朔望

円舞 D

 §~聖ヨト暦331年スリハの月緑ふたつの日~§

「行くぜっ!」
叫びと同時に、光陰の周囲に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
黄緑色のマナを吹き上げ、それぞれが有機的に絡まり、網の目のような“壁”が浮かび上がる。
「これが俺の……『因果』の力だ。悠人。お前にこれを破ることが……出来るか?」
ごうごうと、巻き上がる砂塵に視界が塞がれる。その中で、光陰の声だけがやけによく通って聞こえた。
「俺は一度、お前とは全力で戦ってみたかったんだ……」
掲げた『因果』が、眩い位に輝き出す。光陰の精神に共鳴した猛烈なオーラがその刀身を包んで煌いていた。

 ――――だから。俺は、お前を全力で殴る(止める)。

遠くマロリガン城の方角から、一際大きな雷鳴が轟いた。
「光陰っっ!!!」
悠人は叫び、そして『求め』を振りかざしながら、殺到した。


ぎゃりん!
『求め』の刀身が光陰の周囲に張り詰めた分厚い壁のようなオーラに弾けて嫌な音を立てる。
殆ど同時に光陰の利き腕が動いた。両刃型の『因果』を脇に引き寄せ、その切先を悠人に向ける。
「悠人っ!」
短く吼え、繰り出した突きは自らのシールドを抜け、悠人の脇腹に迫った。決して速くは無い。
「くっ……うおっ!」
それでも体勢を崩したまま『求め』の鍔元近くで辛うじて受けたそれは、信じられない重さを秘めていた。
がつん!と鈍い音を立て、手首が骨まで衝撃を伝え、一瞬痺れる。悠人は膝が落ちそうになるのを懸命に耐えた。
「…………ハァッ!」
それを待っていたかのように、光陰がくるりと『因果』を捻り、もう一方の刃を旋回させてくる。
完全に間合いに入った薙ぎ。後ろにも左右にも逃げ道が無い。悠人は咄嗟に前に向かって踏み込んでいた。


 ――――――――

ニーハスから南に向かい、マロリガンへと続く街道。
城の直前の丘。そこで、ウルカとニムントールはたった一人のスピリットによって行く手を阻まれていた。

「…………っ!!」
僅かに掠めた穂先に顔を歪めながら、ウルカが後退した。駆け寄ったニムントールが慌ててシールドを張る。
「ウルカっ!? 風よ、守りの力となれ…………」
「くっ……」
ブラックスピリット特有の神速を生かした、得意の連撃。
ここに到るまで、全ての稲妻部隊を退けてきた最大の技、『月輪の太刀』。
連戦で疲れていたとはいえ、まさか槍に速さで打ち負けるとは。
「…………強い」
ウルカは傷ついた肩を押さえ、敵を睨みつけた。
両手で水平に構えた神剣の穂先に血を滴らせ、夕日を背に丘の上に立ちはだかるグリーンスピリットを。
「ここから先は……絶対に通しませんっ!」
クォーリンの、非情な意志を秘めた緑色の眼光が二人を射貫いていた。

「……っ! コイツっ!!」
「!! ニムントール殿っ! いけませぬっ!!」
ウルカの叫びは間に合わなかった。
同じグリーンスピリットに睨まれたのが気に食わなかったのか、ニムントールがだっ、と駆け出す。
「…………やられる前に、先に潰すっ!」
叫び、突き出す『曙光』。しかし冷静さを欠いたそれは、明らかに間合い不足。
「……ふん」
つまらなそうに鼻で笑いながら、クォーリンはその神剣を軽く払った。
かしゅん、と軽い音で『曙光』の穂先がクォーリンのそれを掠め、あっけなく軌道を逸らす。
「あ…………」
「……死ね」
そして勢いを殺さず旋回する神剣を、ぐっと踏み込んだクォーリンが薙いだ。
懐に入られてなす術の無いニムントールの横顔に、嘴のような穂先が緑色のマナを纏いつつ襲い掛かった。


きんっ!
「ニムっ!!」
「お姉ちゃんっ!」
突然飛び出してきた影が、神剣を弾く。横合いからの襲撃に、クォーリンは咄嗟に体を捩った。

「…………なんだっ!?」
「ハァッ!」
考える暇も無い。影は、そのまま殺到してくる。飛び込み、低い姿勢からの突き。
殆ど反射的に避わした。首の皮を裂かれる感覚。……速い。捌ききれない。
「……クッ!」
砂で滑るように踏み込みをずらし、流れるように後退する。砂漠の中で編み出した間合いの「外し」。
「っ!!」
しかし驚いた事に、敵の踏み込みはそれよりも速かった。
いつの間にか鞘に収められた神剣が、抜き放たれる瞬間を読めない。

がっ! ぎんっ! ががっ!
気の流れだけを頼りに、殆ど勘だけで受けた。槍を握る腕が痺れてくる。
たまらず、大きく後方に飛び退いた。その一瞬、影の顔がようやく見える。
「……お前はっ!」
思い出した。先日、デオドガンで発見したラキオスのスピリット。
あの時は大した力も感じず、爆発に気を取られてつい取り逃がしてしまったが……

頭の隅で、光陰の言葉が思い出される。

“それでも生き延びろ。これは命令だ……”。

3対1。しかも一人は強敵。このままでは、確実に不利だった。
「…………ちぃっ!」
クォーリンは、逃げ出した。燻ぶる悔しさを押し殺して。

 ――――――――


白と黄緑のオーラが激しくぶつかり合い、火花を散らす。
何合交わしても衰えない『求め』と『因果』の輝きがお互いの譲れない意地を表していた。

きぃぃぃぃん…………

「光陰っ!!!」
「悠人ぉっ!!」
張り叫ぶ声。
守りなど、最初から意識していない。油断すれば一瞬で消滅する間合いと威力の中での戦い。
「おあぁぁぁっ!!」
「があっ、ぁぁぁあっ!」
剣が振り切られるたびに相手から細かい鮮血が飛び散る。剣風が辺りの空気を舞い上げ風となって地面を捲り上げる。
竜巻の様に荒れ狂う中心で、二人はただがむしゃらに剣を振り回し続けた。

――――そうして、どれだけの間斬り結んでいただろうか。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
「ふぅっ……ふぅーっ……」
二人は一度離れ、それぞれに相手を睨みつけていた。

既に体力は限界に近づき、気力は尽きかけている。剣が重く感じられ、持つ手が震える。
第一、腕は痺れ切っていて感覚が無かった。所々傷ついた体を癒すシールドも、もう展開出来ない。
支えるために突き刺していた『求め』を地面から引っこ抜くとその勢いで体がよろけた。
「……どうした悠人、ふらついてるじゃないか」
「……ぬかせ。お前だって『因果』を杖にしてるだろうが」
「ふむ、それは気づかなかったな……よっ……とと」
「……ははっ」
「……へっ、正直ここまでやるとはな。どうやら悠人を見くびっていたらしいぜ」
「舐めるなよ。……俺は意地でもお前を止めてみせる」
「……そうだ悠人。それでいい…………いくぜっ!」
光陰の叫び。それが、最後の合図だった。


 ――限界なのは、光陰も同じだった。だからこそ、ここで悠人を倒しておかなければならなかった。

「おおおおっっ!」
片手で握った『因果』の重みを軸に、地面を蹴り上げる。そこでくるっと体を捻り、足を大きく振り回した。
回し蹴り。それがフェイント。悠人は当然左から来るそれを避わしつつ、右から攻撃してくる。
残念ながら、速さは『求め』の方が上だ。エトランジェとはいえ、物理的な剣の重さを変える事は出来ない。
『因果』は、その巨大さゆえに一撃の重みで敵を潰す斧。『求め』は速さで断ち切る刃だった。
だが、それだけに直撃させれば。右に流れてくる悠人に、この渾身の一撃を。
「…………悪く、思うなよっ!」
右に、流れてくる気配。そこに、『因果』を残ったマナごと叩き付けようと――――

「コウインさまっ!」
ぎくりと一瞬動きが止まる。視界に、槍を投擲しようとしている少女。まさか、と思った時には叫んでいた。
「クォーリン、やめろ!――――なっ!!!」
間に合わない。自分の影に隠れていた悠人が右側から姿を見せる。『求め』が摺り上げるように跳ね上がる。
悠人は気づいていない。そこを見極めたクォーリンが狙いを定めて―――

どすっ。

「な……光陰っ?!」
「痛っ……つぅ…………」
脇腹に突き刺さる、『求め』。体が反射的に動いた。
気づいたときには、悠人を庇うように自ら剣尖に飛び込んでしまっていた。
「ちっ……やっちまった……」

どさっ、と光陰は地面に倒れた。