朔望

円舞 F

 §~聖ヨト暦331年スリハの月緑ふたつの日~§

今日子の瞳から、意志の光が失われていく。反して増大していく『空虚』のオーラ。
『…………つまらぬ』
呆れるような、いかにも興醒めだ、というような口調に悠人は、“キレ”た。
「バカ剣っ! 力を貸せ、今日子を傷つけずに『空虚』だけを壊すっ!!!」
『無茶を言うな、我々の戦いとはそのように甘いものでは……』
「いいからもっと力をよこせっ! いくぞっ!!」
最後まで聞かず、駆け出す。『求め』の刀身が青白く光り、残りのマナを大きく開放し始めた。
「おおおおおっ!」
未だ雷を纏ったまま、だらんと『空虚』をぶら下げたままの今日子。その手元に悠人は殺到した。
「『空虚』ぉっ!!」
振りかぶった『求め』を激しく叩きつける。文字通り、「折る」勢いで。
しかし頭に血が昇ったままの、怒りに身を任せた攻撃が通じる筈もない。第一光陰との戦いで、殆どオーラが張れない。
今日子はちょっと身を捻るだけでその単調な攻撃を難なく避わした。ざくっと地面に『求め』が激しく突き刺さる。
「……くそっ!」
悠人は歯軋りしたまま、一瞬動けなかった。そしてその隙を『空虚』が見逃すはずも無かった。
『……死ね』
「っっ!!」
はっ、と顔を上げた瞬間、低く沈む今日子の体。至近距離で、引き絞るように腕を畳む。


「今日……!!」
矢のように、正に神速の打突が繰り出されようとした瞬間。
受け止めようと引き抜いた『求め』の周囲に霧のようなマナが纏わりつき始めた。
「なっ!!」
急に黄緑色に強く輝き出す、『求め』の刀身。膨大な量を取り込み、歓喜の声を上げる。
威力が『空虚』を凌いだと、本能で判る。悠人は咄嗟に伸ばしかけた手元を引き戻そうとしたが、遅すぎた。

…………どすっ。

「あ……あ……」
握った手に、柔らかい感触。
悠人の目の前で『求め』の剣先が『空虚』を砕き、そしてあっけなく今日子に吸いこまれていった。


「ユ……ゆ、う……?」
「今日子! 今日子なんだよなっ?!」
一体、どれ位ぶりなんだろう。こんなにはっきりと、“外”が見れるのは。
……ああ、『空虚』の気配がない。……そっか、アタシ、帰ってこれたんだ――――

「……ふふ……なーんか……めいわく……かけちゃ……たよね」
「…………そんなことねーよ……大丈夫だ、すぐに…………」
辺りが金色に染まっていく。すぐそこに、辛そうな悠の顔。それも段々霞んでいく。
……もういいよ、悠。これ以上、迷惑かけらんないよ。それより、そんなことより――――


「いい? 悠……。良く聞きなよ……こうなったのはあんたのせいじゃ、ない……」
体に力が入らない。もう少し、もう少しだから――――
「また一人で、全部……背負い込むのは、やめなよ…………?」
ずっと言いたかった、一言。こんな風に言うつもりじゃ、なかったんだけど――――
「そしたら……許さない……んだから……約束、だからね…………」
ぽたぽたと落ちてくる、熱い涙。まだ感じる事が出来る内に、もう一つだけ――――
「…………ねぇ悠……キ……スしてよ。このまま……ってのも悔しいから……さ。ね?」
顔はもう見えないけど。困っているのは判る。ごめんね。最後にこんな、我が侭言っちゃってさ。でも――――
「ん……うぅ……んん……」
唇に、触れてくる温もり。その感触を最後に、体中の感覚が無くなった。
「バイバイ……悠……。……光陰……ごめん……ね」


――――遅くなった帰り道。偶然会った神社の前。

「…………嫌いになるんだったら……とっくのとう……なんだからさ」
「じゃあ、なんで俺のこと避けるんだろうな?」
「そんなの決まっ…………知らないってば! 結構いろいろあんのよ、女の子には」
「そうだよなぁ。男には、相談できないこともあるだろうし」
「……鈍感」

ああ、懐かしいなぁ……。神社で佳織ちゃんのこと相談された時だ…………。
アタシってばバカだなぁ……ごめんね佳織ちゃん…………アタシ、また悠のこと、傷つけちゃったよ――――


 ――――――――

「今日子!今日子ーーーっ!!」
腕の中で消えていく姿。血で汚れた口元が微かに微笑み、ゆっくりと頬を押さえていた手から体温が失われる。
「あ…………あ…………」
今日子だったものが、静かに『空虚』と共に金色のマナに還る。
そしてそれに、どこからか交じり合う黄緑色のマナがゆるやかに『求め』に吸い込まれていく。
歓喜に満ちた『求め』の気配が、心に愉悦の感情を強制しようとしている。
でもそれも、今は関係なかった。頭の中は既に真っ白に染まり、思考が一歩も前に進まない。
悠人はまだ微かに残る温もりに縋るかのように、ただずっとそのままの姿勢で呆然としていた。
そこから全く動けなかった。


「はぁぁぁぁぁっ!」
それは、それまでただ見守り、立ち尽くしていた稲妻部隊の一団から飛び出してきた。
緑色の髪を振り乱し、槍型の神剣に迸る雷を纏い。ただがむしゃらに、一直線に悠人を目指していた。

「よくも、よくもぉぉっ!!!」
主を失った悲しみと怒りが、クォーリンに我を忘れさせる。
持つ神剣に感情の全てをぶつけたライトニングストライク。本来持つ技量も何もかもを失った、ただの突き。
絞り出した叫びと憎しみだけが、今のクォーリンを支える全ての存在意義だった。
それでも、そのクォーリンの渾身の叫びにすら、悠人は反応できなかった。
目の前で起こった悲しみに呆然としたままのろのろと上げる瞳に、既に色は無い。
ただスローモーションのように迫る、煌く切先をぼんやりと眺めていた。


ざ、しゅう―――

「…………!!」
噴出す鮮血に、現実感が無かった。漏れた筈の悲鳴がひゅーひゅーと乾いた音しか立てない。
「く……あぐぁ…………」
目の前には、見知らぬ緑色の瞳を持った少女。その頬が朱に染まっている。
ぶるぶると震える手に持つ細い棒のようなものに視線を下ろし、やっと気づいた。
腹部が、ざっくりと刺し貫かれている。稲妻部隊の、恐らくは今日子や光陰の部下だったスピリットに。
全てを悟った悠人は、深くゆっくりと息を吐き、まだ流れている涙そのままに。
「ごめん、な…………」
それだけを伝えるのが精一杯だった。悠人は膝をついたまま、棒切れのようにその場に崩れ落ちた。

 ――――――――

敵の気配に、『月光』へとマナを送り込んだ瞬間。
「…………ユートさま!!」
ようやく辿り着いた小高い丘の上に悠人らしき姿が倒れているのが見えて、ファーレーンは思わず叫んだ。
周囲を取り囲んでいた稲妻部隊がその声に反応して、一斉にこちらを向く。
「っっっ!!!」
おかげで状況がよりよく「視えて」しまった。動かない悠人。そのすぐ側で立ち尽くすグリーンスピリット。
それらが映った瞬間、ファーレーンの中で何かが弾けた。冷静な判断など出来なかった。

一方どうやら神剣の気配が増大してくる敵の様子に、戦意を失っていた稲妻部隊のうち手前の二人が反応した。
「おのれぇぇぇっ!!」
クォーリンの気迫が伝染ったのか、ブルースピリットとレッドスピリットが同時に動き出す。
前を塞がれる形で迎撃を受けたファーレーンは、咄嗟に脇の林に飛び込んだ。迂回するつもりだった。
回りこみ、気配の弱い集団の中に。砂から土に変わった硬い地面をファーレーンは踏みしめた。
しかしそれよりも速く、ブルースピリットのウイングハイロゥが目の前を掠める。
「くぅっ!」
戦闘が終了した筈の、マロリガン。城を目前に、期せずして誰も望まない戦いが始まった。


光球が着弾しては、次々と燃え上がる地面。巻き上がる土煙。
ファーレーンが駆け抜けた後を、無数の焦げ跡が追いかける。
「…………くっ!」
軌道を遠に近にと鍵状に変化させ、レッドスピリットの距離感を惑わせる。
それで炎の雨を防ぐ事は出来たが、しかし、それ以上接近する訳にもいかない。
全力で展開しているウイングハイロゥがちりちりと火の粉を浴びて嫌な音を立ててきた。
次第に捕捉されつつある。ファーレーンはやや焦りを感じ始めた。
倒れたままの悠人の様子が思考の隅をちらっと横切る。一瞬それに気を取られた時だった。
先回りを仕掛けてきたブルースピリットが、最短距離を一直線にこちらに迫る。
その体勢のまま、突き出した神剣がすぐ前まで伸びてきていた。反応が、遅れた。
「………………っ!」
がぎぃん!咄嗟に庇った籠手に軌道を逸らした敵の剣が肩を切り裂く。
左腕に、痺れと痛みが同時に走った。更に突進してきた敵の蹴りが鳩尾を貫く。
「はぐっ!」
身体をくの字に折り曲げたまま、一度浮いたファーレーンは二度三度、地面を転がった。
軋む様な音が辺りに響く。ファーレーンの背中から、ウイングハイロゥが消えた。


動かなくなったファーレーンにブルースピリットはゆっくりと近づいた。
やがて警戒していた表情の端に、やや歪んだ様な笑みが毀れる。
背中を向けたままだらんとしている身体をこちらに向けようと、彼女は足で蹴ろうとした。
その足が当たろうとした瞬間。身体を捻ったファーレーンが、きっとこちらを睨みつけた。
何時の間にか右手に持った神剣が、反動で振りぬかれている。
「……なっ!」
驚愕。通常、戦闘中にスピリットがハイロゥの展開を自ら止める事は無い。
それは、力尽きたか気絶、もしくは命そのものを失った事を意味する。少なくとも、今までは。
どうしてそんな固定観念に囚われていたのだろう。油断していたのは自分だったのだ。
爛々と黒く輝く『月光』の、細い剣先が見えた。ハイロゥに使っていたマナを全て注いだ一撃。
その残滓を網膜に焼き付ける事もなく、敗因も理解しきれず、ブルースピリットの瞳孔は散じた。