどう思っているかを、打ち明け合ったことが無い。
部隊からは一時離れている筈なのに、最近は忙しそうで話も出来てないし。
――違うだろ。ファーがどうとかじゃない。俺はどうなんだ。……俺は。
「レムリア、俺はな……」

どぉぉぉぉん……

「きゃっ……!!」
突然の、爆発音。それはすぐ側から聞こえた。


轟音が、周囲に土煙を上げる。揺さぶられる地面に、咄嗟にレムリアを庇った。
「ゆ、ユートくん、これって……」
不安そうな顔が、見上げてくる。
「ああ。敵だ」
俺は断言しながら、周囲を見渡した。街はパニック状態で、既に逃げ惑う人々が飛び交っている。
「落ち着け! みんな、落ち着いてくれ!!」
大声で叫ぶも、耳を貸す者はいない。このままでは敵の思惑に嵌るだけ。
「くっ……どうする……」
言いながら、思わず城の方を凝視していた。ファー達が、気掛かりだった。
思えばこの時、顔に出ていたのかも知れない。
何故ならじっと俺の顔を見つめていたレムリアが、そっとその腕を解いたから。
「ユートくん、先に行って。たぶん、スピリットも侵入しているはずだよ」
「だけどこのままだとヤバいぞ。ここの連中が暴徒にでもなったら取り返しがつかなくなる」
「帝国の目的は、ラキオス全体に不安をばら撒くことだよ。不安は簡単に疑いを呼んじゃうから……」
話しながら、俺は妙な違和感を感じていた。国について語り合える相手。
そんな娘だとは正直思わなかった。口調は違うけど、そんな相手がごく近くにいたような……

きぃぃぃぃぃん……

「っ! 来るぞ!!」
腰の『求め』が警告を発する。それはたった一体のスピリット。しかしそれが無防備なこちらへ向かっている。
「えっ!?」
「どうする……考えろ……考えるんだ……」
説明している暇は無い。間もなく、敵が殺到してくる。ただ逃げ惑う人々に、それはどんな衝撃を与えるか。
戦いによる、死傷だけじゃない。レスティーナが抱える理想に、どれだけの人が不安を持つだろうか。

「――――ユートくん」
それだけは、防がなくては。今まで何のために死んでいったか判らないスピリット達の為にも。
「出会ってから今日まで、楽しかったよ」
「え……?」
そこで俺は、初めてレムリアが真剣な顔で見つめているのに気が付いた。


「本当に夢のような日々だった……飾らない自分でいることもできたしね」
何を、言っているのだろう。
「レムリア……? なに言ってるんだよ。早く逃げないと」
何かを、見過ごしている。そんな、漠然とした不安。何故か嫌な予感が膨れていく。
「ううん。私は逃げちゃだめなんだよ…………私だけは」
レムリアが、頭に手をやる。いつも綺麗に纏められていた、黒髪。…………くろ、かみ。
「逃げちゃ、だめなの」

シュル。

「………………え?」
ふわさぁ。見事に流れる黒のストレートを見た途端、――全てが重なった。
感じていた違和感。それを証明するかのように。

「――――レスティーナ?!」
「ユートくん、ごめんね。私……嘘つきなんだ。ごめん……本当に、ごめんね」
まだ、思考が追いつかない。混乱した頭が整理できない。
「そんな……そんなことって……」
「あははは……すぐばれるかなって思ったんだけど、ユートくんって鈍いから」
軽い口調のレスティーナ。その表情がくしゃっと歪む。
「でも、他のみんなだって同じだよね。私、ただ髪形変えただけだったのに」
自嘲的な笑み。
「結局、本当の私なんて誰も知らないから……私自身も含めて、ね」
それは、レスティーナが決して見せない表情。でも、レムリアも見せた事のない、哀しい顔。
「どっちが……本当なんだよ……?」
そんな事が訊きたかった訳じゃない。でも、口に出してしまっていた。
「わからないよ。もう、どっちが本当の私なのか……。でも今は…………!」
残酷な、問いかけ。でもレムリアは、それを責めたりはしなかった。ただ、今の自分に出来ることを。
「静まれ!」
それだけを、精一杯。そしてそこには確かに、毅然としたレスティーナの面影があった。


「皆、静まるのです!」
レスティーナの叫びに、周囲のざわめきが徐々に収まっていく。
それは、生まれついての女王としての資質。そして強い意志だけが持つ、力の篭った言葉だった。

「迷わず、指示に従いなさい」
「ですが……」
「お聞きなさい。この混乱こそが、帝国の狙いなのです」
静かに、抑揚をつけたゆっくりとした口調。いつの間にか聞き入っている人々の姿。
(これがレムリアの……いや、レスティーナの女王の力なんだ)
「エトランジェ・ユート!」
「……ハッ!」
俺は、自然に跪いていた。さっきまで聞いていた、可愛らしい声ではなく凛、と響く声。
それに、今までのレムリアの態度、言葉が蘇る。
「侵入した敵スピリットを探索、速やかに排除しなさい」
「ハッ、仰せのままに」
普段、口にしたこともないセリフ。それが、すんなりと零れた。
まだ、どっちが本当の彼女なのかは判らない。でもそんな事より。

「もっと、レムリアでいたかったな」
俺は、決めていた。この小さな女王に、忠誠を誓う、と。