朔望

円舞 E

 §~聖ヨト暦331年スリハの月緑ふたつの日~§

「おいっ! 光陰、しっかりしろっ! おいっ!」
本気で斬るつもりなど無かった。勿論全力ではあったが、それは光陰が相手だったから。
光陰なら、受けてくれると思っていたから。……そして、その後で説得するつもりだった。
動けなくなるまで、光陰は絶対に人の話など聞きはしないだろうから。
「なぁ、嘘だろ! 何でっ!」
それなのに、最後の最後で光陰は、動きを止めた。そして……『求め』は止まらなかった。

深く貫かれた傷口から大量の血が噴き出している。
「ゆ、悠人…………」
「喋るなっ! 今治して……くっ!」
オーラを開放しようとして、がくっと力が抜ける。もうそんな力は残っていない。
「おいバカ剣っ! なんとかしろよっ!」
懸命に呼びかけても、沈黙を守る『求め』。力を使い切ったのか、それとも敢えて応えないのか。
「くそっ! 何だってこんな……」
砂を掻き毟る。何も出来ない自分に、どうしようもないやるせなさが込み上げてくる。
「い、いいから、行け……今日子を、頼む……」
「何言ってんだ! 行ける訳無いだろッ!」
「俺なら大丈夫だ……はは、ちょっとばかし驚いたけどな……」
そう言って、光陰はよろよろと立ち上がった。


「お、おい……」
「ふ~~。まったく、ホントに容赦ないな悠人は。死ぬかと思ったぜ」
傷口を押さえながら、へっ、と苦笑いする。指の間から鮮血が零れた。
「こんなモン、大したことないぜ。『因果』の力を使えば、すぐに塞がる……だから、先に行ってくれ」
「だ、だけど……」
「いいから聞け。もう時間が無いんだ、判ってるだろ?……少し休んだら俺も行く。だから……頼む」
「…………本当に、大丈夫、なんだな?」
「何度も言わすなよ、俺がコレくらいで死ぬとでも思うか?……大体悠人に心配されると気持ち悪いぜ」
冗談っぽく、呆れた声。
「……判った。だけど、絶対に追って来いよ。俺一人じゃ今日子は手に負えないからな」
「ああ。いいトコを取られっぱなしってのも悔しいからな……今日子は俺が助けると決めてるんだ」
「…………約束だぞ! 今日子を、一緒に助けるって!!」

 ――――――――

だっ、と駆け出す悠人。その後姿がどんどん小さくなっていく。
やがて見えなくなったのを確認して、
「何が一緒だ……まったく、最後まで憎たらしいヤツだな……」
どさっと光陰はもう一度、大の字に崩れ落ちた。今度は本当に力尽きて。


「いやぁぁぁっ! コウインさまぁっ!!」
血相を変えたクォーリンが駆け寄ってくる声が聞こえる。その背後で閃く、マロリガンを覆うドス黒い雷。
「頼む悠人……大将を止めてやってくれ……かはっ!」
こふっ、と込み上げた血を吐き出す。霧のような鮮血がたちまち金色に舞った。
いやに冷静な頭が、手遅れだと結論を出してしまう。
「ふぅ……突っ張ってみたけど、いいことなんてなかったぜ……」
冷えていく体。既に全身、感覚が無い。ああは言ったが、既に『因果』にマナなど残っていなかった。

あの瞬間。咄嗟に悠人を守ろうとした。……負けてもいい、と思ってしまった。
あれほど今日子の他に、何もいらないと思っていたのに。その為に、全てを捨てる決心でいた筈なのに。
「結局、覚悟が足りなかったって訳か……へっ、修行、不足だな…………」
だんだん景色が霞んでいく。オレンジ色の空が、やけに眩しく目に焼きつく。
「頼んだぜ……悠人…………今日、子…………」


薄れゆく意識の中。懐かしい光景が浮かび上がった。悠人と今日子。通学路。

 「一人で全部背負い込んで、潰れてもしょうがないぜ?」

――――そうだ、あれは俺が言ったんだっけか……すっかり忘れてたぜ。

確か……佳織ちゃんのことで一杯一杯になってた悠人に見かねてつい説教臭くなっちまったセリフだ。
はは、一本取られたな……今日子の事で自分が見えていなかったのは、俺の方だったってことか。
一生懸命で真面目、ねえ…………俺にはそんなキャラ、絶対向いてないと思って、たん、だがなぁ――――


 ――――――――

「あ……ああ…………」
既に薄れ行く光陰の亡骸を抱き抱えようとして、クォーリンの腕は宙を切った。
「そ、そんな……コウイン、さま……?」
これでは、大地の祈りも通じない。『因果』が既に消滅している以上、回復の手段が……無い。
「嘘……ですよ、ね……嘘…………」
温もりが、消えていく。何度問いかけても、答えは返って来なかった。
「どうして……」
頬を伝う涙がぽたっ、と砂漠に落ち、そして砂に飲まれていった。


ぎりっ。
歯軋りと共に、口の中に広がる錆の味。クォーリンは、切れた唇から憎しみを迸らせた。
「…………許せ、ない」

きぃぃぃぃん…………

共鳴する、神剣。それを強く握り締め、クォーリンは立ち上がった。
そして睨みつける。マロリガンの方向、悠人が駆け去った先を。

 ――――――――


マロリガンから閃く稲光。丘の上に佇む人影。
「今日子っ!」
悠人の声は、遅れてきた雷鳴に掻き消された。
『来たか、『求め』の主……待ちわびたぞ』
殷々と響く、低い声。同時に天を突き上げるかのように地面から雷が巻き起こる。
風圧から顔を庇い、悠人はもう一度呼びかけた。今日子の心に届くようにと必死に祈りながら。
「今日子、目を覚ませ! 神剣の気配なんかに負けるなっ!!」
だが返ってきたのは平板な、何の感情も無い機械のような拒絶だった。
『我が名は『空虚』。永遠神剣、第五位』

きぃぃぃぃぃん…………

『契約者よ、砕け、砕くのだ……』
頭に直接、響くような声。『求め』の干渉が『空虚』に呼応するかのように大きくなっていく。
「ぐ、ぐあああぁぁっ…………この、バカ剣……だ、ま、れ……」
湧き上がる憎悪。目が眩み、霞んだ光景の中で悠人は懸命にそれを抑えつけようと『求め』を握り締めた。
「俺は、今日子を……助ける!」
そして、ぎり、と歯噛みしながら今日子を見上げる。
紫の雷を全身に纏い、薄ら笑いを浮かべたままの『空虚』が楽しそうに呟いた。