革新の一歩

第一章 決意と萌芽Ⅲ

 森の中を流れる川。おそらく森の南端を流れる川の知られざる小支流なのだろう。
 作戦でしか見る事がなかったが、すっかり覚えてしまった地図を思い浮かべる。
 周囲はわりと開けていて、明るい。そして何より――
「まさか紅葉があるなんて思わなかったなぁ」
 そよ風に枝から真紅の葉が一枚さらわれて、穏やかな川の流れに重なる。
 今は暦でスフの月。日本で言えば十一月の中旬くらいなのだが川辺にある一本の紅葉(?)にはまだ八分ほど赤い葉が残っていた。
「モミジ?これはモミジと言うのか?」
 アセリアがそんな事を言いながら物珍しそうに眺めていた。
 既に散ってしまっていてもおかしくないのだが、土地の緑の力か、はたまた立てられた施設のせいかと、
悠人はあれこれ考えてみたが、ここは意外な発見を素直に楽しむ事にした。
 みんなはシートを広げて昼食の準備を始めている。シートの中心にはハリオンお手製の料理の数々が。
 どう考えてもバスケットの中に入りきらない量だったが、そこはハリオンだから気にしない事にする。
 ハリオンは彼女にしてはせわしなく動いて食器を配っている。その隣でヒミカもそれを手伝っていた。  
「ん…おいしい……」
 アセリアは既に食べ始めていた。
(いつの間に…速いぞアセリア)
「ユートさまも~、どうぞ~」
 いつのまにか隣にはハリオンがいた。
 開戦少し前から知り合ってほぼ二ヶ月。やっと第二詰め所のみんなにも慣れてきた。
「ああ、いただくよ」
 悠人はハリオンからとり皿を受け取る。既に料理は乗せられて、フォークが添えられていた。
(そう言えばハリオンの料理を食べるのは、これが初めてだな)
 ぱくり。
「どうですか~?」
「おっ、…これは」
 エスペリアとはまた違っているがこれもいい。
 ベクトルは違えど、間違い無くハリオンも上手な方に分類されるだろう。
「うん、とってもうまいな」
「どういたしまして~。まだまだいっぱいありますから~、どんどん食べてくださいね~」
「ああ、そうするよ」
 目の前の穏やかな昼食の風景。とても今が戦時とは思えない。
 今だけここに流れる、違う世界の時間。

 仲良く談笑しているヒミカ、ハリオン。
 黙々と食べているアセリア。
(あれ?セリアはどこだ)
 悠人は視線をさまよわせ、ほどなく彼女を見つけた。
 セリアは例の紅葉の木の根元に腰をおろしていた。
(紅葉に佇む美女…うーん、絵になるな)
 いつもの凛然とした雰囲気はなりを潜め、今の彼女はただ物憂げに赤い葉の落ちる様を見ていた。
 悠人が見とれていると、視線に気がついたのかセリアがこちらを向いた。
「…なんですか?」
 いつもの彼女だ。冷たい視線と威圧感。だがしかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
 セリアから少し離れて悠人も腰を下ろした。
「なあ、セリア。午前中の事なんだけど…俺を嫌っているのはわかるがあれはあんまりじゃないのか?」
「そうでしょうか?耐えられると思ったので自身の体力を温存して来ただけですが」
「それ本気で言ってのるか?」
 さすがに悠人も怒りがこみ上げてきた。
「勝手に動かれると迷惑ですか?」
「ああ、そうだな。何のための集団戦訓練なんだ?勝手に動かれたらこっちも困るだろ」
「そうですね。あの時もみんな困りました」
(よりによってここで出してくるか)
 悠人は心の中でうめいた。言うまでもなく、セリアに引っ叩かれたときの事だ。
「あの時の事は謝ったじゃないか。いいかげん根に持つのはやめてくれ」
「やめません。なんで私か怒ったのかもわからないで、悪びれもせず謝っているうちは絶対に」
「え?だからそれは、俺がまだまだ未熟で隊長なんて――」 
「――っ、やっぱりわかってないっ!」
 悠人の言葉はセリアの怒声に遮られた。普段からもの静かな彼女が、このように怒鳴るなど想像もつかなかった。
 セリアは掴み掛かからんばかりの勢いで悠人との距離を縮めた。
「いいですか?あなたが未熟なのはみんな知っています。なのにみんなは、あなたを隊長として立てているんです。

その上であなたのとった行動はなんですか?みんなの気持ちを無視して一人で突っ走って!
みんなはさぞ心配した事でしょう。隊長とは部下に不安を与えてはいけない…それがどのような形であれ。
あなたは一番してはいけない事をした、なのに悪びれもしない!」
「………」
 何も言えなかった。彼女は全くもって正しい。

(俺はせめて無茶をしないで戦うべきだったんだ。みんなを心配させないように)
「みんな怒ってるんですよ?本当にあなたは理解しているんですか」
 ようやく理解できた。あの午前中の理不尽にはこういう裏があったのだ。
「…悪かったよ。本当に、セリアの言うとおりだよな」
 自然と言葉は出た。
「ゴメン。この通りだ、許してくれ」
 悠人はセリアに向かって深々と頭を下げた。
「わ、私は特に気にしていません。そういう事はみんなにやって下さい」
 セリアは面食らった様子で言った。この反応は予想していなかった。
 彼女の人間観で言えば、人間でましてや隊長である彼が部下である自分に頭を下げるなど予想だにできなかった。
「んー、でもやっぱりセリアにも謝っておかないと。コレは俺の気持ちの問題だけど」
 すっきりとした表情で悠人はセリアに笑いかけた。
 セリアはそんな悠人を見て数秒黙考―――そして、
「…だったら」
「ん?」
「だったら一つ、私の質問に答えてくれますか?」
 セリアが俺に聞きたい事?いったい何なんだろうか。少し疑問に思いながらも悠人は頷いた。
「あの時……ラセリオのあの時、なんであんな無茶をしたんですか?悪いと思ってなかったというなら、それなりの理由があったと思うのですが」
 今度は悠人が面食らう番だった。
「あ、あれか…あれは、えーとな」
 急にしどろもどろと落ち着きがなくなった。
「別に、理由なんて大層なものじゃないんだ。……そう、思いつき、みたいな…」
「思いつき?」
「ちょっと面白くない話になるけど、いいか?」
「はい、構いません」
 悠人はそうか、と呟くと話し始めた。
「俺と佳織…って佳織って言うのは俺の妹の事なんだが――」
「はい、知っています」
 知っている。今、悠人が戦っている理由の全て。彼が自分の全てを賭しても守りたいもの。
「そうか。で、俺達は小さいころに両親を亡くしてて、親が居ないって事でいじめられてた時期があったんだ」
 悠人の表情が苦く曇った。

「全く酷い話さ。自分たちと違うってだけでこういう事を平気でする。しかも多数でよってたかってだ。
勿論やられてばっかりじゃ、いつまでたっても無くならない。だから、ある日先手を打った。
さて、今日は何をしてやろうかって算段していた奴らにいきなり飛びかかってやった。
元から群れなくちゃ何もできない奴らだったからな。一番最初に怯ませたら後は蜘蛛の子を散らす様に逃げてったよ」
 曇った表情が苦笑に変わった。
「その時の経験則さ。意表を突いて出鼻を挫く。相手が勢いづく前に戦意を削り取れば退却してくれるかな…って」
 セリアは唖然とした。
「…短絡で楽観的ですね」
「そう言わないでくれよ。できれば、殺したくなかったんだ」
 戦いたくて戦っているわけじゃない。
 殺さなくて済むならば、そうしたい。
「…そういう泣き言も部下の不安につながりますよ?」
「手厳しいな、セリアは」
「それは違います。みんなはユート様に甘いだけです」
 そう言われれば思い当たる節もある。
「やっぱりまだまだって事か」
「そうですね。くれぐれもみんなの前では今のような事を言ってはいけません」
「まるでエスペリアみたいだな」
 セリアの表情が訝しむようなそれにかわる。
「エスペリアが?」
「ああ、実はな――」
 それは開戦前の事。スピリット隊の隊長に任命された時に漏らした悠人の本音に、かけられた言葉。
 ――今のような言葉は決して皆の前ではなさらないようにしてくださいませ。
 ――隊長が不安を抱えている事が解れば隊員も不安になります。
 ――不満や、苛立ち、怒りは全て私にぶつけてくださいませ。
 ――私が受け止めますから。
 彼女に返す言葉が見つからなかったのを憶えている。
「――っていう事があってさ…」
 ……目の前の男はバカだ。セリアはそう、確信した。
「…「皆」って事は、その中に当然私も含まれていると思われますが?」
「しまった!そうだよな、この事は忘れてくれ」

 エスペリアに対して同情を禁じえない、さぞ苦労している事だろう。
 しかし、「献身」の二つ名を持つ彼女の事だ、手間のかかる弟のような感覚かもしれないが。
 それでも、彼女一人が持つには「この荷物」はいささか大き過ぎやしないだろうか?
「…エスペリアのように「全てをぶつけてもいい」とは言いませんが……」
「え?」
 少しくらいはこっちが持ってもいいだろう。
「私も訓練や、多少の相談になら付き合ってあげてもいいですよ」
「本当かセリア。サンキュ、助かるよ」
 セリアの言葉に悠人は表情をほころばせた。
 何故だろうか?彼と話していると必ず自分のペースが乱される。
「ユート様のためではありません。それではエスペリアが大変だろうと思っただけです」
 ほら、また言わなくてもいいことを言ってしまう。
「へえ、セリアって意外に仲間思いなんだな」
 これ以上は危険だ、と心が警鐘を鳴らす。そう、踏み込むわけにはいかない。
 何に対してそう感じたのかはわからない。だけどここは警告に従う場面だ。そう結論したら、あとは速かった。
「っ!、では私はみんなの所へ戻っています。それでは」
「え、あ!ちょっと――」
 セリアは突然話をうち切っていってしまった。
(いっちまったな)
 セリアの後姿を見ながら、悠人は思う。
 彼女は異質だ。悠人に対して半ば無防備としか言いようがないスピリット隊のみんなとも、アセリアやナナルゥのように自我が希薄なのでもない。
 はっきりと他者との間に一線をひいて孤高なのだ。
 何故なのだろう。
 一人でいる事は辛いと、悠人は思う。なのに彼女は進んで一人であろうとしている。
「いつかは教えてくれるかな?」
 ぼそり、とひとりごちる。
 しかし、彼の問いに答えるものは無く、赤い葉が風に流されひらひらと舞うばかりだった。